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◆ 星空の下、君と(2)


 人を 「酔ってるでしょう」 と決めつけ、水を飲むよう勧めたり、大きめの落ち葉でパタパタ扇いでみたりと――見当外れな世話を焼くクレアの姿を、ぼうっと眺める。

 天使に引っ張られるままテラスから降り、今は庭園にいくつもある噴水のうち、ひとつの縁に並んで腰掛けていた。
 遠退いた喧騒。
 わずかに木立を透かして城から届く明かりと、夜空から降りそそぐ柔らかな光。
 ぱしゃんぱしゃんと一定間隔で跳ね上がる水飛沫が、パーティー会場の熱気にあてられた頬に心地良い。傍らの娘が放つ、涼やかな気配も。

(会いたかったから、抱きしめた……それさえマトモに伝わらないのか)

 自他共に認めるプレイボーイがこの様かと、自嘲混じりの溜息をこぼす。
 足元おぼつかない酔っ払いが倒れ込んで来たと曲解されて。それを支えようとしたらしい、クレアは、ご丁寧に翼まで実体化させていて。
 単に、とっさだったからだろうと思う反面、神の遣いに触れるなと牽制されている気がして――滲む不愉快さを抑えられるほど、今のシーヴァスには余裕も残っておらず。
 見咎められたら困るから翼は消せ、けれどアストラル体には戻るな、誰かに目撃されたら、私が泥酔して幻覚を見ているようじゃないかと声を荒げた結果、完全に酔っ払い認定されてしまった。
 今夜は付き合うというより、介抱に残った認識でいるんだろう……我が天使様は。
 ワインの2、3杯で酔うほど軟弱ではないというのに。
(まあ、インフォスに降りてからというもの、ナーサディアに散々手こずらされていたようだからな)
 酔っ払いの戯言は右から左へ流す、という対処法が身に付くのは自然な流れだろう。
(――あいつだったら)
 例えばだが、レイヴが同じような行動に出たら?
 酔っているとは誤解されず、からかっているなどと穿った捉え方もされず、真剣に話を聞いてもらえたに違いない。
(自業自得か……)
 今夜は、もう諦めるしかないだろう。
 想いを伝えたところで、まず真に受けてもらわなくては話にならない。
 聞き届けられる可能性など、無きに等しい願いでも――返事が芳しくなかろうと、いつかのように冗談に紛らせて、終わりにはしたくなかった。

 天使が傍にいない日々は退屈で。
 昔なら心躍った夜会に出席しても、暇潰しになるどころか、着飾った令嬢たちの毒々しさに辟易するばかり。
 根拠も無い陰口、媚びた笑い方、むせ返るような香水の匂い。
 彼女だったらと引き比べては、深みに嵌っていく己を自覚する一方で……。

「誘っておいて、なんだが――どんな話をすれば良いのか分からんな」
「え?」
 きょとんと見つめ返してくるクレアの手を取り、指を絡める。
 勇者の想いなど知らない天使は、不思議そうに小首をかしげるが、べつだん抵抗するでもなく握られるままになっているだけだ。
 抱きしめている限り逃げられない? だったら、いっそ。
 どこか天界の目も届かないような場所に閉じ込めて、隠してしまえれば、などと詮無いことを考える。
「容姿を褒める甘い言葉や、社交界の噂、芸術の話……どれも天使の君には、おもしろがって聞いてはもらえそうにない……」
 いっそ触れられぬ存在なら。
 人間を愛した天使もいるなどと知らなければ、望むことも無かったろうに。
「どんなって――」
 サファイアブルーの瞳を瞬かせたクレアは、やがて堪えかねたように、ぷっと噴き出した。そうして口許に片手を当て、可笑しげに笑い続ける。
「……なぜ、そこで笑う」
 思わず眉間に皺が寄ってしまった。
 あくまで会話を盛り上げたかった、話を楽しんでほしかったのであって、笑われたかった訳ではない。
「だ、だって。初対面の頃に気にするならまだしも、いまさら!」
 スランプも重症みたいですねと、ころころ楽しそうに笑うクレアを、複雑な気分で眺める。
 そう、いまさらだ。
 本当に調子が狂う。
 笑われたことは不本意で、それでも――弾けるような彼女の笑顔は、新鮮で。目が離せない、などと。
「そんなこと気にしなくて良いんですよ。私は、シーヴァスが話したいことを聞きますから」
 ひとしきり笑ってから、乱れた息を整え、
「話したい気分じゃないなら、並んで座ってボーッとしているだけでも充分じゃないですか? ただでさえ、このところ働き詰めだったんですから……さっきも、私の行き先なんて気にしてらっしゃったみたいですけど」
(――き、聞いていたのか!?)
 しかし半ば無意識の呟きが含んでいた感情は、まったく届かず、言葉どおりの意味に受け止められているようで。
 察してほしかったのか、彼女が鈍感で良かったと安堵すべきなのか。シーヴァスは、気恥ずかしさを持て余し、視線を泳がせる。
「任務をお願いしている私が言えた立場ではないですけど。街に滞在しているときくらい、休めてください。頭も身体も……」
 頭上を仰いだ天使は、気持ち良さそうに深呼吸してみせた。
「ここのお庭、キレイですよ。月明かりも」
 つられて見上げた、星月夜。
 なにも考えず、ただ彼女と寄り添って過ごす――それはそれで贅沢な休息だが。

(話したい、こと……)

 残された時を思えば勿体無さすぎて、とても首を縦には振れない。
 クレアが戻って来るまで、話したいと考えていたことは山のようにあったはずなのに、いざ本人を前にすると、どれも俗な、くだらぬ内容に思えて――結局、言葉になったのは。
「教会に飾ってあった絵……覚えているか?」
 あれこれ考えていた話題のどれでもなく、夜空に輝く月の色にぼんやり重ねていた、今は失われた “両親の形見” の色彩だけだった。
「ええ、もちろん」
 当たり前ですと言いたげに頷いて、けれど見る見るうちに肩を落とす。
「大切な絵だったのに、あんなことになって――」
 焼け落ちた教会と同時に、アドラメレクの台詞を思い出して消沈しているんだろうことは、容易に想像がついた。しまった、要らぬものまで連想させてしまったと、シーヴァスは慌てて話を先へ進める。
「ああ。でも無くなって初めて、解ったことがある」
 訝しげに、それでも天使が顔を上げてこちらを向いたのにホッとして、
「遠く離れたタンブールまで、ついでだと嘯きながら、あの絵を見に行っていた本当の理由だ」
「本当の?」
「私は、ただ……母親の顔を思い出せなくなるのが怖かったんだ」
 自覚した想いを吐露してしまえば、認識も一層強くなる。
「時が経つほど薄れていく、幼い頃の記憶――それをあの絵が、食い止めてくれるんじゃないかとね。そう、思ったのさ」
 好き嫌いを問われれば、もちろん嫌いではない。
 けれど、かつて彼女に問われ答えたように、好きだから眺めていた訳ではなかった。
「両親の姿、私を呼ぶ声、住んでいた家の造りも何もかも。すべてが霞んで思い出せなくなっていく……寂しいとか、そういう気持ちじゃない。ただ……怖かった」
 元より大きなサファイアブルーの瞳が、零れんばかりに瞠られる。
 驚きの色が濃い反応に、いったいどう思われたんだろうと考えてみて、シーヴァスは、己の格好悪さに頭を抱えたくなった――これでは話というより、単なる弱音ではないか? しかも、
「……子供じみた話だな」
 軽く流してしまおうと口を突いて出た台詞までが、まるっきり愚痴の類で。
「こんな心の弱い男は、勇者に値しないな。きっと」
 もう自嘲しか浮かばず。いっそすべて酔いの所為ということにして、話を打ち切ってしまいたくなる。けれど、

「弱いから、じゃないでしょう?」

 柔らかな声に、俯けていた顔を上げれば、クレアは声音そのままの柔らかな笑みを浮かべていた。
「ご両親のことが大好きだったから、忘れたくないと願うのでしょう?」
 眼差しは、ただ暖かく――そこに呆れや幻滅といった感情が一切含まれていないことに、面食らい、そうして。
「誰かを大切に想う心が、勇者に値しないなんて、私は思いません。それに……」
 だんだんと顔が火照りだすのを自覚した、シーヴァスは前髪を掻き上げつつ目頭を押さえる。おそらく、かなり――赤くなっているだろう、これは。
「思い出したくなったら、鏡を見てはどうですか?」
「鏡?」
 やっとのことで返した相槌は、掠れていなかったろうか?
「そっくりですよ? あなたと、描かれていたお母様……生き写しとは、こういうことかと感心してしまうくらいに」
 月を眺めるフリをして、天使の視線から逃れてしまいたい衝動と同時に。もっと、なにか――洗い浚い、吐き出してしまいたい気分にも駆られる。
「物事に対する感性は、画家だったお父様の才能を継いでいらっしゃるようですし」
 つくづく子供じみた話だ。
 勇者でも騎士でも何でもない、自分自身が認められたようで。彼女の言葉ひとつで。
(嬉しい、とはな……)
 人前で弱音など吐く訳にはいかなかった。
 父を悪く言われない為には、祖父に怒鳴られず暮らすには、すべて完璧にこなしてみせなければならなかった。
 場に適した受け応え、令嬢たちを喜ばせる美辞麗句、貴族社会のマナーを身に付け慣習に馴染むにつれ、そんなものだと割り切る術を覚えた。
 思い出に、泥を塗られるくらいなら。
 最初から本音など、他人に晒さなければいい。建前なら否定されたとて、さほど傷つくこともない――予定調和の世界。
『……楽しい、ですか?』
 冷ややかな少女の問いを、不意に思い出す。
(ああ、そうだな)
 確かに楽だが、楽しくはないな。こんなふうに――思ったままが、受け容れられる心地良さを知ってしまえば。

「あの絵が大地に還っても。シーヴァス自身が、ご両親の生きた証でしょう?」

 これ以外はもう、なにも残っていない。
 ずっと、そう思っていたのに。

「それに、もし……あなたが忘れてしまっても、私が覚えてますから」
 フィアナやエレンさん、子供たちだって覚えていると思いますし、と付け足して。
「忘れたくない思い出は、共有すると良いですよ。お父様はああだった、お母様はこうだったって――ヨーストのお屋敷の皆さんなら、喜んで聞いてくださるんじゃないですか? 本当は、おじい様と昔語り出来たら、それが一番なんでしょうけど」
 天使は、穏やかに笑っていた。
「私で良ければ、いくらでも聞きますよ。子供の頃のこと」
「……ありがとう」
 胸を満たした幸福感に一拍遅れ、
「君は――」
 じわじわと滲みだした腹立たしさの遣り場に困り、シーヴァスは、しばし口を噤んだ。
(優しい、けれど残酷だな)
 聞いてくれると言ったところで、遠からず……それとも、少しは。
「帰るのか?」
「? 今夜はお付き合いします、と言ったじゃないですか」
「この戦いが終わったら、だ」
 脈絡なく聞こえたんだろう、質問の意味がすぐには分からなかったようで、
「帰ってしまうのか? 天界に」
「ええっと、まだ決まっていませんけれど。立て続けに、他の地上へ派遣された例は無いようですし――たぶん、元居た医療機関に戻るか、内務に呼ばれるか――」
 重ねて訊けば、目を白黒させながら答える。インフォスに留まることなど、念頭に無い口振りだった。
「もし……」
 ずっと傍に居てほしい、地上に残ってくれと請うたなら。
 少しは迷ってくれるだろうか?
「もしも、帰ってしまうことになっても――突然いなくなったりは、しないでほしい」
 願いは無いと、出会った夜に答えた。
“ひとつだけ、どんな望みでも叶うとしたら”

 今は、君を……望む。

「そんな失礼なこと、しませんよ」
「そうか」
 心外そうにむくれる彼女を横目に、シーヴァスは苦笑した。
「――なら、いいんだ」
 アポルオンと、残る堕天使ガープを倒して。
 君が、守護天使の重圧から解放されたら……私が、勇者の任を終えたら。願うくらいは許してくれても良いだろう?

 遠くから、荘厳な鐘の音が響いてくる。
 また新しい1日が始まったと告げる音。

 けれど今は、タイムリミットへのカウントダウンに聴こえる。

 先刻の令嬢。
 確かに昔、関係はあったが、もう何年も放ったらかしにしていて、どんな鈍い人間でも “自然消滅” と諦めるだろう月日が流れているというのに――彼女の意識に於いては数日か、せいぜい半月程度の音信不通であったようだ。
 停滞した時流、肉体的には同じ1年、繰り返す季節――

「戻ろう。夜も遅くなった」

 天使の手を取ったまま、立ち上がり。
「……いずれ決戦の時が来る」
 任務の話題を振れば、さっきまでの柔らかな雰囲気は霧散して、
「アポルオンだけじゃない、堕天使ガープも強力な相手だろう。だが、私は必ず奴らを倒し、この戦いを終わらせる」
 クレアの表情も緊張に強ばった。

「だから、まだしばらく私に力を貸してくれ。クレア」

 はい、と頷いた彼女の指先に、ぎゅっと力が込められて。
 その感触に、胸が詰まる――繋いだ手を放す、ただそれだけの動作が、名残惜しさに阻まれて緩慢になるのはどうしようもなかった。



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時の淀みって、考えれば考えるほど怪現象だよなあと。ゲーム中ではあまり、時間感覚のズレとか恐怖感とかアピールされてなかったけど、描写すれば危機的状況の緊迫感も増したと思うんだけどなあ……。