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◆ 流砂の地獄(2)


 パオォオオオ――!!

 咆哮が大地を揺るがした。
 鼻先を斬り飛ばされ、のたうつモンスターに踏み潰されては堪らないと、飛び退いて間合いを取り。

(……まずいな。残り、ひとつか!)

 オールポーションを一気飲み、空になった瓶をアポルオン目掛け投げつけるが、それはいとも容易く再生した象の鼻によって叩き落とされた。衝撃で破裂したガラスが、水飛沫のように光って、散り。
 蓄積した疲労、喰らったダメージが癒えていく最中にも――あまり敵の攻撃力を削げていない現実に、歯噛みし、乱れた呼吸を整える。

(強い……!!)

 手も足も出ない、という程ではないにせよ。
 飛ぶ手段など持たぬ人間の身では、跳躍しなくては、魔物に跨るアポルオンまで刃が届かない。
 しかし、そんな真似をすれば再び狙い撃たれるだろう。
 伸縮自在に長さを変え、斬り捨てても黒い体液を滴らせるのは数秒、すぐにニュルニュルと蛆でも湧いたかのように傷口が蠢き出し、元通りになってしまうという厄介な代物に。
 敵の性質など分からなかった戦闘開始直後、巨大な岩石でも腹に喰らったような衝撃に、天より与えられた防具を身につけていても、一瞬、意識が遠退いた。
 外見はサーカスなどで見かける象に酷似、太い二本の牙、だが時に二足歩行するうえ筋骨隆々として、胴体だけ見れば人間を彷彿とさせるアンバランスさ――そんな魔物が、なにがなんでも主に近づけさせまいと暴れ、アポルオンへの攻撃を阻む。
 堕天使を斬り伏せるには、先に、この象をなんとかするしかなさそうだった。

「……フン。それなりにやるようだな」
「天使の勇者になってから、鍛錬をサボる暇も無かったからな!」
 小馬鹿にした口調で言うアポルオンを睨み据え、問い質す。
「ここはインフォスではないと言ったな? 堕天使ガープとやらの根城か?」
「あの方が “力” を蓄えている不可侵の場所に、矮小な人間ごときを招き入れる訳がなかろう」
 己の優位性を確信してか、敵は問いに応じた。
「そう、招かれざる客は来ぬ。我々の領域を探し当てるとは、砂漠に落ちた砂粒ひとつを見つけ出すようなもの。イウヴァート、ベルフェゴールも忠告を無視して乗り込んで行き、忌々しい天使の勇者に滅ぼされたが――焦らずとも放っておけばインフォスは滅ぶ。時の淀みに蝕まれてな」
「なるほど、そもそもインフォスに足を踏み入れてはいなかった訳か……」
 道理でローザたちが、探索しても見つからないと嘆いていたわけだ。
「あのアリジゴクも、貴様が放った魔物か?」
 普段ならば、戦闘が長引けば “勇者が敵に接触した” と感知した妖精や、報せを受けた天使が駆けつけて来る。けれど、
「あれはインフォスの在来種――餌を誘き寄せる “力” を与えてはやったがな。干渉をかける際の扉として」
 以前、ティセナが洩らしていた。
『死ぬか、堕天使の領域に引きずり込まれでもしてない限り、多少手間取っても探すことは出来ますよ』
 つまり、おそらく……今のシーヴァスは、結晶石を介しても探し当てられない状態にある。
 アポルオンが、ダメージを受けた巨象が動きを止めている間、たまに地を這うような衝撃波を生み出す程度で、捕らえた虫でもいたぶるように、積極的には攻撃して来ない理由もそれだろう。加えて、
「ガープ様のお力は偉大だ。最近では特に、魔力の回復が著しい――この星に住む者どもの魂を食らえば、天界軍など恐れるに足らぬ異能を取り戻されよう」
 先刻、こいつは妙なことを口にしていた。
「だが、今以上の魂を吸収するには肉の身があった方が効率が良いのでな。人間にしては優れたその姿形、ガープ様もお気に召すだろう。光栄に思え」
「男に気に入られても喜べんな」
 嫌な想像が的中してしまい、シーヴァスは顔を引き攣らせる。
 身体を捧げろ、とはつまり、堕天使の王に乗っ取られると……? こちらが疲れ果てるのを待ち、生け捕りにでもする気か!?
 手持ちの回復薬は尽きかけ、天使の援護も望めない。
 巨象の蓄積ダメージがどの程度にせよ、アポルオンは、ほぼ無傷。これまでと同じ攻撃を続けても、回復手段を失った時点で万事休す、だ。
(なにか、形勢を――ひっくり返す、手は)
 巨象の攻撃を避け、斬り返しながら。必死に考えを巡らせ、

(ええい、一か八かだ……!!)

 またも、こちらを突き刺すように伸びてきた丸太のごとき鼻を、身を屈め、紙一重でかわして――左右に飛び退くことはせず、しゅるしゅると頭上を過ぎっていくソレに、片手と両足でしがみついた――もちろん、剣は持ったまま。

 ――パオオッ!?

 闇の眷属といえど “驚く” という感情は普通にあるらしい。
 こちらを振り落とそうと勢いよく鼻を振り上げ――
「なっ!?」
 象の頭部より高く持ち上がったタイミングで手足を放せば、遠心力が働き、シーヴァスの身体は後ろ向きに放られたボールのように、宙を飛んだ――その背に座したまま、唖然と目を剥いていた堕天使に向かって。
「たぁッ!!」
 二度も同じ手を食うとは思えない。攻撃のチャンスは、これきりかもしれない――死に物狂いだった。
 無我夢中で連続攻撃を喰らわせるたび、呻き、血反吐を吐いたアポルオンが象の背から転げ落ちるのを横目に、巨象の背から、胸部を――生き物ならば心臓はその辺りにあるだろう、と思しき角度で刺し貫けば、鼓膜が破れそうな咆哮を響かせ、後ろ足だけで立ち上がった。
 振り落とされる前に跳躍して、着地。
 間髪入れず両脚を斬りつければ、バランスを崩して前のめりに、どぉんと地響きを立て倒れ込んでいった。砂埃がもうもうと舞う。
「はぁ、はあっ……!」
 さすがに息が切れた、が――敵の息の根を止めなければ、こちらが危うい。

「き、貴様……よくも……!!」

 怨嗟の声に振り返れば、アポルオンが全身から血を噴き出し、よろけながらも槍を杖代わりに立ち上がるところだった。
「……やはり、そう簡単には終わらんか」
 汗を拭い、剣を構え直しつつ、心の内で愚痴る。
(ああ、まったく――我ながら、格好悪い)
 堕天使の領域にまんまと踏み込んでしまい、しかも何だ、さっきの攻撃は?
 背に腹は替えられず、美意識を優先している場合でもない。上手く行ったのだから喜んで良いのだろうが、格好悪いにも程がある……こればかりは、同行者がおらず幸いだった。
 加えて、アポルオンの方が満身創痍だからか、巨象は傷だらけのまま動かず、さっきまでとは違って回復する気配も無い。今のうちに、なんとか堕天使を倒さなければ。
「貴様らがいる限り、我が愛しの天使様は、ろくに羽を伸ばすことも出来んのでな。インフォス――いや、世界から消えてもらおう」
 剣を突きつけ言い放てば、
「消えるのは貴様だ! ここから、生きて出られると思うな!!」
 アポルオンは、ぎらぎらと両眼を血走らせ、身の丈ほどもあろう槍を振りかぶった。

 敵の一閃を剣で弾き返すも、続けざまに球状のエネルギー波で以って脇腹を焼かれそうになり、すんでのところで避け切る。
 出来ることなら、勝利を。
(力及ばぬというなら、せめて相討ちに……!!)
 ここで仕留め損ねれば、こいつは、またインフォスが滅びるまで隠れて静観し続けるだろう。負ける訳にはいかなかった。

×××××


(いない……!? そんな、まさか)

 ブスダム砂漠上空に降りたクレアは、おろおろと一帯を見渡し、勇者の気配がまったく感じ取れない事実に半ばパニックに陥っていた。
 なぜ、どうしてと自問しても、アカデミアで学んだ答えしか頭に浮かばない。
 たとえ水の石が壊れたとしても、すっかり馴染みの気配だ。暑いとはいえ遮るものなど無きに等しい砂漠地帯、近くにいるなら分かるはず。
 やっぱり、勇者でいるのに嫌気が差したというなら、悲しいけれど仕方が無いことだ。
 けれど、そうじゃないなら。
 どこにいるか分からない、探しに行けない。助ける方法が、自分には無い。浄化魔法なんて、なんの役にも立たない――
(……ティセ、ティセナ、お願い、早く来て……!!)
 祈りながら闇雲に飛び回るうち、一面の黄金から浮いて映る大きな黒っぽい塊と、その傍に佇む大小ふたつの人影を見つけ。

「あのっ、すみません!」

 息せき切って話しかけてから、ようやく我に返る。
 アストラル体のまま話しかけたって聞こえる訳がない、どこか離れたところで実体化してから――と、踵を返しかけたクレアを制するように、
「へっ、天使!?」
 すっとんきょうな声が響き渡った。
 ベリーショートの茶髪、勝気そうな、くりくりとした褐色の瞳。
 丈が短く黄色い袖無しの上着に、緑色のショートパンツ、黒いベルトと、一見少年めいた出で立ちだが、魂が放つ気配は女性のもので……どこかで会ったような、と辿りかけた記憶は、
「……クレア殿?」
 もう一人の、壮年の男性に遮られた。
 髪や目の色合いは少女とよく似ていて、赤いシャツ姿。かなり鍛えているんだろう、レイヴに負けず劣らずガッシリした体格の――この人物には見覚えが無かった。けれど今、私の名前を呼んだ?
(えっ? 見えてる? 二人とも資質者?)
「なんだよ、親父。知り合いか……って、なんで天使の知り合いなんかいるんだよ!」
 少女も驚いたようだが、それ以上にクレアは混乱していた。
「 “正気に戻れた理由” は話しただろう?」
「え、じゃあ、この人が、親父の身体を乗っ取ってたっていう魔人の親玉を――? けど天使だ、なんてことは言ってなかったじゃないか!」
 なにが何だか分からないが、見えているなら話は聞ける。
「あ、あの、お話中すみません! この辺りで、金髪の騎士を見かけませんでしたか?」
「金髪の?」
 小首をかしげた少女が、頷いて言う。
「あんたが探してる人かは分からないけど……金髪の騎士なら、オレたちが住んでるノバって町に、ちょっと前に来たらしいぜ。宿屋のオヤジが、休んでいかないかって声かけたけど、なんか一心不乱って感じに目もくれないで歩いて行っちまったってボヤいてた」
「…………!」
 やはりシェリーが言ったように、ノバを通過して、砂漠に足を踏み入れたのだ。
 けれど、それが判っても今どこにいるかまでは、と歯噛みした瞬間、

「クレア様!」

 空間が収縮する気配、次いで待ち望んでいた、よく知る声。
「ティセっ!」
「ま、また天使……!」
 呆然と空を仰いだ人間たちの横で、クレアは一方的にまくしたてる。
「シ、シーヴァスが、ノバの町を通り過ぎて、砂漠に入ったみたいで、だけど、どこにも見当たらなくて……!」
 無言で頷いたティセナは、少女たちの背の向こう――黒っぽい物体に目線を移した。よくよく見ればそれは巨大な虫だった。天界には虫自体あまりいないので、なんという種類かは分からない。
「……この虫」
「さっきオレと親父でぶちのめしたんだ。馬鹿でっかいアリジゴクが、旅人を襲うって騒ぎになって、町の連中が困ってたからさ」
 得意げに言う少女を一瞥して 「お強いんですね」 と相槌を返し、ティセナは虫の死骸に近づいていった。
 触角と思しき部分は千切れたのか中途半端な長さで、楕円形の腹部には風穴が開いている。
「 “扉” の残滓――」
 眉を顰めた、ティセナは険しい表情のまま、
「アポルオンか、ガープか……分かりませんけど、堕天使の領域に引きずり込まれている可能性が高いです! ただで済んでいるとは思えません、クレア様はそこで待ってて! フルパワーで回復魔法を使えるように、じたばた動いて余計な体力や魔力、消耗しないでおいてくださいよ!!」

 叫ぶように告げるなり転移魔法で、その場から掻き消えてしまった。



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アポルオンって、優位に立ってる間は紳士的 (慇懃無礼) な態度だけど、いったん窮地に追いやられたら逆上して見苦しい態度を取りそうです。フリーザ様っぽく!
あとゲーム戦闘では普通に攻撃通じてますが、堕天使 (人間サイズと仮定) が乗れるサイズの象に跨ってたら、普通に攻撃しても届かないよなーと。見せ場無しに一方的敗北か? と思ったけど、勇者様はトリッキーな攻撃に出ました。頭は良い方かなってイメージ。