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◆ 吟遊詩人は過去を詠う


「畜生! ここから出しやがれぇ!!」

 やかましい濁声と物音が、扉の奥からガタガタ響いてくる。往生際悪く暴れているようだ。
 頑丈な鉄格子の中では、無駄骨に過ぎないだろうが――

「……まあ、事の次第は、だいたいこんなところだ」
 カノーア領内の、とある役所で。
 いいように省いた説明を終え、シーヴァスは手にしていたカップをテーブルへ戻した。
「私も、それなりに忙しい身なのでな。あとは君たちに任せたいんだが?」
 紅茶の質は悪くないが、むさ苦しい憲兵に囲まれていては、せっかくの味わいも半減する。
「ハッ、お任せください!」
「犯罪者検挙のご協力、ありがとうございました!」
 しゃっちょこばった役人たちの敬礼を背に、シーヴァスは応接室を後にした。


 通路を曲がり、人目が無いと確かめてから、傍らの女性に意見する。


「しかし、たまには、もう少し色気のある事件を持ってきてもらいたいな。こういうのばかりでは気が滅入る」
「いろけ、ですか?」
 真面目に考え込んでいた彼女は、小首をかしげ問い返した。
「どういった事件に、その――いろけという要素が含まれるのでしょう?」
 ひとつひとつの仕草が洗練された、掛け値なしの美女であるが、先刻の憲兵たちはまったく反応を示さなかった。シーヴァス以外には見えていないのだから、当然だが。

 クレア・ユールティーズは、人間ではない。天使だ。
 偶然に出会い、時折こうして行動を共にするようになってから、すでに丸一年が経過していた。

「……そうだな。最初に引き受けた事件だろうな」
 天使という存在に対して、漠然と抱いていたイメージよりはずいぶん親しみやすく――かと思えば、基本的な意思疎通すらままならないこともある。
「バルバロッサより、闇馬車の盗賊たちにいろけがあった、ということですか?」
 そして今日も案の定というべきか、的外れな解釈を披露する天使。
「だから、どうしてそうなる……」
 この台詞も何度目になるだろう?
 妖精によれば、彼女たちには男女の別こそあれ、恋愛や結婚といった習慣は無いらしいから仕方ないか――
「もういい。気にしないでくれ」
 いちいち説明するのも面倒だ。シーヴァスは、そこで話を打ち切った。



「あれ……ティセ?」

 役所から出たところで、クレアは戸惑ったように周囲を見渡す。
 階段下、長椅子で待っているはずの、もう一人の天使の姿はどこにもなかった。
「待ちくたびれて帰ったのではないか?」
 捕縛したバルバロッサを突き出すだけの予定が、事情聴取に付き合わされ、戻るまでにかなり時間を食っていた。事件そのものは解決していた以上、わざわざ待つ必要も無かったはずだが。
「違いますよ。帰るなら、そう言ってくれるはずです」
 クレアは、きっぱりと首を振る。
 彼女たちは旧知の仲らしく、互いの思考や行動パターンを見抜いているような節はあった。
「すみません、シーヴァス。私、ちょっと探してきます」
 言い置くや否やぺこりと頭を下げ、通りを直進して行ってしまう。
「おい? 人込みは苦手ではなかったのか――」
 呼び止めるが、どうも聞こえなかったらしく、そのまま交差路を曲がってしまった。
「……やれやれ」
 放っておいても問題ないだろうが、相手が見つかるまで探していそうな天使である。役所の人間が手配してくれた馬車が着くまで、まだ時間もある。
 シーヴァスは捜索を手伝うことにして、彼女を追った。


「ん? ああ、探すまでもなかったようだな」

 交差路を右折した先、公園の中、幼い天使が木陰にもたれ立っている。
 クレアは、なぜか声を掛けるのを憚っているようで、入り口の手前で足を止めじっとしていたが、
「ティセ――」
 ほどなく歩み寄っていき、小声で少女を呼んだ。
「あ、すみません。終わったんですね、事後処理……」
 ティセナは、抑揚のない口調で振り返る。
「うん。お待たせ」
 彼女の傍らに立ったクレアは、公園の奥へ視線を向けると、躊躇いがちに訊いた。
「歌、聴いてたの?」
「……べつに。暇でしたから」
 少女は、ふいと顔を背ける。天使たちが佇む位置まで近づくと、流れてくる繊細なハープの音色が、はっきり聞き取れるようになった。
「ほう、吟遊詩人か」
 花壇の横。小さな子供に囲まれて、女性と見紛うばかりに線の細い少年が歌っている。まだ10代後半といったところだろうが、かなりの技量だった。
「ぎんゆうしじん――歌姫ではないのですか?」
「まあ、そういう呼び方もあるだろうがな。普通、男に対しては使わんだろう」
 するとクレアは、感心したように頷いた。
「そうですか。地上では、男性も歌を生業とするのですね」
 不思議がるようなことでもないと思うんだが。彼女たちの故郷では、男は歌わないのだろうか?

「…………綺麗な曲……」

 じっと少年たちを見つめていたクレアが、ぽつりと感想を漏す。ひねりもなにも無いが的確な表現だった。切れ目なく奏でられる曲は、心に染み入るように美しい。
「そうだな。だが、物悲しい音色だ」
 穏やかな音色の端には、空虚さが滲んでいる。
 そういう曲想なのか、奏者自身の気分が反映されているのか――などと考えながら呟くと、気づけば天使たちは、呆気に取られたようにシーヴァスを見つめていた。
「なんだ?」
 クレアはともかく、ティセナが直視してくるのは滅多に無いことだった。しかし、
「……これで、報告されていた事件は全て片付きましたね」
 少女は、すぐに視線を逸らして、
「私は、ベテル宮に戻ります。ナーサディアが面会を希望していたそうですので、お疲れでなければ行ってください」
 クレアへ事務的に告げると、その場から消えてしまった。

 飛び去ったわけではない、気配すら瞬時に無くなっている。転移魔法という、熟達した天使にしか使えない術らしい――クレアの方は、こんなふうに現れたり消えたりすることはない。

「相変わらずだな。私は、なにか気に障るようなことを言ったか?」
 シーヴァスが眉根を寄せていると、銀髪の天使は苦笑いしつつ、意外な返答をよこした。
「少し見直した、ってことですよ。きっと」
 だが、こればかりは額面どおりに受け取れない。
「そうは見えなかったが? ……どう考えても、彼女に嫌われているようだからな、私は」
 ティセナとは反りが合わない、というより完全に避けられている。

 距離を置かれている感は、初対面の頃からあった。天使とはいえ、少女に疎まれたままではプレイボーイの名が廃る気がして、なんとか途切れがちな会話を弾ませようと、あれこれ試してはみたが――あるいは、それが逆効果だったのかもしれない。
 話しかけても当惑される程度だったのが、もはや無視されるか突っぱねられるか。
 戦闘が予測される任務の他は、クレアたちが動けないときの代理としてしかシーヴァスの元には顔を出さない。
 ローザたちに聞けば、他の勇者の前では、態度が素っ気ないことに変わりはないものの、時折、屈託ない笑顔すら見せるという……とてもじゃないが想像がつかない。

「いえ。それは、ですね――」
 クレアは、なにか思い当たる節があるようだったが、
「……なんにせよ、あなたの所為ではないので、あまり気にしないでください」
 結局、曖昧に苦笑した。
 言いにくいことか、話しても仕方がないのか――どうあれ、わざわざ訊くような事情ではないだろう。気が合わない相手との溝を埋めようとしても、互いに疲れるだけ。ならば顔を合わさずにいるのが一番手っ取り早い。
「まあ、いい。ところで君は、これからどうするんだ?」
「私ですか? ちょうど近くですし、ナーサディアに会いに行きます」
 ナーサディア。確か、ここカノーアに住んでいるという、勇者の名前だ。

(そうだ、美貌の踊り子だという話だったな……)

 天使の協力者には、他にも勝気な女剣士や、貴族の令嬢がいるらしい。
 時間があれば会ってみたいものだが、少々邸を空けすぎた。もう戻らなければジルベールの雷が落ちるだろう。
「そうか、それではな」
「ええ。では、シーヴァス。今日はありがとうございました」
 天使は、いつものように優雅に一礼すると、白い翼を広げて春の空に融けた。




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系譜設定で、天使は光から生まれます。恋愛や結婚の概念は天界には存在しません。神を唯一絶対の主と仰がせる弊害になるので、古代から、知識そのものが抹消されているんですね。