◆ 血(1)
「……なに? この、血の匂い……」
村の入り口で足を止め、クレアは呆然と呟いた。
ひどい有り様だった。
踏み荒らされた畑、打ち壊された家屋。
体をえぐり尽されて骨だけになった家畜の死体が、道端に転がっている――吐き気がするほどの死臭だ。
「おい、だいじょうぶか?」
普段、滅多に顔色を変えないティセまで蒼白になっている。この惨状じゃ、無理もないが。
「なんでもない……平気」
「……無理はすんなよ」
とっとと賊連中を片付けて、ここから出た方がいいだろうと神経を尖らせてみるが、周囲にオレたち以外の気配はなかった。見張りの一人ぐらいいても良さそうなモンだが、滅多に旅人も来ないような山奥だ。警戒心も薄れるんだろう。
「この様子では、完全に盗賊団の支配下に置かれてしまっているな」
シーヴァスが、険しい口調で言う。
「村人は一箇所に集められて、監禁されている可能性が高い」
「ああ、連中の根城はもっと奥――おおかた村長の家あたりだろうが、無傷で残ってるデカイ建物があれば、そこだな」
推測は簡単だったが、問題も残る。
「賊連中だけなら遠慮はいらねえが、村人も一緒だったら面倒だな。盾代わりにされちまう前に、どうにかしねーと」
オレたちが話し合っていると、ただでさえ白い顔を蝋人形ばりに白くしていたクレアが、
「怪我人がいるかも……探さなきゃ」
呻いて実体化するなり、村の奥へと走りだした。ティセが、あわててそれを追いかけていく。
「ちょ、ちょっとクレア様? どこに賊がいるか分からないんだから!」
「あ、おいこら! 危ねぇからうろつくなっ」
「君たちは戦えないのだろう? 先に行ってどうする!」
シーヴァスも呼び止めたが、二人は振り返りもしない。
確かに、あいつらが事件現場で人間のフリをして、負傷者を手当てしたことは今までに何度もあったが――それもあくまで首謀者をぶちのめして、周辺の安全が確保されてからの話だ。ティセならまだしも、とろくさいクレアが連中に見つかりでもしたら、やばい。
「村の人たちを、どうしたんですか!!」
ようやく追いついてみれば、クレアは煉瓦造りの建物に向かい、今にも窓枠を乗り越えて飛び込まんばかりの勢いで叫んでいた。
「なにやってるんですかクレア様、下がって!」
先にそこまで辿り着いたティセが、無謀な上司を窓から引き剥がす。
「……なんだぁ?」
建物の中がざわつき、すぐに人相の悪い男がぞろぞろと出てきた。
「へぇ、いい女じゃねーか。今まで何処に隠れてやがったんだ?」
「馬鹿、よく見ろ。この村の人間じゃねーよ。いくらなんでも身なりが違いすぎらぁ」
眼帯、隻腕、禿頭――年格好はてんでバラバラで、まともに統率された集団とは思えない。共通項といえば全員がニヤニヤと値踏みするような目で、クレアとティセを眺めてるってくらいだ。
「戦う前に、一応は言っておく」
二人を連中から隠すように、シーヴァスが間に立った。
「武器を捨てて投降しろ。さもなくば、容赦はせんぞ」
(……舞台役者か、あんたは)
オレは心の中でツッコミを入れた。典型的というか、なんというか――普通、そんな芝居がかった言い方はしないだろう。
「ああん!?」
案の定、連中はびびるどころか盛大に笑い転げた。
「こいつぁ傑作だ! 俺たちに勝つつもりでいるらしいぜ、こいつ!!」
「見たとこ、貴族の道楽息子ってとこかぁ? 飛んで火にいる夏の虫だな!」
「とっ捕まえて身代金ふんだくってやろうぜ!!」
口々に吠え、斧や弓をかまえた動作は見るからに三流。戦う前に実力差を察知して、白旗を振る賢明さなど持ち合わせている奴はいないだろう。
どうやら、親玉の根城はここじゃないらしい。
「フッ。貴様らのような輩は、私の剣の錆になる運命のようだな」
シーヴァスがまた、自己陶酔しているとしか思えない調子で言い放ち、抜刀する。
「……ったく。前置きが長すぎんだよ、あんた」
さっさと終わらせないと背中が痒くなってきそうだ。オレは、ツヴァイハンダーを手に真っ先に動いた。
「やれやれ……ようやく終わったか?」
幾度目かの戦闘を終えたところで、シーヴァスは、うんざり気味に息をついた。
濃霧が立ち込めていて視界は悪いが、灯り無しで動けないほどじゃない。そろそろ夜明けが近いんだろう。ここに着いて、二時間は経っているはずだ。
過疎地の小さな村とはいえ、家屋をすべて調べ回るのはかなり骨が折れる作業だった。
問題は、敵の腕より数の多さだ。なにしろ救出した村人より、捕縛した盗賊数の方が多いときている。シーヴァスと手分けできるぶん、まだ助かってるが。
「いや、今まで倒した中に、頭領らしい奴はいなかったからな――」
ニーベルンゲンの首領については、噂だけは聞いている。でっぷり太った悪趣味な大男らしい。
「ここは、まだ村の西側だ。たぶん東が本拠地なんだろ」
「……まだいるのか」
天使の依頼は概して面倒なモンだが、オレも持久戦は性に合わない。せめて朝までには片を付けたいところだった。
もと来た道を引き返していくと――周辺で唯一、明かりが灯る家の前に、クレアが待機していた。
「お帰りなさい。怪我は、ないみたいですね?」
オレたちを見とめ、張りつめていた表情を緩める天使。
「ああ、なんともない」
「数だけは多いが、ザコばっかだったからな」
「…………」
一方、ティセは顔も上げず、放心したように黙ったままだ。気に掛かったが、今は他に優先しなけりゃならないことがある。
「村人たちの具合はどうだ?」
「応急処置は終えました。みなさん、命に別状はありません。ただ、外傷が無い方も、精神的に衰弱されていますから――数日は村に留まって治療にあたろうと思います」
クレアは手短に説明すると、今度はオレに向き直った。
「そちらは、どうなりました?」
「この辺にたむろってた連中は、片っ端からボコボコにして縛り上げて、適当に床に転がしてきた。武器も残らず叩き折ってやったからな。もう、なにも出来やしねえよ」
「残るは村の東だ……敵の首領も、向こうにいるようだからな。ここより状況が悪い可能性が高い」
そこまで言うと、シーヴァスは考え込んだ。
分散するか、全員で行くかを迷ってるんだろう――東の集落に乗り込んで、完全に片が付くまで、どれだけかかるか予測がつかない。四人そろって移動しちまえば、こっちでなにか起きた場合に対処が遅れる。それに村人も、救出されたって何時間も放ったらかされちゃ不安だろう。
「ローザかシェリーでもいりゃ、連絡係に残して行けるんだがな……ここの地形からして、東を陣取ってる連中が、わざわざ西に逃げることはないと思うぜ。こっちから攻め込めば、逃走経路は南になるはずだ。まあ、見逃しゃしねえけどな」
地図を片手に意見すると、シーヴァスは思いの外あっさり納得した。
「そうだな、重傷の人間がいないなら――悪いが、二人とも我々と来てくれ」
「わかりました」
天使たちが、口々に不安を訴える村人たちに、厳重に戸締りをして外に出ないよう言い含めるまで待ち。そうしてオレたちは東へ向かった。
×××××
「待て。なんか、山向こうの様子がおかしい」
鬱蒼とした木々に覆われた山道で、唐突にグリフィンが動きを止めた。
「剣撃……それに悲鳴っつーか、叫び声が聞こえる」
「なに?」
(村人が盗賊団に抵抗している、ということか?)
しかしシーヴァスには、なんの物音も聴こえない。天使は立ち止まり、互いに顔を見合わせている。
「クレア様。ちょっと先に行って、様子を見てきま――」
ティセナが口を開くとほぼ同時に、前方の茂みがバサッと激しく揺れたと思いきや、そこから人影が四つ飛びだしてきた。
「ひっ!!」
「あ、あいつの仲間か、おまえら!?」
全身で賊だと主張しているような風貌の連中は、こちらに気づくなり、尋常でない怯えを見せた。
「うっ、動くな! こっちにゃ人質がいるんだぞ!!」
「…………!」
剣に伸ばしかけた左手が、唐突に行き場を奪われる。
捕らわれていたのは金髪の幼女だった。首に刃物を押し当てられているというのに、抵抗するでも泣き喚くでもなく――ぼんやりと、どこにも焦点の合わない目をしている。
「とっとと、そこを退きやがれ! このガキぶっ殺すぞ!!」
「落ち着け、バカヤロウ」
喚き散らすそいつを、ひとり冷静な比較的若い男が制した。
「殺しちまったら人質にならねえだろう。俺はラベノスの野郎と違って、ガキをいたぶって喜ぶ趣味はねえんだ」
「す、すいません。ヒュブリスの兄貴……」
ラベノスとは、確か――ニーベルンゲン盗賊団の、首領の名ではなかったか?
「じゃあな。警察関係者か、酔狂な旅人かは知らねえが、あっちで殺人狂が暴れてるんでな。襲われねえうちに出て行った方が身のためだぜ」
ヒュブリスというらしい盗賊は、他人事のように言い捨て通り過ぎていった。残る三人がそれに従う。
むざむざ行かせるつもりは毛頭ないが、刃と幼女の距離が近すぎる――まともな話し合いが通用する相手でもなさそうだ。グリフィンも、苦りきった顔で動けずにいる。
(実力行使に、賭けるか……?)
だが、下手に追い詰めれば、あの幼女が道連れにされかねない。
「待ってください」
緊張と沈黙を破ったのは、クレアだった。
ヒュブリスたちが油断なく振り返る。しかし続けられた台詞には、居合わせた全員が絶句した。
「人質が必要なら、私がなります。だから、その子は放してください」
「なっ――」
ティセナとグリフィンが、愕然とクレアを見やる。
「馬鹿を言うな! その後どうするつもりだ!?」
焦り、問い質したが、
「後から考えます。とにかく、あの子を連れて行かせるわけにはいきません」
彼女は、きっぱりと躊躇いもなく答えた。
確かに、このまま連中を見逃すわけにはいかない。それにクレアなら、天使の姿に戻りさえすれば逃げられるだろう。
だが、勇者以外の人間に正体を知られることは、戒律違反だと――なにより、地上界の物質に強く干渉されていては実体化が解けないと、妖精に聞いたことがある。縄で縛られでもしたなら、彼女に逃げる術はない。
「ちょっ、ク、クレア様……!」
「グリフィンたちと一緒にいなさい」
なにか言いかけたティセナに、クレアは有無を言わせぬ調子で告げた。少女は、いつになく狼狽した様子で押し黙る。
「ど、どうします? 兄貴」
「考えるまでもねーじゃねえか。あれだけの上玉だ。こんなガキひとり売っ払うより、よっぽど金になるぜ」
男は笑い、クレアを手招いた。
「そうまで言うなら、こっちに来な、姉ちゃん――ただし、腰の刃物は捨てろ。あと、そこの野郎ども――おかしな真似しやがったら、ガキも女も両方殺すからな」
「…………」
安心して、と言うようにティセナに微笑みかけた、クレアは――要求どおり懐剣を足元に置くと、盗賊たちに向かって歩きだす。
「!?」
眼前で足を止めた彼女に、ヒュブリスは、無造作に剣の切っ先を突きつけた。
シーヴァスたちは思わず息を呑むが、天使は悲鳴ひとつ上げず、身じろぎすらしなかった。
「へっ……見かけによらず、気が強えーらしいな」
細い顎に手をかけ、満足げに嗤う盗賊を、クレアは臆した様子もなく見据える。
「あの子を放してください」
「ああ、わかったよ。どうせ人質は二人もいちゃあ、荷物になるだけだ」
クレアと幼女、両方を連れ去る気ではと懸念していたが、よくよく見れば連中は――おそらく金目の物を入れているんだろう――それぞれ大きな麻袋などを担いでいる。あれではさすがに、二人を連れては逃げ切れないだろう。
「おい、そいつは放してやれ」
クレアを捕らえたヒュブリスは、幼女を拘束している仲間へ向け顎をしゃくった。
「へ、へいっ!」
一回りは歳が離れていそうな相手に対して、男は従順に頷く。
「おらよ、命拾いしたな。おまえにゃもう用は無え」
「…………」
乱暴に放り出された幼女は、そのまま地面に座り込んでしまい、動こうとしない。
「……だいじょうぶよ」
クレアは辛そうにその姿を見つめ、自由になる方の手で、そっと幼子の頬を撫でた。
「もう、大丈夫だから。あそこの、お姉ちゃんのところに行って」
虚ろだった碧眼が、やがて亡羊とクレアを見上げ――みるみるうちに泣きそうな色を帯びる。優しく背を押し出された幼女は、おぼつかない足取りでこちらへ駆けてきた。しゃがみ込んだティセナが、ぎこちない仕草で、小さな身体を抱きとめた光景に、
「交換成立、だな」
肩の力を抜いたクレアの、無防備な背中に、剣の柄が叩きつけられた。
せっかく12人も勇者がいるんだから。
たまには共同戦線を張るイベントがあっても良かったと思うのです。