■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■

TOP 



 ……列車の揺れというものは、眠気を誘う。
 がたんごとんと一定のリズムで響くそれは雑音であるはずなのに、なぜか煩いとは感じない。お世辞にも寝心地がいいとは言えない、古ぼけた座席がベッド代わりでも、不思議と目覚めは快適だった。

 右側から伝わるのは、肌寒さ。
 それから、窓ガラスに打ちつける水滴の音。
 もう片方には、それを和らげる熱と、わずかな重み。ついでに首のあたりがくすぐったい。
「…………」
 左斜めに視線だけ動かすと、案の定。
 パートナーで雇い主のミリアリア・ハウが、こてんと人の肩にもたれ寝息をたてていた。がたごとと座席が揺れるたび、外ハネの栗毛が首筋をかすめる。ありとあらゆる衝動が入り混じり、じっとしていられない気分だが――滅多に味わえないシチュエーションを、自ら終わりにするのは少々惜しい。
 目的の田舎町までは、まだ二時間近くかかるはず。それまでこのまま、というのも役得だろう。
 ディアッカは、緩んだ口の端をムリヤリ元に戻して、タヌキ寝入りを決め込んだ。


      気楽に行こうぜ?


 終戦を見届け、ザフトを抜けて。
 新米ジャーナリストだったミリアリアの元に押しかけ、助手のポジションに納まってから、もう一年近くが経つ。
 だが、パートナーという呼称に “恋人” の意味合いを込めても彼女が怒らなくなったのは、つい最近のことだ。
 スキンシップを図ろうとすれば 『人前でなにすんのよ!』 と平手が飛んでくるし、たまにはデートしようと提言しても『この仕事に休みなんかないわ』 と一蹴され、だったら宿でゆっくり、という健全な下心には『明日も早いんだから、さっさと寝なさい』 と枕を投げつけられる始末。
(俺の立場って、いったい……?)
 たまに昔の冷笑癖がうごめいて、変わり果てた己と境遇を嘲笑う。
 それでも、たとえ他になにを与えると言われようと、彼女の傍を離れるつもりは毛頭ないのだ。重症の極みである。

「……ん」

 なかなかに美味しい状況を堪能しながら、30分も過ぎただろうか。
 ミリアリアが目を覚ましたらしく、もぞもぞと衣擦れの音がして、肩にかかっていた柔らかい質感が離れた。じっと見られている気配がしたので、ディアッカは、そ知らぬ顔で寝たフリを続ける。
 ほどなくして、彼女は席を立った。
 顔でも洗いに行ったのかと思いきや、足音は5メートルもいかないうちに止まってしまう。どうしたのかと瞼を上げ、そちらを窺うと、
「?」
 愛しのジャーナリスト様は、ぼうっと扉の前にたたずんでいた。
 塗料は赤、なんの変哲もない両開きの自動ドア。嵌め込まれた楕円形のガラスは、土砂降りのせいで灰色に変じており、流れゆく景色はさっぱり見えない。
「…………」
 ミリアリアは、ざかざかと曇りを拭き取った。
 しかし外との気温差はだいぶ激しいらしく、1分と経たないうちに元に戻ってしまう。
 ややムッとした表情で、彼女は不毛な動作を繰り返す。5回、6回――この天候では、いくらやってもキリがないことくらい分かるだろうに、

(なにやってんだ、あいつ?)

 さすがに気になり、ふと湧いた悪戯心から、忍び足で近づいていったディアッカが、
「くっついててくれないと、寒いんだけど」
「きゃー!?」
 耳元で囁いた途端、ミリアリアは悲鳴を上げた。カウンターで飛んできた拳は、日々鋭さに磨きがかかっているが、もちろん元軍人にとっては猫に引っ掻かれた程度の威力でしかない。
「なんだって、そうまで驚くかねぇ」
 この車両には自分たちしか乗っていないから良かったようなものの、これが都会の満員電車であれば痴漢と間違われ、すっ飛んできた車掌の手で警察に突き出されていたところだろう。
「あああ、あんたの声は心臓に悪いのよっ!」
 頬を朱に染め、掴まれた腕を振りほどこうともがきながら、彼女は真顔で抗議してきた。
 地声に文句をつけられても困るのだが、これで赤面してくれなくなったら物足りないな――などと考えてしまうあたり、もはや救いようがない。誰が最初に考えついたのか知らないが、 “恋は盲目” とはよく言ったものだ。

「……で、なにしてんの? 暇つぶしの落書きって訳でもなさそうだけど」
「別に」
 ミリアリアは、ぷいと顔を背けた。
「外が見たかったから擦ったんだけど、すぐ元に戻っちゃって――」
 ガラスに添えた手を、また左右に滑らせる。
 しばし鮮明に透けて見えた深緑の山林は、みるみるうちに薄ぼんやりと曇りに覆われ、また映らなくなった。
「私たちがやってることも、こんな感じなのかなって、思って」
 ふう、と吐息を落として、彼女はつぶやいた。
「世界が見えるようにって、どれだけ形に残しても……いつかは消えて、なかったことみたいになるの」

 そりゃそうだろう。
 どんな大惨事のニュースも衝撃も、時が経てば記憶の彼方。ああ、そういや昔そんな騒ぎもあったなと、たまに話題に上ればマシな部類ではないか? それが現実というものだ。
 ――が。
 ミリアリアに、こんな浮かない顔をされては、どうにもこうにも落ち着かなくて困る。

「…………」

 ディアッカは、通路を挟んで向かいの扉へ移り、がしがしとガラスを拭いた。そうして無造作に凭れかかる。ジャケット越しに染みる冷気は不快だが、それはまあ仕方のないことだ。
「とりあえず、こうしとけば俺たちが乗ってるうちは曇らないんじゃねえ?」
 あくまで軽い調子で、ウインクなど飛ばしてみせる。
「だからさ、もーちょい気楽に行こうぜ?」
「……バカじゃないの」
 浅葱の瞳をぱちぱちと瞬いて、ミリアリアは、ぷっと吹き出した。
「それじゃ結局、なんにも見えないじゃない」
 そのまま、くすくすと笑っている。
「ごもっとも」
 ディアッカは肩をすくめる。窓に張りついているのが水蒸気か、それとも自分の背中かという違いがあるだけで、どのみち外の風景は遮断されたままだ。
 だが、ミリアリアは同じように、どこか楽しげに窓ガラスに寄りかかる。

 箱庭にも似た空間に、少し離れて向かい合い。目的地に着くまでずっと、そうして飽きることなく立っていた。





 ――列車の発着は定刻どおり。ぷしゅううう、と間抜けな音をたてて自動ドアが開いた。

「きゃあ!?」

 手荷物を抱え、降りようとしたところで、
「ホームと列車の間が大きく開いている部分が、ってアナウンスあっただろ?」
 バランスを崩し転びかけたミリアリアを、苦笑しながら片手で支えた。
「し、知らないわよ! 危ないなぁ……」
 ぷりぷりと怒りながら身を起こそうとする、彼女の方が、ふらついていてよほど危なっかしい。重いなら男に押しつけておけば良いものを、カメラだけは自分が運ぶと言って聞かないのだ。プロ根性なのか、それとも単に強情なだけか――
「なんなのよ、ちょっと。降ろしなさいよ!」
「あ〜、はいはい」
 私は荷物じゃないー、との抗議をキレイさっぱり無視して、細い身体を抱き上げる。
「あ」
 じたばたと全力で暴れていた彼女は、急に声を上げ、おとなしくなった。
「…………?」
 視線の先を追う。
 すでに扉も閉まり、ゆっくりと次の駅へ走り出そうとしている、鉄の塊に塞がれて。車内の様子すら見えない中、ひとつだけ例外があった。
 さっきまで寄りかかっていた、あの窓だ。残した熱が効いているのか、まだ曇っておらず、先の風景まで見通せる――薄紅色の桜並木。今回の取材対象だ。
 真冬に狂い咲いた気まぐれな花。ここ数日の豪雨で散ってしまったのではと懸念していたが、なんとか間に合ったらしい。

 ミリアリアの表情が、ゆっくりと綻んでいく。
「見えてたね、ちゃんと」
 きらきらと瞳を輝かせ、嬉しそうに声を弾ませて、彼女は言った。
「そうだな」
 ここでキスしたら引っぱたかれるだろうかと、ちらりと頭の隅で考えながら、ディアッカも笑みを返す。

 空には相変わらず暗雲が立ち込め、けぶる雨粒は鬱陶しいことこの上ないが、たぶん明日には晴れるだろうと、なんの根拠もなく思った。



TOP

通勤途中の電車の中で、曇った窓ガラスに落書きする女子高生を見かけて思いついた話だったりします。お題に沿ってSSを書く、という経験は初めてでしたw