◆ 形あるもの(2)
「うーん……」
知らず知らず、声に出して悩んでしまっていたらしい。
「なに? なんか変なもの混じってた?」
人混みを押し退けるように一歩前を歩いていたフィアナが、訝しげに振り向き、手分けして持っていた買い物袋に目をやった。
「あ、いえ。なんでもないです」
クレアが慌てて返すと 「そう?」 と首をかしげ、また颯爽と歩きだす。
堕天使の動きを警戒しつつも単調な日々が続き、もうすぐインフォスの暦は七月になろうとしていた。
時間の流れを意識させてしまう行為は極力避けるべきだと、ティセナや妖精たちとも意見が一致した為、もう何年も共に過ごしているにも関わらず、勇者たちに対して “バースデー祝い” はしたことがない。おめでとう、という言葉すら。
むしろ誕生日には訪問を避けるようにしていた。
一度、ヨースト邸に滞在中、数日は留守になるはずだったシーヴァスが不意打ちで戻って来てしまったときくらいだ。
けれど今、彼は “淀み” を認識してしまっている。当初の “祝福しない理由” は意味を失った。
もちろん誕生日が無意味なことも理解済である訳だが、それでも生まれた日をスルーされるというのは寂しくないだろうか? ヘブロン国内にいればパーティーなど催されて賑やかな一日を過ごせるだろうに――今は、エスパルダ領のオルデンに滞在中だ。
これが女性陣であれば手作りケーキを、と即決したろうが、シーヴァスは菓子類を好まない。
先日、ティセが届けてくれた、グリフィンからの差し入れアップルパイも美味しかったけれど、火を通したフルーツは好みでないという話だったから、たぶんダメだろう。
昔、レモン果汁を用いて作った物は許容範囲だったようで食べてくれたけれど、普通バースデーには生クリームやイチゴだ。
大貴族だけあって、美味しいものは食べ慣れているようだから、食べ物や消耗品よりも、なにか小さくて邪魔にならない、記念に残るものをあげたいけれど……具体的にコレ、という物が浮かばない。
生活に必要な物はなんでも持っているようだし。
すでに装備品は、クリスタルソードにドラグメイル、プロテクトリングと、フロー宮で揃えられる最高級の物を渡してあるし。
いっそ本人に、欲しいものを聞いてみる?
しかし他の勇者を祝ったことはないのに、認識済だからとシーヴァスだけに誕生日プレゼントなど用意するのは不公平な気もする。
やっぱり、やめておこうか?
実際には年齢も変わらないのだし。今までどおり、訪問は避けて。
でも、せっかくの誕生日に故郷を離れて一人で過ごすなんて――と振り出しに戻り、さっきから堂々巡りしている。
ギルドの依頼を受けたフィアナが、魔物退治を無事に終え、教会にお土産を買って行くというので、買い物に付き合って大通りを歩いているのだが。
傘やハンカチ、羽ペン等々、複数あっても困らないだろう小物は見かけても、やっぱりピンと来ない。
「へえーっ、画廊かぁ。こういう店を見かけると、復興も進んだなーって感じがするね」
嬉しそうなフィアナの声に、再び我に返って、彼女の視線を追えば。
「……絵を売るお店もあるんですね」
ガラス窓越しに、大小様々、色とりどりの絵が飾られているのが見えた。
「ん? そりゃあ、でないと絵描きさんが困るよね」
「たくさんあるものなんですか? 初めて見かけた気がしますけど」
火災によって半焼したタンブールの街は、住人たちの努力と、シーヴァスの呼びかけに応えたヘブロン諸侯による建材・寄付金により、すっかり以前の活気を取り戻していた。
「絵じゃ腹は膨れないからね。タンブールには火事の前でもニ、三件しか無かったよ。カノーアやヘブロンあたりなら、わんさかあるんじゃないかな」
そう答えてショーウィンドウの前で足を止め、屈んだり背伸びしたりしつつ、置いてある絵を順に眺め、
「せっかく礼拝堂が復活したんだし、なんか新しく絵を飾りたいなー。まあ、エレンの希望も聞かずに勝手に選ぶわけにはいかないけど」
悪戯っぽい表情で振り返った、フィアナは、とんでもないことを言い出した。
「もう紹介しちゃってるからアレだけど、誰も見たことないんだったら、あんたの天使姿なんか良かったかもね」
「ええっ!? 嫌ですよ恥ずかしいです!」
たとえシスターや教会の子供たちと、面識が無かったとしても気恥ずかしい。
「あはは、解ってるってば。天使だって知られちゃマズイのに、絵描きの前に翼広げて現れる訳にはいかないだろ」
「そうですよ、もう」
冗談だと判って胸を撫で下ろすクレアを横目に、ぽんと手を打ち、
「あ、けど。単純にあんたをモデルにして天使の絵を描いてくれって頼めば――」
「だから、嫌ですってば!!」
「えー? 名案だと思うんだけど」
良いこと思いついたと言わんばかりに、さらに話題を引っ張ろうとする勇者。
「実際、タンブールを救ってくれた天使様なんだしさ。教会に飾るにはもってこいじゃないか」
やってよー、やりません、という応酬がひとしきり続き。
「……どうして人間って、絵を描くんでしょうね?」
どうにか諦めてくれた様子のフィアナと、画廊の看板を見比べながら、ふと抱いた疑問を口にすれば。
「? あんたたちは描かないの?」
「描く習慣は無いですね。建物内に飾ってあることもないですし」
「ふーん」
女剣士は、しばらく考え込んだ後、ふっと空を仰いで笑った。
「記憶ってヤツが、案外いい加減だからかもね――絵を描いたり、日記を書いたり、歴史を本に残したりさ。そうやって、大切な人の姿や、感動したこと、思い出を懐かしんだり、誰かに伝えたくて形にするんだよ。きっと」
そんな勇者の横顔を眺めながら、天使と人間、地上と天界の違いについて考える。
「うちの教会ひとつ取ったって、子供たちはあっという間に成長するし。エレンだって、ここ数年ですっかり白髪になっちゃったし……あんなふうに火事が起きたら全部、燃えて無くなっちゃうしさ」
天使の成長は人間より遥かに緩やかで、悠久の時を生きる。
常春の景色も不変だ――魔族の攻撃でも受けて破壊されない限り。
変わらないものを “絵” に写したところで、実物がいつまでも変わらず在るのなら、なるほど、あまり絵筆を取る意味が無いかもしれない。
「じゃあ、ここに描かれているのは、すべて絵描きさんを感動させた物なんですね」
「感動……かは分かんないけど、良いなって思ったものを描いてるだろうね」
今はもう失われた、教会にあった絵を想起する。
シーヴァスのお父さんが、妻と赤ちゃんを描いたもの。
きっと幸せな気持ちを、たくさん込めて。
「まだ子供の頃にね、エレンが “お説教” してくれた。形あるものは、いつか必ず壊れる。だけど、どんな小さなありふれた物でも、誰かにとっては特別な意味を持つ、思い出の品かもしれないから――人様の物を盗ったり、壊したりしちゃいけませんって」
懐かしそうに語るフィアナの声を聞きながら、
“形あるものはいつか壊れる、だけど……記憶は私次第。昔と違ってジャックも、あなただっているんだから”
以前ナーサディアが、似たようなことを言っていたと思い出す。
大切だから、形に残したくて。無くなってしまったら、悲しくて――
(絵かぁ……)
プレゼントとして、どうだろう?
だけどシーヴァスは、べつに絵が好きなんじゃなくて、お父さんが描いた家族の絵だから、特別だったんだろうし――
“寂しいとか、そういう気持ちじゃない。ただ……怖かった”
忘れることが怖いと吐露した、あの人は。
だけど、人々が時の淀みから身を護れているのも、辛い記憶が薄らいでいくのも忘却が可能だから。必ずしも悪いことばかりじゃないのだと、いつか、思えるようになれば――
「……あれ?」
そういえば、確か任命式典のとき、留意事項として――
「なに? さっきから」
「あ、いえ、その」
「ど、どうしたの、ホントに。顔、真っ青だよ?」
フィアナが驚いたように一歩後ずさり、身を屈め、こちらを覗き込んで来るが。
「ちょ、ちょっと忘れていたことがあって。これ教会に届けたら、いったん、天界に戻りますね」
「うん。いいけど、急ぎの用なら早く帰りなよ。もう、そんなに距離も無いし、私だけで運べないこともないんだからさ」
「いえ。確認したいことがあるだけなので、早くても遅くても変わりませんから」
「そう? なら、さっさと行こうか」
「はい……」
歩きだした彼女を追いながら、半ば縋るように、胸元のペンダントを握り締める。
(贈り主不明の物が残るなんて――良くない、ね)
インフォス守護の任に就いてから次々に事件が起きて、見るもの聞くこと初めてで珍しくて、あっという間で……普段は意識すること無かったから。ナーサディア、ジャックも、ラスエルを覚えていたから。
完全に、忘れていた。
アルスアカデミアでも学んだ、地上界における秩序の保ち方。
歪んだ記憶は、消さなければならない。
インフォスの時流を、正常に戻せたなら。
そもそも淀みに気づいていない人々の記憶は、本能に従い整合性を取って消える。
些細なこと、本来なら知り得なかったこと、在り得ないものから優先的に消去、圧縮されて……一年分として残る。
魔族だけじゃなく、自分たち、天使や妖精に関する記憶もすべて消えるはず。
そうして万が一、淀みに気づく者が存在したなら――そこから再び、世の理が綻び始めぬよう、強制的に削除されるのだ。
ティセナのような、記憶を消す術の使い手によって。
テーマは 『贈り物』 で、サブタイトル考えていたら柴崎コウの曲名がふっと浮かびました。歌詞とはまったく関係ないけれど。食べ物や消耗品etc、消えてしまうものじゃなくて、形あるものを贈りたいと考えるのには、これ見て自分を思い出してほしいなーという意識が多かれ少なかれあると思います。