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◆ 時、淀みし世界へ(1)


(ひゃ〜……)

 ばくばく暴れる心臓を必死に宥めながら、私は、隅っこで縮まっていた。
 壁ぎわに居並ぶ上級天使たち。大広間の荘厳さときたら、もう――同僚ローザの落ち着きっぷりが恨めしい。
 我らが女王・ティタニア様だけが、いつもと変わらず気楽そうで。

 中央の玉座には、大天使ガブリエル様が坐している。
 くるぶしまで流れる蜂蜜色の髪に、薄桃のローブ。まだ30歳前後にしか見えなくても、どんなに柔和な微笑みを浮かべていても、彼女は聖グラシア宮の主で、四大天使の紅一点。
 ティタニア様の御友人とはいえ、こんな間近で目にする機会はないと思っていた、雲の上のお偉いさんだ。

 その玉座へ続く階段の手前で、跪いている二人の天使。
 ひとりは20歳くらいに思えた。ふわふわした銀髪に、夜の湖みたいな瞳。事前に聞かされていた話と、外見の特徴が一致するから、あの人がクレア様なんだろう。去年、アカデミアをトップクラスの成績で卒業して、エミリア宮の医療施設で医者になるため勉強していた才女らしい。
 もう一方の少女は、10代前半にしか見えなかった。瞳は宝石のターコイズ、肩にも届かない長さの髪は、銀杏の葉っぱを連想させた。ティセナという名前の彼女は、まだ子供なのに天界軍の筆頭剣士で、今回の任務でも、事態に関与しているだろう魔族の討伐が仕事だという。

 私は、シェリー。葡萄の花から生まれた妖精だ。
 ずっと妖精界でのほほんと暮らしていたところ、フォータ離宮の雑用係に指名されて、つい二週間前に天界へ来たばかりの身である……ちなみに 『フォータ離宮』 は天界にある、外賓専用施設の名称で。ティタニア様の長期滞在に伴い、何十人もの妖精がここにいる。
 慣れない仕事にドジを踏んでは平謝りを繰り返していた、ある日のこと。私は、いきなり呼び出しを食らってしまったのだ。しかも折り紙付きの優等生、ローザと一緒に。
(もしかして、先輩のスパルタ教育必修?)
 ビクビクして行ったら、待ち受けていた話は予想外のものだった。
 地上界インフォスに “時の淀み” と呼ばれる異常が発生して、観測機関が総力を挙げても原因が判らず、調査員が現地へ派遣されることになった。その補佐妖精として私たちが選ばれた、というのだ。
 今までもずっと天界関係の要務をこなしてきた、ローザは、確かに適任だろう――けど、なんで私が? 他に、いくらでも優秀な子がいるのに。
 さっぱり理解できなくて、どういう基準で決まったのか、なにかの間違いじゃないかと尋ねてみたけど、
『相性と能力を考慮した結果だそうよ。長期の任務になるだろうけど、しっかりね。シェリー』
 ティタニア様は、あやふやな激励しかくれなかった。
 そんなこんなで、あれよあれよという間に任命式典に連れて来られ、ガブリエル様の話を聞いているのだった。

「では、今回の任務における、妖精界からの協力者を紹介しましょう」

(ふえっ?)
 我に返ると、広間中の視線が全部こっちに集中していた。
 ティタニア様が頷いて返し、ローザが悠然と、これから上司になる天使様たちの前へ進み出る。
「初めまして、ローザといいます。今回、天使様の補佐を任され、光栄に思います。なにかと至らない点もあるかとは思われますが、どうぞよろしくお願いいたします」
 ……平然としている。
(な、なんでそんな挨拶の言葉なんて、すんなり出てくんのっ!?)
 私は焦った。なんにも考えてなかった。
(天使様に引き合わされるとしか聞いてないよ――って、こういう展開が普通なのか。しまったぁ〜!!)
「ほら、シェリー。あなたも挨拶なさい」
 もたもたしていると、ティタニア様に背中を押し出されてしまった。
(えええ? えとえとえーっと、う〜んと……)
 とにかく意気込みを伝えようと、ぐらぐらする頭で、それらしい言葉をひねり出してみたものの、
「初めまして! シェリーです。実は今回、初仕事なんですけど、女同士で頑張りましょう! (……あれ?) 」
 冷や汗が、たらりと背中を伝った。
 いや、いくらなんでも、こんな気安い口調はマズイだろう。なにしろ相手は天使様、お堅いのだ。階級による上下関係は絶対なのだ。妖精界なら、そこらへん結構イイカゲンで、笑ってごまかせる部分もあるけれど――

 案の定、場に沈黙が走った。

 ローザが 『馬鹿!』 と言いたげな視線を投げてよこす。
 ティタニア様は 『あちゃあ……』 という仕草でこめかみを押さえた。
 上級天使たちが眉を寄せ、ひそひそと何事か囁きあう。ガブリエル様の目元にも、あからさまじゃないけど呆れが滲んでいた。
 いたたまれない気持ちで、小さくなっていたら、
「そうね。新人同士、頑張りましょう」
 思いもよらず、優しく話しかけられて。どぎまぎしながら顔を上げると、
「私は、クレア・ユールティーズ。今日から地上界インフォスの守護天使として、任務遂行のため、あなたたち二人に協力をお願いすることになります。よろしくね、シェリー、ローザ」
 クレア様は、ふんわり笑って。うながすように、きょとんとしていた傍らの少女に視線を移した。
「……ティセナ・バーデュア。天界軍、ミカエル直属部隊の一員よ。よろしく」
 言葉だけ聞くと素っ気ないけど、ティセナ様も、頷いて微笑んでくれた。クレア様みたいに明るくはない、けど、なんだかホッとする――柔らかい表情だった。
(この天使様たち……すごく、好きになれそう)
 インフォスでの任務は、きっと上手くいく――そんな予感で胸がいっぱいになってくる。

「……彼女たちは、任務について助言をしてくれるでしょう」
 ガブリエル様が、気を取り直したように話を再開した。
(いや、ローザはともかく、私にはアドバイスなんて無理ですよ? 複数形で話さないでくださいって)
「そして最後にひとつ、あなたに言っておかなければならないことがあります」
 私の心の呟きをよそに、説明は続く。
「理解しているとは思いますが、天使が地上に直接 “力” を行使することは、戒律で禁じられています。よって、任務に関しては “勇者” と呼ばれる、資質ある人間の協力を得ていかなければなりません。彼らを正しく導き、異変の原因を突き止めてください」
「はい。私にどれだけのことが出来るかは分かりませんが、精一杯努力します」
 クレア様の返事に、満足げに頷いて。


「では、お行きなさい。愛しき幼い天使よ。汝に大いなる祝福が与えられますように――」


 どうやら式典は終わったらしく、ガブリエル様は侍女を従え、奥の扉へと姿を消した。ティタニア様も彼女に話があるとかで、女官たちに案内されて行ってしまった。
 途端に、大広間に残った上級天使たちがざわめきだして、
「異変は、やはり魔族の仕業だろうか……」
「いくら適性があろうが、あんな小娘に務まるものか。再考すべきじゃないか?」
 とにかく好き勝手なことばかり言っている。
(なんか、ヤな感じっ)
 ムッとした。けど、陰口を叩かれている当人は、周囲の雑音なんかどこ吹く風みたいで。
「それじゃあ、ベテル宮に行きましょう。執務室が用意されているそうだから」
 出口へ向かって颯爽と歩きだした、クレア様にローザが続く。
(……あれっ?)
 二人を追おうとした私は、ティセナ様が、その場に佇んだまま動こうとしないのに気づいて、そっと横顔を窺った。

「…………」

 ガブリエル様が消えていった扉を、ただ、見ている。
 睨むってほどじゃない、けど――鋭い視線には、敵意というか、怒りを含んだ殺気めいたものがあった。
 なのに、そんな表情を見ても、彼女のことを少しも怖いと感じない自分が不思議だった。

 このことは、ずっと心の隅に引っ掛かったままだったんだけど。
 私が、彼女の事情を知る日は、数年先。まだずっと遠い、未来の話になる――

×××××


「え!? じゃあ、前任守護天使って、クレア様のお兄さんだったんですか?」
 すっとんきょうな声が、執務室に響いた。
「そうよ。ただ……インフォス歴では前世紀のことになるし、私は当時、10歳にも満たなかったから、兄から聞いた話が役に立つかは分からないけど」
 苦笑混じりの肯定を、最後まで聞いているのかいないのか、
「すごい、すご〜い。それって、なんだかスゴイです〜♪」
 きゃあきゃあと、はしゃぎながら室内を飛び回っていたシェリーは、
「あなたねぇ、もう少し静かにしたらどうなの! 私たちは遊びに来ているんじゃないの。ここは執務室なのよ!?」
 同じ補佐役のローザから、手厳しく叱られてしまっていた。

 クレア・ユールティーズは、じゃれあう妖精たちを微笑ましく眺めていた。
 背に一対の翼を持つアストラル生命体。神の眷属として、最高位の種族。光と四大元素のいずれかをその身に宿し、地上の安定、もしくは、より良い変化を促すべく見守ることを務めとするもの――これが天界人の認識であり、アカデミアでも同様に教えられる。
 だから有事の折、地上界へ降りた者は抽象化された概念として “天使” を名乗る。
 たとえ己が、おとぎ話に描かれるような、美麗かつ万能な存在ではないと自覚していたとしても。

「……そういえばクレア様。ティセナ様は、どちらへ?」
 資料を整理していたローザが、ふと訊ねてきた。
 手のひらで包んでしまえるほど小さな、彼女とシェリーはどちらも花の妖精らしい。明日から始まる、インフォス守護の任務を手伝ってくれる大切なパートナーだ。
「さっき出掛けたわ。フロー宮へ行って、これから必要になりそうなアイテムを調達しておくって」
 クレアは、提出用書類に走らせていたペン先を止め、答えた。
「あなたたちにはインフォスに降りて、協力を頼めそうな人間を探してきてもらうことになるから、今夜は早めに休んでおいてね」
 任命式典から間をおかず雑務に追われるうち、窓の外は、もう暗くなりかけていた。
「はい、ありがとうございます……ほらっ、戻るわよシェリー。あなたがここで騒いでいたら、クレア様がお休みになれないでしょう」
 なにも今すぐ、と呼び止める間もなく。
 きっちり二つ折りの礼をすると、ローザは同僚を引きずるように退室してしまった。
 屈託ないシェリーに比べ、どうにも彼女の言動は格式ばった印象を受ける。クレアたちのことも、最初は 『天使様』 と呼んでいたくらいだ。
 もっとも、ティセナがそれを極端に嫌がると気づいたらしく――逆にシェリーは、敬語は必要ないという勧めに応じて普通に喋っていたところ、ローザに咎められてしまったようで。結局は、二人とも同じ呼び方に落ち着いていたが。
「……ふぅ」
 静寂が訪れた執務室で、なんとなく空を見上げる。
 遠い昔、兄も此処にいたのかと思うと、ひどく不思議な感慨があった。

 ラスエルが守護天使となったのは、クレアが9歳の頃。
 それから十年の月日が過ぎ去り、時流の異なるインフォスでは百年以上が経過して――いま、地上の時は淀んだまま停まってしまっているという。
 もういない兄と、彼の勇者たちが護ろうとした世界。
 齎された一時の平穏は、人間には永い時間だっただろうか?
 美しいと聞かされた、常緑の森や群青の空は変わらずにあるだろうか……?

 そんなことを考えていたら、だんだん落ち着かなくなってきた。
 ベッドに入っても寝付けそうにない。

 報告書によれば、インフォスの時は、同じ一年を延々と繰り返してしまっているらしい。
 動植物の意識に、経験や記憶は支障なく蓄積されていくが、自分たちが年齢を重ねていないという事実にはおそらく気づかぬまま、やがて肉体が異変に耐えられなくなる。そうして後十年、この状態が続いたなら――あらゆる生物が死滅するだろう、と。
 明日からインフォスへ向かう理由は、確かに任務だからではある。
 けれどクレアにとっては、それ以前に、かつて兄が護り抜いた特別な世界だった。星の寿命でもないのに崩壊など、仕事でなくともさせたくはない。

(行って、みようかな……)

 聖グラシア宮を退出してベテル宮へ到着したときには、インフォスは夜も更けてしまっていた。
『今すぐ降りて勇者候補を探しても、起きているのは盗賊か小説家くらいですよ』
 そうティセナに言われ、任務着手は明日からにしようと考えたわけだが。地上の様子を眺めるだけなら、昼夜は関係ないだろう。



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オープニングですね。
シェリー視点にしてみたら、ガブリエル様の長台詞が省けて助かりました(笑)