◆ オムロンの宿にて(1)
「……あ。ここはクヴァールの、オムロンの町ですよね?」
歩道の左右に広がる、柵で囲われた牧草地。
クレアが近寄ると、寝そべっていた羊たちは身を起こし、甘えるように鼻面を近づけてきた。セアラは興味津々といった様子で、羊の毛をつついたりしている。
「そうだ。今晩は、ここで宿を取る」
ちょっかいを出された羊が幼女に顔を向け、めぇ〜と間延びした調子で鳴いた。
「!」
セアラは巣穴に潜りこむ小動物のように、素早く天使の背後に引っ込んだが、やはり視線は羊に向いたままだ。ソルダムでは家畜といえば山羊ばかりであったから、羊が珍しいんだろう。
「この先は街道が整備されているからな。フリートに乗っていける。来週中にはタンブールへ着くだろう」
「フリートに? 器用なんですね、シーヴァス」
「……は?」
事件現場に向かうため馬を使ったのは、なにも今回が初めてではない。なにを今更、と思ったのだが、
「セアラを抱えていても、手綱を捌けるんですか」
「まあ、出来なくはないが――君が抱いていれば済むことだろう?」
「え」
きょとんとした天使は次の瞬間、驚いたように馬とシーヴァスを見比べた。
「もしかして、私も乗るんですか?」
「なにか問題でもあるのか?」
「だって荷物を積んでいるうえに三人も乗せたら、いくらなんでも、フリートが重いでしょう?」
しげしげと馬を見つめて言う。フリートは、かまわれたそうに尾をばさつかせている。
「荷物といっても、クヴァールの中央道沿いには町が点在している。食糧を買い込んでいく必要がなくなるからな。子供二人乗せたところで、こいつにはどうということもないさ」
軽く答えてやると、クレアは面食らったように立ち止まった。セアラが首をかしげ、彼女を窺う。
「どうした?」
「いえ、あの……今、私のことまで子供扱いしませんでした?」
「違うか? 君たち二人を合わせたところで、私の半分程度の重さしかないだろう」
「そ、そんなことないです! 私はちゃんと大人ですっ」
天使は心外そうに否定したが――そこでムキになるあたりが既に、おとなげ無いと思うんだが。
「――失礼。部屋は空いているか? ご主人」
クレアの抗議を笑って受け流しつつ、シーヴァスは、いくつか目に留まったうちで一番よさそうな宿に入った。
旅先で、宿泊施設が複数あるときは、特に庭の手入れや掃除が行き届いた宿を選ぶようにしている。建物や料理の豪華さと、居心地の良さは必ずしも比例しない。逆に、店の佇まいや雰囲気は、利用後の満足度と一致するものだ。婦女子を連れていては尚更、ガラの悪い宿は避けねばならない。
「はい、いらっしゃいませ。お泊りいただけますよ」
受付カウンターに座っていた人物は、初老の男性だった。黒ぶち眼鏡の奥、細い目元が、見事な笑いジワを刻んでいる。
続いて入ってきた天使と幼女は、二人して物珍しげに館内を観察している。
「三名様でよろしいですかな?」
老人は、穏やかな口調で確認を取った。
ちなみに、この段階で 『お荷物お預かりします』 だのなんだのと、従業員がまとわりついてくるような宿を、シーヴァスは敬遠している。朝から晩までサービスという名目で様子伺いに来るため、ろくにくつろげないからだ。だが、ひとまずここは心配なさそうだった。
「ああ、それから馬が一頭いるのだが。厩はあるだろうか?」
「ございますよ。後ほど飼葉もご用意いたしましょうかな」
「そうだな、頼む」
宿帳に記入を終えたところで、奥の廊下から、30代後半と思しきエプロン姿の女性が姿を現した。
「あら、お義父さま。お客様ですか?」
「ああ。先に厩へご案内してから、三階の部屋にお通ししておくれ」
どうやら、ここは家族経営の宿であるらしい。
「はい。どうぞ、こちらです」
女性は、人好きのする笑顔で頷くと、シーヴァスたちを促して歩きだした。
×××××
「オムロンへは観光でいらっしゃったんですの?」
この宿の 『女将』 だという女性は、厩から部屋へと移動する間も、あれこれとクレアたちに話しかけてきた。
「いえ、タンブールに知人を訪ねていく途中です」
シーヴァスが、さらっと答えている。こういう施設においてはごく当たり前のやり取りなんだろう。
「そうですか。お国は、やっぱり北方で?」
「ええ、まあ」
クレアは、ときおり相槌を打つくらいだ。女将の話には、知らない固有名詞が頻繁に出てくるため、いまいち流れに乗りきれない。
(きたがた……北の方って、ことかしら?)
ずっと黙っていては変に思われるだろうが、無理に的外れな返事をしてシーヴァスを困らせるよりいいだろう。
「そうでしょうね、お二人の目や髪の色は、なかなか南じゃ見かけませんもの」
女将は、うんうんと納得している。勇者の旅先に同行することは何度もあったが、こんなふうに人間の姿で訪れたのは初めてで、いまいち勝手がわからない。
「でも、いいですねぇ〜。家族旅行」
「……は?」
隣を歩いていたシーヴァスが、石化したように見えた。
「うちの亭主なんて、まあ旅館が忙しいから仕方ないんですけど――結婚して丸十年、旅行なんて新婚でカノーアに行ったのが最初で最後ですよ? 奥さんが羨ましいですわ〜、こんな素敵な旦那さんがいるなんて」
「え? いえ、あの……」
ますます会話内容が解らなくなっていく。
奥さん旦那さんとは、確か結婚した人間の男女の呼称だったような? それとも自分の覚え違いで、『あなた』 などの二人称と同義だったんだろうか?
「北方みたいにオシャレな施設はありませんけど、オムロンは、のどかな土地柄が自慢なんですよ。せっかく遠くから来られたんですもの、ゆっくりしていかれてくださいね」
返答に詰まっているうちにも、女将は話をどんどん先に進めてしまう。
助力を求めるべく勇者を窺えば、なぜかシーヴァスは少し後ろに立ち止まったまま頭を抱えていた。背後にどんより暗い影が差しているように見えたのは、気のせいだろうか?
「では、これが307号のルームキーでございます」
突き当たった扉の前で、クレアは、金属製の鍵がついた木札を渡された。
「あ、はい」
「それから、お食事はいかがいたしましょう。食堂は下にありますし、外で食べていただくことも出来ますけれど。長旅でお疲れでしょうし、お部屋までお持ちしましょうか? 娘さんは好き嫌いとかございます?」
「……え、ええと (私に聞かないでください〜っ!)」
娘さん。小さな女の子でも 『娘さん』 と言うのだろうか? 20歳前後の女性を差す言葉だと思っていたが、セアラを見て訊かれたんだから、この子のことだろう。村の食事でピーマン以外は食べていたから、ピーマン以外なら平気だろうが、食事をどうするかという決定権はシーヴァスのものであって――
「あの、シーヴァス。どうしていただいたら良いでしょう?」
「…………」
助けを求めると、後方で固まっていた彼は、ようやく顔を上げてくれた。
「とりあえず……部屋は二つ用意してもらえないだろうか。彼女たちは、私の妻子というわけではないのでな」
どことなく不機嫌そうな調子で言う。
(さいし――才子 祭祀 妻子 祭司 再思 再試?)
クレアは、知っている限りの同音異義語を思い返してみた。話の流れからすると、当てはまるのは 『妻子』 だろうか? だとすれば、かなり豪快な誤解をされている。
「えっ?」
ぽかんとしていた女将は、
「え!? あ、あらいやだ違うんですの? すみません、私ったら……!」
真っ赤になって、口元を片手で押さえた。
「ほら、その子の髪と、目の色が、ちょうどそれぞれお二人に似ていますでしょう? それでてっきり――可愛い盛りの子供さんかと」
冷や汗混じりに笑う女将の反応は、どこかシェリーを思わせた。笑ってごまかす、という感じである。
「まあ……そういわれればそうかもしれないが……」
シーヴァスは複雑そうにクレアたちを見やり、また頭を抱え込んでしまった。
「で、ではこの向かいの二部屋をお使いくださいな」
女将は307の木札を、いそいそと別の二枚に取り替えた。
「食堂、お風呂、娯楽室等は、すべて一階にございます。なにか御用がございましたら、そこの呼び鈴を鳴らしてくださいませ」
やりたかったネタひとつクリア〜。おしゃべり女将さんには、いずれ再登場していただきますかな。