◆ 彼女の事情(2)
「あ、ちょ、ちょっと。フィアナ?」
依頼していた事件は解決済で、今は賞金稼ぎの仕事もこれといって請け負っていないはず――なぜ、そんなに急いで辞去しなければならないのだ?
だが、もたもたしているクレアに構わず、勇者は歩いて行ってしまう。
「す、すみません、エレンさん。おじゃましました。失礼します……」
「――あ、あの、クレアさん?」
やむなく彼女を追いかけようとしたクレアは、押さえ気味の、それでいて真剣な声に呼び止められた。
「はい?」
シスターは、遠ざかっていくフィアナの後ろ姿をちらりと見やり、意を決したように訊いた。
「あの子……身体の調子は、どうなのかね。急に咳き込んだり、熱を出したりしていないかい?」
「い、いえ。私が今まで見ていた限りでは、特には――」
唐突な質問に戸惑いながらも、彼女と出会ってからのことを思い返し、クレアは結局かぶりを振った。
「以前、なにかあったんですか?」
「いや、そういうわけじゃないんだけどね。昔から、あまり体の強い子じゃなくて……それなのに無茶ばかりしているもんだから、心配で」
単にシスターが心配性というだけでは説明のつかない、深刻な雰囲気だった。
「そうですか。子供の頃に体が弱くても、成長すれば、体質が改善されることは多いのですが――気をつけて見ているようにしますね。確かにフィアナは、無茶しがちですし」
「……ありがとう。そう言ってもらえると、安心するよ」
シスターは、ホッと表情を緩めた。
「フィアナが友達を連れてくるなんて初めてだったから、本当に嬉しいよ。なにもない教会だけど、また、今度はゆっくり遊びに来ておくれね?」
ちょっと、くすぐったい気持ちになる。
自分と彼女の関係が、友達と呼べるものかは分からないが、そう見えたのだとしたら嬉しかった。
「ありがとうございます。それじゃあ、お言葉に甘えて、また彼女に連れてきてもらいますね」
そこへ、フィアナの大声が飛んできた。
「ちょっとー!? なにやってんの、クレア!」
すでに教会前の小道に出ていて、腕を組んでこちらを眺めている。
「あ、すみません。お別れの挨拶を――」
「挨拶に何分かけてんの! だいたい、あんた普段から丁寧すぎなんだってば。とっとと来ないと置いてくよー?」
そう言い残して、本当にスタスタと歩き出してしまう。
「あああ、待ってください、フィアナ! それじゃ、エレンさん……」
クレアは、ぺこっと頭を下げた。
「ああ、二人とも気をつけてお行きよ」
シスターはわざわざ門の外まで出てきて、手を振りながら見送ってくれた。
×××××
「……教会のため、だったんですね」
カウンター席に腰を下ろしたところで、話しかけてみた。
休憩を兼ねて入った街角の食堂は、ちょうど昼食時ということもあり客でごったがえしている。
「え?」
「いつだったか、商人さんを締め上げていたのとか」
フィアナは、とにかくお金に厳しい。半年前に妖精の報告を受けて協力を頼みに行ったとき、一度は断られてしまったのも 『タダ働きはしない』 という理由からだった。
そのあと、ローザのアドバイスで 『金銭は払えないけれど、武器や防具、情報の提供、間接的な援護は可能』 と付け加えて説明すると、悪くないと引き受けてくれて。元々、面倒見のいい性格らしい彼女は、今では、賞金稼ぎの仕事中でさえなければ、無報酬の依頼でも受けてくれるようになったが、お金に細かい部分は変わらない。無頓着に使ってしまうナーサディアとは正反対だ。
「ああ、うん――まあね」
彼女は気恥ずかしげに肯いて、窓の外へ視線を向けた。
ここタンブールは、クヴァール地方で最も大きな都市だ。大通りは行商人や買い物客でにぎわい、厳しい気候にも負けない熱気がある。
「……あたし、さ……孤児だったんだ」
買い物袋を手に、談笑しながら通り過ぎていく親子連れを、ぼんやりと――ガラス越しに眺めていたフィアナが、ぽつりと言った。
「えっ?」
とっさに意味をつかめず、一瞬遅れて理解したクレアは、思わず彼女の横顔を見つめる。
「5歳になるか、ならないかくらいの頃……両親二人とも、誰かに殺されちゃって。相手の顔なんて覚えてない……ただ、怖くて……震えてた」
何気ない口調でも、隠せない痛みは滲んで。
「なんでか、あたしは助かったけど、育ててくれる親戚なんかいなくて……でも、エレンが引き取ってくれて。数年前までは、あの教会で暮らしてたの」
(お母さんじゃ、なかったんだ)
だから、だったのか――親しげで、それでも少し遠慮しているような、シスターへの態度は。
「あたしが小さい頃は、綺麗な教会だったんだよ。でも、ここ三年くらいで、だんだん壊れてきちゃって――エレンに、なにか恩返しが出来ないかなって。それで、昔みたいに立派な教会に戻せたらって思ったの」
「…………そうだったんですか……」
返す言葉を見つけられず、クレアは黙り込んでしまう。
天使は、光の塊から生まれ、光に還る。
同じ光輝から生まれた 『きょうだい』 はいたとしても、地上の生物でいうところの 『両親』 は存在しない――フィアナの想いを、本当の意味で知ることはない。
ただ、大切な誰かを失った人たちが、どれだけ辛さを抱え込んで生きているかは知っていた。
それには、きっと……ありがちな慰めなんて、意味はないだろうから。
「フィアナ!」
突然、クレアが大声を出したせいか、
「へ!? な、なに」
椅子ごとひっくり返りそうになった勇者は、あたふたと体勢を立て直している。
「不肖クレア、微力ながら協力させていただきます! ギルドの報奨金が出ている事件を、優先的にお願いしますから――武器や防具も、ある程度使ったら、売れそうなものは売っちゃってください。新しいものを持ってきます!」
勢い込んで提案すると、ぽかんとしていたフィアナは、やがてにやりと訊いてきた。
「あらま。仮にも天使様が、そんなこと言っちゃっていいの?」
「いえ、えーと。まあ、良くは……ないので、必要経費という名目でお願いしますね?」
良くはない、というか本来、そんな理由で天界の物を地上へ持ち出してはならない――とはいえ、勇者に関することで、教会を建て直すという立派な目的があるわけで。
「ぷっ……あはははは!」
念を押してみれば、フィアナは何故だか盛大に吹き出した。
「いや、いーって、そんなに気ぃ張らなくても! 本業のときにもサポートしてくれてるだけで、じゅーぶん。あんたたちが戒律とやらに違反して、他の天使に代わっちゃうほうが嫌だよ」
笑い転げながら言われても、どこまで本気にして良いやら判断に困る。けれど、
「あ、ありがとうございます」
それでも嬉しかった。守護天使ではなく、自分自身を頼りにしてもらえているような気がして。
「けどさ、ホント――また今度ゆっくり、教会に羽伸ばしにいかない? 子供たちにも紹介したいしさ」
「あ、はい! 連れて行ってください。次は教会の中も見てみたいです!」
するとフィアナは、思いついたように言う。
「ああ、それなら。また稼ぎを貯めるのに、三ヶ月はかかるだろうからさ。あたしが行くの待たなくても、いつでも暇なときに顔出せばエレンが案内してくれるよ」
「う。それは、その……」
こちらが返事に詰まる理由を、彼女は、最初から分かっていたようで。
「ふふっ。道順、覚えてないんでしょ?」
いたずらっぽく笑い、指摘してきた。反論のしようがないので、クレアはしおしおと肯く。
「――ハイ。遅れないように歩くので精一杯で」
なにしろ地上界では、街ごとに造りが違う。同じ施設でも外観が異なっており、道も複雑に入り組んで枝分かれしていて、どこに何があるか、任務開始から一年が経過した今でもサッパリなのだ。
「あはははっ、やっぱりねー。砂漠じゃ本気で死にそうな顔してたし? あんた、剣の修行より先に暑さに慣れなきゃ、南で夏は越せないよ?」
フィアナはお腹を抱えて笑っている。いつも、こんな感じで笑われっぱなしだ。
いや。自分がおかしいのではなく、彼女が笑い上戸なだけなのだ……たぶん。
運ばれてきたアイスティーを、ストローでかき回しながら、クレアは勇者の笑顔を眺めていたのだった。
私的にフィアナのイメージは、笑い上戸。会話シーンでの笑顔は、かなり可愛いと思う。天使(特に男天使)相手の台詞も、ツッコミや照れ隠し満載でおもしろいです♪