NEXT  TOP

◆ 形あるもの(1)


 ……妹に頼まれただけだ。
 あくまで頼まれたんであって、オレが食べたくて並んでんじゃない。

 べつに依頼されちゃいないが妹がいるのは事実、ティセだって妹みたいなもんだし、食ってみたいかと訊けば素直に頷くだろうからデタラメな言い訳じゃないんだ。
 一心不乱に念じる。魔法なんざ使えないオレだが、こんだけ繰り返し念じていれば、あいつがやってる攻撃呪文のひとつぐらい出せそうな気もしてくる。
 こっちを見ながらヒソヒソやってる女子供やババアたちに、なにか言われりゃ 『頼まれた』 と答えるつもりでいるのに、どいつもこいつもチラチラと不審者でも遠目に眺めるように……なんなんだよ男が並んでたらそんなに可笑しいか? 大の男が買っちゃいけねえって決まりでもあんのかよ? ああそりゃ可笑しいんだろうな、こんだけ行列出来てんのに前を向いても後ろを振り返っても男はオレ一人だけとはな!! こっちも誤算だったよ、そうと知ってりゃ顔見知りの誰か、ティアズのガキどもにでも小遣い渡して頼んだよ、くそったれ!
 むしろ今からそうしよう、手に入れるのは明日でも構わねえだろうと考えもしたが、今は待機状態だからって明日どこかで事件が起きないとは限らない。思い立ったが吉日。オレが暇だからってティセが暇な訳でもない。あいつに休憩して茶を飲むくらいの余裕が無けりゃ意味が無い。コインと違って、食い物なんだ。
 そう自分に言い聞かせていねえと、ケーキ屋の外観のメルヘンチックさと自分の場違いさに挫けそうだ。
 そもそも、なんでアップルパイひとつにこんな朝っぱらから並んでんだ? 多少味が違うってだけで、どこで買っても似たようなモンだろーがって、列に加わってるオレが文句言えた義理じゃねえが、開店1時間前に来たのになんだってんだこの騒ぎは?
 これを食いに、わざわざ遠くの町からやって来る酔狂な甘党が大勢いると噂の、このケーキ屋のアップルパイは毎日限定50個、お一人様1個までらしい。だいたい開店から30分も経たずに売り切れちまうって噂だった――そんだけ話題になってる美味い菓子なら、なんで限定なんだよ欲しがってる客に行き渡るまで作りやがれ!!
 ……とイラついていたが、ようやく開店時刻になってざわざわと前に進み始めた列の向こうに見えた店主が、皺々の婆だったから、まあしょうがねえのかと納得した。きゃいきゃいと周りの女どもから聞こえてくる雑談によれば、もう隠居した元ケーキ屋のばあさんが、細々と趣味の範囲でやってる店らしい。厳密には店とも呼べない営業スタイルのようだ。

 とにかくどうにか50人の枠には入れたようで、オレは、美味いと評判のアップルパイを入手――するや否や、ほうほうの体で退散した。
 天使の依頼でモンスターの群れと戦うより、よっぽど疲れた気がするのは被害妄想だろうか? 

 郊外の原っぱに、大の字に寝っ転がって……そのまま昼寝しちまいそうになるのを、どうにか堪えて結晶石に手を伸ばす。食い物なんだ、食い物。加熱してあるからイキナリ腐りはしねーだろうが、ティセの都合もあるだろうし、早く連絡しておくに越したこたぁない。
 

「どうしたの、これ? アンリのアップルパイじゃない」
 ちょうど手が空いていたのか、呼べばすぐに現れた天使は、オレが 「やる」 と押し付けた箱を見るなり目をまん丸にした。
「なんだよ、アンリって」
「お店の名前だよ。美味しいけど一日限定50個しか売ってないって、キンバルト界隈じゃ有名よ」
「……食ったことあんのか?」
 もっと他のモンにすれば良かったか、と内心ガックリしてしまったが。
「ううん、町で噂になってるのを聞いただけ。興味はあったけど、そんな並んでる暇も無いしね」
「食ったことねえのに、なんで店の名前なんか分かんだよ」
「だって箱に書いてあるし」
「…………」
 ティセは、赤い紙箱に記された文字を指しつつ、小首をかしげた。
「で? どうしたの、これ」
 訊くな、いちいち。
「まさか、またロクデナシの家に盗みに入って、宝石箱の類と勘違い――」
「してねえよ! 美味いって聞いたから買いに行ったんだよ! どうせおまえ、また働き詰めなんだろうが。気分転換にローザたちとでも食ってろ」
 世話になった礼が盗品だなんて、変な誤解をされちゃ堪らない。一気に言い放てば、
「……買いに行った?」
 香ばしい匂いを漂わす箱と、オレを交互に、まじまじと見つめた、
「フィン、わざわざ並んだわけ? 毎日けっこうな列が出来てるはずだけど」
「悪いかよ!」
「悪くないけどさ……!」
 ティセはこっちを指差し、きゃらきゃらと笑いだした。
 小っ恥ずかしくて居たたまれない気分だが怒るに怒れず、オレは、むっつりとそっぽを向くしかない。

「あー、いや。ごめんごめん」

 ひとしきり笑い転げ、ようやく切れ切れになっていた呼吸も整えた、天使は町の方角を眺めやり、笑みを含んだ口調で言う。
「いったいどんな顔して、あの中に並んでたんだか――当分これで笑えるわ」
「そりゃあ良かったな! 用はそれだけだ。オレは、朝から立ちっぱなしで疲れたから寝る! おまえもう帰れ!」
「はーい。もらってくね、ありがと」
 オレの大声に怯むでもなく、軽く手を振り、転移魔法で消える寸前。
 あいつには珍しく歳相応の笑顔だったから……まあ、ガラでもない店まで足を伸ばした甲斐は、あったかもしれない。

×××××


「えっへへー♪ こんなティータイムって久しぶり〜」
 こんがり美味しいアップルパイを頬張りながら、思わず尻尾をぱたぱたしてしまう私。
「そうね」
 ローザも紅茶を飲みながら、いつになくリラックスした雰囲気だ。

 定期報告にベテル宮へ戻る途中、ローザと一緒になって。
 執務室の扉を開けたら、ふんわり漂ってくる幸せな甘い匂い――てっきり料理上手な天使様が? と思ったけど。
 考えてみたら謹慎明け以降は、いよいよ任務に集中しなきゃってことで、素敵なおやつはご無沙汰もいいところ。クレア様はずっとインフォスから離れていなかったし、今だって執務室にはいらっしゃらない。
『フィンがくれたの』
 そう笑って、のんびり休憩してたのは意外にもティセナ様だった。
 報告と言っても今のところ全土異常なしだったから、私たちも一切れもらって半分こ、六等分されたアップルパイはあと四枚残っている。
 小鳥たちの世間話にも上るくらい、大人気なお店の物で。いったいグリフィン様がどんな顔して調達して来たのか、からかってみたい気もするけど、怒りのデコピン食らいそうだから止めておこう。
「クレア様も、早く戻ってくれば良いのにね」
 なんだって出来たて、採りたてが一番だ。これ食べ終えたら、アップルパイがありますよ〜って教えに行ってあげようかな? と思いつつ、半分独り言みたいに呟くと、
「……戻って来ないかもしれないね」
 ティセナ様が、なんでか溜息混じりに相槌を打った。
「へっ?」
 フォーク片手に、もぐもぐごくんとやった彼女は、
「まだまだ聖気切れ起こすのは先だろうし、いくら美味しいパイでも、何日も置いといたら傷んじゃうし――ちょっとこれ見回りついで、女性陣に届けてくるわ」
 紅茶を飲み干すと 「ごちそうさまでした」 と言って立ち上がり。
「あ、あの?」
「二人は、ゆっくりしててね。食器は私が帰ったら片付けるから、そのまま置いといていいよ」
 そうしてアップルパイを四切れ、くるりと紙に包むと、執務室から出て行ってしまった。

「あーあ。みんな揃ってティータイム……おしゃべりしたいなぁ」
 私は、テーブルに突っ伏して嘆いた。
 天使様たちが忙しそうにしてるのに、自分だけ開き直ってだらだらしても、やっぱりイマイチ楽しめない。
「無事にインフォス守護の任務を終えれば、クレア様やティセナ様も、心置きなく羽を伸ばせるわよ――その為にも私たちは、早く、堕天使の居場所を突き止めないと」
 ローザが苦笑しながら、尤もなことを言う。
「うん、そうだね。おやつで充電もしたし、また頑張らなくちゃね!」
 ……それにしても敵は、どこに隠れているんだろう?
 まだ噂だけの存在・ガープはともかく、アポルオンは “シェード” を放ったり、声だけとはいえ勇者様にちょっかいかけたり、磁場狂い関係無しに自分が好きなときに現れてる感じで――絶対にインフォスから繋がる時空の歪み、その先に潜んでて、私たちがくまなく探せば発見できるはずなのに。
 世界地図と水晶球、観測機を睨んでみるけど、うっすらとインフォスを覆っている赤い瘴気は、どこも似たり寄ったりな濃さで……それらしい陰は、やっぱり見えなかった。



NEXT  TOP

グリフィンの耳飾がインフォスの形に刻んであるんだったら良いなーと思ったんですが、公式資料集によればただの青い玉のようで。装飾品には興味ない設定にしちゃうと、中世ヨーロッパ風の世界観じゃ贈り物って限られて来ちゃいますねー。