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◆ 旧友との再会(1)


 五月某日。快晴。

 私室で遅い朝食を摂り、コーヒー片手にソファへ凭れ、なにをするでもなくぼんやりしていると、
「まったく……ようやく戻っていらしたかと思えば、毎日だらだらゴロゴロと!」
 雑巾入りのバケツと箒をひっ提げたジルベールが、づかづかと遠慮の欠片もなく入室してきた。

 すでに齢66歳ながら、背筋をピンと伸ばし、かくしゃくとした喋り方は50代――下手をすれば40代にも見られかねない。
 シーヴァスにとっては幼少期より世話係、亡き母の乳母でもあったこの老女は (年寄り扱いすると烈火のごとく怒る) 、フォルクガング家・ヨースト邸のメイド頭だ。

「執務はそっちのけ、出掛けるといえば貴族の道楽でしかない夜会ばかり。邸に出入りする人間は、不特定多数の女性と遊び仲間ばかり」
 深々と嘆息しながら、仁王立ちして怒鳴る。
「ジルベールは嘆かわしゅうございますよ、坊ちゃま!」
 耳に胼胝が出来るほど繰り返されてきた、説教文句である。
 このところ続いた外泊は、ほとんど遠方任務に付随したものだったが。さすがに 『天使に頼まれ魔物退治をしていた』 などとは説明できず。
「やれやれ。帰らなければ怒るし、戻ったら戻ったで説教とはな……」
 大仰に肩をすくめてみせたものの、手持ち無沙汰なのは事実だった。

 ここ数週間、クレアは顔を見せない。
 平穏無事に越したことはないが、依頼が無いと、とにかく暇だ。
 天使に出会う前の生活が、どれほど単調かつ退屈な日々だったかを今更ながら自覚していた――とはいえ、事件が発生していなくても、それなりに多忙らしい彼女たちを呼びつけるほどの用があるわけでもない。
 午後から、全三十六巻の長編歴史小説でも読破しようかと思っていたのだが。

「はいはい掃除の妨げでございます。やることがないのでしたら、来週の英霊祭にご出席なさいませ。ヴィンセルラス家のお坊ちゃんの爪の垢でも、煎じてお飲みになっていらっしゃい!」

 仮にも主であるはずのシーヴァスは、メイドたちから同情的な眼差しで見送られつつ、ジルベールに館から放り出されてしまった。

×××××


 結局、英霊祭に顔を出すことに決め、シーヴァスは馬車でヴォーラスへ向かった。
 心躍る出会いがあれば御の字だが、退屈に終わったとしても、屋敷でジルベールの小言を浴びているより良いだろう。
 
 ヘブロンでは毎年、五月第三週の七日間をかけ、英霊祭が催される。
 本来、戦死者を弔うための厳粛な儀式だったが、五年前に隣国ファンガムとの紛争が完全終結してからは祭り要素が増し、式典は一般市民にも公開されるようになっていた。
 市街には露店が立ち並び、気の早い観光客と、彼らを相手に商売する地元住民でごったがえしている。
 風船を手に駆け回る子供。犬と散歩している老人。買い物袋を抱えた女性。馬車から荷を運び降ろす農夫たち――行き交う人々を眺めているだけでも、気分は和んだ。
(しかし、最終日までヴォーラスに留まるとして。宿はどうするかな……)
 宿泊施設はどこも予約で一杯だろう。城へ行けば国家騎士専用の宿舎があるが、うかつに近づけば、準備作業に駆り出されるに決まっている。
 フォルクガングの本家は徒歩圏内だが、立ち寄る気になれず。
 友人宅もいくつかあるが、それぞれ別の理由でのんびり過ごせる環境ではない。まあ、本家のように窮屈な思いをさせられるわけではないから、適当にどれかを訪ねてみるか――

「……シーヴァスか?」

 木陰で涼みながら考えていると、覚えのある声に呼ばれた。
「珍しいな、こんなところで」
 ダークブラウンの短髪に、浅黒い肌。鎧姿の大男が、つかつかと歩み寄ってくる。
 レイヴ・ヴィンセルラス。王立学院時代の友人だった。
「たまには、英霊祭に顔を出すのも悪くないと思ってね。まさか、おまえに会えるとは」
「そうだな……」
 さほど離れた街に住んでいるわけではないが、レイヴは仕事で忙しく、そうでなくともシーヴァスが遊びに赴くような場所へは、まず興味を示さない。政務と無関係に顔を合わせたのは半年ぶりだろうか。
「相変わらず、騎士団長殿は大変だな? この儀式には、必ず出席せねばならないとは――まあ、おまえにとっては、どうしても出るべき理由があるんだろうが」
「…………」
 レイヴは、なにも言わない。
 話を聞いていない訳ではなく、べつだん怒ってもいない。ただ、必要がない限り、いちいち相槌を打とうとしないだけだ。
「フッ。おまえは、あの一件以来いつもそんな調子だな――」
 学生時代は、こいつの方がよく喋り、どちらかといえば自分は聞き役に回っていたものだが。
「……おまえこそ、昔とは全然違うではないか」
「ハハハ、そうだな。お互い、昔は昔、今は今というところか」

 互いの過去は知っている。だからこそ、なにを取り繕う必要もない。

「まあいい、食事くらい付き合え。昼間から、こんなところにいるんだ。仕事に追われてはいないんだろう?」
「いや。悪いが、今は――」
「ああ、城へ戻る途中だったのか」
 レイヴは仕事最優先の堅物である。外せない用があるとなれば、それは騎士団に関わることのはずだが、
「そうではない、が」
「なんだ? 人手不足なら、今日ぐらいは手伝ってもいいぞ」
「いや、そういうことでもない」
 らしくもなく視線を泳がせ、気まずげに言葉を濁している。
「……どうしたんだ、いったい?」
 詮索は趣味ではないが、訝しまずにはいられなかった。
 馬鹿正直なうえに潔癖で、白黒はっきりつけたがるタチの男が、こうまで曖昧な返事をするところを初めて目にしては。
「とにかく今は、都合が悪い。夕食で良ければ付き合えるが」
「まあ、それなら夕方、適当に城へ行くから――とっとと用とやらを済ませておいてくれ」
「ああ」
 ホッとした面持ちで頷いた、レイヴは足早に去っていこうとする。
 どう考えても怪しいが……いくら問い質したところで、さっきまでの態度からするに口を割りはしないだろう。
 釈然としないまま目立つ青銅の背中を見送り、さて、これからどうしたものかと踵を返した、まさにその時だった。

「あ、レイヴ!」

 メゾソプラノの声が、広場に響いたのは。
「ようやく見つけましたっ。すみません、私、待ち合わせの場所まで間違えていたみたいで――」
 幻聴かと振り返ってみれば、うら若い女性が、奴に駆け寄っていくではないか。
「大通りを右折したら、同じような広場があって……でも、国立公園へは左折だったんですね?」
 白いワンピースに、同色のハイヒール。ゆるく編みこまれた銀髪を、藍のリボンが彩っている。
 両手を膝につき肩で息をしているため、顔はよく見えないが、かなりの美人と推測できた。おそらく良家の息女だろう――控えめでありながら、華やいだ雰囲気がある。
「い、いや」
「それに、やっぱり式典会場に辿り着けなくて。なにを目印に歩けば迷わずに済むんでしょうか? 朝から、ずっと付き合っていただいているのに……これじゃあ、レイヴのお仕事、見学できそうにありません」
(ヴォーラス騎士団の長を呼び捨てに――しかもレイヴが、よりによって英霊祭を間近に控えたこの時期に、朝っぱらから街を案内していただと!?)
「……すまん。俺が少し時計台から離れていただけだ。国立公園へは右折で正しい。だから、とにかく向こうへ」
 あたふたといつになく早口で、連れに移動を促そうとしていた “我が友” は、
「ほぉ〜う? 隠しておこうとは無駄な努力だったな、レイヴ」
 意地悪く声をかけてやったところ、ぎくしゃくと振り向き、この世の終わりかという形相で固まった。

「ま、待て! 違う、おまえが考えているような関係じゃない! 彼女は――」

 しどろもどろにごまかそうとしているようだが、無駄な足掻きだ。
 だいたい、こいつは極度の女嫌いで、普段は女性を近付けさせもしないのだ。ヴィンセルラスの血筋に銀髪の娘などいなかったはずで、わざわざレイヴの仕事を見学に来ているということは、ただの知人であるはずがない。
 
「? お知り合いの方ですか、レイ……」
 渦中の人物は、鎧の陰からひょいと顔を覗かせた。
「あら?」
 大きな目を丸くし、一拍置いて首をかしげる。

 昼と夜では違った色合いに映る、サファイアブルーの瞳。
 よく通る声、清艶な美貌も、確かな存在感とともに有り、広場に居合わせた人々の視線を一身に集めている――知っている顔だった。
 ただ、その背に純白の翼が無いことを除けば。

「どうしたんですか、シーヴァス? こんなところで」

 自分を呼び捨てにする、こんな容姿の女性など、ひとりしか記憶に無い。


「…………それは、こちらの台詞だ」


 しばし絶句していたシーヴァスは、やっとのことで我に返り、訊ねた。
「君こそ何故、そんな格好で、こんなところにいるんだ? クレア……」

 唖然とするレイヴの顔こそ、見ものだった。



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ようやくヨースト邸の日常を書けました♪ 両親を早くに亡くし、祖父母とは疎遠ともなれば、叱ってくれる身近な人は必要でしょう。他の使用人さんも、きっと個性派揃い。どこかでじっくり書くぞ!