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◆ 乙女の危機に(1)


「――ちょっと聞いてるの、クレア! いい? もう二度と、ゼーッタイ、あんな気持ち悪くて弱い魔物の相手なんかしないからねっ! 誰か他の人に頼んでよ!?」
 ぷりぷり怒りながら、もう何度目になるか分からない台詞を繰り返した、少女に。
「わかりました。わかりましたから、アーシェ。これからはスライムの相手はさせません」
 ほとほと困り果てながら、クレアも、とっくに二十回目を越えてしまった気がする相槌を繰り返す。
「そう、分かればいいのよ」
 満足したように、にっこり笑う顔はとても愛らしいのだが。

(……兄様? やっぱりまだ、人間のことはよく解りません)

 インフォスへ降りてから半年ほど経過した、秋の午後。クレアは、協力者のひとりと街に買い物に来ていた。
 こういう人目がある場所では、アストラル体のままだと会話に不便なので、今は実体化の術を用い人間と変わらない姿をとっている。
 少し前を軽快に歩いていく、勇者の名はアーシェ・ブレイダリク。
 年齢は、クレアよりひとつ下で18歳。ここファンガム王国の第一王女だ。王女――という職業は天界に無いため、いまいちピンと来ないが、四大天使の後継者に等しい身分と捉えて良いようである。
 話し合いで事件を解決できる立場にある人物だと、妖精から報告を受け。そうして出会ったアーシェは……街角でスライムを売っていた。
 最下位に分類されているものの、スライムは正真正銘の魔族だ。それを元気よく叩き売る女の子に、何故だか金銭を払ってまで軟体魔族を買い求める人々――クレアは、その場で立ち眩みを起こしかけた。
 どうにか眩暈を堪えて声をかけると、彼女は血相を変えて逃げ出してしまった。
 なんでもクレアのことを、自分を連れ戻しに来た王家の使者と勘違いしたんだそうだ。そのときも、さらに現在進行形でアーシェは家出中なのである。
『顔も見たことない相手と、ムリヤリ結婚させられるくらいなら、スライムを喉に詰まらせて死んだほうがマシ!!』
 ……らしい。
 スライムで窒息なんて選択肢、たとえ死んでも選びたくない――クレアには、それが率直な感想だったが。
 アーシェは悪い仕事に手を染めるでもなく、ごく普通に暮らしているだけだ。なにより本人が楽しそうなのだから、第三者が口を出すことでもないだろう。

 とにかく、勇者を引き受けてくれた彼女は、これまで近隣で発生したトラブルをいくつか解決してくれていた。
 そして今日、コパの村で続発していた盗難事件の解決を依頼したところ、その犯人が、なんとスライムだったのである。
 インフォスでは 『みたらしスライム』 と呼ばれている、茶色で大きめのスライムだった。魔族の仕業と判明していれば、クレアひとりで対処できたのだが、きっと生活に困った誰かが仕方なしに……と思い込んでいたため、アーシェの手を煩わせる結果になってしまった。
 スライムそのものは、はっきり言って弱い。
 加えて、護身術を身につけているアーシェは、ダガーを扱う腕も確かで、敵はアッサリ一撃で消滅したのだが。
『あんなのが相手じゃ、絵にならない!』
 我慢ならないといった勢いで、ぷんすか猛烈に怒りだしてしまったのである。
 気持ち悪いと言われれば、確かにぬるぬるしているけれど、ついこの間までスライムを手づかみに売り捌いていた人物に抗議されては、釈然としないものがあった。色合いが悪いのか、大きさの問題か――ファンガムの住人は、わざわざスライムを捕まえては、家に連れ帰って飼い馴らしているらしいのに。人間の価値観とは不可解なものである。

 ただ、彼女が幼い頃からスライムはあちこちに生息していた、という話は気にかかった。
 いくらスライムの凶暴性が低いとはいえ、インフォスは、二十年近く前から魔族に侵入されてしまっていたということになる。
 早く淀みの元凶を突き止めて、あるべき姿に戻さなければ。

「うーん、久し振りの買い物ね。あれもこれも欲しくなっちゃう!」

 さっきまでの不機嫌さは、どこへやら。アーシェは目をキラキラさせて、大通りを左右に行ったり来たり、ショーウインドウを眺めている。
『変なものと戦わせたお詫びに、付き合いなさい!』 と言われたときは、スライム売りを手伝わされるんじゃと焦ったが。
 天気も良く、涼しくて。
 おしゃべりしながら散策する、街は、楽しくて平和そのものだった。少なくとも――今は、まだ。

「ねぇ、クレア! あそこに並んでるブーツ。どれがいいと思う?」
 はしゃいだ声に呼ばれて、ガラス越しに店内を覗き込めば。
「そうですね……歩き回るときに履きますか? それとも、正装する必要がある場所へ?」
「んー、出来れば両方、買いたいな。靴って、行き先に合わせて変えるから、けっこう数がいるのよね」
 アーシェはウインドウに張りつき、うずうずした調子で言う。
「じゃあ、お店の中に入ってみますか? 見ためだけで買ってしまうと、足に合わなかったりしますものね」
「そうね。でも、クレアはいいの? 時間――」
「ええ。今日は、もう急ぐ仕事はありませんから」
 彼女がスライムを倒してくれたおかげで、今のところ、もう報告されている事件はない。それに淀みの原因は、妖精にも、ティセナでさえ見当がつかず、任務の長期化は避けられない見通しだ。
 たまには息抜きも必要だし、勇者……人間のことを、もっと知りたい。いつも頼み事をするだけの存在になんて、なりたくない。インフォスの風景も、目に焼き付けておきたかった。
「そうなの? じゃ、今日は日が暮れるまで付き合ってもらおっと♪」
 嬉しそうに宣言したアーシェは、撤回不可と言わんばかりに、がしっと腕にしがみついてきた。


「――じゃあ、これとそれね。リボンとかは、つけなくていいわ」
「はい、かしこまりました」
 あれこれ試しに履いてみて、ようやくアーシェが買う靴を決めたときには、もう夕方になっていた。

「お買い上げ、ありがとうございました!」
「またのお越しを、お待ちしておりまぁす!」
 やたら元気な店員たちに見送られ、靴屋を後にする。
 大通りを行き交う人々は、どことなく急ぎ足で。そろそろ夕飯の時間だから、家に帰るんだろう。子供たちが、じゃれあうように路地を駆け抜けていった。
 空はオレンジから、藍色に移り変わろうとしている。
「はーっ、おなか空いたぁ。ねぇ、クレア。なにか食べていかない?」
 アーシェは紙袋を片手に、大きく伸びをした。
「そうですね。喉も渇きましたし」
「よしっ、決まり!」
 クレアが同意すると、彼女は満面の笑顔になる。
「でも、あなた……そうしてるともう、天使だなんてバレっこないわよね。だいぶ、この世界にも慣れた? クレア」
 一応は、成長したと褒められているのだろうか?
「そうですね。人間の生活習慣については、ある程度、理解できたと思いますけど――インフォスには天界に無いものが多いから、頑張って勉強しないといけないですね」

 実際、任務開始直後は手探りの状態だった。
 訪問時間ひとつ取っても、数名は夜半の訪問を嫌がり、ある勇者は逆に歓迎してくれる。修行中だと機嫌が悪い人物がいるかと思えば、終始上機嫌な相手もいる。
 それぞれの職業についても、具体的になにをしているかは、説明を聞き、何度か同行を繰り返してようやく飲み込めたくらいだ。
 アーシェに初めてお茶に誘われたときなど、お金が無いから行けないと押し問答になってしまった――とはいえ、それも昔の話で。今は、ティセナが 『賭け』 で用立ててくれた、インフォスの通貨を持ち歩いているから、たまに食事に付き合うくらいは出来る。感覚の違いから勇者に呆れられるようなことも、随分と減っていた。

「そうそう、なんだって経験してみなきゃ分からないもんねっ。じゃあ、今日はパスタの美味しい店に行くわよ♪ こっちが近道なの!」
(……ぱすた?)
 さて、また分からない。話の流れからするに、食べ物だろうか――



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ペット……。悪趣味だよなぁ、やっぱ。
餌とかどうしてるんでしょうねぇ、ファンガム王国の人々。