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◆ 異種族の調停者(1)


(……綺麗な森。任務で来ているんじゃなかったら、ゆっくり散歩してみたいな)
 フレンテという森の小道で、そんなことを思う。
 ひらひら飛ぶ、黄色い蝶。色づき始めた若葉。まだ少し肌寒い、そよ風――春の訪れが、近い。
 “淀み” に関する手掛かりをなにひとつ掴めないまま、任務開始から一年が過ぎ去ろうとしていた。

 クレアは現在、勇者レイヴと共に行動している。
 若くしてヘブロンの騎士団長を務めるこの青年は、暇さえあれば修行に明け暮れており、寡黙で、あまり感情を表に出さない。常に重厚な鎧姿で、やや近寄りがたい空気を漂わせている。初対面で、不用意に背後から声をかけたときなど危うく斬られてしまいそうになった。
 こちらが依頼するまでもなく、レイヴは国内外で起きる事件の解決を仕事としているため、関連情報も随時、軍の調査部によって届けられる。つい三日前まで騎士団代表として、隣国カノーアで催された 『北方会議』 なるものに出席していた彼は、休む間もなく、ラダール湖に出現した魔物を退治するべく部下との合流地点へ向かっているところだ。
 なにか役に立てればと同行しているものの。道中、凶暴化した動物に遭遇することもなく、広がる景色はうららかである。
 
「――待て。妙な気配がする」
 少し先を歩いていたレイヴが、急に足を止めた。
「そうですか? 私は特に、なにも感じませんけど」
 天使は、魔族の瘴気に敏感なぶん、それ以外の生物に対する感覚はさほど発達していないのだ。
「近づいて来ている。人間のものではないな……」
 油断なく辺りを警戒していると、崖上の茂みがガサガサと動き――降ってきた巨大な影が、どすんと前方の道へ着地した。レイヴが瞬時に身構え、クレアは目を疑う。
「え、っと?」
 影の正体は、どこからどう見ても樹齢百年を越えていそうな “木” だった。それが横倒しになるでも坂道を転がっていくでもなく、立っている。根がついているから、切り倒されたり腐って折れたわけではなさそうだが……?
 勇者と一緒に、その場で硬直していると、

「わーっ、待ってくれ!!」

 大声で叫びながら、傾斜をすべり降りてきた人物が、木を庇うように腕を広げ立ちはだかった。
「ち、違うんだ。こいつは別に、あんたたちを襲うつもりで落ちてきたんじゃないんだ!」
 活動的な服装をした青年である。アーシェと同年代だろうか? 
「いや――失礼した。気配の正体が分からなかったのでな。ボルンガを相手に、剣を振り回すつもりはない」
 レイヴが武器を納めると、青年はホッとしたように肩の力を抜いた。
「そ、そっか。知ってるんですね? こいつらのこと」
「ああ。樹木型モンスターと位置づけられてはいるが、温厚な気質で、なんら害はない――だが、その巨体で突然降ってこられてはな。女子供は驚いてもしかたなかろう」
「まあ、そうなんですけど……こいつらには、これ以外に移動手段がないんだよなぁ」
 バツが悪そうに頭を掻いて、ボルンガと呼ばれた木を振り仰ぐ。すると、
「あー、じっとしとるのは疲れるワイ。やはりワシらには、ただの木のフリなんぞ、よう出来んワイ」
 木が喋った。
 洞の部分が上下して、根がうねうねと動き、枝がわさわさと幹をこする。
「あのさ、ボルンガ。じっとしてたって、ただの木じゃないのバレてるから……」
 青年は嘆息して。
「とにかく、すみませんでした。特にそっちの」
 こちらへ視線を向けた瞬間、あんぐり口を開けた。

「――って、て、ててて、天使!?」
 あわあわと間違いなくクレアを指差し、目を白黒させている。

「君は、彼女が見えているのか?」
 片眉を跳ね上げ、レイヴが訊くと、
「あ、は、はい? えっ……じゃあ俺、夢見てるんじゃないんですか!?」
「ホッホウ。ワシも長いこと生きとるが、天使様に会ったのは初めてじゃ」
 混乱しきっている青年と入れ替わりに、謎の木がスルスル近づいてきた。どうやら、この場にいる全員がクレアを視認出来ているようだ。ならば黙っている必要もないだろう。
「初めまして。驚かせてしまって、すみません。クレア・ユールティーズと申します」
 地面に降り立ち、ぺこりと頭を下げると、
「そうかの、そうかの。ワシはボルンガじゃ。固体名はないんで、ボルンガと呼んでくれイ」
 ボルンガの、節くれだった枝が差し出された。手――なんだろうか? 握手した感触はやはり木そのもので、それがまた不思議だった。
「あ、お、俺は、リュドラル・アルグレーンです」
「リュドラル……アルグレーン?」
 青年の名前を聞いて、レイヴは驚いたようだった。
「すると、君か? ラルースの――あらゆる異種族と言葉を交わすという、竜の谷の神官」
「えっ?」
「レイヴ、お知り合いだったのですか?」
「いや。少し、噂を聞いたことがあってな……」
「ホッホウ。アウルのところの小僧っ子も、有名になったもんじゃ」
 ボルンガが愉快そうに笑い、
「え、いや、なにをどう聞かれたのか知りませんけど。そんな神官とか、たいしたモンじゃないですから!」
 リュドラルは赤面して、ぶんぶんと両手を振った。

(神官? 竜の谷――って、なんだろう?)

 ラルースという地名なら地図に載っていたが、土地の俗称だろうか? しかし活発そうな青年に、神官という堅苦しい肩書きはあまり似合っていない。
「ところでじゃ。そっちの御仁は、いま 『レイヴ』 と呼ばれとったの?」
 考え込んでいると、ボルンガが勇者に訊ねた。
「そうすると、おまえさん、もしかせんでもヘブロンの騎士団長さんかね?」
 唐突に言い当てられ、さすがのレイヴも虚を突かれたようだった。
「ああ……レイヴ・ヴィンセルラスだ。だが、何故そんなことを」
「なぁに、それこそ噂を小耳に挟んでな。いつか会うことがあったら、礼を言わねばと思っとったんじゃ。こないだチビどもが、うっかり人里に出て自警団っちゅう連中に囲まれとったとき、助けてもらったそうなんでの」
「そうだったのか? ありがとうございます、レイヴさん!」
 リュドラルは、パッと顔を輝かせ。
「べつに、礼を言われるようなことではない。人間の知識不足が招いた、愚行だ――」
 礼を言われたレイヴは、表情を翳らせ呟いた。
「子供だったのだな。あのボルンガは……すまなかったと、伝えてくれ」
「そ、そんな、とんでもないですよ!!」
「ホッホウ。若いのに、出来た御仁じゃの。子供らはあんたに感謝しとりこそすれ、謝られても節をひねるだけじゃよ」
 もさもさと枝を振ったボルンガは、今度はクレアに向き直った。
「しかし、天使様がこうして地上に降り、レイヴ殿が共にいるということはじゃ。この世界は、またも悪しき連中に狙われとるんかいの?」
「え? どうして、そんなことまで」
「ワシも、もう五百年近く生きておるでのう。いろんなものを見てきた――百年ほど前じゃったか、禍々しい化け物がはびこり、世が荒れたが――やがて平和が戻った。天使様に導かれた勇者がベルフェゴールなる者たちを倒して、このインフォスを救ったんじゃと、長老から聞いたのう」
 クレアは思わず目を見開き、ボルンガを見つめてしまった。
(兄様たちの、こと……)

 もう誰も、覚えていないと思っていたのに。こんなところで、記憶に留めてくれている人物に出会えるなんて。

「そうなのか? 天使様、ボルンガが言ってることは――」
 嬉しさのあまり感動に浸っていたところへ、心配そうな青年の問い。
 我に返ったはいいが、どう答えるべきか判断しかねてレイヴを窺うと、彼は問題ないというように頷いてくれた。
「……はい。この世界に、異変の予兆が確認されて。私は、原因究明のため派遣されてきました」
 リュドラルは、途端に難しい顔つきになった。
「そういえば――最近、おとなしかった連中が急に暴れ出したりしてるもんな。その異変に、関係あるんでしょうか?」
「ええ。そういった急激な変化は、可能性が高いと思います。すみません……レイヴたちに手伝っていただいて、混乱を鎮めるよう、努力はしているのですが……私の力が足りなくて」

 妖精が発見してきてくれる事件は、おそらく氷山の一角だろう。
 ローザたち二人だけで、インフォス全土の動きを把握できるはずもなく。
 しかし天使である自分たちに、妖精と同質の探索能力は無い――手当たり次第、行き当たりばったりの調査しか出来ないのだ。



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リュドラルとフィアナ。どっちを管理勇者にするかで迷ったんですが……北部と南部の人員バランスを考慮した結果、リュドラルは別行動に。とはいえ、主人公色の強い彼のこと。出演頻度はアーシェと大差ないような……(笑)