† 城址 (1) †
度々襲ってくるモンスターと戦いながら、途中の木陰で昼休憩を挟んでも――急げば船着場の宿に泊まれそうだったけど、今夜は街道沿いに見える城址で野宿することになった。
昨夜はマイエラ修道院でゆっくり眠れたし、明日は、のんびり船旅を終えたらポルトリンクで一泊する予定。
たいていのモンスターは小銭や換金出来そうなアイテムを落とす (光るものを集める習性があるらしい) から、逃げずに戦えば宿代くらいは稼げるし、私の家出資金だってそれなりに残ってる。
エイトたちがトロデーンを出立する際に持ち出した路銀もけっこうあるらしい、とはいえ、いつまで旅が続くかも分からない以上、なるべく取っておきたいところだった。
『トラペッタでの騒動がショックだったらしい陛下は町や村に入ろうとなさらないから、姫様と二人で人里の外、馬車の中で眠る日々だ……主がそんな生活を強いられているのに、自分だけベッドで眠る気には、なかなかなれなくて』
生真面目なエイトはそんなふうに語って、女の子に野宿なんかさせてごめんねと何度か謝ってくれたけど。
私だって体力的に余裕があるときは、野宿で済ませたいのが本音だった。
それに昔、リーザス村の同じ年頃の子たちがキャンプだバーベキューだってはしゃいでいた時に、私は危ないからって参加させてもらえなかったりしたから――兄さんが殺された後では初めて “楽しい” って思えた部分もある。
皆でわあわあ言いながら小枝を拾って、火を起こして、素朴なごはんを食べて、交代で眠る――もちろん、明りに集ってくる虫は嫌だし、土の上に毛布を敷いただけじゃ固くて寝心地も悪いけど。
外の空気や季節が感じられて、けっこう好きなんだ、これ。
一人だったらさすがに避けたいけど、これだけ人数がいれば、夜盗やモンスターだってそんなに怖くないし。
「節約は大切ですしね!」
ユリマも野宿を嫌がってる様子は無くて、エイトたちはホッとしたみたいだった。
ククールだけは 『こんなところじゃ酒も飲めねえ』 なんて渋い顔をしてたけど……まったく、呆れたものだわ。
いきりたったブラウニーに襲われるというハプニングはあったものの、そこはなにか大きな建物の跡らしくて、壁や床が一部残っているから風除けにもなるし、背後からモンスターが飛び掛ってくる心配も少なくて――父親と二人暮しだったというユリマは、さすがの手際。自給自足が基本の修道院暮らしだったククールも、見かけや言動に寄らず器用になんでもこなしてて――準備はすんなり終わった。
割り切るしかないと分かってはいるけど、私が一番、出来ることって少ない。
リーザスの実家にいたころ、淑女の教養だ何だってあれこれ習い事や勉強をさせられたけど、こういう実生活に役立つことなんてほとんど無かった……旅路に必要なお裁縫は手の込んだ刺繍じゃなくて、戦闘で破けた服のほつれをしっかり繕う縫い方だったし。
パイのレシピなんか知ってたって、材料や調理器具の揃ってない外じゃさすがに作れない。
テキパキと川で釣った魚の下拵えをしてるエイトや、食べられる野草を見分けられるヤンガスの方が、よっぽど頼りになるし博識だった。
……私が、たいして好きでもないのに “必要だから” と言い聞かされて学んできたことって、なんだったんだろう?
ちゃんと役に立ってるのなんて、攻撃魔法くらい。
もしも、もっと本格的に戦い方を学んでいたら――ドルマゲスの気配が分かったらしいククールくらい、殺気や悪意に敏感だったら。あの日、兄さんを一人で塔に行かせずに済んだかもしれないのに。
早々に野営を決めたから、まだ日は暮れ切ってなくて、消えかかった夕陽と焚き火に照らされた周囲は、ほんのり明るい。
後はスープを煮込むだけ、となった段階で、なんだかそわそわしていたエイトがユリマに声をかけた。
「ここなら壁もあるし街道からは外れてるし、大丈夫かな……ユリマさん、試してみてくれる? マホカトール」
「あ、はい」
頷いた彼女は辺りを見渡すと、草が生えていない地面に五芒星を描いた。
本来は、こうして唱える術らしくて。
オディロ院長の部屋でドルマゲスに向けて放ったものは、悠長に陣を描いたり出来ない状況下で使うための簡易版だったらしい。
だから今は馬車の中に、同じような魔方陣が作られていて、問題の杖はそこに保管されている。
杖の中に暗黒神が封じられていると聞いても、正直ピンと来ないんだけど……三流魔法使いに (杖を失ったドルマゲスをあらためて見ると、そんな感じだった。戦ってたときの迫力や魔力なんて、ちっとも感じ取れないくらい) 、村一番の剣士だった兄さんを、あんなあっさりどうにかしてしまえる “力” を与えるなんて、禍々しい代物なのは確か。
定期的にかけ直す必要があるとはいえ、それを封じ込められるって、すごい威力だと思う。
ユリマ本人は、自分は魔法使いなんて名乗れないレベルだから、なんて謙遜してたけど――
「ここに立ってみてもらえますか? 姫様」
うながされた白馬は素直に、五芒星の中心に立った。
こういう反応を見ると、人間の言葉を理解しているとしか思えず、ちょっと普通の馬じゃないのかもしれないという感じはする。
けど、エイトやトロデ王が嘘を言ってると疑ってた訳じゃなくても、いまいち本当はお姫様なんだという実感が無かったのも本当で。
だから、キラキラした光に包まれた白馬が、キレイな女の子の姿に変わったときは驚いて、とっさに言葉が出なかった。
「姫様……!」
エイトが弾んだ声を上げて。
「……おお、姫や、姫よ」
目を潤ませ、よたよたと彼女に駆け寄るトロデ王。
「あ――」
さっきまで馬だった “ミーティア姫” は、自分では自分の姿が見えないからか、まだ急な変化に戸惑ってるみたいで、大きなエメラルド色の瞳をきょとんとさせて、広げた手のひらを見つめたりしている。
ツヤツヤしたストレートの黒髪に、シンプルな黄金のティアラが映えて。
お姫様という単語からイメージする、フリフリふわふわの衣装じゃなくて、白基調の上品なドレスを纏っていた。
「あんな美人だったとはな……エイトが忠誠を誓う気持ちが解ったぜ」
ちょっと離れた位置の木に寄り掛かってその情景を眺めていたククールが、ひゅうと口笛を吹き、感嘆口調で呟いた。
(この、節操無し――)
今朝 『君だけを守る騎士になる』 とか歯の浮くような台詞で誓っておいて、これだもの。
馴れ馴れしいうえ、よく知りもしない相手を褒めたり口説いたり、下心見え見え。今後も無視するのが一番ね。
だけど、ミーティア姫が美人だって点には心から同意。
ホントに清楚でキレイ……でも、スタイルでなら勝つ自信があるな。
『女性の豊かな胸は、美しいもんじゃ。若さの証であり、母性の象徴でもあり――彫刻では、柔らかさの表現が難しいがの。だからこそ追求のしがいもある』
父親代わりだったおじいちゃんの懐かしい声を、ふと思い出す。
そうよ、私の胸は最強なんだから!
「今まで苦労をかけたのう。喋ることも出来んで、不自由したろう? か弱いおまえに、馬車なんぞ引かせてしもうて……」
姫様の前に蹲った、トロデ王はおいおいと泣いている。
「そんなことないです。お父様もエイトも、ミーティアが言いたかった――荷物は馬車に乗せようってこと、仕草だけでちゃんと分かってくれてありがとう」
微笑んで首を振った彼女に、おそるおそるエイトが問いかける。
「しかし、旅の仲間が増えるにつれて荷物もだいぶ……重くないですか、姫様?」
「それは、だいじょうぶ。姿だけ馬なんじゃなくて、力や体力もお馬さんになるみたいなのよ。だから馬車も、そんなに重くないの。草を食べることも――あらためて考えると切ないんだけど、馬になっているときは美味しいと思うし、パンはともかくお肉の匂いなんて気持ち悪くなっちゃうし」
肩を竦めた姫様は 「ご挨拶が遅れてしまいましたね、初めまして。ミーティアと申します。こんな先行きの見えない旅に加わってくださって、ありがとう」 と魔方陣を囲むように立っている私たちに向かって、優雅に会釈した。
「みんな同時にはさすがに重過ぎるけど、一人ずつくらいなら乗せても平気で歩けるわ。疲れたら、休憩してくださいね」
キレイな人。
優しい表情で笑うお姫様。
ユリマもおっとりしてるけど、また違った印象で、場を和ませてくれる感じ……きっとトロデーンの城でも皆から慕われていたんだろうな。
(性格がキツイって陰で言われて、屋敷のメイドたちにさえ敬遠されてる私とは正反対ね)
そう思うと少し、気分が沈んだ。
もし、アルバート家がトロデーンみたいに呪われてしまっていたら――誰か、エイトみたいに茨化を免れたとしても、私に付いて来てくれる使用人なんていないだろう。
それは戦いの心得がある無しの問題じゃなくて。
私の理解者は、素のままの私を認めてくれるのは兄さんだけだったのに……。
「僕は近衛兵として鍛えていましたから、街道を歩くぐらい平気です」
エイトが、とんでもないと言いたげに首を横に振り。
「アッシも、体力自慢でがすから」
ヤンガスも、力こぶを作ってみせつつ胸を張った――つもりなんだろうけど、体型の問題で立派なおなかを突き出したようにしか見えなかった。
「オレも一応、騎士団員だからね。ゼシカとユリマちゃんが、交代で休みなよ」
「なるべく頑張って歩くつもりですけど、そうですね――皆さんと同じように動き回れる自信は無いですし。途中で足が痛くなったら、甘えさせてください」
ククールの台詞に素直に頷いた、ユリマが姫様に頭を下げ返す。
「ええ、もちろん」
ミーティアは嬉しそうに笑って 「ゼシカさんも、ぜひ」 とこっちに視線を向けた。
「そ、そうね……」
話を振られて、つい言葉を濁してしまう。
女だからって楽をしてると思われたくない、なんて反射的に考えてしまう――こんなだから可愛げが無いと言われるんだと、頭では解ってるのに、どうしても頼るのって苦手だ。
エイトたちが、そんな理由で足手纏い扱いする訳ないとも思うのに……兄さん以外に甘えるのは、やっぱり怖い。
「それより、トロデ王も元の姿に戻してもらったら?」
苦し紛れに話を逸らすと、
「わしはええ! トロデーンの民を、わしの城を元に戻すまでは――この姿で耐え忍ぶ! おのれ憎きドルマゲスめ! ラプソーンとやらめ! 城に戻れたあかつきには、こてんぱんに封じ込めてやるからの」
涙目の王様は、握りこぶしで叫んだ。
「ああ、しかしユリマよ。出来れば、時々でも良いんじゃ……姫を元の姿に戻してやってくれぬか。会話さえ出来なくては不便じゃろう。辛いじゃろう。ううっ、マスター・ライラスの弟子という触れ込みを真に受けて、ドルマゲスなんぞを城に招き入れたりしなければ……」
がっくり肩を落とした後ろ姿に、ククールが苦笑いして声をかける。
「聖堂騎士団長まで蹴散らして、オディロ院長を狙ったヤツだぜ? 招かれなくても乗り込んで来ただろうよ」
ケーハク男にしては、まあマトモな慰めの台詞だった。
「うう……」
「元気を出してください、陛下。杖にかけた魔法を途切れさせるわけにはいかないから、毎日だと、ちょっと私のマジックパワーが持たないけど――なるべく姫様とお話できるようにしますから」
ユリマも言い添えると、ようやく気を取り直したようで、どこからどう見ても魔物な顔を上げる。まあ、姫様が人間だった以上、トロデ王もホントに人間なんだろう……しかも、娘がこれだけ美人ということは、今の姿とは似ても似つかぬナイスミドルなおじさまなのかもしれない。
「そうですわ、お父様。エイトだけじゃない、皆さん一緒に来てくださると仰るんですもの。ミーティアも頑張って――あ」
話している途中で姫様が、再びキラキラした光に包まれて。
「結界内に居たから、茨の一部になることは免れたんでしょうけど……やっぱり、かなり強い呪いを受けていますね。マホカトールの持続時間、思ったより短いです」
眉を顰めたユリマが見つめる、五芒星の中心には、うつむき加減の白馬が佇んでいた。
さっきまでモヤモヤと変な劣等感に苛まれていた自分が、急に恥ずかしくなる。
呪われたとはいえ、大切な人を殺されたわけじゃない彼女が、羨ましくないと言ったら嘘になるけど……重いものを持つことなんて無かっただろうお姫様なのに、文句も言わずに馬車を引いて、ちゃんと本当に呪いが解けて、故郷へ帰れる日が来るのかさえ定かじゃなくて。
そんな境遇なのに、同行してる私たちの疲れを気遣ってくれた優しい子に、まともな返事もしないで――ダメじゃない。
「……そっか。でも、久しぶりに姫様の声を聞けて良かった。ありがとう、ユリマさん」
また魔法をかけてもらえば話せる、とはいえ “馬に戻ってしまった” 事実に沈んだ様子の彼らの脇をすり抜けて、やっぱり残念そうに足元の魔方陣を眺めている白馬に話しかけてみる。
「船着場に、美味しそうなお菓子を売ってる店があったの。次の機会には一緒に食べましょうね、姫様」
私を見上げたミーティアは、人間のときと同じエメラルドの瞳を細めて、ふるるるるっと静かに鼻を鳴らした。
馬に “笑顔” という表情は無いんだろうけど、さっき向けられた、ふんわりした微笑がそこに重なって見えた。
いくら今は馬だからって、姫に馬車を引かせるパパと従者――改めて考えると、ひどい人たちだ!! 誕生日の夕食は雑草だとか……せめてデザートにリンゴくらい (泣) ミーティア的にはエイトたちの役に立てて嬉しいんだとしても、そんなこと判明するのは泉で会話できる中盤以降だし、せめて決意表明くらい早めにさせてあげてほしかったなぁ。