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◆ ソルダム復興(1)


「かいりせい……げんごしょうがい? 失語の理由が?」
 耳慣れない単語だったらしい。棒読み口調で反芻したシーヴァスは、難しい顔で外を眺めやった。

 青い絵の具を、丸ごと垂らしたような蒼天。
 真夏の日差しが、未だ略奪の痕跡を色濃く残す、疲弊したソルダムの景色を浮き彫りにしている。
 開け放した窓の向こうでは、金髪の幼女が物珍しげに、シーヴァスが連れてきた葦毛の馬と戯れている。ティセナは洗濯物を取り込みながら、その様子を見守っている。

「ええ。私の医学知識は天界のものですから、そのままセアラに当てはまるとは断言できませんけど」
 セアラというのは幼女の名前だが、本人から聞いたわけではない。
 彼女は、クレアたちがなにを訊いても答えなかった。名前や年齢も、すべて村人が教えてくれたことだ。
 最初は、両親の死や人質にされた恐怖で、話す気力すら無くしているのかと考えていたが、どうやら喋ろうとしても声が出せないようなのだ。
 ここは無医村だったため、ひとまずクレアが診察したのだが――
「村人たちの話では、盗賊に襲われる前日まで、普通にしゃべっていたそうですし……喉元に怪我はありませんから」
 死者の葬儀が行われた、一昨日。
 子供たちが泣きじゃくり、大人のすすり泣きも切れ目なく聴こえる中、セアラは両親の墓前でぽろぽろと無音で泣いていた。それが余計に痛々しくやるせなかった。
「治るのか?」
 黙って説明を聞いていたシーヴァスが、ぽつりと訊ねる。
「いいえ。解離性言語障害は、心因的な症状ですから……あの子の下意識が癒えない限り、回復は見込めません」

 ニーベルンゲンの占領下にあったソルダムが解放されて、六日目の朝。
 クレアたちは、まだ村に留まっていた。なにしろ住人の四割が、まともに身動きも取れない怪我人ときている――すでに最寄りの役所経由でエスパルダ政府に連絡済だが、話を通してきてくれたティセナによれば、支援物資が到着するには早くても二週間かかるということだった。それまで、捕縛した盗賊団を監視しておく必要もある。
 負傷者の看護だけで手一杯な、クレアにとって。
 村の再建にまで協力してくれている勇者たちは、感謝してもしきれない存在だった。
 初対面で、いきなり大舌戦を繰り広げた青年二人。どうなることかと思ったが――ケンカ腰だった態度は、ここ数日で多少は軟化したようで、たまに口論しながらも二人して復興作業の指揮を執るようになっていた。
 あまり共通点が無いように見えた彼らは、行動力やリーダーシップ、勘の鋭さと、他者に配慮する優しさ、ついでに助力の理由を 『このところ暇だったからな』 と照れ隠し (?) するあたり、よく似ている。
 ……とはいえ相違点も多い。グリフィンは、あれこれ説明せず自分で行動に移して、それに周りがついていく感じだ。一方、シーヴァスは事前に打ち合わせして、相手を納得させたうえで物事を進めていく。どちらが良いという話でもない。違うやり方だからこそ、バランスがとれるんだろう。
(それにしても、あの人……)
 あの夜、クレアたちが東の集落へ辿り着いたとき、すでにディアンは姿を消していた。
 誰に訊ねても素性は判らなかった。はっきりしているのは、単身やってきて盗賊団を殲滅し、拘束されていた人々を助け出したこと。ソルダムに所縁ある人間ではないことくらいだ。
 服装や武器からして傭兵や憲兵ではなさそうだという見解は、四人とも一致していたが――クレアが人質として連れて行かれず済んだのも、彼が現れたからだそうで、

(……他に方法がなければ、正体を知られてでも脱出するつもりだったけど)

 感謝すべき、なのだろうか。だが――いつか再会できたとしても、心からの謝辞は述べられそうにない。
 ソルダムの東で、クレアたちが盗賊団と戦うことはなかった。首領ラベノスを含む、五十人近い盗賊が、物言わぬ骸と化していたからだ。あたりは血の海としか表現できない惨状で――

 物思いに耽っていると、ノックの音がごんごん響いた。
 クレアが椅子から腰を浮かすより早く、がちゃりと勢いよく扉が開いて、製材所にいたはずのグリフィンが顔を出す。
「おい。なんか村長が、話があるから来てくれってよ……ああ、シーヴァスもだ」

×××××


「セアラの引き取り手が、いない?」
 隣に立っていたクレアは、当惑気味に訊き返した。
「はい……セアラには、死んだ両親以外に身寄りがおらんのです。親しくしていた者はおりますが、村はこの有り様……そうでなくとも年寄りばかりの寂れた山村です。まだ幼いあの子を養っていく余裕は、とても……」
 ソルダムの長である小柄な老人が、恐縮しきった様子で、骨ばった首を縦に振る。
「こんなことを皆様にお伺いするのは、筋違いとは思いますが――どなたか、セアラを引き取ってくださるような方を、ご存知ありませんか?」
「オルデンなどの都市には、国営の孤児院もあるらしいんですが、あまり環境が良くないと聞いておりまして……出来ることなら、そこへは行かせたくないので……」
 村長の補佐役であるらしい壮年の男二人が、やはり気まずげに補足を加えた。

「オレは――悪りぃけど、そういったことに関しちゃ役に立てそうにねえな」

 真っ先に結論を出したのは、グリフィンだった。
 まあ、その職業からすれば妥当な返事だろう。二つ返事で引き受けられでもしたなら、むしろ疑念を抱かざるを得ない。
「私の故郷には、どうしても……連れて行けないんですよね」
 ぽつり呟いたクレアの、台詞が意味する本当のところは、まずシーヴァスたちにしか解らなかっただろう。
「シーヴァスは心当たり、ありますか? 知人の方で――セアラを、きちんと育ててくれるような」
「……いないことも、ないんだがな」
 天使には無縁の話だろうが、貴族社会は厳然とした階級制度に支配されている。全てに勝る価値基準は、血筋や家柄、財力、政治的な影響力――そういったものだ。なんら後ろ盾のない山村出身の少女では、養父母に可愛がられたとしても、周囲から冷遇されることは目に見えている。
「あの子の将来を考えると、貴族の家に養子として預けるのは……正直、気が進まんな……」
「そうですか……」
 思案していたクレアは、やがて顔を上げると意外なことを言いだした。
「あの、村長さん。お願い出来そうな人を、ひとり知っているので、頼めるかどうか訊いてみます。二、三日、待っていただけますか?」
「おおっ。本当ですか、クレア様!」
「よろしくお願いいたします、一週間でも一ヶ月でも待ちますので!」
 待つも待たないも無い。村長たちは大喜びで、ぺこぺこと彼女に頭を下げていた。

×××××


「いったい誰に預けるつもりだ、クレア。我々以外に、知り合いなどいたのか?」

 村長の家を出るなり、怪訝そうに訊かれてしまった。
(まあ、無理もないかな……)
 相手の都合も定かでないのに、あまり無責任なことを言うべきではなかったかもしれない。それでも、
「ええと、ですね。フィアナ――勇者の一人が育った教会が、クヴァール地方にあるんです。優しいシスターや同年代の子供たちがいますから、あの子も落ち着いて暮らせると思うので」
 全く知らない施設にセアラを預けては、不安も尽きそうにないが、シスターの元なら安心していられる。
 あの教会は、よくフィアナと一緒に訪れるから、定期的に様子を見にも行けるだろう。
「へぇ、教会か。いいんじゃねーのか?」
「クヴァール?」
 グリフィンは賛成してくれたが、シーヴァスは、なにか腑に落ちない様子で片眉をひそめた。
「それは……クヴァールの、どこだ?」
「タンブールという大きな街です。ここからは少し遠いですけれど」
 言い差したところで、ようやく問題に気づいた。
(あ、そうか。少しどころか、かなり遠いわよね――人間の、しかも小さな女の子にとっては)
 天使の身には、飛んで行けば一日もかからない距離だが、セアラの足ではどれだけかかるか予測もつかない。陸路を歩いて連れて行くとして……迷わずに済むだろうか? はっきり言って自信がない。

(キンバルト経由が近道だけど、砂漠を突っ切るわけにもいかないから、迂回して進むしかないし……途中でモンスターに襲われでもしたら、危険どころじゃすまない……う〜ん。セアラが寝ている間に運んじゃう、とか……無理よねぇ。怪しまれるわよね、普通……いくらなんでも、もう赤ちゃんじゃないんだから)

 思案に暮れながら、ふと視線を感じて顔を上げれば、
「……まさか、そのシスターとは、エレンという名の老修道女じゃないだろうな」
「え!?」
 シーヴァスが気まずげに発した問いに、クレアは、驚くと同時に呆気に取られた。
「ど、どうしてそんなことが解るんですか?」
「つまり、妖精が話していた “勝気な美しい女剣士” は、あの “兇賊狩りのエクリーヤ” というわけか――」
 質問は耳に届いていないようで、シーヴァスは、なにやら口の端をひきつらせブツブツと呟いている。どうしたものか判断しかねてグリフィンを仰ぐと、彼も、訳が分からないというように肩をすくめた。
 だが、とにかく 『エクリーヤ』 はフィアナの苗字に違いない。
「? あの……もしかしてエレンさんたちと、お知り合いだったんですか?」
「まあ、な」
 そう肯いたシーヴァスは、心なしか不機嫌そうに見えた。
「世の中って、意外と狭いんですね」
 クヴァールは、ヘブロンから見れば世界の反対側である。どういう縁で知り合いなのか気になったが、なんとなく質問を憚られる雰囲気だった。それに、まず先にやることがある。
「それじゃあ私は、ちょっと教会まで行ってきますから――」
 留守をお願いします、といいかけたところで。淡緑色の光が眼前を舞った。

「いえ、私に行かせてください。クレア様」

 声の主は、戦闘中に負傷して、ベテル宮で静養しているはずの妖精だった。
「ローザじゃねーか」
「どうしたの?」
「怪我は、もういいのか?」
「はい。先刻、ティセナ様にお会いしまして、皆様はこちらにいらっしゃると伺いましたので」
 口々に訊ねると、彼女は生真面目に答えた。
「事の経緯も聞き及んでいます。村には、まだ負傷者が多いようですから、クレア様は残って治療をお続けになってください。話は、私がフィアナ様を通して伝えてきます」
「……そう、ね。それじゃあ任せるわ。事情を簡単に説明して、エレンさんに女の子を引き取って育ててもらえないか、返事をもらってきてくれる?」
「はい!」
 固かった表情を、わずかに少し綻ばせ、ローザは勢いよく東へ飛び去っていった。
「いいのか? 休ませとかなくて――怪我してたんだろ、あいつ」
 グリフィンが、気遣わしげに妖精を見送る。
「ええ、そうなんですけど。ローザは真面目で……仕事をさせないと、逆にストレスを溜め込んでしまうみたいなんですよね」
 責任感が強いというか、仕事一筋というのか。
 休暇中だった彼女が、自主的に事件探索に出て、夜中に魔族に襲われたところをティセナに助けられたのは、つい二ヶ月前のことだ。当人が、気の毒になるほど恥じ入っていたため、これは他言無用になっているのだが。
「ああ。言われてみれば、そんな感じはあるな」
 あっさり納得されてしまうあたり、勇者たちの印象も似通っているんだろう。
「もう少し――肩の力を抜いても良いと思うんですけど、ね」
 とはいえ、言われて出来るくらいならローザもそうしているだろう。そういうことが苦手な性格なのだ。
 さっきの提案も却下すれば、また無茶をされかねない。ただでさえ本調子ではないのに……それなら、まだ伝令役をお願いしておくほうが安心である。

「じゃ、オレは製材所に戻るぜ。憲兵どもが来るまでに、立て直し済ませてずらかりたいからな」
 ひらひらと片手を振り、グリフィンは山道を登っていってしまった。
「五分もじっとしていないな、あの男は――」
 シーヴァスが、苦笑まじりに呟いた。その口調に、初対面の頃の刺々しさはない。
「さて、我々も戻るか。やるべきことは山積みだからな」
「そうですね」
 彼らにも、本来の仕事があることだし、
(……グリフィンの場合は、本業に熱を入れられても困るけど)
 シスターの了承が得られれば、セアラを送り届け、そのまま守護天使の任務に戻るつもりだ。
 政府から救援が到着すれば、ソルダム復興は、住民とエスパルダの役人に委ねることになるだろう――それまでに、出来る限りのことはやっておきたい。




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あああ。ますますディアンが悪人状態……。
彼のファンの方、これを読んでいらしたらごめんなさい。