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◆ シロツメグサの咲く丘に(2)


「こんにちは、アーシェ」
「クレア!」
 羽ペン片手に書類と睨めっこしていた王女は、ぱっと振り返ると、こちらが向かうのを待たずバルコニーまで駆け寄ってきた。
「依頼……じゃなさそうね、今日は時間あるの?」
 雰囲気や表情から察したらしく、瞳をくりくりさせながら嬉しそうに訊ね。
「ええ。シーヴァスが、数日ヴォーラスから移動しないので、インフォス各地を見回りしているんです」
「ヴォーラス? ああ、そっか。英霊祭の時期だもんね」
「アーシェは、お変わりありませんか?」
「毎日毎日、女王即位式の祝詞や立ち振る舞いのリハーサルばっかりよ」
 もううんざりといった感じに、子供っぽく肩をすくめた。
「もっとこう、治安維持の為に戦いたいんだけどなぁ。ウォルフラム将軍たちってば、二言目には “危険ですから我々にお任せください” なんだもの」
「 “信じて任せる” ことも大切でしょう?」
 意気込みを微笑ましく思いつつも、受け売りの言葉で諭す。
「民の安全は、軍の方々が守ってくださいますよ。女王としての職務は、アーシェにしか出来ないんですから」
 不承不承に 「うん」 と頷く勇者。
 皆が頑張っているとき動けずにいる歯痒さは、謹慎期間に味わったから、嫌というほど解るけれど。
「それに元々――あなたに協力をお願いしに伺ったのは、話し合いで事件を解決できる立場にある人物だ、という理由が大きかったんですよ」
「そうなの?」
 クーデター勃発までファンガムが平和で、揉め事の仲裁を頼む機会など無かったから当然といえば言えるが、アーシェは意外そうに首をかしげた。
「武器を取って戦うばかりが、勇者の形じゃないんです」
 堕天使に荒らされたインフォスを解放できたら、守護天使の任務は終わり。
 だけど齎された秩序を維持していくことこそ至難で、ヒトを動かす地位に座す彼女は、勇者たちの中でも群を抜く影響力を持つようになるだろう。

「……女王としての、かぁ」

 ぽつり呟き黙り込んだ様子に、納得してくれたのかと思いきや、
「ねえ。時間あるんだったら、ちょっと相談に乗ってほしいんだけど――そんなに長くは引き止めないから」
「え? 私で良ければもちろん……って、どこに行くんですか?」
「誰にも聞かれたくないの!」
 必死な形相でクレアの腕を掴むと、すたすた部屋を出て廊下を突っ切りながら。
「あなたは実体化してなかったら声も聞こえないんだろうケド、私は、そうはいかないんだから。うっかり誰かに聞かれたら、頭おかしくなったかと思われるじゃない。執務室なんて、いつ誰が訪ねて来るか分からないのよ?」
 すれ違いざま、姫様どちらへと話しかけてくる侍女や衛兵たちに、息抜きに中庭を散歩してくるだけと言い置いて。

 やがて辺り一面、小さな白い花で覆われた丘に出て――どちらからともなく、大樹の根元に腰かけた。

「それで、相談とは?」
 よほど言いにくい内容なのか、アーシェはなかなか話し始めず、
「…………」
 うながされてもなお、膝を抱え俯いたまま動こうとしない。
「……?」
 体調不良は感じないけれど、少し体温が上がっている? 心配になって、伏せられた横顔を下から覗き込んでみると、熱があるとしか考えられない赤さだった。
「あのね、私ね」
 視線から逃れるように目を泳がせた少女は、普段の快活さとは程遠い、くぐもった声で。
「ミリアス王子に――」
「王子が、どうなさったんですか?」
「プロポーズ、されたの」
 それだけ告げると、ますます頬を朱に染め縮こまる。

 即位式を控えた大切な時期に、まさか風邪でもうつされたんだろうか? などと考えていたクレアは、予想とまったく違う単語に面食い、まじまじと眼前の少女を見つめてしまった。
 プロポーズ。
 プロポーズって、つまり?

「……まあ! おめでとうございます、アーシェ」
 ややあって意味を飲み込めた天使が、ぽんと手を打って、
「式は、いつ執り行うんですか? 女王即位の前? 後から? それとも同時に――」
「ちょ、ちょっと待ってクレア。あなたプロポーズって何か知ってるの!?」
「結婚してくださいって申し込まれたのでしょう? ミリアス王子から」
 きょとんとしつつも答えれば、いよいよ赤面して口をぱくぱくさせながら、勢いよく立ち上がった彼女はズビシッとこちらを指差す。
「てっ、天界には婚約とか夫婦だとか、そんな概念自体無いって前に言ってたじゃない!!」
 言ったっけ?
 よく覚えていないが、なにか雑談の折にでも話したんだろう。インフォスに降りた当初はよく、地上の文化に戸惑い驚いたものだったし。
「確かに天界には、ありませんけれど――以前、教えてもらったんですよ。勇者に同行中、タンブールの教会で結婚式を見かけたことがあって」
 いつかウェディングドレスを着てみたいという憧れを、語っていたフィアナが脳裏に浮かぶ。
「そ、そう……」
「なにか問題でも?」
 さっき立ち上がったときの剣幕はどこへやら、アーシェは、またしおしおとへたり込んでしまった。

「――分からなくて」

 分からない人に聞けば頭の中、少しは整理できるかと思ったのに〜と、もごもご呻いて。
「王子のこと好きなのか、よく分からないの」
「嫌いなんですか?」
「嫌いじゃないけどッ!」
 泣きそうな怒った顔で、ぶんぶんと首を横に振る。
「そりゃあ最初は嫌ってたけど、お父様が勝手に決めた婚約が嫌だっただけで、ミリアス自身がどうこうって訳じゃなかったし……でも」
 怒ったような態度だが、これはどうも恥ずかしがっているだけみたいだ。照れ隠しの類なんだろう。
「嫌いじゃないから結婚する、なんて失礼じゃない。ミリアスに」
「王子は、アーシェのことを好きだと仰ったんですね」
 指摘は的を射ていたらしく、ファンガム王女は耳まで真っ赤になった。
「嬉しかったですか?」
「そ、そうね」
 こほんと咳払いして、また忙しなく目線を彷徨わせる。なにがそんなに恥ずかしいのかは、正直よく分からないけれど。
「誰か他に、結婚したい方がいるんですか?」
「いないわよ。ずっとダンスの練習や、町で遊ぶのが楽しくて、結婚したいなんて考えたこともなかったから――」
「ぼんやりとでもイメージは無かったんですか?」
「子供の頃は、絵本に出てくる白馬の王子様みたいな人を想像してたかなぁ」
「ばっちり、王子様じゃないですかミリアスさんは」
「そうだけど……」
「嫌いじゃないなら、どちらかと言えば好き、なんですよね?」
 混乱した気持ちを見つめ直したくて相談を持ちかけたようなので、とりあえず、思いつくまま質問攻めにしてみた。
「でも、ミリアスさんとは好意の強さが違いすぎると感じていて――だから、気が引ける?」
 憶測に過ぎなかったが、アーシェはこくんと神妙に頷く。
「一度は婚約、私のワガママで破談にしちゃったんだし。カノーアの王位はユリウス様が継いでるから、婿養子になってくれるって言って、ファンガムとしては大歓迎の話なんだろうケド」
 大喜びで話を進めちゃいそうで、家臣の誰にも相談できないの。侍女たちは良い子なんだけど噂好きだし……と嘆息して、上目遣いにこちらを窺う。
「クレアだったら、どうする?」
「私だったら?」
「そう。好きだって言ってくれた相手に、それなりに好感は持ってるんだけど、結婚したいとか、そういうのがピンと来なかったら。プロポーズ、断る? 受ける?」

 プロポーズや結婚という言葉の意味を知っても、天使に縁遠い話であることは変わりなく。
 アーシェ以上に “分からない” から、答えに詰まる問いだった――そうか、彼女も返事を悩んでいるのか?
 しばらく考えてみて、結局クレアは結論を諦めた。

「断ると受けるのニ択だと困りますね。分からないことは分からない、って答えると思います」
「ええっ!?」
 なによそれ、と不満げな少女に、苦笑しつつ言い足す。
「アーシェも今の気持ちを、そのままミリアスさんに伝えてみたらどうでしょう? あなたが結婚したくなるまで、今の盟友関係を保ちながら待ってくださるかもしれません。お話が無かったことになっても、それは仕方無いと受け止める必要がありますけれど……」
「今の、気持ち――」
「そうして正直にぶつかったら、たとえ “恋愛” にならなくても、きっと良い信頼関係を築けると思います」
「……そうね」
 まず政務に慣れなきゃ結婚式どころじゃないし。
 ミリアスだって、ファンガムの気候の厳しさを甘く見てるかもしれないしと、自問自答して頷きながら、
「うん、ありがとう。なんだかスッキリした」
 アーシェはようやく肩の力を抜いて、くすくす笑った。
「天使様に恋愛相談なんて、変な感じ」

 人間に恋をした天使もいるんですよ、と応えかけ、ツキリと痛んだ胸を押さえる。
 時が経てば――兄とナーサディアのことを笑顔で語れる日も、いつか来るだろうか?

「じゃあ、これは参考までにだけど。あなたミリアスのこと、どう思う?」
「どうと訊かれても、ほとんどお話したこと無いですし。善い人そうだ、としか……でも」
 こちらの動揺には気づかなかったらしいアーシェが話題を変えたのにホッとして、王子の人柄について考えるが、これまた批評は難しかった。
 考えてみれば名前と肩書きを知っているだけでは知り合いと呼べない。アーシェも、彼と面識が出来て日が浅いのだ。いきなりプロポーズされては戸惑って当然だろう。
「アーシェのお父様が認めた人でしょう? ミリアスさんと結婚したら、安心なさると思いますよ」
「安心?」
「娘が一人で国を背負うより――彼ならと見込んだ人物が、ずっと一緒に居てくれるなら心強いです。保護者としては」
 遠からずインフォスを去る、守護天使としても。
「それに結婚したら、赤ちゃんも生まれるでしょう? 人間には」
 今はタンブールで暮らす幼女を思い出す。
「その子が成長して、また誰かと巡り逢って……そうして亡くなったご両親の命も受け継がれていくなら。とても幸せなことだと思います」
 膝の上で両手を握りしめたまま黙っていたアーシェが、急にガバッと立ち上がり。
「ありがと、クレア。ちょっと今からミリアスのとこ行って来る」
「今からですか?」
「勢いと度胸が要るの! こーいうことには!!」
 照れ臭そうに主張すると、ドレスの裾をひるがえし駆け出していった。

「行ってらっしゃい、アーシェ」

 フォルクガング邸を発ったときとは、また別種の気合に満ちた後ろ姿を、クレアは微笑ましく見送った。



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天使と恋バナ。勝手にミリアスに兄が居る設定にしちゃってますが、王族同士の婚姻って――お父さんが殺されなかったら、アーシェはカノーアに嫁に行っていたのかなあ。