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◆ シュタイアの狂宴


 ――10月9日の深夜。
 アルバリア地方・シュタイアにある、貴族の館からの帰り道……というか、護衛対象だったはずの貴族のお嬢さんが、吸血鬼が怖いです〜とか無視しないで〜とか言いながら、勇者様にしなだれかかって。
 敵襲を警戒するのに神経を尖らせてたぶん、彼女の挙動は眼中に無かったらしいクライヴ様を、天蓋付きベッドに押し倒して――二重の意味で、襲おうとした辺りから。

 隣からピリピリした空気が漂ってきて、ちらっと横目で見上げたらティセナ様は、珍しいくらいブスーッと不快そうというか、ふて腐れた顔をしていた。
(え、なに? ……ひょっとして、やきもち!?)
 ティセナ様ってば、クライヴ様のこと好きだったの?
 とっさに色恋沙汰かと思ったけど、どうやらそういう感じでもない。じゃあ何なんだって訊かれると、しっくり来る表現が浮かばないんだけど、ただひたすら嫌悪感みたいなものを撒き散らしていて。
 敵との戦闘中も、黒幕っぽい吸血鬼が現れて逃げちゃった後も、シュタイアを後にして小一時間が経過した今も、眉間にシワ寄せたまんま変わらず。

 ただでさえシェリーちゃん、無口なクライヴ様とは会話が弾まないのに――いったい何なんでしょうか? この気まずい空気。


 どんよりした土地で発生した、血生臭い顛末の事件。

『……私、実はあなたのお父様に、とても良くされていますの』

 最初の調査じゃ、吸血鬼に襲われたって噂だったお嬢さんは、永遠の命がほしいって理由で自ら “レイブンルフト” に身を捧げたんだそうで。
(あなたの、お父様――って、ええと? 良くされてるって、つまりその?)
 どーいう意味って、どう考えても “そういう” 事情なんだろうとしか思えない発言だったけど。クライヴ様の雰囲気って純粋な人間じゃないから、なにか違う生物の血が混じってるんだろうなぁとは感じてたけど……これはちょっと、あんまり知りたくなかったような。ちゃんと勇者様と天使様の口から詳細を聞きたいような、だけど楽しい話じゃないことくらい確かめなくたって解るし、この重たい沈黙を私から破るの怖過ぎるし!

 とにかく自ら、その事実を暴露して。
 そのままクライヴ様をベッドに押し倒しちゃって 『私のこと、好きにしても良いのよ』 なんて爆弾発言された時には、シェリーちゃんリアクションに困っちゃった。
 娘さんのこと心配して、夜中なのに起きて同じ部屋にいた彼女のご両親も。
 館の主でもある、そのご夫婦と、吸血鬼に狙われてる娘さんを守るために雇われて、ドアや窓周りを固めていたクライヴ様以外のハンターたち十数人も。
 そんな、けっこうな人数に夜食を届けたり飲み物を出したりと出入りしていた、お屋敷の使用人さんたちも。
 皆さん唖然として、目を丸くしたり口をあんぐり空けて、空耳か聞き違いかって顔をして、そんな二人を凝視していた。
 そりゃあ 『今夜も、吸血鬼が襲ってくるかも』 って怯えてるはずの娘さんが、することじゃないだろうし。
 なのにクライヴ様に圧し掛かって、さらには望んで吸血鬼の仲間になったんだとか言い出すし!?
 それ以前に 『あなたのお父様に〜』 なんて不穏な発言が飛び出してちゃ、どんなアホな人間でも 『美人さんに誘ってもらえてラッキー♪』 なんて喜ぶ訳ない。
 どっかのエセ聖職者だって、さすがに警戒する状況だったと思う。
 油断させる為なのか本気で誘ってたのか謎だけど、そもそも、どっちにしたって先に真相を明かしちゃったら目的は果たせないんだから、もう彼女は精神的におかしくなっちゃってたんだろうと結論付けるより他に無くて。

 当然、元から女の人相手にへらへらするようなタイプじゃない勇者様は、
『……離れろ』
 すぐさま相手を突き飛ばして、跳ね起きると剣を抜いた。
『王に仇を成す、あなた――ここで始末しましょう』
 ベッドから転げ落ちた娘さんの、細い体から、さっきまでは感じなかった瘴気がブワッと放たれて。白かった肌は、鬱血したような紫色に変化して。
 ティセナ様と似たライトブラウンだったはずの髪の毛も、ザァッと緋色に染まって、しかもうねうね不自然に動いてると思ったら、それは無数の、蛇……いいいぃ!?
「ひぃっ!」
「キャー、お嬢様!?」
 奥方様が卒倒し、メイドさんたちが悲鳴を上げて、半分くらいは我先にと逃げ出して。
 ハンターさんたちは、さすがにギョッとはしても状況を呑み込むのも早かったみたいで、パニック状態の雇い主と、ひっくり返って動けない奥方様を庇うように円陣を作る形で身構えた。
 だけどメデューサは、クライヴ様以外眼中に無いみたいで。
 魅了や石化の魔法は、ただの人間にとっては脅威だろうけど、天使なティセナ様と妖精シェリーちゃんに守られてるクライヴ様にとっては、そんなに苦戦する敵じゃなかった。
 高位魔族とはいえ一体だけだし、致命傷を負うほどの打撃を繰り出してくる訳でもなかったし――勇者様が、あっさり塵に返した。

 もし、これが密室だったら、単純に、雇ったハンターが愛娘を殺害したと誤解されて。
 実はとっくにアンデッド化していて、しかもそれは本人が望んだことだったなんて到底信じてもらえなくて、下手すればお尋ね者として指名手配されちゃってた可能性もあるし、お世辞にも賢いとは言えないタイプの敵で助かったのかもしれないけど。
「大変です! 奥様の持病、喘息の発作が……!!」
「さっきのショックでか!? 医者だ、医者を叩き起こせ!」
「……どうするよ、これ?」
「それなりに長い間ハンター稼業をやってるが、こんなパターンは初めてだなあ――」
 あんまり過ぎる結末に、お互いに顔を見合わせて突っ立っている、ハンター集団の間をすり抜けて、
「……出よう。もう、ここに用は無い」
 メイドさんや執事らしいおじさんたちの騒ぎ声にも背を向けた、クライヴ様は凍りついた表情のまま歩き出した。
「我が家に、あんな娘は最初からおらんかったんじゃ!!」
 扉を閉める寸前に聞こえてきたのは、館の主人の怒鳴り声。今にも発狂しちゃいそうな勢いで、娘さんの存在そのものを否定する罵声だった。

「あ、えーっと、報酬もらって行かなくていいんですか? 娘さんがああだったのは、ご本人たちの問題であって、クライヴ様の責任じゃないんですし――」
 任務の為に動いている私たちと違って、勇者様には、人間としての生活があるんだし……と思ったけど。クライヴ様は、静かに首を横に振って。
「落ち着きを取り戻せば――怯えるだろう、俺に」
 短く、それだけ答えた。

 それっきり会話は続かなくて。
 宿に着いても、やっぱりティセナ様は無言のまま難しい顔をしていて。
 窓際に佇んだまま暗い夜空を睨んでいる天使様に、私はこの後、クライヴ様に同行するのか天界に戻って指示待ちなのか、それとも探索に出掛ければ良いのか、どうにも声を掛けるタイミングを掴めなくて困っていると。

「……シェリー」
 珍しく判りやすく困った顔をしたクライヴ様が、小声で私を手招いた。

「俺は、なにかティセナを怒らせるような真似をしたか?」

 うながされて廊下に出ると、困りきった調子で訊かれた。
「機嫌が悪い……ように見える」
 うん、私にもそう見えます。あんまり周りの様子に頓着しないイメージの勇者様に指摘されるって、これ相当だよね?
 インフォスの任務時代、女遊びしてるシーヴァス様を見かけて顔を顰めてたり、こっちでもロクス様の生活態度に呆れた表情をすることはあったけど――今は、そんなのとは比べ物にならないくらい不愉快そうで、ご自分が顰め面をしてるって自覚がおありかどうかも怪しいくらいだ。
「考えてはみたが、なにが気に障ったのか分からない」
「けっこう長くご一緒している私にも分かりません。だけど、とりあえず」
 今まで勇者様と天使様の関係がこじれることなんてまず無かったから、私たち妖精は気楽なモノだったけど……これはシェリーちゃんが頑張るとこだよね?
「クライヴ様は、まーったく悪くないです!」
 レイラ様は心配だらけだし、ロクス様はあんなだし、事件は起きるにしろ余波はその土地、その国内に留まってる印象だったインフォスと違って――敵が既に入り込んでいるらしい帝国の侵略戦争は、アルカヤ全土を巻き込みそうな勢いなんだもの。解決出来そうな悩みの種は即解決しとかなきゃ!
「あの娘さん、妙にクライヴ様にベタベタしてましたけども。あの時点じゃ、魔族化してなかったから、警戒してなかったのは無理もないですし……」
 うん、絶対に勇者様に非は無い。
 だからティセナ様も彼に対して怒ってる訳じゃないはずだ。
「どうなさったのか私がお尋ねして来ますから! うん、お庭に連れ出して訊いて来ますね。だからクライヴ様は、ゆっくり体を休めておいてくださいね」

 困った顔のままの勇者様を、部屋に残して。
 内心ドキドキしつつ 「ちょっとお話が〜と」 お宿の中庭に移って、真っ先に、不機嫌顔の理由を訊ねてみたら。

「機嫌が悪い? 私が? なんで?」
 不思議そうな声はいつもと変わらない響きなのに、眉間にはシワ寄せたまんまで、やっぱり何だか変だった。
「いや、ずーっと怖い顔されてましたし。いつもならクライヴ様のこと労うっていうか、どんより考え込んでる暇を与えないようにされてるって言うか、とにかく事件後のフォローが無いような」
「フォロー……」
 そう呟いたティセナ様は、ぐしゃぐしゃと前髪を掻いた。
「ちょっと今回はねえ――かける言葉が見つからない、って言うか」
 あ、やっと表情と声が噛み合った……っていうか、さっきまでの違和感が消えた。
「この事件、ハンターやってるクライヴを誘き寄せる罠――だったのかも、しれないと思って」
「どういうことですか?」
「あのお嬢さんだったメデューサが、なに言ってたかは、居合わせたご両親や使用人たち、ドアや窓周りを固めていた他のハンターたちにも聞かれちゃったでしょ、たぶん」
 まあ、皆ギョッとして二人に注目してたし、パニックになって頭から吹き飛んでなければ覚えてるよね。
「娘さんを化け物に変えたレイブンルフトが、クライヴの “お父さん” で、吸血鬼の王様で? だから、あのブラスとかいうヤツが、村を襲ったけど一人だけ見逃した」
 あ、やっぱり、そういう事情だったんだ……。
 ご本人から聞いてたのか推察する機会があったのか知らないけど、ティセナ様には驚いたって様子が無いし、たぶん前からご存知だったんだろうな。
「本気にするかは分からないけど、怖がらせるには充分でしょ。人間社会から孤立させて、ヴァンパイアの仲間として引き入れようとしてるのかもしれない」
 うわ……そこまで考えてなかったけど。だったら、あの支離滅裂に思えたお嬢さんの言動も計算づく? 
 あ、だからクライヴ様は早々にあの場所から立ち去ったんだ?
「まあ、衆人環視の場で堂々と暴露してくれたから、クライヴが人畜無害な貴族の娘さんを殺したとか誤解されて指名手配に――なんて事態は避けられただろうけど」
 あ、それは私も思ってた。
「で、でも! クライヴ様って、混血なんだろうなぁとは感じてましたけど、まさかハーフヴァンパイアだとは思ってませんでしたけど。人間の血の方が断然強いはずですよ! じゃなかったら、混ざってる血が魔の眷属のモノだって、私も皆もアッサリ気づいたはずですもん」
「……今はね」
 頷いて、ティセナ様は宿を仰ぎ見た。
「アンデッドなんかじゃないし、流す血も赤いし、人間の血を吸いたいなんて思ったこともないだろうけど――天使だって、堕天するケースもあるわけだから」
 確かに、平和な世界で平凡な村人として暮らしていれば、魔性の血が混ざってるなんて気づきもしないで生きていけたかもしれない。
「あっちに引っ張られないようにサポート出来れば一番だけど。本人も、たぶんヴァンパイアの仲間入りするなんて死んでも嫌だと思ってるだろうけど……心を削る仕事、選んじゃってるからなあ」
 だけど現実は、殺伐とした世界で、血飛沫と隣り合わせの仕事をしていて。
「アルカヤでの任務が終わるまで、護り切れるかな……」
 溜息をついたティセナ様は、懐から銀のロザリオを取り出した。
 クレア様が地上に降りちゃってから、ずっと彼女は、天界に遺されたいくつかの結晶石をこうやって持ち歩いてる。単純に、浄化の “力” を秘めているからって仕事に便利な理由もあるだろうけど、お守りみたいなモノなんだろうなぁとも思う。
「――クレア様だったら良かったのに、ね」
「そりゃあクレア様は、素敵な天使様でしたけど」
 アルカヤの勇者様とだって、きっと仲良く出来たと思う……あ、だけどロクス様だけは違うかな? 出会ったのが彼女だったら真面目なところを煙たがるか、逆に、ずーっと猫かぶって本性見せようとしなかった気がする。
 同行してると、たまーに目撃しちゃうんだよね。教皇庁の法衣姿で出歩いてるときに、遊び仲間とかじゃない一般市民さんに声をかけられると、あなた誰!?って別人みたいな “僧侶らしい” 笑顔で丁寧な受け応えしてるの。
 あんまりなギャップに最初は笑っちゃったけど、ホントはあっちが普段の姿で――ティセナ様や私たちに素で接してるのって、けっこう凄いことなのかも?
「でも、クライヴ様は、ティセナ様のこと信頼してると思いますよ」
 レイラ様もそうだけど、剣士ならではの誇りとか辛さとかを共有できるのは、やっぱり御自身も剣の使い手なティセナ様ならではだと思うし。もし、この世界へ降りたのがクレア様だったら、なんていうか “どこか遠い存在” って位置付けられちゃってたんじゃないかなぁ。
「クレア様にはなれないけど、やってもらって嬉しかったことは再現出来ますよ! ……という訳で、お茶にしましょう!」
「へ?」
 唐突な私の提案に、ティセナ様は目を丸くして。
「ティセナ様が、ずーっと怖い顔してらしたから。クライヴ様ってば、なにか気に障ることをしたかって気にしてましたよ! べつに怒ってた訳じゃないなら、お部屋に戻って安心させてあげてください」
「え……そうなの? そんなに私、変な顔してた? そりゃ、悪いことしたね」
 やっぱり自覚は無いみたいだったけど、苦笑したティセナ様の雰囲気はもういつもどおりだった。

「じゃ、お茶でも淹れますか。クライヴも、まだ寝ちゃうには早い時間だろうし。水分補給は大切だしね」
「わーい、ティータイム〜♪」

 お宿に戻ったら、クライヴ様は部屋着姿になっていて。
 脈絡なしに 「お茶にしよう」 と言い出した私たちに、また困惑顔になっちゃったけど嫌だとは言われなかったから好きにさせてもらうことにした。
「あのさ。さっきは、ちょっと考え事に没頭してて――なんかずっと眉間にシワ寄せてた、とかシェリーから聞いたよ。気を遣わせちゃってゴメンね」
「ああ、いや……問題無かったのなら、それでいい」
 会話が弾んでるとは到底呼べないお茶会だったけど、クライヴ様の困り顔が分かりやすくホッとした表情になったから、私も嬉しくなった。
 今度は、お菓子持参で来ようかな。
 なにか、男の人でも嫌がらないようなお茶請けになる物――同行することが多い、シータスやリリィなら勇者様の好み知ってるかなあ?



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この事件って、ゲーム画面上では密室に二人きりで誘惑→本性露見という流れですけれども。貴族の館ってことは、両親とか使用人がそこそこの人数いるはずで、たとえ凄腕と噂を聞いていたとしても、お年頃の娘 (たぶん未婚) を、男と二人きりになんかさせんよな……かといって、衆人環視の状態であの行動&発言となると、最初からクライヴを誘き寄せる為の罠だった? 真相が謎です。