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◆ 魔樹ボルンガ反乱(1)


 ティセナ様たちが追った脱獄犯は、あっさり再逮捕された。
 それから間もなくクレア様も、タンブールの教会から戻ってきて。しばらく暇な毎日が続いていた。

 インフォスの季節は夏から秋、そして冬へ移り変わったけれど。
 新年を迎えても、勇者様たちの年齢は出会ったときのまま。カレンダーさえ去年の物と同じだって現実に、誰ひとり疑問を抱いていない。
 それは気づかれずに済んだほうが良くって、私たちの感覚じゃ、任務開始から二ヶ月も過ぎてないんだけど。時の淀み――よくよく考えると、やっぱり奇怪な現象だ。
 とはいえ、先のことを思い悩むなんて性分じゃないから。
「♪ 〜♪♪〜♪〜」
 私は、執務室で鼻唄を歌いながら、お砂糖とミルクを準備していた。今日の仕事は一段落していて、ローザが探索から無事に戻ったら、お待ちかねのティータイムになるはずだったんだ。
 事件さえ起きなかったら、クレア様の手作りお菓子を、おなかいっぱい食べられたのに……!

「クレア様、ティセナ様っ!」

 飛び込んできたローザの勢い。緊迫感。インフォスは今日も平和です、なんて報告に終わるはずもなくって。
「……事件?」
「はい! カノーア王国で、ボルンガの大群が人里を襲い、応戦した村人に重軽傷を負わせ――現在、フレンテの森を北上しています!」
「ボルンガですって?」
 真っ青になったクレア様は、椅子を蹴たてて立ちあがった。
「そんなはずないわ、なにかの間違いじゃないの!?」
「いえ。ですが、現に……あの」
 ローザは、しどろもどろに主張する。私も面食らった。こんなふうにムキになる天使様、初めて見たかもしんない。
「ご存知なんですか? その、ボルンガという種族を」
「前に会ったことがあるの。すごく知的なお爺さんで――レイヴも、ボルンガはモンスターに分類されてはいるけど温厚で、人間に危害を加えたりしないって言ってたわ! 彼らが、そんなことするはずない――」
 握りこぶしで力説された、ティセナ様は 「そうですか」 と頷いて、
「ローザ。立て続けに悪いけど、近隣地区の探索もお願い。これまでのパターンからして、事件発生は連鎖する傾向にあるから。ただ……日暮れ前にはベテル宮へ戻って」
「分かりました」
「それからナーサディアに依頼を。シェリーは私たちと一緒に来て。道中のサポートは、クレア様抜きでやる」
 矢継ぎ早に指示を出した。
「え、え?」
「どうして? 早く進む為なら――」
 毎度のごとく、おたおたしてしまう私と一緒になって、今回はクレア様までおろおろしている。
「いえ。ボルンガと接触するまで、魔力は温存しておいてください。もしかしたら戦わずに済むかもしれない」

(…………なんで?)

 頭の中を、疑問符がひよひよしている。
 それはローザも同じみたいで、私たちは、つい同時に顔を見合わせてしまっていた。

×××××


 勇者と合流して、二時間ほどで辿り着いたフレンテの森。

「あ、あそこです! ボルンガの大群が――」
 肌寒い森林に渦巻く気配を探りつつ、案内役を務めていたシェリーが、ぎょっとして叫び。
「……って、あれ? わあああ、誰か襲われてる人がいますッ」
「なにをやっているの、あのボウヤは!」
 一足先に獣道を抜け出たナーサディアも、サッと顔色を変えた。

「どうしちまったんだよ!? おまえたちは、あんなことする奴らじゃないだろ!」

 懇願。困惑。そして必死さの入り混じった――どこかで聞いたような声がする。
 木々の間を通り抜けシェリーたちに追いつくと、ボルンガの行く手を阻むように立ち塞がっている人影が、目に飛び込んできた。
「りゅ、リュドラルさん!?」
 声の主は、以前この森で出会った “竜の谷の神官” だった。
 しかも群れの中に、あのとき親しく話した老ボルンガまで見つけてしまい、クレアは、ますます訳が分からなくなる。
「おい、ボルンガ! 聞こえないのか!?」
 呼びかけられても彼らは無言で、
「…………」
 手加減なしに太い枝で、リュドラルのみぞおちを殴りつけた。
「ぐあっ!」
 まともに喰らい吹き飛ばされて、呻きながらも身を起こそうとする青年を、殺気だったボルンガ族がじわじわ取り囲んでいく。
(と、止めなきゃ……!!)
 クレアが慌てて飛び出しかけたときにはもう、棍棒に等しい無数の腕が叩きつけるように振り下ろされていた。しかし、
「死ぬつもりなんですか、あなたは?」
 空を切る打撃。
 実体化したティセナが間一髪、自分より背も高い人間を引きずるようにして、モンスターの群れから飛び退いていた。
「き、君は?」
 放り出されたリュドラルは、尻餅をついたまま、ぽかんと彼女を見上げ。
「…………」
 ティセナは質問を黙殺して、ボルンガの動きを警戒している。クレアは二人に駆け寄った。
「リュドラルさん、怪我は? これは、いったい――」
「て、天使様? どうしてここに!?」
「なんだ、資質者か……それなら、遠慮する必要も無かったですね」
 クレアたちのやり取りを耳にして、少女が天使の姿に戻ると、
「!?」
 思考回路が飽和状態に陥ったらしい。リュドラルは、あんぐりと口を開けて固まってしまった。


『 ―― “エデュー・ギルス” ―― ! 』


 ティセナは、構うことなく魔法を発動させた。
 ギンッと大気を震わせて、地面から突き出た水晶柱が一瞬にしてボルンガを呑み込み、
「ぼ、ボルンガっ!」
「ティセナ様……!?」
 自失状態から回復したリュドラルと、シェリーが真っ青な顔で叫ぶ。ナーサディアも当惑気味だ。一見、氷漬けにされたようにしか思えないだろうから、無理もないが。
「だいじょうぶ」
 クレアは彼らを制した。あれは地属性の補助魔法で、相手の動きを一時的に封じるものだ。ボルンガ族にダメージは無い。
 しかしティセナは術に集中しているのか、目を閉じたまま沈黙している。暴走を、魔法で止めたまでは良いが――このあと、どうするつもりだろう? 
 
「……傀儡の邪法」

 固唾を呑んで窺っていると、やがて少女は断言した。
「彼らは、自我の表層を麻痺させられているだけですね。これなら、クレア様の浄化魔法で洗脳を解ける」
「!」
 魔法体系に精通している彼女は、他者が纏う術の気配なども、意識して “探れば” 感じ取れるという。
 ボルンガ族の異変を聞かされた時点で、洗脳されている可能性が強いと判断して――だから 『戦わずに済むかもしれない』 と言ったのか。
「ありがとう、ティセ。やってみるわ」
 彼らを、無傷で助けられることは嬉しいけれど。邪法で操られていたということは、つまり。
(ううん。考えるのは後にしなきゃ……)
 勇者たちのおかげで、ここまで一切魔力を消費せずに来れたけれど。対象が多数なぶん集中しないと、制御に失敗しかねない。
 浮かんだ疑念を振り払い、クレアは術の発動体制に入った。
「えっ? だけど、いくら人助けの為でも、インフォスの生物に魔法を使ったりしたら、その。大天使様からお咎めが」
「傀儡の邪法は、れっきとした黒魔術だよ。シェリー」
 うろたえる妖精に、ティセナは冷静に告げた。
「くくくろ、黒魔術って――もしかして魔族が使うっていう、危険でグロテスクな感じで物理法則無視してて、下手したら呪われるとかゆー物騒な?」
 シェリーは縮みあがっている。
「そう。騒ぎの元凶は、魔族か、魔界の住人と契約を交わした者だ……洗脳レベルが極端に低いから、後者の可能性が高いけど」
 さらに問題なのは、下位魔族には黒魔術など使えないという事実。
 インフォスは、すでに中位以上の魔族から干渉されるまでに状況が悪化してしまっているのだ。
 混乱度は、これまで正常値で推移していたというのに――観測機関の資料も、肝心な水面下の動きが掴めなくては目安にできない。
「その走狗にされた彼らも、上層部にとっては闇の眷属。排除すべき外敵に過ぎない。魔法を使おうが斬り殺そうが、なにも言われやしないんだよ」
 つい気を取られてしまう内容の、二人の会話が途切れたところで、
『 “ 天と光に仇を成す、闇に喰われし総ての者に、我と汝が力を以て、永久の裁きと救済を―― ” 』
 ようやく詠唱を終えた。
 これはなんというか、イメージを具体的に思い描く儀式であり、ティセナのような高レベルの術者には不必要な過程だ。
 実戦で呑気に待ってくれる相手などいないのだから、訓練を重ねてどうにかすべき欠点だが、回復魔法はともかく浄化魔法に関してはまだ無理があった。


『 ―― “ディサス・エルジード” ―― !! 』


 ありったけの魔力を糧に、形を成した無数の光槍を “楔” にぶつける。
 きらめく水晶に吸収された光は、その内側で乱反射してボルンガの群れを刺し貫き、次の瞬間には音もなく爆発した。
「うわっ!」
「きゃ!?」
 眩しさと突風に煽られた、ナーサディアたちが腕で顔を庇う。
「…………」
 ばたばたと地面に倒れ伏したボルンガたちを前に、リュドラルは蒼白になった。
「て、天使様!? なにを――」
「術相殺の反動で、気を失っただけ。しばらくすれば意識も戻ります」
 彼を押し留めたティセナに、ナーサディアが訊ねる。
「終わった、の?」
「……この場はね」
 そう、まだ問題は山積みだ。けれど――ひとまずは、これで安心できる。
「ま、とにかく戦わなくて済んだわけね。やるじゃない、クレア」
「いえ、というか……これしか取り得がないんですよね。魔力もすっかり使い果たしてしまいました」
 勇者は手放しで褒めてくれたが、クレアは、もう疲労困憊で。いくら浄化魔法を使えても今の技量のままでは、この先やっていけないなと、骨身に染みて思った。



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『傀儡』……ずっと 『くぐつ』 と読むものだとばかり思ってたんですが、標準的には『かいらい』 らしい、この単語。 『くぐつ』 で入力しても変換されないとは! 市販のマンガにだまされた…… (いや別に、間違いじゃないんですけどね)