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 差し入れの袋を提げ俯き加減に歩いてきた、マリューはリビングへ続く扉を開け、
「ムウ!?」
 そこに居ても当然の、けれど不自然な格好をした人物を見つけ、すっとんきょうな声を上げた。
「……どこへ行くの?」
 西陽差す夕刻。鏡に向かったムウ・ラ・フラガは珍しいスーツ姿、やや窮屈そうな表情で、ネクタイを結んでいるところだった。


      君ありて幸福


 メサイア攻防戦に終止符が打たれてから、早数ヶ月。
 けれど、正式にオーブ軍属として迎えられる前、あちこちで戦闘介入を繰り返していたアークエンジェルの、特に士官級クルーは――戦時中は様々な理由で先送りされていた、責任・賠償問題の対象になり。
 ただでさえ他派閥や国内外の糾弾から庇い、交渉事の矢面に立ってくれているカガリに任せ切りにして、解放されるまで待っているわけにもいかず……毎日のように審議の場へ、必要とあらばプラントや海外まで出頭する日々が続いていた。
 そういった戦後処理も、最近ようやく一段落して。
 前大戦時と同じように新たな目標を定め、あるいは務めを負った者から順にオーブを去り――最後に彼と、自分が残った。
 正確にはフラガだけが未だ軟禁状態にあり、釈放される目処すら立たず。
 マリューは技術士官として軍施設の復興作業に携わる合い間、主に、休憩がてら食事の時間帯に、監視付きの舘へ足しげく通っているのだった。
 本音を言えば寝泊りしたいところだが、重罪犯が恋人と同居など対外的に認められるはずもなく、名目上、マリューも監視員とされている。
 ネオ・ロアノークとは、まったくの別人ということにしてしまえれば、シラも切れたろうが……フラガ自身が偽りを良しとしなかったし。
 なにより彼が記憶改竄を受けたラボの資料などが、ザフトや第三機関の調査で発見されては言い逃れも出来ず―― “ロアノーク” も被害者だと考える擁護派と、責任能力はあったと睨み国際裁判にかけようとする勢力が、平行線の議論を続けていた。
(出頭命令を受けたときでも、ほとんど軍服だったのに)
 ここ数日、そんな連絡は来ていなかったはずだし……なにより、一人で外出準備をしていたところが引っ掛かる。
 急に呼び出された? まさか――

「デートスポットには向かないぜ」
「だから、どこへ」
 嫌な予感に駆られ、強ばった表情で見上げるマリューに苦笑を返して、
「弁護士を雇いに」
「え?」
「オーブ政府にとって庇う義理があるのは、代表も乗せてたアークエンジェルの違法行為までだろ? それすら渋ってるお偉方もいるくらいだ」
 どこかバツが悪そうにしながらも、フラガは飄々と答えた。
「こんがらがってた記憶も、だいぶ落ち着いてきた。連合軍大佐ネオ・ロアノークとしての始末くらい、自分でつけないとな……下手すりゃ一生、軟禁されたままになりかねないし」
 処刑が決まったとか他国軍に引き渡されるだとか、そういった理由ではないようで、ほっと胸を撫で下ろす。
「だったら、私も行くわ。車の手配は済んでいるの? どこまで?」
「コペルニクス」
「ええっ!?」
 マリューは仰天した。それはさすがに逃亡を疑われて、オーブ政府の許可が下りないのでは?
「――と言いたいところだが、おおっぴらに出歩ける身分じゃないんでね。手紙で呼びつけちまったけど」
 さっきカガリの秘書官から電話で、来客だと報せがあったらしい。
 官邸内の応接室で、引き合わせてもらえるという。


 フラガと共に迎えの護送車に乗り込みながら、マリューは軽く抗議した。
「いつの間にそんなこと……いきなり、驚くじゃない。教えておいてほしかったわ」
「なんせ世界中に名前知られちまった戦犯だからなあ、俺。いまさら関わりたくないって、無視される可能性の方が高いと思ってたからさ」
 フラガは隣で、ひょいと肩をすくめる。
 認めたくないけれど事実は事実。弁護の難しさを考えれば、好んで引き受けたがる人間がいるとは考えにくい――アスハ家縁の人物だろうか?
 と、思い込んでいたマリューは、案内された応接室で開口一番、交わされたやり取りに面食らった。

「お久しぶりです。ツァイス弁護士」

 久しぶり?
 面識がある相手? ムウの知り合い?
 いかにも弁護士といった風貌、やや白髪混じりな初老の男性……なんとなく見覚えがあるような。
 前大戦終結直後も脱走艦の長として、やはり同じように呼び出されては経緯説明を繰り返す日々を送っていた――当時、世話になった人だったろうか?
(だけどムウは、ヤキン・ドゥーエで行方不明になっていたんだし)
 記憶はおぼろげで、戸惑うマリューを他所に、
「お久しぶりですね、ネオ・ロアノーク大佐? それから……ラミアス艦長、でしたか」
 ツァイスと呼ばれた弁護士は、穏やかな微笑を向けてきた。
 初めましてと挨拶するところか、お久しぶりですと返すべきなのか分からず、結局 「よろしくお願いします」 と曖昧に頭を下げるしかない。
「例のものは?」
「――こちらに」

 ツァイスが指差したテーブルに視線をやって、ようやく合点がいった。
(あ、あのとき開けられなかった……?)
 コペルニクスの警察局で、連れて行かれた取調室にぽつんと置いてあった、黒っぽい家庭用サイズの金庫――連鎖して思い出す。
『あなたは、この鍵を開けられるはずです』
 その場に同席して、妙なことを言っていた男性だ。

 マリューが困惑しつつ見守る中、フラガが金庫に触れると、やはりカチリと音がしてノートパソコンめいた形状に変わる。
 ディスプレイに表示された意味不明な数列、キーボードを操作するたびロックが外れるような音が響き、そうして――前回と違って、あっさり開いた扉。

 中には、複雑な模様が刻まれたゴールドの鍵が1本だけ。

「これで……俺が “ムウ・ラ・フラガ” だって証明に、なるのかな?」
「私は弁護士ですから。依頼人の遺言に従って、これを必要とした有資格者にお渡しするまでです」
 ツァイスは目を細め、ふと笑った。
「フラガの遺伝子を持ち、親から子にのみ伝えられるパスワードを知る者――あらためまして、お久しぶりです。ムウ坊ちゃん」
 坊ちゃんはやめてくださいよ、と目元を赤くするフラガ。
「あの、これは?」
 急展開にさっぱり付いていけず、話の腰を折って悪いなと思いつつも訊ねれば、
「……フラガ家の遺産」
 端的に答えた彼は 「あーあ」 と嘆息した。
「この歳になって、いまさら親の金に頼るなんてな。カッコ悪ぃ――けど。親父はともかく、オフクロに感謝しなきゃ罰が当たるな」
「そうですね。あなたは “親父の金なんか要らん” と放棄して、軍人になってしまわれましたから」
 目を白黒させているマリューをまじまじと見やり、ツァイスは、興味深げにフラガを窺った。
 彼が決まり悪げに頷くと、納得したように話し始める。
「夫妻と私は、若い頃からの知り合いでしてね。まあ、アル・ダ・フラガがメインバンクや証券類を、戦乱に巻き込まれるリスクが最も低い、中立都市に置きたがったことも理由のひとつですが」
(ご両親の、知人?)
 じゃあコペルニクスでは警察局から、ムウ・ラ・フラガ生存の噂を聞きつけ、本物かを見極める為に駆けつけて来たと?
「ここまで同席されたんです、おそらくご存知でしょうが……フラガ夫妻は子育ての方針など価値観の違いから、晩年は不仲で」
 昔、コロニーメンデルでラウ・ル・クルーゼと撃ち合い、負傷して戻ってきた彼が――衝撃覚めやらぬまま、ぽつり、ぽつりと語った昔話。
「坊ちゃんが言いそうなことは、ある程度予想していたんでしょうね。もしも自分の身になにかあった場合……己の相続分は、息子ではなく弁護士に託すと。それが奥様の遺言でした」
 ツァイスは、深々と息を吐いた。
「お母様も、まさか御子息がこんな数奇な運命を辿るとは思いも寄らなかったでしょうけれど」
「この期に及んで、生き恥さらしても放免されようとしてるし?」
「生き恥をさらしてでも、やりたいことがおありなのでしょう?」
 自嘲めいた台詞も泰然と受け流されて、やや子供っぽい仕草でそっぽを向くフラガ。
「俺が相続拒否したまま死んだら、ツァイス家に贈与するって内容も遺言状にあったはずだけど?」
「ヤキン・ドゥーエで戦死なさったという報せは、戦後しばらくして届きましたよ。ただ私も、まだピンピンしていますし、べつだん生活に窮している訳でもありませんでしたからね――耄碌する前に、孤児院にでも寄付しようと思っていましたが」
 感慨深げに、フラガと鍵を交互に見やりながら。
「あなたは生きてお戻りになった。お母様の遺言は有効ですよ」
「それでは、彼の弁護を引き受けていただけるのですか?」
 勢い込んだマリューの問いに、やれやれと頷いて笑う。
「他人に任せ傍聴していては、胃に悪そうですからね。罪状一覧には目を通しました。ジブリール、デュランダルも亡き今となっては “過ちの象徴” 扱いだ――まったく、弁護士人生の集大成になりそうな案件ですよ」
「依頼料は、“これ” から好きなだけ差っ引いてください」
「残りは、あなたの口座に? 以前お使いになっていた物は削除されているでしょうから、どこか新規で開設した方が早いかもしれませんね」
「……いや」
 鍵を手に取ったフラガは、さっきまでと打って変わって真剣な調子で。
「差っ引いてもらっても余るようなら、基金を作りたいんです。ラボの人体実験に使われていた――生きて保護された子供たちが、かなりの数いるはずで」
「ああ、ニュースになっていましたね。それは私の方からも勧めたい。俗な話、情状酌量の材料になりますから――遺産なら余るに決まっているでしょう。総額幾らだとお思いで? 私が知らぬ確執もおありでしょうが、財を築いたお父上にも感謝して然るべきですよ」
 ツァイスの台詞、後半には苦笑いで応じる。
「その手続きも委託出来ますか?」
「では、裁判と平行して進めましょう……名称は?」
「?」
「保護された子たちを治療・養育するのでしょう? その基金の名前ですよ。希望が無ければ、公募なり何なり考えますが」
 面食らったように動きを止めた、フラガは、しばらくして噛みしめるように呟いた。

 ――ゆりかご、と。




 弁護士との接見を終えて戻ってきた、赤い花咲く別邸の庭先で。
「悪いな」
 唐突に謝られ、きょとんとしながら恋人を見つめ返せば。
「一般人なら裸足で逃げ出すだろう前科者が、さらに一文無しになっちまって」
「……前科者は、私も一緒」
 いまさらな台詞に思わず吹き出した、マリューは笑って言い返す。
「ムウの一人や二人、働いて養ってみせるわよ」
「君はもう自由だろ? 俺は、そうはいかない。真っ当な暮らしになんて、死ぬまで戻れないかもしれない――人並みの暮らしも、幸せも、なにひとつ約束出来ないんだ。今のうちに見切りを付けた方が賢明だぜ」
 所在無さげに、ガシガシと金髪を掻いて。
「弁護士が付いて、フラガ家の名前や基金設立の話が出れば、それなりに経済界も注目するはずだ。画像の類が出回っちまえば、他人のフリは通じなくなる」
 あらたまった調子で、けれど眼を逸らしながらポツリと問う。
「俺なんかと一緒に居て良いのか?」
 面食らって、ムッとして、しょうがないなあという気分になって。
「ラボがどういう研究してたかを考えれば、そもそも “記憶” があったって――クルーゼと同じように生み出されたクローン体が、ムウ・ラ・フラガの経歴を記憶として植え付けられただけって可能性も」
 延々とまくし立てる彼を、溜息混じりに遮って。

「……いまさら訊かれるとは思わなかったわ」

 腹いせ代わりに眼前のネクタイを、思い切り引っ張った。
 ぐえっ、と呻いた男の前屈みになった顔に、不意打ちで唇を寄せてみる。
 よっぽど驚かせてしまったらしくカチンコチンに固まっていた背中に腕を回して抱きしめると、しばらくして、ようやく――強ばっていた身体が緩んで、抱きしめ返してくれた。
 嬉しくて、胸が詰まって、泣きそうになるのを必死に堪える。
 
 この位置なら監視カメラには映らないはずだけれど、たとえ、誰に見られたって構うものか。

 ヒトがヒトに気持ちを伝える手段なんて、本当に限られていて。
 言葉と態度、それ意外に無くて。
 これから何年、何十年――あなたが好きだと繰り返せば信じてくれるだろう?
 
 喪失感に泣いて暮らした日々を、見てないでしょう。
 ワガママな願いが、叶わないと諦めていた祈りが、いると信じてもいなかった神様に届いたことを知らないでしょう。
 夢はもう現実になったの、不可能なんかじゃなかったの。
 だから私はとっくに幸せなのよ。

 私の夢は、もう叶ったから。
 まだ見ぬ未来に、あなたの願いを叶えに行きましょう。

(……お義父さん、お義母さん)

 ――健やかなるときも 病めるときも 
    喜びのときも 悲しみのときも
    彼を愛し、彼を敬い、彼を慰め、彼を助け――私の命ある限り、真心を尽くすことを誓います

 だから彼を迎えに来るのは、当分先にしてくださいね?



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君ありて幸福。ゼラニウムの花言葉です。ネオさんことムウさんが、銃殺刑にならず堂々と(?)無罪放免になる方法って――もうですね。金の力以外にありえませんね。身もフタも無いけれど。マリューさんは、それでもずっと一緒にいるのでしょう。