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◆ オムロンの宿にて(2)


「戻っているか? クレア」
 一風呂浴び、着替えを終えてから、シーヴァスは向かいの扉を叩いた。
 少し早めに宿へ入った甲斐あって、浴場は貸し切り状態だった。やはり混雑を避けるには時間をずらすのが得策である。
「はい」
 カタコトと物音がして、すぐに扉は開けられた。
「……っ!?」
 現れた天使の姿に、思わず息を呑む。
 薄い水色、ノースリーブのワンピースはありふれたデザインで、胸元はさほど開いておらず、丈も膝下まであるのだが――薄い生地が、柔らかな身体の線をくっきり形どっている。風呂上りだからか、ほんのり桜色に染まった肌に、いつもの壊れ物めいた非現実感はない。
 水分を含み、いくぶん色を濃くした、無造作に束ねられた銀髪。洗髪剤だろうか? ふわりと甘い香りが鼻腔をくすぐった。
「シーヴァス?」
 小首をかしげ、覗き込んでくる天使を前にして。目のやり場に困りつつ、どぎまぎと視線を逸らす。
「いや……その……」
 女性の部屋着姿など珍しくもないのに、なぜクレア相手に動揺せねばならんのだ、と自問し――普段とのギャップに因るものだと悟る。
 出会ってから彼女の服装といえば、季節問わず、長袖のローブばかり。英霊祭会場ではワンピース姿だったが、それでも肌はしっかり隠してあったわけで。
 真夏ともなると、さすがに気になり理由を訊ねたことがあったが、
『天界は常春なんです。だから服装は個人の好みでまちまちなんですけど、私は水属性なものですから、暑さや直射日光は苦手で。薄着で外を飛び回っていると炎症を起こして、ヒリヒリして眠れないので……ヘブロン王国周辺は、比較的涼しくて助かります』
 そんなふうに話していた。
 確かに室内で、しかも夜なら日焼けの心配はない。暑苦しいローブより、こういった服装のほうが自然だが。
「どうかしたんですか?」
 訝しげに問われたところで、シーヴァスはようやく用件を思い出した。
「あ、ああ……そろそろ食事に行かないか? あまり遅くなると、どんな食堂も男と酔っ払いの数が増えるのでな」
「…………酔っ払い」
 なにか嫌な思い出でもあるのか、珍しく、彼女は露骨に嫌な顔をした。
「セアラは、おなか空いてる?」
 奥のソファに座っていた幼女が、嬉しそうに頷く。
「それじゃあ行きましょうか」
 手招かれたセアラは、ぱたぱた走ってきてクレアの足元にまとわりついた。
「ま、待て!」
 部屋に鍵をかけようとした天使を、慌てて制止する。
「はい?」
「一応……人前に出るんだ。その格好では良くないな」
「えっ、なにか変でした? これ」
 クレアは焦ったように自分の服に目をやった。

 そんなことはない。むしろよく似合っているが――このままで彼女が他の宿泊客 (男) の視線に晒されると想像すると、あまり気分がよくない。ただでさえ目立つ容姿だというのに。

「いや、そうじゃない。まあ……人間の女性の嗜みといったところだ。今は君も」
 他の人間にも見えるのだから、と言いかけ、すんでのところで続きを飲み込んだ。今はセアラがいるのだ。子供でも、さすがに妙に思うだろう。
「ええっと。それで私は、どうしたらいいんですか?」
 それでも意図は伝わったようで、クレアは先を促した。
「ああ、その服に合いそうな上着はあるか?」
「……暑いんですけど」
「食事の間だけでいい。我慢してくれ」
「そう言われても、ほとんど洗濯してしまいましたから……」
 彼女は困り顔で呟くと、棚に置いてあった手荷物を引っぱり出してきた。
「洗濯?」
 言われて気づいたが、ベランダに、タオルや見覚えある衣服が干してある。
「……したのか? 君が」
「? はい。セアラの服と一緒に。ちょうどいい風が吹いていて、朝までに乾きそうだったので」
 それはまあ、洗わねば不衛生だろう。真夏であるから尚更だ。しかし天使の威厳や神聖さは、どこに――
「あ、シーヴァスの服も洗った方が良かったですか?」
 そう提案することに、なんら抵抗もないらしいが。
 守護天使に洗濯させるくらいなら、多少の手間はかかろうとも自分でやったほうがマシだ。
「私のことはいい。それより、上着は?」
「う〜ん……これでいいですか?」
 示されたものは、ワンピースと同じ色合いのシースルーだった。ここで眺めるぶんには目の保養だが、この場合は意味がない。下手すればマイナス効果である。シーヴァスは首を横に振った。
「じゃあ、もうこれしかありませんけど?」
 次に取り出されたのは、白い夏物のカーディガンだった。半袖で、やはり薄手だが透けるほどではない。ある程度、肌や胸元の流線も隠れる。
「ん、ああ、それでいいだろう」
 クレアは首をひねりながら、それを羽織った。いつにない艶っぽさが緩和され、シーヴァスは内心ホッとした。
「あの。基準がさっぱり解らないんですが――」
「気にするな。こちらの事情だ」

×××××


「ああ、お客様。すみませんでした、先ほどは嫁が失礼をしたようで」
 食堂に向かう途中のロビーで、受付の老人がクレアたちに気づき、にこにこと声をかけてきた。
「ワシも、てっきりお若いご夫婦かと思っておったんですが。よく考えてみれば、少々お若すぎますな」
「いや、まあ……気にしないでくれ」
 シーヴァスは曖昧な笑みを浮かべた。
「そうですか。ああ、食堂なら突き当りを右ですよ」
 教えてもらったところで、また別の宿泊客が訪れた。そろそろ満室になるんじゃないだろうか? 浴場も今だと込み合っているだろう。勇者に勧められたとおり、早めに済ませておいて正解だった。

 食堂へ入り、席につき。注文した品が運ばれてきてしばらくすると、
「当店の料理は、お口に合いますか?」
 アーシェと同年代だろうか、スープのお皿を持って来てくれた少女に、丁寧な口調で訊ねられた――なんとなく見覚えがあるような?
「はい、どれも美味しいです。ね、セアラ」
「…………」
 エビフライを頬張っていたセアラが、こくこくと頷く。
「そりゃあ良かった。つい一昨日まで香草を切らしてたんだが、ようやくターンゲリの爺さんが仕事に戻ってくれてなぁ」
 厨房から顔を覗かせた男性が、嬉しそうに言った。
「気持ちは解るんだが、食材が手に入らないとこっちが仕事にならねえし――ともあれ、ティアちゃんが無事で良かったよ。なぁ、サラサ!」
「ティアちゃん?」
 なにかあったんだろうか? 思わず訊き返すと、
「ああ、いや。旅の人には関係ない話なんだが……」
「そうだよ、お父さん。どっちも解決してるからいいようなもんだけど」
 父親らしき男性の前置きを受け、サラサと呼ばれた少女が説明してくれた。
「先週、友達が――ターンゲリって農家の子なんですけど、森に出掛けたまま行方不明になっちゃって。同じ時期に、ギャグスでオークが暴れたりしたから、みんなで心配してたんですけど、旅の男性が見つけて送り届けてくれたんです」
(……オークが、暴れて?)
 クヴァール地方に入っても、そんな噂は聞こえてこなかった。なぜだろうと思ったら、
「ティアったら内気な性格なのに、彼にはぴっとり懐いちゃって! なんでも仕事があるとかで、次の日には出立されたんですけどね、その人。オークを追い払ってくれたのも、彼なんじゃないかなぁ――じゃなきゃタイミングが良すぎるもの」
 自然にか、誰のお陰かは分からないが、もう事件は解決しているらしい。
「きっと世を憚る正義の味方なんだわっ。ワイルドな感じで、なかなかカッコ良かったし〜♪」
 少女は、目をキラキラさせている。
「そのあとティアが、ずっと物思いに耽ってるみたいだったから、一目惚れでもしたんじゃないの、ってからかったら……そんなんじゃないって真っ赤になってたけど……怪しいんですよねぇ。いつか白状させてやらなくちゃ!」
(ああ。この子、女将さんの子供かなぁ?)
 顔立ちもそうだが、しゃべりだすと止まらない感じがそっくりだ。
「おいおい――それこそ、お客様にはどうでもいい話じゃねえか。しゃべる暇があるんなら、こっち手伝ってくれ」
 父親に呆れ混じりに笑われて、少女は 『はいはい分かりました』 と拗ねたように答え、二人して厨房へ戻っていった。

「……なんだか、このあたりは平和そうですね」
 微笑ましいような気分で感想を述べると、シーヴァスはふっと苦笑しながら同意した。
「ああ、そのようだな」




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小学校の頃、いくら直射日光に当たっても日焼けしない同級生を不思議に思っていましたが。こういうタイプの人は、実は肌が赤くなってヒリヒリするので大変らしい……。