Fin.

◆ エピローグ(2)


「こうして、舞踏会に赴くのも久しぶりだな――」
 着飾った人々でごった返すパーティー会場をエスコートしてくれながら、シーヴァスはしみじみと呟いた。
「公務にかまけてばかりで、君と過ごす時間が少なくなっていた。すまなかったな」
「そうですか?」
 手を引かれ歩きながら、思わず首をかしげる。
「昔と違って、毎日一緒ですけど」
「……君は朝と寝る前の10分程度、話をするだけで満足なのか? 日によっては、おはよう、おやすみだけで終わっていたというのに」
「はい! だって全然違いますよ。一度も顔を合わさないのと、ちゃんと挨拶出来るのじゃ」
 地上に降りるのも、けっこう命懸けだったし。
 てっきり記憶は消されてしまうと思っていたから、インフォス守護の功績に対する褒美・恩情として、互いを覚えたまま再会が叶っただけでも嬉しくて、ただ平和な日々が愛しい。
「そういうセリフを本気で言うから、タチが悪いな……留守がちな亭主としては、ありがたい話なんだろうが」
 多忙な身にも関わらずあれこれ気を遣い、たまの休日くらい寝ていたいだろうに流行りのデートスポットや元勇者のところへ連れ出して、地方視察へ出た日には土産だと言って菓子や小物を持ち帰ってくれることもしばしば――クレアとしては本当になんの不満も感じぬ幸せな日々で、充分すぎるくらい大切にしてもらっていると思うのだが、そう訴えても何故か “旦那様” は不服そうだ。
「? ダメなんですか?」
「君は、もう少しワガママというものを覚えても良いと思うぞ」
 一拍置いて返される、苦笑混じりの溜息。
「昼は戻って一緒に食事を取れとか、もっと夫婦のスキンシップに時間を割け、とかな」
 そう言われても、少々困る。
「いくら同じヴォーラス市街だからって、徒歩5分とかじゃないんですから。いちいち屋敷に帰っていたら、そのぶんお昼休みや仕事する時間も減って、今度は帰りが遅くなっちゃうじゃないですか」
 彼に対する文句など思い浮かばず、それより過労を心配している側としては。
「ただでさえ、このところシーヴァスは睡眠不足なんですし……ちゃんと寝ないと身体に悪いですよ」

 インフォスに降りてしばらく――結婚の許可を得るまでは、ヨーストの別邸で、大貴族の妻となる為の作法や常識を学ぶ日々を送っていたのだが。
 根負けしたシーヴァスの祖父が、当主の座を孫に譲り渡してからは、住まいも入れ替わる形で、クレアたち若夫婦が、ヴォーラスの本家で生活するようになっていた。
 祖父がヨーストで隠居すると言い出したとき、シーヴァスは、
『一応、和解したとはいえ、同じ家の中にいては息が詰まるし新婚生活も楽しめないからな』
 離れて暮らすことにあっさりと賛成したが、てっきり同居するものとばかり考えていたクレアは、なんだか住み慣れた家から追い出してしまったような状態に気後れしていたのだけれど。
『旦那様なりに、気を遣ったんでしょう。あなたが友好的なものだから、逆に、散々反対していた立場上、どんな顔して話しかければ良いのかも分からないんでしょうね』
 ジルベールは、気にすることはないと言って笑い。
『曾孫でも生まれるとなりゃ我慢できずに、仏頂面で顔を出すだろ……面倒臭えジジイだろうが、付き合ってやってくだせえや』
 実は腐れ縁の幼なじみだという庭師のジョセフも、呆れ顔で肩を竦めていた。

 そんなすったもんだの末、あらためてプロポーズされた日の夜。
 シーヴァスは政治家として、ヘブロン王国を――ひいては世界をより良くする為に働きたいと、夢を語った。
 貴族としての立場、財力、権限を生かして、社会の不正を正し、貧しい人たちを救う。
 この先、約30年――子の世代に後を託し終えるまで、傍で支えて欲しいと。
 そうしてフォルクガング家当主としての責務を果たしたら、人生の後半、今度はクレアの希望――医者として、インフォス各地を旅しながら、怪我や病気で苦しむ人々を助けて回りたいという夢を、護衛として支えて生きよう――死が二人を別つまで、と。

 だから今はこうして、パーティー等に同席することが主だった 『仕事』 であるものの、主催者や他の来賓客に失礼が無いよう気を遣う点を除けば、シーヴァスの職場を垣間見れて楽しいし。
 帰宅は夜遅く、日曜も社交界の付き合いで潰れてしまいがちなシーヴァスは、寂しい想いをさせてすまないと口癖のように謝るのだけれど。
 普段は、ヴォーラス大聖堂に併設された慈善施設で、小児科医の助手として勉強させてもらっている (職員たちからは、しばしば貴婦人のボランティアの域を越えていると苦笑される) から、寂しいとか退屈だとか思う暇も無く、充実した毎日だ。
 こんなに満たされていて良いのかと、時折、漠然と怖くなるくらいに。

 案内されるままダンスホールへ足を踏み入れると、居合わせた人々――特に女性の目が、一斉にシーヴァスへと向いた。

 当の本人は慣れ切っているのか涼しい顔で、最近ようやく “開き直る” ことが出来るようになったばかりのクレアは、これさえ無ければダンスや世間話自体は楽しいのになぁ、と複雑に思う。
 シーヴァスは相変わらず女性に優しくて、既婚者となった今も、彼に浴びせられる熱視線の数は減らない。
 それどころか増えてさえいる、とは今はファンガム女王となったアーシェ談だ。
『元々プレイボーイって難点を除けばパーフェクトに近かったのに、結婚してから包容力も加わって、政治家としても将来有望でしょ? 愛妻家って評判にときめいて燃えちゃう、年上好きとか未亡人って一定数いるのよねー。上流階級の女って、暇を持て余してることが多いから。まあ、言い寄られても軽くかわすだろうし、あなた以外は眼中に無いんだから、陰でなにか言われても堂々としてなさいよ、クレア』
 そんなふうに励まされた後、
『ま、シーヴァスに言わせれば、あなたにちょっかい出そうと狙ってる男共の方が、よっぽど目障りで牽制も面倒でしょうけど……いい? いくら社交界だからって、必要以上に愛想良くする必要は無いんだから。シーヴァスが席を外してる隙に二人きりになろうとか、人気が無い場所に誘い出そうとするような輩は、ピシャッとはね付けて構わないんだからね!』
 細々と、パーティー参加時の注意事項を付け加えられたりもしたが。

 当初は勝手が分からないうえ、人の顔や名前、役職など覚えるのに苦労した。
 些細だけれど、今思えば 「嫌がらせだったのかな?」 という出来事もあった。
 実際、地位や財産どころか親兄弟すらいないクレアが、貴族社会で侮られるのは無理からぬことであって――シーヴァスの祖父や諸侯が二人の関係を認めるに至った理由は、身分違いの恋人たちの誠意や努力がどうこうより、約十年に渡る “任務” 中に知り合った人々との繋がりが大きかったと思う。

 口添えしてもらった影響で、素性不明のクレアに関して、アーシェの異母姉やらレイヴの異母妹やら、タンブール医師協会長の妹、果てはクヴァール領主の血縁者だ、バートランド伯爵の隠し子だと根も葉もない噂が飛び交い、訂正しなければと慌てるも 『しょせん噂だ、放っておけ』 『お気になさらず』 と制されてしまい。
 そんなこんなでシーヴァス・フォルクガングの妻については 『とある有力者の庶子、シスターとして神に仕えていたところを見初められた、父親は世界各国に影響力を持つほどの大物で、諸事情により名こそ公に明かさぬが娘を溺愛しており、彼女に危害を加えようとする者は秘密裏に消されてしまうらしい』 という、妙に大袈裟な話が定着してしまった。
 人々に真偽を問われたシーヴァスが、笑顔で 『まあ、そんなところです』 と肯定してしまったものだから、なおさら。
 奇異の目で見られて恥ずかしいです、とクレアが抗議しても、どこ吹く風。
『当たらずとも遠からず、だろう? 神の娘に恋して、引き留めたのだから。君を傷つけようものなら、そいつは元勇者の面々に嬲り殺されるだろうしな――まあ、その前に私が斬って捨てるが』
 素直には頷けないものの、まさか元天使だという事実を告げるわけにもいかないので、そういうことにしておいている。
 ……と、先日、遊びに来てくれたナーサディアに話したら 『処世術が身に付いてきたのねぇ』 と感慨深げに笑われてしまったのだけれど。

「さぁ、こっちへ。少し踊ろう、クレア」
「ええ!」

 ゆるく繋いでいた手を、強く握り返す。

 シーヴァスの妻、医術を学ぶ者、なにより人間として自分はまだまだ未熟で――これからも、予期せぬハプニングや新しい出会いを経て、昔の常識は崩され、価値観も少しずつ変わっていくんだろう――時の流れと共に。
 後悔しないように、毎日を大切に、生きて行こう。
 この愛しい人と添い遂げ、いつか……寿命を全うして、私も “死者が導かれる空” へ逝けるなら。その途中で懐かしい人たち、あの子に会えたら。

 笑顔で 『インフォスに降りて、幸せだったよ』 と胸を張れるように――



Fin or to be continued ? 

ラストはストレートに原作ゲームまんまで。元々 『パンドラ』 の過去話・回想程度として考えたインフォス編がイメージ膨らんで長編連載になり、たびたび煮詰まり、こうしてエンディングまで書き上げられるとは思わなんだ……継続は力なりとは、よく言ったもんだ。続けていれば、いつかは終わる!! ブームもとっくに過ぎたタイミングで始めた作品に、連載中、感想メッセージくださった皆様に感謝です。