◆ 寄る辺なき子供たち(2)
「それにしても驚いたよ。まさかシーヴァスが、クレアさんと知り合いだったとはねぇ」
テーブルに向かい合わせ座った老修道女が、しみじみと言った。
「ええ。私も驚きました」
レイヴの件といい、世間とは狭いものだ。
さすがに、未だ面識のない女勇者二人までが、旧知の相手などというオチはないと思うが。
「しかし……本当に良いのですか? シスターエレン。セアラを引き取っていただいて」
シーヴァスは、当初から抱いていた懸念を口にする。
「ただでさえ、おひとりで面倒を見るには多過ぎる人数を育てていながら――また幼い子が増えてしまっては、手が回らないのでは?」
なにしろ、この教会を切り盛りしている大人は彼女だけだ。
「だいじょうぶだよ、そんなに心配してくれなくても……フィアナやジェシカが、なにかと気遣って手伝いに来てくれるし」
いくら近郊で “卒業生” が暮らしているといっても、毎日、顔を出せるわけではないだろうに。
「それに、フィアナに連れられてクレアさんが来るようになってから、子供たちが落ち着いてきてねぇ」
ガラス張りのサンルームを見やり、老修道女は、穏やかに目を細める。
長い旅路を終え、ようやく到着した教会で。
大歓待されたセアラは、挨拶もそこそこに遊戯室を兼ねたサンルームへ引っ張られていき――それから数時間が経つが、クレアも未だ、わんぱく盛りな子供たちの世話にかかりきりだ。
「私がいくら言っても、どうにもならなかった子が、彼女が相手だと素直に言うことを聞いて。町で悪さすることもなくなって……今じゃ、家事や畑仕事を手伝ってくれるんだ。昔に比べれば楽になっているくらいさ。ひとりくらい増えても、どうってことはないよ」
虚勢、ではないようだ。
去年に比べると確かに、血色と恰幅が格段に良くなっている。
はたしてセアラが、すんなり受け入れられるのかという懸念も、杞憂に終わり。
言葉の問題に関しても、クレアから 『読唇術』 なるものを教えられた子供たちは、その意思疎通方法にあっさり順応していた。平たく言えば、唇の動きから言いたいことを読み取るわけだが――シーヴァスは、手ほどきを受けてもいまいち上手くやれない。
……まあ、彼らにとっては、ゲーム感覚でおもしろいという要素も手伝っているんだろう。
「はい、どいたどいた。ジュース飲む人、挙手〜」
子供たちの中では最年長、エミィという13歳の少女が、トレイを両手で抱えて部屋に入って行き。
一斉に響いた 「いるー!」 の大合唱に、しかし彼女は応えず血相を変えて怒鳴った。
「あーっ、リオ? なに、お姉ちゃんの髪引っ張ろうとしてんのよ!」
「え?」
絵本の読み聞かせをしていたクレアは、きょとんと頁をめくる手を止め。
いつの間にか天使の背後に回り込んでいた、少年が 「ちっ、しくじったか!」 と舌打ちする。
「待てぇー、不埒者ぉ!!」
トレイを床に放置した少女は、脱兎のごとく逃げだしたリオを追いかけていった。残された子供たちは二人に構わず、運ばれてきたジュースを山分けにしている。
「エミィったら……不埒って意味、分かってるのかしらね?」
走り去る背中を見送りながら、クレアは首をひねり。
「へーんだ、おまえなんかに捕まるかー」
遠ざかっていった騒がしい足音が、再び逆方向から近づいてきて、ばたんと裏口から飛び込んできたエミィが叫んだ。
「あーん、もう! 騎士のお兄ちゃん、そいつ捕まえてー!」
「ん?」
しかし、そちらへ注意を向けたときにはもう、少年はシーヴァスの眼前を駆け抜けてしまっている。
「バーカ、バーカ。のろま〜」
「きーっ、むかつく〜!!」
頭から湯気たてそうな勢いで、地団太を踏んでいる少女を眺めながら、
「おやまあ。またかい、あの二人ときたら」
シスターは、呆れたように微笑んでいるだけだ。あれくらいなら仲裁に入る必要もないらしい。
「ケンカするほど仲が良い、といったところですか」
以前、ここを訪れたとき。リオは、誰ともまともに口を利かず、独りで殺気だった目をしていた。町をうろついては盗みを繰り返し、連絡を受けたシスターが夜中に謝罪して回ることも度々あったそうだ。
エミィも、責任感の強さが空回り、聞き分けない年少組を金切り声で怒鳴りつけたりしていたものだが――そういった刺々しさは、今は見受けられない。
「……あらあら。せっかく晩御飯に好きなもの作ってあげるって約束してたのに、リオはどこかに行っちゃったわねぇ」
クレアが唐突に、大きめの声で言った。
「しかたないから、みんなのリクエストで決めちゃおうか」
「わーい、クレアお姉ちゃんのゴハンー!!」
盛大な歓声が上がった。
ロールキャベツが良い、いやポトフだ、やっぱりビーフシチューだ、苺のケーキが食べたいと、いかにも子供が好きそうなメニューばかりを挙げ連ね、大騒ぎになっていく中――全速力で引き返してきた、リオは、サンルームに駆け込んだ。
「ハンバーグだ! ぜってーハンバーグだ!! 先約は俺だぞ!?」
ぜいぜいと肩で息をしながら、主張する少年を前にして。
「じゃあ、今晩はハンバーグを作るので」
クレアは、おかしくてたまらないといったふうに、くすくす笑いながら言う。
「働かざる者、食うべからず。リオは、どうしたら美味しいご飯が出来るか考えてちょうだいね?」
「……わーったよ。薪でも割るよ。ハンバーグのためだし」
不承不承に頷きそっぽを向いた、リオの顔は心なしか赤い。
「お願いね。私もそろそろ、食事の準備するかな――」
クレアは鞄を手にサンルームから出てくると、こちらに声をかけた。
「エレンさん、シーヴァス。ちょっと買い物に出てきますね」
「ああ、気をつけてお行きよ」
しかし混雑したタンブール市街で、彼女に道が分かるだろうか? 気にかかり、同行しようと言いかけたところで、
「あっ、市場に行くんだろ? 俺、荷物持つよ」
「あーっ、ずりぃぞ。俺も行くっ」
クレアにまとわりついた少年たちに、リオが、ムッとした様子で文句を言う。
「カッコつける前に、オモチャ片付けろよな、おまえら!」
彼らがすごすごと引っ込んだところへ、ちゃっかり名乗りを上げるエミィ。
「そーよぅ。クレアお姉ちゃんとは、私が行くの!」
「じゃあ、俺たちはサラダとスープの準備でもしてるからよ」
そう言い残して、裏庭へ向かったリオのあとに、
「玉ネギとニンジンがいるよねぇ……あ、鶏小屋から卵も取って来なきゃ」
「それから畑の草取りでしょ、水やりもして〜」
「洗濯物も乾いてるよね、取り込んどかなきゃ。セアラ、手伝ってよ」
「……?」
「うん、カゴはこっち〜」
わらわらとついていく子供たち――以前では考えられなかった光景だ。少年の荒っぽさに怯え、誰も、用が無ければ近づこうともしなかったというのに。
セアラの面倒も案外、リオあたりが率先して見てくれるかもしれない。
(私も日暮れまで、建物の補修作業でもやるとするか――)
そう思い立ち、腰を浮かしかけたところへ、
「不思議な娘さんだよねぇ……」
シスターが、手を繋いで町へ向かうクレアたちを見つめ、呟いた。
「なんでも医者の卵だそうだけど。フィアナと気が合う同年代の子なんて初めてだよ。子供たちもあんなに懐いて――」
フィアナ・エクリーヤについては、面識があるという程度だが知っている。かなり対照的な性格の二人だ。友人として紹介されたらしいが、さぞかし意外だったろう。
「彼女が医者になったら、まさに白衣の天使だよ。そうなったら、このタンブールに来てくれると嬉しいんだけどねぇ」
「……そうですね」
クレアが本当に天使だと知ったら、この信心深い修道女は、どんな顔をするだろう?
(確かに、不思議なものだな――)
居心地が、悪かったわけではないにせよ。それでも以前より、ずっと和やかな空気が流れている……この教会には。それが全て、彼女の影響なんだろうか?
まさか天使だと、悟られているわけでもあるまいに――
×××××
「う〜ん、いない……」
あてがわれた客室にはいなかった。裏庭の畑、物干し場、屋根裏、物置小屋――思いつく場所すべて探したが見当たらない。石の波動からして、敷地内にいるはずなのに。
「どこに行っちゃったのかしら、シーヴァス」
こんな時間に断りもなく出掛けてしまうとは考えにくいし、もしかしたら行き違いになったのかもしれない。いったん食堂へ戻ろうと、引き返しかけたクレアの視界に、ふと礼拝堂が映った。
「……あ。そう言えば、ここはまだ見てなかったっけ」
普段の生活習慣からして、彼には用が無さそうだと後回しにしていた場所だったが。
「やっぱりここにいたんだねぇ、シーヴァス」
微かにシスターの声が聞こえた。庭に面した扉には、もう鍵がかけられているはずなので、クレアは窓から中の様子を窺う。
「夕食の準備が済んだから、呼びに来たんだけど――」
とっくに日が暮れているため、礼拝堂には数本の蝋燭しか光源がない。
それでも祭壇に立つ青年と、奥の廊下から歩いてくる修道女の姿が視認できた。
「シスターエレン?」
シーヴァスが、驚いたように振り向いた。老女は彼の隣に並び、祭壇の後方に飾られた絵を見上げる。
「お母様の絵だったね、これは」
「ええ、そうです」
どこかバツが悪そうに肯定して、シーヴァスは絵に視線を移した。
「なんだか、この絵のお母様と今のあなたは、似てきたように思うよ」
「そう……ですか?」
問い返されたシスターは、絵と彼とを交互に見つめながら微笑んだ。
「金色の髪や、目の形。それに――雰囲気が」
シーヴァスは、なぜか困惑した表情で黙り込んでしまう。
「……まあ、年老いた私の目で見て、なんとなしに感じたことだから、気にしないで」
シスターは苦笑して、話題を変えた。
「さあ、そろそろ食堂においで。でないと、子供たちが全部食べてしまうよ」
「分かりました、すぐに行きます」
うながすように歩きだした修道女を見送って、シーヴァスは、しばらくその場に佇んでいたが、
「自分では――そうは、思えないがな」
ぽつり呟くと、どことなく疲れた足取りで礼拝堂を出ていった。
(この絵が、シーヴァスのお母さん……?)
にぎやかな夕食を終えたあと。クレアは再び、礼拝堂を訪れていた。
昼間なら、近所に住む人々が祈りを捧げ、ときには結婚式の舞台にもなる建物だが、今は誰もいない。
「天使の絵……よね」
祭壇に立ち、あらためて見上げてみる。
二度目に、ここへ同行したとき、フィアナが施設内を案内してくれて。その後も何度も目にしている――金髪の天使が、人間の赤ん坊を抱いている絵だ。赤ちゃんの寝顔を見つめる天使の、表情はとても優しくて。
『綺麗な絵だろ? あたしが、この教会に引き取られた頃から飾られてるんだ。無名の画家が描いたとかで、まあ価値はほとんどないらしいんだけど。あたしは好きだよ』
そう説明してもらった。
これが、シーヴァスの母親をモデルに描かれたものなら、赤子はシーヴァスと考えるのが自然だ。
(……生まれた頃、この辺りに住んでいた……とか?)
フォルクガングの母子を描いた絵が、なんらかの理由で教会に寄贈されたとすれば――遠く離れたこの地に知人がいることも頷ける、けれど。
ソルダムで、フィアナたちと知り合いなのかと訊ねたとき、彼は言葉を濁していた。
昔住んでいた場所など、隠すようなことではないと思うが……なにか、あまり知られたくない事情があるのかもしれない。
話して構わないような事柄は、だいたい自然と話題に上る。
グリフィンとフィアナは、出会ってしばらくした頃、家族を亡くした経緯を話してくれた。
アーシェの母親は彼女を産んで間もなく病死しており、ファンガムの宮殿には、国王である父親と、エリオットという名の兄王子がいるらしい。
レイヴには両親と三人の姉がいて、全員、ヘブロン国内で暮らしているという。
ナーサディアは、もうずっと前、
『家は無いの。家族もいないから、ひとり気ままな旅暮らしよ』
故郷について質問すると、少し寂しそうに笑っていて。それっきり。
だがシーヴァスとは、そういう話をしたことすらない。
不自然なまでに、家族について話題を振る機会がなかったのだ。ヨーストの屋敷にいる人々も、使用人ばかりのようだし――
……いつか、訊ねてみたら話してくれるだろうか? この絵のことも。
教会の子供たち。ただ単に素直で可愛いだけってのも、嘘臭いんじゃあるまいかと。
これでもまだまだ甘いよなぁ、描写。