◆ 勇者の証(1)
「だから私の怪我なら、たいしたことありませんから!」
「…………」
主張は、黙殺されてしまった。
『負傷した女性を放っておくなど、私の美学に反する』 と、さっきの屋敷へ強制連行され、庭園の長椅子に座らされて応急処置を受けている。
(本当に、放っておけば治るんだけどなぁ)
アストラル生命体は、相性の良い環境下において自己治癒力が飛躍的に高まる。
兄とインフォスがそうだったらしいが、クレアも同様だ。ほとんどの傷は二時間もあれば塞がるだろうと――懇切丁寧に説明しても、例の青年は納得してくれず。
自分で治療できると断れば、また 『怪我人は、おとなしくしていたまえ』 と叱られる始末で。
(そういえば、このヒトは人間なのよね)
実物を目にするのは初めてだった。
翼がないことを除けば、外見は、あまり天界人と違わないようだ。さらさらした長髪が外灯に照らされ、金色に光っている。
(ここだけ昼間の、木漏れ陽の下みたい……)
普段は手当てをする側なので、こうして逆の立場に置かれるとくすぐったい感じがした。
(だけど……怒って、ないのかな?)
好きで言ったわけではないが、善意で駆けつけてくれた相手に 『迷惑』 などと、かなりの暴言を吐いてしまっていた。
それなのに、結局この青年に助けられるとは。
(う〜っ、情けない!)
インフォスを護る役目を負った自分が、逆に守られてどうするのだ? つくづく先が思いやられる――
自己嫌悪でうつむいていると、青年が心配そうに 「痛むのか?」 と訊ねてきた。
「あ、ええと……こちらでは、小説家も医術を学ぶのですか?」
本当は 『危険な目に遭わせてしまって、ごめんなさい』 と謝りたかったのだが。そういうことを言えばまた怒られそうな気がして、話題を逸らす。
「? どういう意味だ」
「いえ。ただ止血の手際が、ずいぶん的確で馴れているように思えたので――」
「応急医療は、従士だった頃に一通り学んだからな。しかし私は、文筆家の類ではないのだが」
「じゃあ、盗賊なんですか?」
青年は頭を抱え、呆れたように 「……なぜ、そうなる」 と問い返してきた。
「こんな時間に起きていて、小説家でないなら盗賊でしょう?」
天界の辞典に記載されていた、夜に働く人間の分類はそれだけだし。ティセナもそんなことを言っていた。
「悪いが、小説家でも盗賊でもない」
小さく息をつくと、彼は気を取り直したように告げた。
「私は、シーヴァス・フォルクガング――騎士だ。君の名前は?」
「なまえ?」
問われて、ようやく気づいた、命の恩人を前に、まだ名乗りもしていなかったとは……礼儀知らずもいいところである。
「私は、クレアと言います。クレア・ユールティーズです」
「クレア――ふっ、いい名だ。美しい天使には、相応しい響きだな」
しかし青年は、詠うような口調で微笑んだ。とりあえず、機嫌が悪いようには見えない。
「そう、ですか?」
どう返したものか分からず、首をひねる。人間の文化風習では、名前に良し悪しがあるんだろうか?
「ああ、そう思う」
おかしそうに苦笑していた青年が、
「それで? 天使の君がなぜ、こんな場所で、あんな魔物に襲われる羽目になったんだ?」
いきなり話を変えたので、クレアは返答に窮した。
「ええっと、ですね……インフォスの上空を飛んでいたら、たまたま見つかってしまって」
「なら、世界が壊れるというのは?」
どうやらガーゴイルの科白は、しっかり聞こえてしまっていたらしい。
「それは、その。魔族という種族は、いつもああいうことばかり言うものなので、あなたは気にしなくて――」
「クレア」
どうごまかしたものか思考を巡らせていると、心なしか低い声で名前を呼ばれた。鋭い視線に射抜かれて、クレアは反射的に口をつぐむ。
「話してくれないか? こうまで訳の分からないことばかり続いては、眠れそうにない」
それはまあ、そうだろう。
しかし、これは余計に寝覚めが悪くなりそうな話であるわけで。
(どうしよう? あとで、ティセに頼んで……だけど、このヒトは私だけじゃなくて、ガーゴイルの姿も見えていたのよね)
インフォスの時流が正常に戻るまで、魔族は闇夜を徘徊し続けるだろう。
気づかずにいられれば、それに越したことはないが。気づかざるを得ないなら――危険性を知らずにいる方が命取りになりかねない。
×××××
分かりましたと、天使が躊躇いがちに話し始めた、それは。
まるで子供向けの冒険譚にありそうな内容だったが、現実にあんな化け物と一戦を交えたあと、目の前にクレアがいては笑い飛ばせず。
ここ最近、異常気象が多発していることも事実だった。
「……ですから今後、魔族を見かけることがあっても、気づかないフリをしていてください。基本的に、資質者であるかそうでないかは、妖精にしか見抜けませんから」
天使や魔族の意図に関わらず、その姿を視認できる人間を、彼女たちは “資質者” と呼んでいるらしかった。
「だが勇者とは、その “資質者” のことではないのか?」
説明された事項を整理しつつ、不明点を問う。
異変の原因を探るため、遣わされたクレアは、直接的なインフォスへの介入を許されず―― “勇者” と呼ばれる協力者の存在が不可欠になる。
ひとつの世界に十人いるかいないかの適格者は、補佐役の妖精によって判別されるらしい。
「ええ。それが前提条件だと思います」
「ならば、いずれその妖精が、私のところにも押しかけてくるのか? 対象外とされる理由はないだろう」
「あ……そういえば、そうですね」
指摘されて初めて気づいたらしい。しげしげとシーヴァスを見つめた天使は、
「シーヴァスさんには、ご迷惑おかけしないように、ちゃんと妖精たちに伝えておきますね」
にっこりと微笑み、言い切ってくれた。
協力してほしいと懇願される展開を予想していた、シーヴァスとしては、まさに肩透かしを食らった気分だった。
べつに面倒事が好きなわけではないが、そうこられると逆に腹が立つ。
「なるほど。私では、戦力にもならないというわけか?」
「はい?」
「資質者であっても、魔族一匹も倒せないような男は必要ない、と」
一拍おいて、ようやく言葉の毒が伝わったらしく、クレアは困り顔で補足した。
「あ、あの。ガーゴイルに傷を負わせられなかったのは、物理法則的に当然で、シーヴァスさんの剣技の問題ではないですよ? 天界の武器を使わない限り、歴代の守護天使に協力してくれたどんな人間も、そうだったはずです」
(そういうものなのか……)
いくらか得心がいった。しかし、それなら尚のこと、
「私としては、勇者とやらを引き受けてもいいと思ったのだが――どうやら君に、そのつもりは皆無のようだな?」
意地の悪い言い方だと、自分でも思った。
けれど天使は眉をひそめ、こちらの真意を見定めようとするように、鋭い語調で問う。
「……戦うことに……抵抗は、ないんですか?」
身の危険さえ想定されることを、簡単に引き受けると言うシーヴァスが、危機感に欠けて映ったのかもしれない。
「それは騎士だからな。戦いの経験はあるし、君の頼みに応じる時間もそれなりにある」
他に、何人の資質者がいるにせよ。
その中で自分が劣るとも思えなかった。
「戦わず済めばいい。事件など、起きないに越したことはないが、今は “勇者” が必要なんだろう?」
しばらく黙考していた、天使は 「もうひとつ、質問していいですか?」 と訊ねた。
「ああ」
「勇者になれば、その任を終えたとき――ひとつだけ、どんな望みでも叶うとしたら。願いは、ありますか?」
静かな声音でも、こちらを見つめる眼差しは鋭い。
「…………いや」
彼女の真意がつかめず、シーヴァスはしばし言い淀んだ。
(それが本当なら、まさしくおとぎ話だがな。試されているのは無欲さか、それとも実直さか……?)
だが、どう取り繕ったところで見透かされてしまう気がした。
「特に無い。べつに、今の生活に不満はないからな」
それが本音だった。
客観的に見ても、物質的には恵まれている人間だろう。失ったものは――数え上げたところで、どうにもなるまい。
「だったら。あなたに、お願いすることは出来ません」
クレアは静かに、かぶりを振った。
「依頼することになるのは、犯罪や戦争の解決です。話し合いではどうにもならないような事件が、ほとんどで……それでも私たちは、地上への干渉を禁じられているから…… “勇者” に押し付けるんです。誰かを傷つけたり、殺すようなことを」
殺す。
自嘲めいた声音。天使が口にするには、あまりにも似合わない台詞だった。
「しかし――」
そんなことを気にしていては、協力者など見つかるはずないだろう。
天使にはどうか知らないが、人間にとってインフォスは広い。船や馬車を乗り継いで、それでも世界を巡るには一年以上かかる。頭数が多いに越したことはないはずだ。
くちごもるシーヴァスの傍らで、クレアは、柔らかく微笑んだ。
「あなたが戦う理由はないんです。だから……ちゃんと、幸せなままでいてください」
(…………幸せ?)
不満はない、そう言った。 願うことも。
だから、戦うなと? ずっと、このままでいろと?
(満たされて……いるのか。私は……)
本当に?
「だいじょうぶですよ! 派遣されたの、私だけじゃないんです。魔族の好きにはさせませんから」
沈黙をどう解釈したのか、彼女は小さく苦笑した。
「それに――」
苦いものを噛みしめるように、ローブの裾を握りしめていた天使が、ハッと顔を上げ。
(!? まさか新手が)
シーヴァスはとっさに身構えるが、さっきの邪気はどこにも感じられなかった。
「傷が治ってから、平気な顔して戻りたかったんだけど……」
そうもいかないかと溜息をついた、クレアは長椅子から立ちあがり、ぺこりと頭を下げる。
「手当て、ありがとうございました。迎えが来ちゃいましたから、帰ります」
「……迎え?」
あわてて意識を空へ向ければ、確かにクレアと似たような、けれどあきらかに異なる気配が近づいてきていた。
ユールティーズ。クリスマスの季節、という意味の英単語からつけた名前です。
クレアの誕生日は8月の設定なんですけどね。