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◆ 思い出の欠片(1)


「こんばんは、おじゃまします」
 宿屋と思しき建物のベランダに降り立ち、中へ向かって声を掛けると。
「クレア?」
 ベッドサイドに腰掛け、ぼんやりしていた様子のシーヴァスは、驚いたように目を瞠った。そうして立ち上がって窓を開け、迎え入れてくれる。
「道中、不自由なかったですか?」
「ああ、昼間にうろついているモンスター程度ならな。回復アイテムがあれば事足りた……そちらこそ、だいじょうぶか?」
 気遣わしげな声音。

 あの日――気絶したナーサディアを、ふらつきながらも宿に運ぼうとしていたら、森に留まっていた彼が手を貸してくれて。
 シーヴァスが発つときには、まだ昏睡状態のままだったから、ずっと気に掛けていてくれたんだろう。

「はい。無事に意識が戻って、呪いの後遺症もありません。体力はともかく精神面は、ナーサディア自身の問題ですから、必要に迫られない限り依頼はせずに、休んでいてもらうつもりですけど……」
 堕天使側から仕掛けて来るのを待っていては、インフォスに残された時が尽きてしまう。
「ジャックも安心して、ヤルル君のところへ帰りました」
 幼いあの子たちの暮らしを、二度と壊さない為にも。早急に、敵が潜んでいる場所を探し当て、討ちに行かなくては――とはいえ探索に関しては、ローザたちに頼る他無い。
「シーヴァスも、まだ戦闘の疲れが残っているでしょうに、長旅を強いてしまってすみません。エスパルダまで同行しますね」
 今は、まず体調を万全にすることだ。自分自身も含めて。
 無事に目的地へ到着したら、一度天界へ戻って、魔力を回復しておくべきだろう。
「それは、かまわんが……」
 途中で言葉を切ったシーヴァスは、小さく息を吐いた。
(なんだろう?)
 嘆息の類と思しき音に、戸惑い――しばし表情を窺って。
「ご、ごめんなさい。もうお休みになるところだったんですね? 夜が明けるまで、周辺の見回りでもしていますので!」
 相手が寝衣姿でいると気づき、すっかり夜も更けていることに思い至り、目に留まった壁時計を確かめれば日付も変わろうかという時刻。
 慌てて回れ右をしたクレアの耳に、さっきよりさらに深い溜息が聞こえた。
「…………」
 ちらりと振り返ってみれば、勇者は眉間に皺を寄せ、呆れ顔でこっちを見ている。
「ええっと、あの」
「振り回して悪い、と思っているなら、埋め合わせでもしてもらおうか」
「え?」
 そう言われても、なにをすればと問い返すより早く――ぐいと片手を引っ張られて。よろけた勢いのまま、
「……シーヴァス?」
 人にぶつかる軽い衝撃に目を瞑り、気づけば抱きすくめられていた。
「落ち着くんだ、と言ったろう?」
 耳元で囁いた勇者は、そのままベッドサイドに腰を下ろしてしまい。
 クレアは、彼の膝に横座りしているような体勢で、押せどもがけど拘束は緩まず――相槌にも困り生返事する。
「はあ……」
 落ち着くって? ――ああ、以前、湖でも同じようにされたっけ。
 困惑しつつ勇者を窺おうとするも、肩に顎を乗せられていては、まるっきり表情が見えない。
(この状態が埋め合わせ?)
 意味が分からない。落ち着くから、というからには落ち着けずにいたんだろうか……まあ、インフォスの現状を知っていれば到底リラックスなど出来まい。カノーアからの道中、日によっては野宿の必要もあっただろうし、あまり眠れなかったのかも。
「枕代わりですか? 私……」
 一向に放してもらえる気配が無いので、控えめに文句を言うと、ふっと笑う声がして。
「贅沢な抱き枕だな」
 また返答に悩む発言をされた。そういえば吐息から、わずかにワインの香りがする? 泥酔してはいないようだが、少し酔っ払っているのかもしれない。
 落ち着かなくて、眠る為に、お酒を飲んでいたんだろうか?
 それは、あんまり身体に良くない話だ。
 深酒が続くようならハーブティーとか、睡眠薬の代わりになるものを調達する必要があるかもしれない。ファンガム領は特に冷え込むし――

(……そういえば、あったかい)

 生物は熱を発するもの。しかし本質がアストラル体の自分は、さほど影響を受けないはずなのに――
 温かいと感じる、ということは、私は、さっきまで寒かったんだろうか?

 だんだん考えるのも抵抗するのも億劫になってきて、目を閉じた。
 まあ、細かいことは後で良いか。
 今は夜で、勇者は移動しないんだし。酔っ払いの言動は往々にして不可解なもの、受け流すに限る。シーヴァスが眠ってしまえば腕の力も緩むだろうから、そうしたら探索に出れば――

×××××


「……クレア?」

 なにも言わずとも、こうして抱きしめていれば――気が緩んで泣き出すのではと思ったが。
 予想に反して天使は、こてんと寝入ってしまった。
 拘束を解いて頭部にずらした腕を枕に変え、そのままシーツに横たわらせても、もぞもぞと身じろいだ後は小さな寝息をもらすばかり。
 拍子抜けた気分に若干の不満も相俟って、軽く頬に触れ引っ張ってみても、ふわふわした銀髪を梳いてみても、まったく起きる気配が無い。

「無防備にも程があるぞ」

 まあ、寝かせてやろうとしたのに転寝程度で飛び起きられてしまった、いつかの船旅よりは良いのかもしれないが。
 狙いは見事に外れてしまったうえ、信頼というより、まったく男として意識されていない証のようで複雑だった。
(それにしても……)
 堕天使と戦ったその日から、ろくに休養も取らずに兄の恋人を気遣い、消沈する神獣を案じて。ボルサを離れても結局は、勇者を気遣う天使の顔。
(――君自身は)
 兄を亡くした心労は、戦闘の疲労はと問うたところで 『だいじょうぶです』 としか言いそうにない。本人は至って真剣に平気だと思っていそうで、余計にタチが悪い。
 泣きたいはず、だろうに。
 守護天使という立場と自負、あれこれ抱え込む性格が、泣くことを許さないんだろう。
 それは百年もラスエルを待ち続けた、ナーサディアだけに認められる行為だとでもいうように。
 見ていて歯痒い、けれどその心境には多少想像がついた。

 昔、ヨーストの大火で両親を失ったとき――喉がかれるまで、思い出すたびに泣いて――けれど、フォルクガングの本家に引き取られてからは泣けなくなった。
 漂うピリピリとした空気が、泣くことを許さなかった。
 行動の自由が増え、別邸にも出入りするようになって、ジルベールたちと馴染む頃にはもう、親が恋しくて泣くような子供ではなくなっていたし。

「そういえば……」

 天使に沿い、ごろりと横になりながら考える。
 思い返せばクレアは、感動したり、逆に怒ったりで涙目になっていることはあったが――泣いている姿は、見たこと無かった気がする。

 堕天使を倒し、インフォス守護の責務から解放してやれば……ただの “兄を喪った妹” として、人目など憚らず泣けるだろうか?



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熟睡するって、気を許した相手の傍じゃなきゃ、なかなか出来ないと思います。書いてる最中、寝る前に歯磨きしてないな……と、どうでもいいこと考えちゃったけど、気にしたら負けか。