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◆ 星空の下、君と(1)


 英霊祭記念のパーティー会場、ドリンク各種と未使用のグラスが置かれたテーブル前にて。

「昔に比べて、ずいぶん表情が柔らかくなりましたね。あなたは」
「……そうか?」
 退役した元上官らしい老紳士との会話が終わるのを待って、クレアが、挨拶と共に差し出した回復アイテムを受け取りながら、
「かもしれんな。なにも俺に限ったことではないと思うが」
 レイヴは、むず痒そうな苦笑を返した。
 知り合った当初は、一人ぽつんと喧騒から逃れ庭園に出ていたり、来場客との会話も億劫そうにしていたのに、今は人の輪の中心に立って穏やかに談笑している――もう、話しかけるのは諦めて戻ろうかと考えたくらいに。
“屈託ない言動で、すぐに誰とでも打ち解ける奴だった”
 いつだったかシーヴァスの話を聞いたときは、想像も出来なかったけれど……戦友が生きていた頃は、こんなふうだったに違いない。
 強いのに、どこか刹那的で危なっかしかった印象は、すっかり拭い去られて。もう大丈夫だと信じられる。
 死者の魂を利用した堕天使は、許し難いが。
 たとえ死霊でも、リーガルに再会して戦えたことは、彼にとって幸いだったんだろう。
「世界情勢なども詳しく聞きたいが、俺は、まだ数日は手が放せん。シーヴァスの相手でもしてやってくれ――さっき、向こうのテラスで暇そうにしていた」
「え?」
 勇者の奇妙な発言に、クレアは当惑した。
「シーヴァスがパーティー会場で、退屈にはならないでしょう?」
 英霊祭を執り仕切るレイヴほど多忙ではなかろうが、社交家な彼のこと。やっぱり話しかけるタイミングに困るくらい、人に囲まれているはずだ……主に、女性に。
「そう思うか?」
 意味ありげに問い返して、小さく笑う。
(あ、珍しい)
 驚くクレアを 「まあ、行ってみろ。珍しい姿が見られると思うぞ」 と促した、ヴォーラス騎士団長は、こちらへ近づいてきた顔見知りらしい年配の夫婦に会釈、すたすたと歩み寄って行った。

×××××


 レイヴが笑った顔より珍しいものなんて、そうそう無いんじゃないかと思いつつ指し示された方角を探してみると、確かにシーヴァスは見つかった。
 案の定、ドレス姿の令嬢も一緒にいて、話しかけられる状態ではなかったけれど。
(ほら、やっぱり)
 レイヴが通りがかったときは、たまたま一人だったんだろう。
 通路の窓越し、ギリギリ視認出来るくらいの距離であっても、天使の聴覚には二人の会話まで聞こえてしまう。

「ねえ、シーヴァス様。お父様が、今度あなたに会いたいと仰っていてね」

 見咎められぬよう柱の陰に凭れ、クレアは嘆息した。
 前にも、こんなふうに隠れて――待てど終わらぬ睦言の甘やかさに耐え切れず、退散してしまった覚えがある。
 天使には縁遠い文化だからか、こういった場面に居合わせるのは今も苦手だ。
 確か、あのときは重たい武具を抱えていたから、居心地悪くても待ってみる理由があったけれど。

「でも……そんなこと、もしかしたらご迷惑じゃないかしらと思って」

 用がある訳じゃない、今はデバガメになってしまうだけだ。
 シーヴァスも今夜はまだ、ヴォーラスから移動しないだろう。
 いったん天界に戻って、インフォス各地の混乱度を確かめて来ようか――妖精たちの、探索成果も気になるし。
 
「最近は、お父様に、シーヴァス様のことをあまり話さないようにしてるんですのよ」

 込み入った話をしているみたいだから終わりそうにないし、と踵を返しかけたところで、違和感に首をかしげる。
 さっきから熱心な女性の声ばかりで、シーヴァスの相槌すら聞こえない。
 頷いたり、微笑んで返すにも限度があるだろう……こんな無言で会話になっているんだろうか? という疑念は的を射ていたらしく、

「シーヴァス様。真面目な話をしていますのよ、私――」
「ん? そうか……」

 痺れを切らしたような咎めに、ようやく応じた勇者の声は、ぼんやりと気の抜けた感じで。

「もう、シーヴァス様!? なにボーッとしてらっしゃるの?」
「ああ、ちょっとな。私の天使は今どこで、どうしているだろう、とね――」
 ただでさえキツく尖り始めていた声音は、怒りと屈辱を孕んで一気に爆発した。
「わ、私が真剣に話しているときに、他の女性のことで考え事ですって!? しかもそれを、しゃあしゃあと……! もう、帰ります。さようなら!!」

 かなりの距離を物ともせずキーンと耳を劈いた怒号に、びくっと縮こまり、わたわたうろたえるクレアの存在に気づくはずもなく、
「信じられない、最ッ低! 馬鹿にしてるの? あんなデリカシーの無い人だとは思わなかったわ!!」
 眦を攣り上げ肩も怒らせた令嬢が、つかつかとハイヒールの音を響かせ、ほとんど走るに近い早歩きで通り過ぎていった。
 豪奢なドレスの裾が、突風に煽られたカーテンの如く翻って――やがて角を曲がり見えなくなる。
 そんな彼女を唖然と見送り、テラスに取り残されたシーヴァスを窺えば、怒鳴られたばかりだというのに目線はすでに夜空へ。心ここに在らずといった感じである。
 珍しい姿というより、おかしい。明らかに変だ。
 なにか悪いものに取り憑かれているんじゃないだろうか?

「いったい、どうしたんですか? シーヴァス……」

 帰ろうと思っていたものの心配の方が強くなって、テラスに向かって声を掛ければ、
「――!?」
 普段あれだけ敏い勇者が、まったくこちらに気づいてなかったようで、
「き、君か……いつ戻って来たんだ?」
 焦った様子で問い質す内容も、なんだか普段とずれている。
 直感力の鋭さからして、ヴォーラス市街とまでは言わないが、この城に降り立った時点で察知されそうなものなのに。
「ついさっき、ですけど。レイヴに挨拶したら、シーヴァスが、テラスにいたと教えてくださったので――」
 近づいていって覗き込めば、脈拍は不規則に乱れているし、顔もうっすら赤いようだ。
 アルコールの香りがするから単純にお酒の所為かもしれないけれど、疲れているのに無理して出歩いて、微熱があるようだったら問題だ。
「女性には優しく接するのが礼儀じゃなかったんですか? どこか、具合でも悪いんですか?」
「さあな。どうも、そんな気分になれなくてね……」
 前髪を掻き上げ、バツが悪そうに、ふいと目線を逸らす勇者を観察しながら、
「スランプ、ですか?」
 釈然としないまま呟く。確かに体調を崩している訳ではなさそうだ。
 ピアノを弾く気になれないとか、慣れているのに気分が乗らず捗らないことは誰にだってあるだろう、けれど――プレイボーイにもスランプがあるのか?
 しかしさっきの女性への応答は、傍から見ても失礼極まりなかった。
 彼は勇者である以前に、インフォスに暮らす人間、貴族であり騎士という立場を持つ青年だ。いつまでもあんなふうだと、交友関係に支障を来してしまうんじゃないだろうか?
 クレアが眉根を寄せるのと入れ替わり、ふっと笑って頷いた、
「そうかもな」
 シーヴァスは、思い出したように話題を変えた。
「……他の勇者の様子見は、済んだのか?」
「ええ、ぐるっと回って来て。みんな元気そうで安心しました」
「なら、今夜は私に付き合ってくれるか?」
「え?」
 唐突な申し出に、クレアは戸惑う。ベテル宮に戻って休むのでない限り、どこで妖精の報告を待とうと変わりないのだが、
「スランプのプレイボーイに誘われても、ちょっと……」
「手厳しいな」
 表情が曇るのを目の当たりにして、怯む気持ちよりも警戒心が先に立った。
「だって普段の同行中ならまだしも、シーヴァス――お酒、飲んでるでしょう?」
 ナーサディアのように泥酔するタイプではない、とはいえ、
「夜遅い時刻にあなたを訪ねて行くと、迷惑そうに追い返されたり、冗談でからかわれたり、ろくな仕打ちを受けないんですから」
 ワイングラスとボトルが横にある場合、クレアには理解不能な行動に出る確率が高い勇者だった。しかも数日へこむような衝撃を二度も食らえば、疑ってかかりたくもなるというもの。
 このシーヴァス・フォルクガングという青年、酔いがほとんど顔に出ないから、意識がはっきりしているように見えても油断禁物である。
「あの悪ふざけか……」
「天使だって生きてるんですから、傷つくんですからね」
 なにも昔の話を蒸し返してまで抗議したかった訳ではなく、気乗りしない誘いを断る口実に過ぎなかったのだが、

「すまなかった」

 いつになく素直にシーヴァスが謝り、しかも頭を下げたまま動かなくなってしまったので、逆に面食らう。
「もう二度と、君を傷つけるようなことはしない」
「そ、それなら良いですけど……と言うか顔、上げてくださいってば」
 宥めても頼んでも謝っても俯いたまま応じないので、だんだんいたたまれなくなって、とりあえず無理矢理にでも上を向かせようと、彼の両頬に手を当てる――と。
「あああの、シーヴァス?」
 急に、こちらに向かって倒れ込んで来た。
 慌てて実体化して支えるも、勇者は、クレアの肩や腰に腕を回して抱え込んだまま、微動だにしない。
「つ、掴まるものが欲しいなら、壁に寄りかかるか石段にでも座ってください!」
 とっさだった為に翼ごと実体化してしまっていて、動かしにくい首をよじって周囲を見渡す。
 幸い、辺りに人影は無いが、ここは英霊祭会場だ。いつ誰が通りがかるか、シーヴァスを探しに来るか分かったものじゃないのに、
「……付き合ってくれないんだろう?」
 人の抗議をキレイに無視した青年は、拘束を緩めるどころか強めてきた。
「天界に帰って、他の連中に会いに行って――都合が付くときでなければ、私のところへは来ない」
 ふてくされた子供めいた調子で、いまさらな文句を言う。
 杖代わりにされているというより……捕獲? ヴォーラスに到着して数日離れていただけなのに、なにか急を要する話があった訳でもなかろうに、どうしていまさら、こんな駄々をこねるんだろう?
「わ、分かりました! 付き合いますから!」
 こちらが折れるまで引き下がりそうになかった為、とりあえず誘いを了承してみても、勇者は頑として離れようとしない。
(酔ってる――絶対、酔っ払ってる!)
 せっかく謹慎が解けたのに、こんな来賓が大勢いるパーティー会場で、実体化した姿を見咎められでもしたら!
 しかも酔っ払った勇者が転倒しそうだったから支えようと実体化したら、しがみつかれて動けませんでしたなんて、マヌケすぎて言い訳にもならない。
(せ、せめて窓や通路から見えない場所まで降りないと……!)
 どうにかこうにかもがいて体の向きを変えたクレアは、なおも圧し掛かって来る勇者を渾身の力で引き摺って、テラスから庭園へ続く階段を降りていった。



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