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◆ かくて命は連綿と


「やれやれ。町に入ったとはいえ、小さな子供が一緒では、のんびり食後に酒も飲めんな――」
 一人旅なら慣れているが、こうも勝手が違うものなのか。
 長旅の疲れからか、セアラは食事を終えて間もなくうとうとし始め、部屋に連れて戻り、どうにか就寝準備を終わらせたところで熟睡してしまった。
「え? そんな……いいですよ、シーヴァス。セアラは私が見ていますから、気にしないで出掛けてください」
 紅茶を入れようとしていたクレアが、申し訳なさげに提案する。
「そう、いちいち真面目に反応しないでくれ」
 シーヴァスは苦笑した。なにも本気でぼやいたわけではない。
 確かに、せっかくの 『任務』 から離れた旅だ。どこか静かな店で、天使とワインでも飲み交わしてみたいところだが、セアラひとりを残しては行けない――といって、自分だけが外出するにも不安は残る。

 案の定、クレアは宿ですれ違った人間の目を釘付けにしていた。露骨な視線を向け、連れの女性に脛を蹴り飛ばされた男も目撃した。
 セアラだけでなく天使も、世間知らずの子供と似たようなものだ。うかつに一人には出来ない。
 女将に既婚者扱いされたときには、かなり気が滅入ったが……この旅の間だけは、それで通しておいた方が面倒が少なくて済むかもしれない。

「明日も早くに発つのだからな、日付が変わる前に眠ったほうがいい。教会に着いてから、ゆっくりさせてもらうさ」
 とはいえ、まだ夜の十時を回ったばかりだ。
 子供は寝る時間だが、シーヴァスには早すぎる。自分の部屋で過ごそうにも、旅先では本すら手元にない――そんなわけでクレアたちの部屋に留まり、雑談に興じている次第だった。それに、とりあえず子供の寝顔は眺めていて飽きない。
「お砂糖、入れます?」
「……ん。いや、そのままでいい。ありがとう」
 受け取ったカップから、ほど良い芳香がたちのぼる。宿の備品を使ったにしては、上質の香りだ。紅茶は産地・銘柄も重要だが、湯の温度などにも左右される。素材が良かったのか、クレアの技量か――さて、どちらだろう? なんにせよ、紅茶が美味いに越したことはない。

「あの、シーヴァス。お聞きしたいことがあるんですけれど……」
 自分のカップに砂糖を少量入れながら、天使は、思い出したように訊ねた。
「なんだ?」
「人間は、12歳で親になるものなんですか? 天界の感覚では、まだほんの子供なんですが」
「…………は? どこから、そういう話になるんだ?」
「いえ、ここの女将さん――最初、私をセアラのお母さんと勘違いされていたようなんですが」
「……そうだったな」
「セアラは7歳だって、村長さんが仰っていて」
「それは知っている」
 ただ、村の生活では栄養状態が良くなかったのか、せいぜい5歳くらいにしか見えないが。
「19歳の私が、7歳の子供の母親だとしたら、12歳で産んだことになるじゃないですか」
(なるほどな……そういう解釈か)
 しかし見事なまでに方向がずれている。出会ったばかりの頃よりマシになったが、どうしても天使という種族は、こうした分野の知識が欠落しているらしい。
 シーヴァスには、誤解された理由も分からないではない。女将が指摘したようにセアラの容姿は金髪碧眼で、髪の色はシーヴァスに、目の色はクレアに近い。妹と見なすには歳が離れすぎているし、またクレアが実年齢より落ち着いて見える。しかも天界では小児科勤務だったとかで、子供の扱いは手馴れた様子であるから、他人からすれば親子に見えても――10代後半で出産したと考えれば、不自然ではないだろう。
「まあ、産めないことはないのかもしれんが……こちらでも12歳は、あくまで子供だ。普通、そんな年齢で 『母親』 にはならない。早くてもせいぜい18歳前後だろう」
「じゃあ、男の人も16歳では――」
「なってたまるか!」
 思わず語気が強くなってしまった。これが貴族の令嬢たちならば、
『私たち、夫婦に見えるんですのね。嬉しいですわ!』
 などと冗談で済ませてくれるだろう。ティセナあたりなら、馬鹿馬鹿しいと顔をしかめるか、
『あなたと夫婦に見られるなんて、冗談じゃありません!』
 怒って一蹴するだろうが。クレアは心底不思議そうに首をかしげており、それがまた “既婚者扱いされた” 事実を否応なしに痛感させてくれる。
 まったくもって心外だ。所帯じみた空気など一切、持ち合わせているつもりはない。世間一般で、父親呼ばわりされるような年齢でもないというのに……。
「あの女将、少々早とちりが過ぎるな――」
 憤慨するシーヴァスとは対照的に、クレアには、10代で母親扱いされたことも、天下のプレイボーイと夫婦に見なされたこともどうでもいいらしく、
「……ゆっくり続いていくもの、なんですね」
 感心したようにセアラを見つめる。天使の思考回路は、やはり謎だ。
「? なにがだ」
「天使は死んだら、それで終わりですけど。いつかセアラが大人になって結婚して、赤ちゃんを産んだら――その子供も十数年かけて成長して、誰かと巡り逢って。亡くなられたご両親の命も――そうやって受け継がれていくんですね」
 そっと幼女の頬に触れ、人間は不思議です、と呟く。
 ほのかな微笑を浮かべた彼女の横顔は、やはり 『あの絵』 を思い起こさせた。
「……そういう考え方も、あるんだな」
 天使だからか、それともクレアだからなのか。自分は――そんなふうに思ったことなど、なかった。
「?」
 クレアは、戸惑ったように振り返った。ぽつりと漏らしただけの言葉に、なにを感じ取られたとも思えないが。シーヴァスは極力、動揺を表に出さないようにカップの中身を飲み干し、立ちあがった。
「さて……そろそろ私は部屋へ戻るが、扉に鍵をかけて、知らない人間が来ても開けないようにな」
「? どうしてですか」
「人間社会の常識だ。夜中に、面識もない婦女子の部屋を訪れるような輩は、小悪党と相場が決まっている。セアラの安眠を、妨害させるわけにはいかないだろう」
「そういうものなんですね。分かりました」
 クレアは神妙に頷いた。
 彼女は 『常識』 という言葉に弱い。あきらかに嘘と知れるものは別だが、そうでなければ大抵のことは素直に信じてしまう。出会ったばかりの頃はそれがおもしろく、つい何かにつけてからかってしまい、よくティセナに睨まれていた――まあ、こう言い含めておけば、知らない男が訪ねて来ても無防備に招き入れはしないだろう。

「じゃあな、おやすみ。クレア」
「はい。おやすみなさい、シーヴァス」

 扉の外まで見送りに出てきた天使は、柔らかく就寝の挨拶を述べた。




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戦闘抜きのイベントは、書いていて楽だが長くなりがち。
どうにか簡潔にまとまらんものか……。