◆ 寄る辺なき子供たち(1)
「ひゃっ、きゃあ、きゃああああっ!?」
「クレア……もう少し、静かにしていられないのか?」
晴天の下、ひっきりなしに響く甲高い悲鳴に、辟易したシーヴァスが馬を止め。呆れ果てて振り返ると、
「だって、揺れるんです! 飛んで跳ねて浮いてます! 振り落とされます!!」
背後でがちがちに固まっていた天使は、半分涙目で訴えた。
「フリートも私も、そんなことはしない」
「それは分かってますけど、揺れるんです!」
「乗馬とはそういうものだ」
「そんなこと誰が決めたんですか!?」
「知るかっ!」
「降ろしてください、シーヴァス〜っ! 後からちゃんと、ついて行きますから……」
「それを、どうセアラに説明する気だ、君は!?」
不毛極まりない会話を、間に挟まれる位置に座った幼女は、困り顔で眺めていた。
オムロンを出発してほどなく街道へ入り、馬を飛ばそうとしたところ――実際に乗るまでは平然としていたクレアが、フリートが走り出したとたん大騒ぎし始めたのである。
まあ、有翼種族に乗馬の慣習は無いだろう。
それでも彼女は動物好きのようだし、すぐ慣れるだろうと高を括っていたら予想は外れ、悲鳴も一向に止まらなかった。
他方、セアラは手綱に掴まりおとなしくしている。幼女の面倒を見るために同行している天使が、この有り様では本末転倒だ。
「だから、きちんと手綱を持っていれば落ちないと言っているだろう?」
「無理ですっ、横か後ろに転がり落ちます! アカデミアの体力測定だって、平均台や体操はボロボロの出来だったんです! 平常点込みでも50点だったんです〜っ!!」
青褪めた顔で泣きごとを言う。どうもバランスの取り方が下手なようで、馬体が揺れるたび鞍からずり落ちていくらしい。
「……いったん休憩するか……ほら、降りたまえ」
シーヴァスは馬を降り、天使に片手を差し出した。
「降りられません〜」
恐る恐る地面に目をやり、情けない調子で首を振ったクレアは―― フリートが 『早く行こう』 と急かすように前脚で土を掻いた、わずかな振動にまたバランスを崩して悲鳴を上げ、手綱にしがみつく。
(もしかしなくても……運動音痴か?)
平気で空を飛んでおきながら、何故、この高さが駄目なんだ?
これでは先を急げない。せっかく馬がいるのに徒歩で進むなど、労力の浪費もいいところである――とはいえ、クレアが別行動するとなればセアラへの説明が面倒だ。
それにシーヴァスは正直、子供の扱い方など分からない。相手が失語した幼女では、なおさらだ。
初め、タンブール行きを引き受けたときは、適当にどうにかするつもりでいたが……旅をしていて痛感した。自分では荷が重過ぎる。天使には、せめてタンブールまで同行してもらわなければ困る。
「しかたないな――」
休憩しようがするまいが、変化はなさそうだ。
嘆息しつつ馬に飛び乗ると、クレアは、また振動に怯えて悲鳴を上げた。そんな彼女を、セアラが気遣わしげに覗き込む――いったい、どちらが子供なんだか。
「……クレア」
辟易しながら、天使の手を取り。
いつかとは違って、しっとりした質感を持つその腕を、シーヴァスは自分の胴体へ回させた。
「? ……?」
どうにか顔を上げたクレアだが、表情は未だ引き攣っている。
「捕まっていたまえ。手綱よりは安定するだろう」
幼女は、シーヴァスの背と天使の胸に挟まれる形となった。多少、窮屈だろうが、振り落とされる心配はあるまい。
「セアラを絞め殺さないようにな」
「……気をつけます」
冗談で言ったのだが、クレアは消え入りそうな声で頷いた。もはや冗談を返す余裕すら無いらしい。
「日暮れまでには次の町に着きたいからな。悪いが、飛ばすぞ」
「は、はい!」
回された両腕に、力がこもる。整った顔を強張らせ、冷や汗を浮かべているんだろう。
絶世の美女を連れているわりに、なんとも色気に欠ける旅路だった。
規則的な揺れが眠気を誘ったのか、セアラは、いつの間にやら天使の胸にもたれ眠りこけていた。体勢的に落とされる心配がないとはいえ、器用なものである。
半日も馬に乗っていれば、いくら苦手だろうと多少は慣れるものらしく、クレアも相変わらずシーヴァスにしがみついてはいたが、とりあえず馬上でじっとしていられるようになっていた。
だが、それがもう少し後であれば――とも思った。夕刻、ノーメンの町を通り過ぎようとしていたときに。
「シーヴァス。あの子たち、どうしてこんな路上に……?」
「……家が貧しいんだ」
どう答えたものか少し考え、シーヴァスは表面的な事実を告げた。
「ああして、通りすがりの商人や旅人が哀れんで、金貨なり食料なりを与えるのを待っている」
ノーメンは、治安が悪いクヴァールでも一、二を争う貧民街だ。
戦災孤児や家を失った老人、まともな町にはいられなくなった犯罪者――そういった者たちが寄り集まい、ひとつの集落を形成している。うっかり迷い込みでもしたなら、身ぐるみ剥がされるだけでは済まない無法地帯。相手が幼子だろうと油断や同情は許されない。
立ち寄るつもりは毛頭ない。ここから二時間程度の距離にある、工業都市プルクラで宿を取る予定だ――しかし、大丈夫だろうと踏んでいた付近の街道にまで、ぼろぼろの服を着た浮浪児が溢れ返っていた。
詳しく内部事情を知ってしまえば、クレアは捨て置かないだろう。だが、これは小領主たちの怠慢で、天使が関わるべき問題ではないし、どうにか出来ることでもない。
「可哀相だが……いちいち相手をしていてはキリがないし、焼け石に水だ」
「…………」
クレアは、なにも答えなかった。御遣いの目に、彼らはどう映っただろう。
「……行くぞ」
手綱の動きに応え、フリートが足を速める。
世界の不条理。こうしたことを割り切らなければ、生きていけない。
「…………」
天使の頭部が、とんっ、と背に凭せかけられた。
「?」
周りを見ずに済むよう、顔を伏せたのかと思いきや、彼女は身をよじるようにして後ろを向いていた。
わらわら追いかけてくる物乞いの姿が、次第に遠ざかっていく。
「…………」
回されていた腕の力が、ふっと頼りなく緩み――やがて、また戻った。クレアの表情は見て取れない。豊かな銀髪が、風になぶられるまま靡いている。
彼女は、なにを思っただろうか?
朝方のように、馬上の揺れに怯えて固く目を閉じていてくれれば、知らずに済んだものを。
クレアの運動神経は並以下の設定。普段の同行では、そんなことはバレませんが……他の勇者たちにも、いずれ暴露してやりたいところです。