◆ 大勝負
「――ねぇ、天使様。いるんでしょう?」
不意に呼ばれて、屋根の上にいたクレアは、転がり落ちないように身を乗り出した。
「はい? なんでしょう」
相変わらず敏感だなぁ……と思いつつ返事をすると、宿の寝室から顔を覗かせたナーサディアが、降りてらっしゃいと手招きをした。
アストラル生命体は通常、地上界においては、わずかながら四大元素の干渉を受け。この状態の天使を視認できる人間が、資質者と呼ばれる。それでも元素結合を魔力で防ぎさえすれば、何人たりとも感知できない――はずなのだが、どうしてか、ナーサディアやシーヴァスには気取られてしまうことが多い。
特に第六感が鋭い人間には、たまにそういうことがあるようだと、昔、ラスエルが言っていたが。どうやら彼女たちも、そのタイプらしかった。
(具合が悪くなった……とかじゃ、ないよね?)
彼女が今日の午後、ヘブロンのブルガールに出没していた山賊を倒し、自警団に引き渡してくれたので、クレアはそのまま同行して 『祝福』 をかけていた。これは回復魔法の一種で、戦闘で生じる悪性ストレスを軽減する効果を持つが、即効性が無いため、ある程度時間をかけなければならない。
戦いとは無縁な、踊り子であるはずのナーサディアは、なぜか鞭の扱いに長けていて。
二日酔いだった (ちなみに事後申告だった。唖然とするしかなかった) にも関わらず、首領ドラッケンをあっさりと、怪我ひとつ負うことなくあしらってしまった。
なんでも各地を旅しながら暮らしていて、自然と身についた技能だとか。博学で、インフォスの歴史や町の特徴などにも明るい。初対面で用件を言い当てられたときは、読心術でも使えるのかと驚かされたものだった。
年齢は、25歳だと聞いた――お姉さんがいたらこんな感じなのかな、と思う。
「これから、ちょっと遊びに行こうと思うの。一緒に来ない?」
「あ、はい。ご一緒させていただきます」
クレアは、一も二もなく頷いた。
“夜間は街から離れるな” とティセナから言われているため、ここで報告書を仕上げる予定だったが――せっかく誘ってもらえたのだ。それにまた、なにか為になることを教えてもらえるかもしれない。
「そうこなくっちゃ。じゃ、行きましょう」
うながす彼女の寝室におじゃまして、クレアは実体化を終えた。そうして肝心なところを訊ねる。
「ところで、どこへ行くんですか?」
「行けば分かるわよ」
ナーサディアは、いたずらっぽく微笑んだ。
連れていかれた先は、賭博場と呼ばれる施設だった。
真夜中だというのに、七色の照明に照らされたホールは真昼のよう。ごったがえす人間たちは、カードを片手に揃って真剣な顔をしている。
「プラス、500」
「プラス……350」
「プラス1000……」
その中央に位置する大きなテーブルに、ナーサディアは初対面の男と向かい合わせ、慣れた手つきでカードを取ったり捨てたり、コインを動かしたりしている。
「見事な賭けっぷりだな、あの女――」
二人の手元を眺めている人々から、感嘆が漏れる。どうやら彼女は賭け事の一種をやっているらしかった。
「? ??」
クレアには、ルールも何もさっぱりだ。ただ、見物人の会話からするに、ナーサディアが勝っているらしい。
「……プラス200」
「プラス1300」
相手の顔色は、だんだん悪くなってきていた。そして、
「いいわ。プラス2000よ」
ナーサディアが、ドンッとばかりにコインを積み上げると。手持ちのカードに目を落としていた男は、がっくりと呟いた。
「だめだ、降りる……」
途端に周囲から 「おおおーっ!!」 と、どよめきが湧く。
「すごいな!」
「男の方だって結構な勝負師だが、あっさり負かしたぞ、あの女」
盛りあがる見学者たちを他所に、ナーサディアは、余裕の表情でコインを回収している。
「ふふっ、今日はツいてるわね」
上機嫌のようだ。そんな彼女に、男は呆然と訊ねる。
「あ、あんた何者だ? 俺、一応これでメシ食ってんだぞ……」
「私? そうね、私には――天使がついているのよ」
ナーサディアは、しれっと事実を口にした。しかし相手に、その真意が伝わるはずもなく。
「てん、し……?」
訳が分からない様子の男を愉しげに眺め、ぱちんとウインクすると椅子から立ちあがった。
「さて、と。そろそろ帰りましょうか。クレア」
「あ、はい!」
慌てて、彼女に倣う。こんな人込みではぐれたら、出口がどこにあるかも分かりそうにない。と――
「ま、待ってくれ!」
どんより項垂れていた男が、ナーサディアを呼び止めた。勇者は小首をかしげ、優雅に微笑む。
「なにかしら?」
「い、いったい、どんな手札だったんだ? 教えてくれ……!」
絞り出すような声である。
「どうぞ? あなたの心臓には、よくないと思うけれど」
ナーサディアは簡単に了承すると、踵を返して行ってしまう。
「…………」
一枚一枚、さっきまで彼女が手にしていたカードを裏返していた男は、
「こんな手で……一万も……か、敵わねぇ……」
燃え尽きたように固まってしまった。後ろが気になりつつも、置いていかれてしまっては困るので、クレアは小走りにナーサディアを追いかけた。
「……強いんですね、ナーサディア。あの男性は、少し気の毒な感じもしましたけど」
並んで歩きながら、感想を述べると、
「え? ああ、さっきのこと。なんてことないわよ、あんなの」
ナーサディアは、軽く応えて笑った。
「長くやっているからコツを覚えただけ。相手の顔を見ると、分かっちゃうのよ。なんとなく――」
(? なにがだろう)
「それに私、全然お金に困ってないから、いくらスッても気にならないの。でも不思議と、そういう気持ちで勝負すると負けないものなのよねぇ」
ふんわり夜風になびく、鳶色の長い髪。
「で、お金は増える一方。おかしいでしょ?」
(負けてもいいと思っているから、負けない……勝ちたいと思うと勝てないってこと?)
勝ちたくて賭ける者には、なんとも気の毒な仕組みである。
「ふふっ、腑に落ちないって顔してるわね。でもね、賭け事なんてこんなものよ。それとも、なにか訊きたいの?」
おかしげに、クレアの顔を覗き込んでくる。
「えっと、あの。顔を見ると分かるって、なにが分かるんですか?」
「色々よ。相手のカードの強さや、焦りを感じているかいないか――ツキの流れまで、分かるかな」
やはり読心術なのだろうか?
天使でも、老境に差し掛かれば、そういった特殊技能を身につけることもあるらしいが。
「……ティセも賭け事して、勝っているみたいなんですけど。それが分かるからなんでしょうか?」
クレアには、偶然の積み重ねにしか見えないカードゲーム。
勝敗を分ける要素は、なんなのだろう?
「ティセナ? そうね、あの子は――」
ちょっと考え込むように、鳶色の瞳を夜空に向ける。
ナーサディアは夜間に出歩くことが多いので、ティセナが同行する頻度は、他の勇者より高めだ。言動が少し素っ気ないところを、誤解せずにいてくれることが嬉しかった。
「たぶん……忘れてしまいたいものを賭けているから、強いんじゃないかしら」
またも彼女は、すべてを見抜いているような口調で。
思わず、動揺してしまう。まだ出会って日も浅い勇者に、ティセナ自身がなにか話したとは思えないが――
「ねえ。勝負には勝ったし、お金もあるし……お酒! 飲みに行きましょう」
沈黙のあと。突然、さっきまでの話を打ち切るように、ナーサディアが声のトーンを上げた。
「え? お酒ですか? お酒は、ちょっと」
不謹慎だろう。
飲めないわけではないが、自分たちはあくまで、任務のためインフォスに来ているのであって。
それに彼女は頼りになる反面、酒癖が悪いらしく酔うと手に負えないのだ。なにしろ初めて会ったとき、ナーサディアは飲酒の真っ最中で、天使を幻覚と勘違いしたくらいなのだから。
「いいじゃない、今日は飲みたい気分なの。付き合ってよ!」
渋るクレアに、ひょいっと腕を絡めてきた勇者は、
「ティセナ、聞こえる? これからクレアを連れて呑みに行くから、あなたも魔族退治は後回しにして、こっちに来なさ〜い! じゃないと、この子が変なオジサンにかどわかされちゃうわよ〜?」
取り出した “水の石” へ向かって、陽気に宣言した。
呼んでいること自体は伝わるが通話機能は無いと、何度も言っているのだが。
(……って、そうじゃなくて!)
「か、かど――酒場に行くんじゃなかったんですか!?」
「そーよぉ。でも、私が酔い潰れちゃったら、あなたみたいなぽややん天使、どこの誰に誘拐されるか分かったモンじゃないから」
ナーサディアは愉快そうに、ちょいちょいとクレアの頬をつついてきた。
「だったら、お酒は止めてください!!」
と、訴えたところで効果は薄そうだ。
彼女の食生活は、半分以上がアルコールで成り立っているのだから。
賭け事。私はポーカーくらいしか知りませんが。
ラスベガス、ってどんな雰囲気なんだろうな。