◆ 勇者の証(2)
「クレア様っ!!」
虚空を裂くようにして現れたのは、華奢な少女だった。
アイスグリーンの瞳に、ライトブラウンの髪。あと四、五年もすれば、クレアとはまた違うタイプの美女に成長するだろう。
しかし大剣を携えており、若草色の衣服やバングルも男物のようで、それらは可愛らしい容姿にまったく似合っていない。
「その怪我――ガーゴイルは!?」
地に足をつけるや否や、つかみ掛からんばかりの勢いで、
「ちょ、ちょっと落ち着いて、ね? 魔族なら、もういないわ。傷もたいしたことないから」
「……あなたは!」
駆けてきた天使は、たじたじとなりながら言い繕うクレアを、たぎる瞳で睨み据え――ぶつける言葉に迷っていたようだが、やがてぐったり肩を落とした。
「ごめんね、心配かけて……怒ってる? ひっぱたかれても、しかたないけど」
「負傷者を殴るほど、子供じゃありません」
嘆息した少女が、包帯の上から手を翳す。淡緑の光が、きらきらと散り。
「シェリーは、無事よね?」
「はい。ベテル宮で待たせています」
クレアは、心底ホッとしたように 「良かった」 と笑った。
相槌を打つことなく治療に専念していた少女は、しばらくして、やっと表情を緩める。
「これでいいでしょう。ガーゴイル程度なら、二次汚染の心配もありませんから」
「ありがと、ティセ」
礼を言われた少女は、ほんの少し目を細めた。だがすぐ無表情に戻り、こちらへ視線を移す。
「……そこの……ヒトは?」
「シーヴァスさん。助けて、もらったの」
クレアは簡潔に説明した。一連の経緯は、助けたと言えるのか甚だ疑問だったが、
「そうですか。ご迷惑をおかけして、すみませんでした」
頭を下げられてしまったので、シーヴァスは曖昧に頷くしかない。
「とにかく今後、夜間の行動は控えてください。この世界に侵入している敵も、魔族だけとは限らないんですから」
「うん、ごめん。迂闊だったよね――少し考えれば分かりそうなことなのに。どうしてもインフォスを見てみたくなって」
「それで? 気は済みましたか」
「ハイ。ごめんなさい。もう、しません。おとなしく帰ります」
「そうしてください」
神妙な調子で謝罪された、少女はようやく、わずかに微笑んだ。
「それじゃ……いろいろ、ありがとうございました、シーヴァスさん。失礼しますね」
深々と辞儀をしたクレアを、目礼した天使が追う。
空へ舞い上がり遠ざかろうとする、その姿を目にして――感じた焦りは、なんだったのだろう。
「クレア!!」
気づけば、思わず呼び止めてしまっていた。サファイアブルーが瞬き、もう一人は不審げに、こちらへ向き直る。
「君たちの任務――協力させてくれ。私に」
「え?」
滞空したままの天使は、表情に困惑の色を浮かべた。
「あの、だから。それは、さっきも言ったとおり」
「戦う理由なら、ある」
ざわつく意識に戸惑いながら、シーヴァスは、理屈とも呼べぬ理屈を並べたてた。
「インフォスに生まれ暮らしている時点で、私は当事者なんだからな……魔族のことにしても、見えぬフリなど出来るわけがないだろう? 君が勇者にしなくても、勝手に首を突っ込ませてもらうぞ」
「……ティセ。彼を説得」
「無駄ですね。クレア様が説いてダメなら、私にはどうにもなりません」
助けを求められた少女は、最後まで言わせず肩をすくめる。
「そんなこと、ないでしょ〜?」
「べつに、いいんじゃないですか? あのヒトは大人なんだから、首を突っ込んで死んだって本人の責任だ」
食い下がるクレアに、まだ幼い天使は素っ気なく応じた。
「気に食わなければ放っておけばいい。信用に足ると思うなら、勇者にすればいい――あなたの選択が、きっと正しい。協力者がいようが居まいが、私は、この世界に危害を加えるものを排除するだけです」
「…………」
困り果てたように、シーヴァスと少女を眺めやり。
「何度も言うようですけど、危険なんです」
降りてきたクレアは、子供のワガママを叱るような調子で諭す。
「治癒魔法にも限界があります。天使には、おとぎ話で伝えられているような、死者を蘇らせる “力” はありません」
「くどいな。だいいち、そんなことは期待していない」
切り返すと、天使は大きく息をついた。ひたいを片手で押さえ、黙り込んでしまう。
高い位置で結い上げられている銀髪が、風に、さらさら揺れていた。
「人間って、みんな――あなたみたいな感じなんですか?」
「ん?」
「すごく、頑固で」
天使は、拗ねたような呆れたような表情で、そんなことを訊いた。
「さあ、どうだろうな? さっきまで意固地になって手当てを拒んでいた、君に咎められる筋合いは無いと思うが」
「本当に、危険なんですからね」
ついに根負けしたらしく、彼女は念を押してきた。
「承知の上だ」
「無茶なことは、しないでくださいね?」
「出来もしないことを引き受けて、面倒をかける気はない。無理なら、最初から断らせてもらう」
ここで命賭けで戦うなどと言えば、おそらくこの天使は怒りだすだろう。
「それなら……お願いします、あなたに」
その言葉に、なぜ安堵など覚えたのか。
ただ厄介事に関わった、それだけのことの――はずだったろうに。
「それで? なにか今すぐ、しなければならないことでもあるのか?」
「いいえ、まだ、これといって……必要が起きたとき、お話に伺わせていただきます」
クレアは首を横に振った。考えてみれば、守護天使に就任したばかりというのだ。右も左も分からなくて当然だろう。
「そうか。では、待っているとしよう」
「はい! よろしくお願いします、シーヴァスさん」
「ああ、よろしくな。それから、クレア――その “さん” 付けは止めてくれないか? 私のことは、シーヴァスでいい」
なにしろ、そんな呼び方をする知人はいない。どうにも慣れることが出来ない。
「……そうですか? じゃあ、そうしますね」
クレアは素直に頷くと、口を挟むことなく待っていた少女をうながした。
「ごめんね、待たせて。帰ろっか」
「帰るのは良いですけど、結晶石は? 勇者に選ぶなら、この場で渡しておくべきと思いますが」
「あ! そっか、そうよね――どうしよう。こんなことになるなんて思ってなかったから、なんの準備も」
「耳元の。それは、ただの飾りなんですか?」
「え? あ」
しごく冷静に問われた、クレアは恥ずかしげに赤面しつつ、片耳のイヤリングを外した。
「すみません、シーヴァス。これ……持っていていただけますか?」
そうして受け取った、すべらかに青く透きとおる石の色彩は、クレアの瞳に酷似していた。
「これは?」
「水の石――結晶石と呼ばれる鉱物に、四大元素の “水” を加えたものです。持っていてくだされば、あなたの居場所が分かりますから、そこへ伺います。多少は防御結界の効果もありますから」
解説には耳慣れぬ用語が多く、すぐに理解できるものではなかったが、協力者―― “勇者の証” と捉えて良いのだろう。
「そうか。わかった」
「じゃ、今夜はこれで帰りますね。おやすみなさい……シーヴァス」
天使は、ふわりと白い翼を広げ。
「……おやすみ、天使様」
やはり、どこか不機嫌そうに見える少女も、後を追うように姿を消した。
しばらく、なんとなく――その場に佇んでいたものの、急に眠気を感じ、屋敷へ引き返すことにする。
すべて夢だったのではという錯覚に陥りかける中、不思議と温かい石の感触だけが、現実を証明していた。
「…………明日の朝は、起きられそうにないな……」
必死に睡魔と戦いながら、どうにか私室へ戻り、ソファに倒れこむ。
そこで、意識は途切れた。
×××××
「うわあぁあーん、クレア様ぁ〜!!」
天使様が心配で、さっきまで泣きじゃくっていた私は。戻ってきた二人を見たら安心して、
「よしよし。ごめんね、心配かけて……私なら、だいじょうぶだからね」
クレア様が、くしゃっと頭を撫でてくれて。それが嬉しくて、また泣いてしまっていた。
戦闘空域から逃れたあと、どうにかベテル宮に辿り着いて。
全速力で執務室へ駆け込むと、フロー宮から戻っていたティセナ様が話を聞くなり、真っ青になって飛び出していった。
私は、起きてきたローザに叱咤されながら、なにも出来ずに泣いているばかりで。
そうして待っていたのは一時間くらいのことだけど、天界とインフォスでは時流が違うから、ガーゴイルに襲われてから、ずいぶん経ってしまっていたはずで。
だから、クレア様たちが帰ってきてくれて――心底ホッとした。
「それにしても、シェリー! ご無事だったから良かったようなものの、クレア様を置いて逃げてくるだなんて!!」
嬉しそうに涙ぐんでいたローザが、急に思い出したように怒りだした。弁解の余地がないので、ひたすら怒鳴られるままになっていると、
「……ううん。シェリーが一緒に行ってくれてて良かったよ」
窓際に腰掛けて、銀のナイフを眺めていたティセナ様が、淡々とかぶりを振った。
「万能型の秘石結界は、生命反応の異常にしか呼応しないから、すべての危険を防ぐことは出来ない。今回は――資質者の介入で助けられたけど」
なんでもクレア様は、あのあと偶然、資質者の青年に出会ったんだそうだ。
ガーゴイルの群れに囲まれて、かなり危なかったらしいんだけど、ティセナ様が懐剣にかけておいた魔法が、資質者の “力” で変質して、敵を一掃してしまったらしい。
しかも、そのシーヴァスさんは勇者になって、今後の任務に協力してくれるっていう……災い転じて福と成す?
「だから、二人とも。クレア様が、勢い任せな行動を始めたら――同行して、報せてくれると助かる。止めても聞かないから、このヒト。普段は冷静なんだけどね」
呆れたように言う、ティセナ様の眼差しはとても優しかった。
「……今後は、自重します」
軽傷でもやっぱり疲労が激しくて、ソファで横になっていたクレア様が、バツが悪そうに笑って。
ローザも、しかたないなぁって感じで苦笑している。
その夜、私は、明日からローザに戦闘の特訓をしてもらおうと、ひそかに決めて眠りについたのだった。
水の石。またも勝手に考えた、通信アイテム。妖精を使いっ走りにするのもなんだかなぁ、と……。ゲームプレイ時、報告が10個くらい重なったことありましたからね〜。そこまで逐一知らせんでいいから、もう先に進ませて! と思いましたわ。