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◆ ガーゴイル、急襲(2)


「反則だろうが、これは!」
 そんな場合ではないと思いつつ、シーヴァスは愚痴をこぼしていた。
 膠着した戦況に相当いらだっているらしい、魔物たちも両眼をぎらつかせ叫喚する。
 
「うるっせえんだよ、とっととくたばりやがれ!!」
 
 剣が、効かないと。
 戦いが始まってから気づいたところで、どうしようもなかった。
 少なくとも、己の技量が劣っているわけではない――と思う。敵は爪を振り回すか、カマイタチを模した衝撃波を放つばかりで、単調な動きに慣れてしまえば躱すことは容易い。現にシーヴァスは、ほとんど傷も負っていないのだが。
 携えた武器は、幻と戦っているかのごとく通じず。
 例の天使が閃光を放っては消し飛ばせど、無尽蔵に湧いてくるモンスターが相手では、こちらの体力が遠からず尽き果てる。
 どうする、誰かを呼ぶか? 憲兵? 神父を? そんなことで打開できる事態か、これが!?
(夢なら、さっさと覚めてくれ!)
 自棄になって斬りつければ、風刃にへし折られた切っ先が放物線を描き、砂浜へ突き刺さった。
 元より役に立っていなかった、とはいえ精神的な焦りが増す。こんな魔物との戦い方、ヴォーラス騎士団長にさえ分からないだろう。
 徒手空拳の覚悟で間合いをとり、後ずさった刹那、
「……くっ!?」
 眩むような熱閃がほとばしり、モンスターのうち数匹が灼かれて蒸発。
 敵の包囲網が一時的に崩れた隙に、駆け寄ってきた天使が 「こっち!」 とシーヴァスの腕を捉え、走りだす。
 その感触は、驚くほど華奢で――それでもやはり、どこか人間の女性のものとは違うことに、戸惑い――そんな場違いな物思いを、悪夢の残影が塗り潰した。

 逃げようと逃がそうと、繋がれた手の、ぬくもりを。

「なにをするんだ、離せ!」
 気づけばシーヴァスは、衝動的に振り払ってしまっていた。
「まだ分かりませんか? 人間に、魔族と戦う “力” は無い。いくら剣を振るおうと、ガーゴイルに傷ひとつ負わせられない」
 傷だらけの天使は、ひどく冷たい声音で突きつける。
「この場に留まられては迷惑です。私には、誰かを庇いながら戦えるほどの能力はありません」
 あなたは足手纏いでしかないという、明確な事実を。
「…………」
 そうこうしているうちにも敵は、奇声を発しながら迫ってきている。
「とにかく、あなたは向こうの雑木林を抜けて、どこか明るい場所まで避難してください。あの地形なら、魔族も追撃に翼を使えませんから」
 焦りを滲ませながら言い含めてくる相手に、シーヴァスは頷いてみせた。
「分かった」
 ホッとしたように息を吐く、彼女の――言いたいことは。だが、
「使わないのなら、貸してもらうぞ」
「え? ちょっと、なにを」
 身につけていた懐剣を奪い取られた、天使は、シーヴァスの意図を悟ったらしく狼狽もあらわに取り縋る。
「さっきも言ったろう? 私は騎士だ。ここで敵に背を向けるなど、プライドが許さん」
 せいぜい女性の護身用といった造りだが、無いよりマシだ。それに天使の持ち物なら、ガーゴイルにも太刀打ちできるかもしれない。
「あなた私の話を聞いてました? 早く、逃げてくださいってば!」
「断る」
 冗談じゃない、まっぴらごめんだ。それでは十五年前と、なにひとつ……いや、変わらないどころか状況も立場も異なる。
 今はもう、庇護対象とされる子供ではないというのに。
(――また、あんな思いをするのは!)
 脳裏でちろちろと燻る過去の断片を振り払い、鞘から刀身を抜き放った、瞬間。


光が、爆発した。


 視界が、白一色に染まった。
 銀のナイフが高熱を帯び、思わず取り落としてしまった刃は小刻みに揺れ続ける。鼓動にも似た収縮する大気、辺りの砂塵に弧を描いていた微風が急速に勢いを増して――
「来い、こっちだ!!」
 その判断は、ほとんど直感だった。
 呆然と突っ立っていた天使を、半ば抱き上げるように暴風を突っ切り、竜巻の中心地へ身を躍らせる。
「な!? なんなんですか、放して……!」
「じっとしていろ、吹き飛ばされるぞ!」
 ようやく我に返ったか、腕の中でじたばた暴れだした天使を、耳元で叱りつけた。

 台風の目と同じ原理だろう。転がった懐剣の周りだけが、半円状に凪いでいる――とはいえ、かなり狭い範囲だ。竜巻は轟音を伴って加速しており、下手に動けば真空波に切り刻まれかねない。
 間近に迫っていたガーゴイルが次々と、断末魔すら残せずに、竜巻に捻じ切られ消えていく。
 仲間の末路を目にした数匹が、逆方向へ引き返しかけたが、それをもあっさり絡めとリ暴風は吹き荒んだ。

 そうして黒い影がひとつ残らず消え失せたとき。
 竜巻もまた初めから存在しなかったかのように、ふつりと止んでしまっていた。



 辺りには、静寂が戻っていた。
 寄せては返す波の音。潮の香り。さわさわと、まだ少し冷たい風が足元を吹き抜けていく。
「…………?」
 硬直していた天使が、おそるおそる顔を上げた。

 懐剣を包んでいた強烈な光も、次第に弱まっていき――風景を不自然に照らすものは、やがて何ひとつ無くなった。
 魔物の気配は、完全にたち消えている。

「あの、あなた……今いったい……なにを?」
「私は、なにもしていないぞ。あれが、ああいう武器だったのではないか? 君が用途を知らなかっただけで――」
「毎日使ってるナイフです! 書類を切るのに」
 ペーパーナイフだったのか。
 さっきまで本気で、そんなもので戦おうとしていたのかと思うと、急に気が抜けた。
「まあ、いい。とにかく助かったようだからな」
 軽く笑うと、天使の身体からもふっと強ばりが抜けた。指先を、柔らかい羽がくすぐる。
 その感触に、今までどういう体勢でいたかと、彼女が怪我人であることを思い出したシーヴァスは、慌ててきつく回していた腕を離した。
「そうですね。考えても分かりそうにないですし……今度、造ったヒトに訊いてみます」
 拾い上げた懐剣を、しげしげと眺めている天使はひどい有り様だった。致命傷がなくとも、出血が続けば危ないだろう。
「とにかく屋敷まで」
「あ、動かないでください。傷を治しておかなきゃ」
「いい、掠り傷だ。それより君の――」
「よくありません! 人間には、魔族から受けた傷そのものが毒なんです。放っておいたら、傷口から化膿して感染症を併発して、病院行きです!」
 意地でも譲らないという剣幕で、手を伸ばしてくる。
 どう見ても彼女の方が重傷に思えたが、諭したところで聞き入れそうになかったので、好きにさせることにした。
 天使が右手をかざした傷口は、淡緑色の光輝に包まれ、痛みごと消えていく―― “魔法” とでも呼ぶのだろうか、これは?

「……他には? 痛いところ、ないですか」

 しばらくそうされていて、いつの間にか――傷はすべて癒えていた。
「ああ、大丈夫だ」
 だから、とシーヴァスが呼び止めるより早く、彼女はスタスタ歩いて行ってしまう。
「ちょ、ちょっと待て! その怪我で、どこに行くつもりだ?」
「? あの雑木林の西側……ガーゴイルの瘴気を浴びて、枯れてしまっていたので、治しに」
「そんなことより、君の手当てが先だろう。どれだけ重傷か自覚していないのか?」
 半ば呆れながら、天使の細い腕をとる。しかし、

「自分のことくらい分かります、放っておけば治ります。急がないと手遅れになってしまうんですから、話なら後にしてください」

 ムッとした様子で言い返した、彼女はそのまま。
 シーヴァスがどんなに諌めても、枯渇した木々が元に戻るまで手を休めようとしなかった。



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クレアのシーヴァスに対する第一印象は『金色』……小学校の頃、洋画を見ても俳優さんの顔の区別が全くつきませんでしたが、天使から見た人間も、たぶんそんな感じです。