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◆ ソルダム復興(2)


「本当に、ありがとうございました。満足にお礼も出来ませんで――」
「どうかこの子を、よろしくお願いいたします」
 八月上旬、早朝。クレアたちは村長たちに見送られ、ソルダムを後にした。

 セアラを預かることを、シスターは快諾してくれた。ただ、
『何ヶ月も教会を留守には出来ないから、その子をタンブールまで連れてきてほしい』
 とも言われたそうで。
 ローザの報告を聞いたところ、シーヴァスが、どうせ近いうちに立ち寄るつもりだったからと、同伴を引き受けてくれたのだ。悪いかなと思いつつも、クレアは彼に甘えることにした。自分が慣れない道を連れ歩くより、よっぽど安全だろう。

「ここからタンブールへは、やはりキンバルトを通過して行くのですか?」
「まあ距離だけを考えれば、その方が近いんだろうがな……」
「こいつ一人ならともかくセアラが一緒だろ? 急ぐ旅でもねえなら、北から回った方がいいと思うぜ。真夏のブスダム砂漠は旅慣れてる人間にとっても危ねえし、いちいち迂回してたんじゃ、たいして距離も変わんねーしな」
「ああ。私も、キンバルト経由で行ったことはないんでな。いったん屋敷に戻り、カノーアから航路で行くつもりだ」

 そんな話をしながら、深緑の木々に覆われた山道を降りていくと分かれ道に出た。左へ行けばヘブロン、右はキンバルトに通じているはずである。
「じゃあな。元気でな、セアラ」
 わしゃわしゃと頭を撫でられ、セアラは目を白黒させている。
 彼女の手荷物は、シーヴァスの物とまとめてフリートの背に預けてある。幼くても山育ちの子供だから、荷物さえなければ、ある程度は道が険しくても歩けるだろうと、村人たちが話していた。
「色々と、ありがとうございました。グリフィン。あとで回復薬をお持ちしますね」
「あー、まあ、それもいいけどよ――とりあえず、ゆっくり寝てぇな」
 ぼやき口調の彼を見て、ティセナが小さく笑みを漏らした。そのとき、

「たたた、大変ですー!!」

 ちりんりりんと、けたたましい音が鳴り響いた。
「……シェリー?」
 そろって頭上を仰げば、きょとんとしたセアラがそれに倣い、首をひねる。
「事件ですー!! ヘブロンの南方司令部から逃げだした凶悪犯が、エスパルダに逃げ込んで殺人事件を起こしましたっ! 北部の国境付近は大騒ぎで、あちこちに検問が張られて、周辺の混乱度が急激に上がってます!!」
 音の正体は、尻尾の先に結わえてある黄色い鈴だった。
 息せき切って飛んできた妖精の報告に、
「え……凶悪犯が、エスパルダ領内を逃げ回っているってこと!?」
「なにをやっているんだ、あそこの連中は――軍部は、中央ばかりを固めすぎだな」
 シーヴァスが、しかめっ面で嘆息する。
「囚人に脱獄されるなど、監視体制が甘すぎる。レイヴかラーハルトでも支部にいれば、まだ地方も安定するだろうに……」
「確かエスパルダとヘブロンに、たいした国交は無かったな――いくらあんたがイイトコの貴族でも、しばらく国境は通れねえんじゃねーか? 犯罪者が子連れで検問ごまかそうとするってのも、よく聞く手だしな」
「……人聞きの悪いことを言うな」
 彼は、不快げに片眉を吊り上げたが、
「だが、そうだな――おそらく国境で足止めされるだろう。いつになるかも定かでない検問の解除を、呑気に待ってもいられん」
 グリフィンの指摘自体は的を射たものだったらしく、うんざりと同意した。
「といって、セアラを連れて逃亡犯を探し回るわけにもいかんな……仕方がない。キンバルト経由で、オムロンを抜けていくか」
 傍らの幼女に視線を移したところで、金の双眸を瞠る。
「ど、どうした?」
 気づけばセアラは、初めて会ったときよりも真っ青な顔で、うつむきガタガタと震えていた。
(――しまった)
 凶悪犯がどうこう、などと。この子の前で持ち出して良い話題ではなかった。
「ああっ、ごめん、ごめんね? だいじょうぶよ、怖い人はここにはいないし、このお兄ちゃんと一緒に行けば……」
 あたふたと宥めすかしても、セアラは両手で耳を塞いでしゃがみ込んでしまい、頑としてその場から動こうとしない。
「そ、そこまでまずいことを言ったか、我々は?」
「えっ? ……もしかして私ですか? 報告のタイミング、悪かったですか?」
「知らねーよ、とにかくどれかがマズかったんだろ!」
 シェリーたちも小声で互いに目配せをしながら、おろおろと幼女を眺めるばかりだ。
「セアラ……あの、あのね……」
 なんとか元気づけなければ思うが――そもそも、なにを言う資格があるだろう?
 彼女の両親を助けられなかった、人間ですらない自分に。

「…………」

 クレアたちが口ごもったまま立ち尽くしていると、さっきからずっと黙っていたティセナが、小さく息をついた。
 そうして、ゆっくりと幼女に歩み寄っていき、
「…………セアラ」
 静かな声音で呼びかけた。
 至近距離だから聞こえてはいるだろうが、反応はない。それでも急かすことなく辛抱強くそのままでいると――ようやくセアラは、おずおずと顔を上げた。
「……怖い?」
 うずくまったまま、涙目で頷く幼女の顔を、
「そうだね。怖いことは、どこにでもあるよ。でも……静かで暖かい場所もある」
 そっと覗き込んだ、ティセナは淡々と言う。
「ずっと、ここで座り込んでいても、それはセアラの自由だけど――歩くの止めたら、どこにも行けないよ」
 しばらく、居心地の悪い沈黙が流れるが。
「セアラは、どこにいたいの?」
 やがて、まだ色の薄い唇は、声は無くとも 『きょうかい』 と答えた。
「じゃあ、誰と一緒に行けば、その教会に着くのかな?」
 わずかに表情を和らげ、ティセナが問う。
 セアラは自分で立ちあがり、ごしごしと勢いよく両目をこすると、走っていってシーヴァスの礼服の裾をつかんだ。
「……それだと、少しばかり歩きにくいな」
 しがみつかれた勇者は苦笑すると、長身を屈め、片手を差し出した。
 首をかしげた幼女が、おっかなびっくり伸ばした右手は――しっかりと握り返される。
「クレア様」
 ティセナは束の間、微笑んでいたが、すぐにいつもの調子に戻ってしまい、
「事態の収拾には、私が向かいます。シーヴァス様に同行してください」
「え? でも、任務の」
「ひとまずソルダムは落ち着いていますし、現時点で報告されている事件は、これだけでしょう。ヘブロンにも関わる事態ですから、レイヴ様の協力が得られるはずです。私だけでは対応できないと判断すれば、呼び戻しますから……途中まででも、セアラと一緒に行ってあげてください。その方がいい」
 そんな提案をしてきた。
「あ、それじゃ私が任務に当たるから――ティセがこの子についてて」
 ここ数日、ソルダムで過ごしていて、セアラはティセナといるときが一番くつろいで見えたのだが、
「私に四六時中、シーヴァス様と顔を付き合わせていろと?」
 少女は、素っ気なくかぶりを振った。
「…………」
 冷たく一瞥された騎士様はといえば、物言いたげに顔を引き攣らせている。
「フィン。クレア様たちの案内、頼める?」
「ま、しゃーねえな。クヴァールとの国境まで連れてきゃ、あとは大丈夫だろ」
「お願いね」
 さっさと話を先に進められてしまい、
「では、なにかあれば、ローザとシェリーを通して報告します」
「う、うん……でも、気をつけてね」
 クレアには反対するほどの理由が見つからず、了承するしかなかった。頷いたティセナは、シェリーを伴い歩きだす。
「あ、おい。セアラ!?」
「どこ行く気だ、そっちじゃねえぞ!」
 勇者たちの声に驚いて振り向くと、じたばたとシーヴァスの手を振り解いたセアラが、彼女を追いかけていくところだった。
「?」
 なんの騒ぎかと怪訝そうに振り返ったところへ、勢いよく飛びついてきた幼女を、
「うわ!?」
 華奢でも天界軍の剣士だけあって、体勢を崩すことなく抱きとめたティセナは、呆気に取られたように目線を合わせる。
「…………」
 セアラが、なにか言ったようだった。
 声がなく、顔も見えないため本当のところは分からない。ただ――しげしげと相手を見つめ、苦笑したティセナは、
「じゃあ、ね」
 幼女の金髪をくしゃっと撫で、ぽかんと浮いていたシェリーを目線でうながす。セアラもそれ以上、追おうとはしなかった。

 ティセナとシェリーの姿は、山道をしばらく進んだところで、森の陰に消えた。

×××××


 ぱちぱちと焚き火のはぜる音だけが、森の静寂に響く。

 日暮れが近づくまで山林を南下し続け、今夜は、いくらか開けた平地で野宿することになった。近くに小川があり、雨露をしのぐ大樹もある。真夏であるから、二、三日はこれでも支障ないが、なるべく早く町に入りたいところだ。
 フリートは近くの草むらに寝そべり、こんな長旅には慣れていないクレアとセアラも、歩き疲れたんだろう。簡単な夕食を終えて間もなく、二人して薄手の毛布に包まり、すやすやと寝入ってしまった。
「…………」
 クレアが天使だと知っているからか――それともセアラが金髪のせいか。その光景は、否応にもある絵と記憶を思い起こさせた。

「なあ。あんた……なんで勇者なんかやってんだ?」

 向かい側にあぐらをかき、ぼうっとしていたグリフィンが、唐突に訊いてきた。
「フォルクガングっていや、ヘブロン有数の大貴族だろ。そこの跡取り息子が、復興作業だの野宿だの、よく平然とやってられるな」
 今更確認するまでもないが、この男、よほど貴族を毛嫌いしているらしい――が、クレアがとりなしたのか、ソルダムで過ごした数日のうちに、どうにかまともに会話は出来るようになっていた。
「……さあな」
 しかし以前、レイヴにも問われたが、あらためて考えると分からない。
「まあ、村での生活も野宿も、昔はそれが日常だったからな――べつに抵抗はないさ」
「はぁ?」
 深く考えず事実を口にすると、グリフィンは、面食らったようにこちらを凝視した。
「親が変わり者だった、ってわけか?」
 触れられたくない話題を、自ら振ってしまったことに気づき、内心で舌打ちする。なるべく動揺を表に出さないよう、シーヴァスは話題をすり替えた。
「……そういう、おまえは?」
 まあ、訊いておきたい事柄ではあったが。
「盗賊団ベイオウルフの噂は、聞き及んでいる。どうやら義賊というのは確からしいが、クレアのことだ――協力者だからと、盗みを容認しているわけでもないだろう?」
「ん? ああ、あいつには、顔を合わすたび説教食らうよ」
 グリフィンは肩をすくめてみせたが、まったく悪びれた様子はない。天使に諭されても終始この調子なんだろうか。
「私からすれば、おまえの方がよほど酔狂に見えるがな」
 揶揄されて気を悪くした風もなく、くっくっと笑い。そうして、木陰で眠り込んでいるクレアたちに目を向けた。
「……こいつらに会ったばかりの頃な」
 小枝を無造作に焚き火に放り、おもむろに話を始めた。
「オレは神だの天使だの信じちゃいなかったから、任務を受けるのも面倒でさ。断る理由にこじつけて、ティセに言った。全知全能の神サマなんてもんが本当にいるなら――なんだって世界はこうも不条理で、まっとうに暮らしてる連中ばかりが酷い目に遭うんだ?」
 シーヴァスも他人のことを言えた義理ではないが、少女相手に大人気ない話だ。しかしまあ、尤もな疑念ではある。
「天使で、しかも子供だからな。感情的にオレの不信心を責めるもんだとばかり思った」
「彼女は、なんと……?」
 あのティセナが、天使らしく人間の不信心を咎めるとも思えないが。さりとて、どう応じたのか想像がつかない。

「――神はいない」

 グリフィンは暮れ行く空を仰ぎ、ぽつりと答えた。
「それは世界と同義で、そこに在るだけで、なにもしない。人間が考えるような意味での天使は、誰も救わない。だから自分でどうにかしなきゃならない。誰がどうなろうと、どうでもいいなら勝手にすれば――だとよ」
 よほど記憶に焼きついているのか、すらすら読み上げるように言い、苦笑する。
「あのときは、これが本当に天使の台詞かよ、と思ったけど……なんつーか……考えれば考えるほど、現実だったからな」
 炎を見据える眼光には、確かに、そこいらの夜盗には有り得ない明瞭な意志があった。
「セアラみてーなガキが増えるのは、納得いかねえ。だから、あいつらに手を貸す。失敗しようが間に合わなかろうが、なにもしないよりマシだからな――それだけのこった」
「そう、か……」
 解りやすい動機だ。それだけに揺らぎない。
「だが、少なくともセアラにとって、天使の存在は救いだっただろう」

 クレアたちの手で、あの幼女は助け出され、両親を亡くしても自らの足で歩こうとしている。
 インフォスは、天使の加護を受けている――たとえ万能ではなかったとしても。

「……そうだな」

 名の知れた盗賊団を束ねる男が、セアラたちに向ける目は、驚くほど穏やかで優しかった。



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ティセナ嬢。
たとえ子供の前でも、シーヴァス相手に愛想よくする気は皆無(笑)