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◆ 思い出の欠片(2)


 ――夢を見た。

 子供の頃の、懐かしい夢。


「ナーサディア!? そんなに動いて平気なんですか?」
 まだ、宿で休んでいると思っていたのに。
「クレア」
 結晶石の気配を辿って降りていくと、勇者は木陰で、びゅんびゅんと鞭を振るっていた。
「怪我は、あなたが治してくれたでしょう? 敵側に動きが無いからって、いつまでもじっとしてたら腕がなまっちゃうわ」
 眩しげに空を仰いで、ふふっと笑う。
「身体を動かしてた方が、あれこれ考え込まずに済むし……ああ、そうだわ。クレア」
「はい?」
「私のこと、休ませておこうなんて思わないでね」
 和らいでいた表情から一転、鋭い眼をして、鞭を持った右手を握りしめる。
「ラスエルの仇は、ベルフェゴールだけじゃないんだから」
 風に吹かれてひらひら不規則に落ちてくる薄紅色の花びらを、いかに正確に撃ち抜けるかという訓練をしていたようで、その足元には、花の残骸が砂か雪のように散らばっていた。
「あいつは、ラスエルの四枚羽を―― 堕天使ガープに “忠誠を誓った証” と言った。たぶん、あれだけは本当だわ」
 私たちを欺こうと、尤もらしい嘘を並べ立てた悪魔だったけれど。
「決着は、この手で付けたいの」
 呟かれた言葉はつまり、遠からず訪れるだろう最終決戦に連れて行って、と?
「……ナーサディア」
 そう言われて、ふと戸惑う。
 今までは、事件発生地の近くにいる、もしくは首謀者と何らかの因縁を持つ勇者を優先的に派遣してきた。それでスムーズに行っていたし、あまり悩むことも困ることも無かったが――

 堕天使ガープ。
 まだ見ぬ、敵陣の頂点に立つもの。
 総力戦と思えば勇者全員を伴えば良いのだろうが、ガープと戦っている間に、他の魔物が暴れ出してインフォス壊滅、なんて事態に陥っては本末転倒だし。
 ファンガム女王となったアーシェを戦いに駆り出すことは極力避けたい、他の皆にも守るべき家族や仲間、祖国がある。
 そういった事情を踏まえれば、ラスエルの勇者でもあった彼女を選ぶことは理に適っているのかもしれない……けれど。

「どういう流れでガープの居場所が判り、戦闘に突入するか分かりませんから、約束は出来ませんよ」
「それくらい分かってるわ」
 ナーサディアは肩を竦め、苦笑した。
「さっきのは、あくまで私の希望。戦う覚悟は出来てるって言いたかっただけ。誰に依頼するか決めるのは、あなたたち――ティセナも居ることだしね」
 そうして、ぽつりと呟く。
「ないがしろにしないでくれれば、それでいいの」
 思わぬ言葉に面食らうも、似たような台詞を記憶の片隅に見つけ、クレアは小さく微笑んだ。
「……しませんよ」
 妖精が探し出した資質者に会う為、トラストの酒場に降り立った夜。
「だってそれは、約束でしょう?」
 天使を幻と勘違いするほど酔っ払っていながら、協力を承諾したナーサディアは、急に醒めた眼をして奇妙な条件を出したのだった。

『あなたの依頼を聞く限り、あなたは私の言うことを聞いてもらうわ――無条件でね』

 無条件でと言われ、戸惑うクレアに、たいしたこと頼みはしないわと苦笑して。
 勇者だからってないがしろにされたくないだけと呟いた、彼女のワガママは本当に、お酒に付き合ってとかカジノに出掛けようとか、そんな些細なことばかりで。
 あのときナーサディアは、どんな気持ちで…… “約束” を求めたのか。

「――そう。ならいいわ」
 ようやく口元を緩めた彼女は、ふと訝しげに話題を変えた。
「だけど、あなたシーヴァスに同行しているんじゃなかったの? 依頼を切り出さないってことは、ただ様子見に来ただけなんでしょうけど」
「はい。今夜は、英霊祭に出席されるそうで」
 事件対処に追われるうち、インフォスの暦は5月に入っていた。
「ヘブロンの首都なら夜も明るくて安心ですし、ヴォーラス騎士団の方々もいらっしゃいますから。ちょっと、みんなの顔を見て来ようと思って」
 どのみちファンガムへの経路であり、宿を取る必要もある。
 任務、任務と振り回してしまっていたから、友人・レイヴと会うのも久しぶりだろう。天使が同席しては、どうしても堕天使の脅威に話が行ってしまうだろうし……
「それで、その。今更なんですけど」
 真っ先に、ここへ来た理由は――彼女の体調が気掛かりだったのに加え、思いついたことがあったからだった。
「これ、ナーサディアが持ちませんか?」
「?」
 胸元から結晶石のペンダントを引っ張り出すと、勇者は訝しげな顔つきになったが、
「……ラスエルの?」
「分かりますか?」
「なんとなくね」
 手渡されたそれに触れれば、なにかしら感じ取ったらしく、説明される前に言い当ててみせた。
「私が子供の頃にもらった物で。だから、あんまり長持ちはしないかもしれませんけど――」
 ずっと当たり前のように身に付けていて、だから改めて考えることも無かったけれど、ラスエル亡き今これは、形見と呼べる唯一の結晶石。
 けれどナーサディアは、懐かしそうに笑っただけで、
「これはあなたの、でしょう?」
 小さく首を振り、押し戻されたペンダントの鎖がしゃらっと揺れる。
「形あるものはいつか壊れる、だけど……記憶は私次第。昔と違ってジャックも、あなただっているんだから。自棄になってお酒に頼ったりしないわ」
 また真っ白な灰みたいになっちゃうところなんて見たくないし、と伏し目がちに呟いて。
「それに、ずいぶん私の心配してくれてたけど、あなただって今にも倒れそうな真っ青な顔してたのよ」
 片手をクレアの頬に添え、至近距離で覗き込んで優しく笑う。
「ちゃんと休めているみたいね。安心したわ」
「……我ながら図太くなったなあ、とは思います」
 ナーサディアの付き添いを切り上げ、シーヴァスに同行を開始した晩――探索に出るつもりでいたのにうっかりと、勇者のベッドを半ば占領して、朝まで眠りこけてしまった流れを回想し、思わずこぼれる苦笑い。
 夜が明けて飛び起きたクレアに、件の騎士様は、べつだん気を悪くした様子もなく 『よく眠れたようで何よりだ』 と言ってくれたけれど。目元にはうっすらと隈、声音もどことなく疲れた感じであったから、安眠妨害してしまったのだろう。なんたる不覚。
 兄を看取って間もなく堕天使との決戦も近い、こんな状況下で熟睡出来てしまうとは、誇るべきか嘆かわしいのか……少なくとも就任当初の自分では、有り得ないことだった。
「図太いくらいで、ちょうど良いのよ。神経質に思い悩んだりしちゃ、敵にエネルギー源をくれてやるようなものなんだから」
「じゃあ。対峙した堕天使がなにを言っても―― “私たちは無敵ですから” って、一蹴してやります!」
「あら。いいわね、それ」
 楽しそうに相槌を打ったナーサディアに手を振って、クヴァール大陸へと続く南を目指す。



 ……もしかしたら、会いに来てくれたのかもしれない。
 ナーサディアの夢に、現れたように。

『兄さま、兄さま。見てみて! クレア、回復魔法使えるようになったの』

 意識は昔の、まだ兄がインフォス守護の任務に着いたばかりの頃――その帰りを、心待ちにしていた自分で。

『ラヴィが転んで怪我したの、直せたんだよ』

 誇らしげに報告する、妹の頭をゆっくりと撫でてラスエルは笑った。

『そうか。じゃあ、がんばった御褒美だ』

 時を経て今はすっかり色褪せてしまった、キラキラと光放つ青い石を 『お守りだよ』 と手渡して。



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男天使相手だと、ちょっと良い雰囲気になるイベント 『思い出の欠片』
タイトルだけ原作から借りましたが、中身は全然別物であります。ナーサが本当に立ち直るのは、決戦後かな……。