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† 狂乱の道化師 (2) †


「後で、ちゃんと手当てしてやるからな。それまで死ぬなよ!」
 治療を中断したククールが螺旋階段に向かった、そこへ大柄な騎士団員が一人、
「うわあああっ!!」
 叫びながら、二階から転げ落ちて来た。
「おっと、危ねえ!」
 避けきれずに巻き添えを食って、床に叩きつけられそうになったククールごと、すんでのところでヤンガスが受け止める。けど、
「あの……道化師……誰か、院長を……っ!」
 ぐはっ、と血を吐いた、その人もまた、絞り出すように訴えるなり気を失ってしまった。

 今の今まで護衛が戦っていた、なら、まだ間に合う?

 ククールを追って階段を駆け上がり、開け放たれた扉の先に見えたオディロ院長の、無事な姿に安堵するも――部屋の隅で壁にもたれ呻いている傷だらけのマルチェロさんと――ふわりふわりと宙に浮きながら、そんな二人を見下ろしている長髪のピエロが放つ気配の禍々しさに、背筋が総毛だった。

 あの夜、僕は、すべてが終わるまでなにも気付けなかった……近衛兵なのに、賊の侵入を防げなかった。
 だから、初めて直に姿を見る。
 オールバックの白髪、鉤鼻、赤と紫基調のピエロっぽい服。愉しそうに歪んだ口許。
 右手には――トロデーン王家何代にも渡って封印の間に安置されていたという、秘宝の杖。
 あれが、城を茨で覆い尽くした――陛下や姫様に呪いをかけた窃盗犯、ドルマゲス?
 大魔法使いマスター・ライラスの弟子だという触れ込みで、あの日、城を訪れていたという。

 ここへ至るまでの出来事が一瞬のうちに脳裏を過ぎり、足が止まってしまっていた間に、立ち上がろうとしたマルチェロさんは敵が放つ衝撃波に吹き飛ばされて、

「兄貴!」

 血相を変えたククールが、駆け寄って助け起こすけれど、彼はその左手を振り払い。
「……やら、れた。すべて……あの道化師の……仕業……ヤツは、強い」
 ドルマゲスを睨みつける眼光は、今まで僕が出会ったどんな人間よりも鋭く威圧的だった。
「だが、あやつの思い通りには――」
 げほっ、と吐血して。
「……命令だ! 聖堂騎士団員、ククール!! 院長を連れて逃げ」
 退却命令を下す、その言葉も終わらないうちに、二人まとめて吹っ飛ばされてしまう。
 慌てて助けに入ろうと鉄のヤリを引き抜こうとして、
「!?」
 こっちを向いたドルマゲスの両眼が、妖しく光った途端、強烈な睡魔に襲われた。
 のんきに寝ている場合じゃないのに、頭の奥がぐらりと揺れる感じがして、堪らず膝を付いてしまう。
「おお? ね、眠いでがす……」
 ヤンガスが取り落とした石のオノが、床に突き刺さり。
「ちょっと――なによ、これ」
 ゼシカも茨のムチを手にしたまま、その場にへたり込んだ。
 目が翳む。意識が遠退く。頭を振ったり自ら頬をはたいても効果は一瞬だけ、眠気はひどくなる一方だった。

「……クックック。これで邪魔者はいなくなった」

 ドルマゲスは嗤いながら、視線を、小柄なおじいさんに移す。
「くっ……! オディロ院長には、指一本触れさせん……!!」
 マルチェロさんは、もがくけれど立ち上がれずにいる。ククールも同様だ。
「案ずるな、マルチェロよ。私なら大丈夫だ」
 標的にされていると明らかなオディロさんは、不思議と物静かな態度で。
「私は、神にすべてを捧げた身。神の御心ならば、私はいつでも死のう――だが、罪深き子よ」
 マルチェロさんやククールを庇うように、道化の眼前に進み出て、きっぱりと言う。
「それが、神の御心に反するならば、おまえが何をしようと私は死なぬ! 神のご加護が必ずや、私と、ここにいる者たちを、悪しき業より守るであろう」
「……ほう。ずいぶんな自信だな」
 小馬鹿にした口調で、肩を竦めたドルマゲスは、
「ならば……試してみるか?」
 杖の先を、ゆっくりとオディロさんに向けた。
 リーザスの塔で像が見せてくれた幻、ゼシカのお兄さんが殺された瞬間と、眼前の光景が重なる。
 まずい、なんとかして動かなきゃ――

「待て待て待てーい!!」

 階段を駆け上がる足音と、よく知る声。思うように動かせなかった身体が後ろから押され、僕らの足元、隙間を潜って現れた、
「おっさん、いつの間に!」
 外で待っているはずだった陛下を目にして、ヤンガスが驚きもあらわに仰け反る。けれど眠気が飛んだ訳じゃなかったらしく、そのままひっくり返り動かなくなってしまった。そんな僕らも目に入らないようで、
「久しぶりじゃな、ドルマゲスよ!」
 オディロさんを庇い、立ち塞がった陛下は敢然と敵を睨みつけた。
「これは! トロデ王ではございませんか。ずいぶん変わり果てたお姿で」
 ドルマゲスは丁寧に一礼してみせたけれど、完全に嘲るような表情と口調で、陛下は地団太を踏んで怒りだした。
「うるさいわい! 姫とわしを、元の姿に戻せ! よくもわしの城をっ……!!」
「へ、陛下――話が通じる相手じゃ――」
 声も上手く出せない。怒り心頭の陛下には、まるで聞こえていないみたいだ。トロデーンの皆を、城を守れず、僕は、こんなところで主君まで……!?

 ドルマゲスの杖が無造作に、陛下に向けて振り下ろされる寸前、オディロさんが割って入り、その胸めがけて杖が――突き刺さろうとする様がスローモーションのように視界に焼きつき、


「――右に破邪の威、添えるは五芒の星座――退魔封印、“マホカトール”!!」


 たたたっと階下から響いた足音に次いで耳慣れぬ呪文の詠唱、すさまじい閃光と突風が巻き起こり、僕は反射的に目を瞑った。

「おっ、おお!?」
「だ、れ?」
「なんで嬢ちゃんが、ここに――」
 陛下と、ゼシカ、それからヤンガスの、驚愕に満ちた声。床に沈みそうになる身体を必死でねじり、振り返れば、

「ユ、ユリマさん……?」

 トラペッタの町で出会った、占い師ルイネロの養女。
 ラベンダーの瞳。紫がかった黒髪をおさげにして、オレンジ基調で白がアクセントになったスカート姿、茶色のブーツも記憶と変わらないが、今は魔導士の杖を携えていて。
 彼女が翳した両手の先――陛下たちに突き刺さる寸前の位置で、宙に浮かんだ秘宝の杖は、五芒星の魔方陣とせめぎ合い、バチバチと火花を撒き散らしていた。
「ええっと、この状態で、なるべく対象に接近して……」
 ユリマさんは僕らの呟きには応えず、顔を顰めながらも一歩ずつ進み出て、それに伴い魔方陣が放つ光も強くなり――にやけるばかりだったドルマゲスの顔に、初めて驚愕の色が浮かぶ。
「な、なんだと?」
「えーいっ!」
 ユリマさんが叫ぶと同時に、一際強く輝いた魔方陣が、ロザリオに似た形状に収縮、杖を覆って固まり――そのままこっちに転がって来て、からんと乾いた音をたてた。
 同時に、僕の自由を奪っていた眠気はキレイさっぱり消えて、普通に動けるようになった。ヤンガスたちも、目を丸くしながら跳ね起きる。
「エイトさん!」
 僕らやドルマゲスが、杖に気を取られている間に、陛下とオディロさんを抱き上げて敵から距離を取ったユリマさんは、
「その杖を持って、ここから離れてください――早く!」
「え、え?」
「ひとまず杖の力は封じ込めてあります。ザバンさんが言ったとおりなら、あなたなら万が一の場合でも、悪しき呪いに引きずられはしないはず」
 立て続けに妙なことを言うから、僕は困った。
「ザ、ザバン……?」
「ってえと、滝の洞窟の? 確かに、兄貴に呪いが効かねえのは何でだ、とかブツブツ言ってやがったが――」
 確かに盗まれていた城の秘宝は回収しなくちゃだけど、それよりもドルマゲスを捕らえて呪いを解かせる方が重要で、捕縛対象者を前に退くわけにはいかないんだけど……と思いつつ、とりあえず金色の水飴でコーティングされたような状態の杖を拾い上げてみるけれど、
「お二人もエイトさんと一緒に、早く逃げて――」
 陛下たちに避難をうながすユリマさんに、怒り狂った道化師が矛先を向けた。
「なんだ、貴様はぁッ!? 賢者の末裔を寄こせ、その杖を返せ!!」
 杖を奪われても攻撃手段が無くなった訳ではないらしく、渦巻くカマイタチが三人を襲う。
「きゃっ!?」
「院長!」
「陛下!」
 僕より早く動いていたククールが横っ飛びに、三人まとめて抱きかかえ敵の攻撃から逃れるけど、真っ赤な騎士団服の背中が切り刻まれ、鮮血が飛び散った。
「だっ、大丈夫ですか!?」
 彼は、うろたえるユリマさんの膝に突っ伏して動かない。
「内臓にまでは届いておらん、問題ないじゃろう――“ベホマラー”」
 悲鳴に次いでオディロさんの、心配そうな、けれど落ち着いた声。

 回復魔法が、その場にいた全員を包み込んで。
 傷が深すぎて全快とまではいかなかったようだけど、どうにかククールが身を起こせば、少女がホッと息をつく。
 スカートの膝周りは血塗れになっていて、ドルマゲスの攻撃力がいかに凄まじいか窺い知れた。

「ドルマゲス――兄さんの仇っ! 覚悟しなさい!!」
 我に返ったゼシカが駆け出し、
「賊めが……!!」
 さっきのベホマラーで傷が塞がったらしい、マルチェロさんも立ち上がる。
「よく分からねえが、その杖をヤツに渡しちゃあマズイらしい。とりあえず兄貴は下がっててくだせえ!」
「分かった、ごめん! ギラとホイミで援護するから!」
 本来、僕は前衛だ――こんなふうに後ろに留まっているのは落ち着かないけれど、ユリマさんはどうやら、なにか杖について知っているみたいだ。
 彼女の指示を無視して、離脱しないどころかドルマゲスに挑みかかって、もしも杖を奪い返されでもしたら、さっきより事態が悪化するかもしれない。なにより、こんな大型の杖を抱えたままじゃ、槍も使いにくくて逆に危ない。

 だけど、いくらか刃が通じているのはマルチェロさんだけ、ゼシカや僕の魔法は虫でも払うように掻き消されてしまって、このまま消耗戦になったらこっちが不利だと、
「 “スピオキルト” 」
 焦りを感じ始めたとき、またユリマさんの詠唱が響いた。
「なに?」
「これは――」
「おおっ、なんだか体が軽いでがすよ!」
 ヤンガスが嬉々として、武器を構えなおす。試しにホイミを唱えれば、普段の比じゃない手応え。ククールの、まだ残っていた裂傷が癒えていく。
「なぜ、こんな小娘が古の魔法をッ……!!」
 道化師は完全に、狙いをユリマさん一人に絞ったようだった。彼女たちの前にはククールが立ち塞がっているけれど、彼もまだ本調子じゃないはず。
「ユリマの嬢ちゃん、危ねえ!」

 ドルマゲスが生み出した激しい炎に、あわあわと両手を動かした少女は、

「えっと、ええと、炎や吹雪には――“バイバーハ”」
 また、聞いたこともない呪文を唱えた。
「ぎゃああああっ!!」
 さらに膨れ上がって弾き返された炎の渦に、ドルマゲスが苦悶の叫びを上げる。

 ゼシカの魔法や、ヤンガスの斧がじわじわと敵に傷を負わせ、マルチェロさんの剣撃がトドメとなって、壁に叩きつけられた敵が動かなくなると――院長室を覆っていた禍々しい気配は、キレイさっぱり途切れて消えた。

「ご無事ですか、院長」
「ほっほっ、見ての通りじゃよ。おまえたちと、こちらのお嬢さんのお陰でな」
 振り返ったククールに、オディロさんが笑って返す。ご無事だった陛下も、ふうっと深呼吸して。
「兄貴〜! やりやしたぜ!」
 ヤンガスが得意げに手を振りながら駆け戻ってくる、そんな情景に、ひとまず胸を撫で下ろしていると。

「なにすんのよ、放して!」

 和んでいた空気も吹っ飛ぶような、ゼシカの金切り声に、慌ててそっちを向けば。
 大の字になって気絶しているドルマゲスを、怒りに燃えた目で睨みながら、普段の武器じゃない――接近戦用にと携帯していた、ブロンズナイフを振りかざして
「こいつは兄さんを殺した、殺人犯なのよ!? 仇を討つの、ジャマしないで!」
 怒鳴る彼女の細い手首を、掴んで止めたマルチェロさんが片眉を跳ね上げた。
「だとしても、オディロ院長の命を狙った不届き者に変わりない――ここはマイエラ修道院だ。牢に拘束し、単独犯か、唆した共犯者の有無を尋問する方が先だ」
「知らないわよ、そんなこと!」
 ゼシカは暴れるけれど、いくら勝気で魔法の心得があっても女の子、長身で筋肉質な聖堂騎士団長相手に、力比べで敵う訳が無い。
「罪人と言えど、人間であることに変わりは無い」
 そんな二人の横から、オディロさんが声を掛けた。
「こやつを殺めれば、お嬢さんも “人殺し” じゃ――亡くなられた兄君は、仇討ちを喜ぶようなお人だったのかな?」
 怒りに燃えていた瞳が一瞬揺らいで、
「それは……だけど、兄さんは言ってくれたもの。自分の信じた道を進めって、それでいいって! 私は、自分の手で兄さんの仇を討つって決めたんだから!」
「この者の身柄は、我がマイエラ修道院で預かる。地下牢に入れ、相応の償いをさせよう」
 握りしめていた小さな拳も、彼女の迷いを映したように、するりと緩んで解けた。
 トロデーン兵士の僕や、元山賊のヤンガスと違って、サーベルトさんを殺されるまでは刃物を人に向けたことなんて無かっただろうお嬢様なんだ。無理もない。
 ドルマゲスを追うという目的が同じだったから、一緒に旅をするようになって、仇討ちの意志表明もずっと聞いてはいたけど、姫様と歳も変わらない女の子に、あんまりそういうことをさせたくはなかったから。マルチェロさんが阻止して、オディロさんも窘めてくれて、正直ホッとしてしまった。
「命を絶つことは容易じゃ。まずは、兄君の墓前に、犯人を捕らえて聖堂騎士団に引き渡したと――報告を済ませてから、もう一度考えてみんかね?」
「…………」
 うつむいたゼシカは無反応だったけど、その表情から、さっきまでの強い殺気は失せていた。
「さてと、では――」
 オディロさんは、戦闘の余波でボロボロに散らかった室内をくるりと見渡すと、苦笑しつつ肩を竦めた。
「もう夜も遅い。とりあえず、軽く片付けたら寝るとしようかの。こちらのお嬢さんなど、すでに船を漕ぎかけて――」
「お、おい?」
 オディロさんが指し示すと同時に、ククールが戸惑った声を上げ、そっちを見てみると、
「おやおや。気が緩んだか、もしくは魔法の使いすぎかな」
 いつの間にかユリマさんが、床に突っ伏して――怪我でもしてたのかと思いきや、すやすやと平和な寝息を立てていた。



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オディロ院長殺害シーン。七賢者全滅というストーリー展開上、主人公たちの手で助けられないのは仕方ないんでしょうけど、後から来たトロデ王ですら間に割って入ってるのに、ゼシカもヤンガスもなんで階段を上ったあたりで止まってるんだよー、ピンチに動けない近衛兵ってサブキャラ聖堂騎士団以下じゃんよーと演出に不満があったので、妖しい瞳の所為でふらふらだったことにしてみたり。