◆ 英霊祭
「ここに眠る幾多の英霊よ――その誇りと勇気を、我が騎士団は称えん」
初夏の蒼穹に、勇者の声が朗々と響いていた。
ヘブロン王国首都、ヴォーラス中心部に聳え立つシャリオバルト城。
三階に設置された半円状のバルコニー、整列した部下たちの先頭に立ったレイヴは、少し目を伏せ誄詞を上げている。
英霊祭も四日目。
クレアは、ティセナに付き添われ、午後から催される慰霊式典を見学に来ていた。
「すごい混雑ね。みんな、式典を見るために集まって……?」
押し合いへし合いの熱気に汗を拭う。
ざわめきと歓声、城下を埋め尽くした観衆は、周辺の路地へあふれ返り。
「おおっ、レイヴ様だ!」
「お姿を目にするのは、久しぶりだわ」
「ここ数ヶ月ずっと、各地へ魔物討伐に赴かれていたそうだからな」
「そうそう、ラダール湖に巣食っていた化け物も、あの方が退治してくださったんだよ! 近くに住んでる兄夫婦に聞いたんだがねぇ」
いまも年配の男女が噂していたところに、近くにいた老夫婦が目を輝かせて言う。
「あっという間にモンスターの群れを退治して。村人が大喜びで用意した謝礼も、次の任務があるからと一切受け取らず、すぐさま村を発たれたって話だ」
「まあ、素敵!」
「さすが、高潔で名高いレイヴ様……わが国の誇りだ」
騎士団長の仕事について知ってはいたが、国民から手放しで賞賛されている様子にあらためて実感する。
「たくさんの人から尊敬されているのね、レイヴは」
「そうですね」
短く同意したティセナは、また静かに頭上を仰いだ。
「――そうして残されたる遺志を継ぎ、戦い抜くことを、この剣に誓う」
携えていた剣を慰霊碑の台座に安置した、レイヴは黙祷を捧げ。
ざわめいていた会場が、誰からともなく静まって……人々は、厳粛な空気にうながされるように目を閉じる。
「ヘブロンの守護者たちよ。その魂に、永遠の安息のあらんことを――」
紡がれた祈りを以って、式典は終了した。
騎士団の姿が壇上から消えた、とたん広場はまた騒がしくなった。
英霊祭はまだ続く。国内外から見物客が集まって、最終日にあたる七日目には記念パーティーまで開かれるらしい。
「ありがと、ティセ。付き合ってくれて」
「……構いません。今は、歪みも小康状態を保っていますから」
確かに、それも事実だ――けれど、彼女も祈りに来たんだろうと思う。天界ではない、地上で。
数分の静寂に包まれて。
「さて、と……ちょっとレイヴに挨拶してくるわね」
現在、事件は発生しておらず。
「そのあとクヴァールへ行って、フィアナに祝福をかけてくるから」
彼女に、ややストレスが溜まっていること以外、勇者たちの健康面に問題もない。
「だからティセは、しばらく休暇をとって。ずっと休んでなかったでしょ?」
しかし少女は首を縦に振らず。
「いえ、疲れてはいませんから。これからフロー宮へ行って、新しい装備品を要請してきます。勇者様全員の維持レベルが、第二段階に達しましたので」
クレアは、ひそかに溜息をついた。
任務開始以来、ティセナは魔族狩りに飛び回っている。
彼女とインフォスの相性は良くも悪くもないようで、地上に降りても行動を制限されない代わりに、消耗した魔力は、天界で眠らない限り回復しないのだ。ひとたび怪我をすれば治療に時間がかかる、ティセナこそ無理は禁物だというのに。
とはいえ装備品の手配は、優先的に済ませておくべき事項ではあった。
アクセサリ類ならまだしも重量級の武具は、妖精に託せず。クレアたちとて一往復にひとりぶん運ぶくらいが精一杯だ。
そのうえ天界の物質である以上、ただ地上に放置しては消滅してしまう。
資質者の元にあれば生命エネルギーに呼応して、実体と聖気を併せ持つ特殊な物質へと変化していくが……そうなるにも数ヶ月を要する。高レベルのマテリアルは彼らの手にさえ余るのだ。
勇者たちが扱い慣れるまで待ち、段階的に変えていくしかない。
数値的には “平和” だが、淀みの原因は未だ不明――今後なにが起こるかも分からない。備えあれば憂い無しである。
「じゃあ、それが済んだら休暇ね。私たちが休まないと、ローザやシェリーも遠慮しちゃうでしょ?」
「……分かりました」
妖精を引き合いに出すと、ようやくティセナは渋々了承した。
「それじゃ、お願いね。フィアナが回復したら私も天界に戻るから。装備品は手分けして配りましょう」
武器の種類などを打ち合わせ、建物の裏手に回る。
お互いに実体化を解いたあと、遥か上空の “扉” へ飛び去っていく少女を見送り、クレアはシャリオバルト城へ向かった。
×××××
正門から城内へ足を踏み入れても。後片付けに追われている為か、また違う行事の準備があるのか、慌しく行き交う騎士たちはクレアを見咎めることがない。
それは姿が見えていないから当然で、どこにでも自由に出入りできて便利だが――時折、少し寂しいような気もする。
(うーん、だけど……レイヴは、きっとまだ仕事中よね。忙しいだろうし、周りに誰かいたら話しかけるわけにもいかないし。どうしようかな?)
考えつつ階段を昇りきると、急に開けた場所へ出た。
アーチ状に連なる柱、外側は広いバルコニーになっており、ビロードの絨毯が敷き詰められている。中央には、細かい文字が無数に掘り込まれた碑石――
(そっか、さっきまでレイヴたちがいた場所だ)
もう、そこには誰もいなかった。慰霊碑が静かに安置されているだけだ。
「…………」
勝手に傍に寄ることは憚られ、バルコニーの隅に跪いて。
思い返す面影は兄、ラスエル。そして―― 『どうしても護りたいから戦うんだ』 と、穏やかに笑っていた “あの人” も、もう何処にもいない。
誰かのため、なにかの為にと戦場に赴いた者たちが死んでいく……どんな事情があれ、それはヒトが選んだ道の結末で。
いつだったか、ティセナが話してくれたことがある。
大天使長ミカエルが庭園に植えている白薔薇は、魔族との戦いで失った部下の、墓標なんだと。
レイヴたちも慰霊碑に、忘れてはならない名を刻んでいるのか。
そこに眠る騎士たちは死の際に、なにを想っていただろう。大切なものを守り抜いたと幸せだったろうか?
そうだとしても、残された者は何処へ行けばいい?
自分のせいで命を落としたヒトと、二度と会えなくなって、幸せに笑えるはずもないのに――
どのくらい、そこでそうしていただろう。
「……クレアか?」
不意に呼ばれて振り返ると、いつの間にかレイヴがバルコニーに立っていた。
「あ、すみません! 勝手に上がり込んで」
「それは構わんが、もう式典は終了した――こんなところに居ても、なにも見られんぞ」
「はい、分かっています。さっきまで城下の広場で、見学していましたから」
「広場……実体化してか? それで道は分かったのか」
「ええと。教えていただいた道順は結局、分からなくなってしまって」
バツの悪さを感じつつ、答えれば。
「でも、ティセが一緒でしたし。街の人に訊ねたら親切に教えてくださったので、心配しなくても良かったみたいです」
勇者は、可笑しげに 「そうか」 と頷いた。物覚えの悪い天使に呆れているのかもしれない。
クレアは弁解の余地もなく、急いで話題を変える。
「あんなに大勢が集まって、黙祷の時には、みなさん自然と静寂を守って――本当に大切な儀式なんですね。お疲れ様でした、レイヴ」
そもそも、これを言いたくて探しに来たのだ。
「大変なんですね。騎士団長という役職は、こういった式典も先頭を切ってこなさなければならないなんて」
「……そうでもない。直属の部下が、よく働いてくれているからな」
「そうですか。でも、この国には本当にたくさんの騎士がいるんですね。シーヴァスも、そうですし――」
街を移動しているときにも、よくそれらしき人間とすれ違う。ヘブロン以外の地域では、鎧姿の剣士など、滅多に目にすることはない。
「お二人が、お友達だったことには驚きましたけれど……いつ頃から、お知り合いなんですか?」
彼らの意外な関係が判明したのは、つい一週間ほど前だった。
シーヴァスとは出会って一年、レイヴとも半年以上経つのだから、気づいていて然るべきだろうに――勇者同士に接点があろうとは想像もしてなかった。
「12歳で、王立学院に入った頃からだな」
「それでは一緒に勉強したり、遊んだりしていたんですか? 学院って、教育施設のことですよね?」
「まあ、そうだな」
「レイヴもシーヴァスも、昔から今みたいな感じだったんですか?」
子供の彼らを想像すると、ちょっと微笑ましい。身長など現在の半分も無かっただろう。
「俺は……どうだろうな。シーヴァスは」
当時を思い起こそうとするように、レイヴは、やや間を置いて答えた。
「昔は真面目で物静か、ナイーヴな面もあった。剣の腕も素晴らしく、周囲の評判も良かったがな――」
「それじゃあ、あまり変わってないんですね」
もっとこう、悪戯ボウズだったとかいうような意外性を期待したのに。残念だ。
「変わっていない、か? ……昔は、あんなふうに節操なく女に声をかけはしなかったが」
「え? そう、ですね。変わりないように思いますけれど――」
訝しげなレイヴに問われ。なにか不自然だろうかと、これまでの出来事を回想してみたが、
(好き嫌いは激しくても、引き受けたことは完璧にこなして。静かに時間を過ごすほうが好きみたいだし……)
やはり、そんな感じがした。
「あら? でもシーヴァスは、女性には必ず声をかけるのが礼儀だと言っていましたけど――あ、王立学院で礼儀を身につけた、ということなんでしょうか?」
辻褄が合った気がして同意を求めると、勇者は、げんなり頭を抱え 「違う」 と否定する。
「そんな礼儀、学院では教えん」
(また私、おかしなことを言ったの……かな? 後で、フィアナに会ったら訊いてみよう)
「それでは、騎士の修行をする場所なんですか? お二人とも騎士ですものね」
「いや。王立学院は、貴族の子弟が教育を受ける施設だ。騎士の養成機関は別にある」
重ねて訊くと、レイヴはようやく気を取り直したように答えてくれた。
「ヘブロンは昔から、隣国ファンガムとの紛争が絶えなかったからな……いつの時代も、多くの騎士が必要とされてきた」
ファンガム――アーシェの国との戦争。
それは英霊祭について聞かされ、インフォスの歴史書を繙いて初めて解した、事実だった。
「この国では出自に関わらず、屈強な体を持ち、剣技に優れていれば誰でも騎士になれる。だからこそ……各国から、腕自慢の若者が集まってくる」
遠い目をして語る勇者は、いつになく饒舌だった。
「……それぞれの夢を抱いてな。おまえが今日見たのも、そういう連中だ」
「夢を、抱いて――レイヴもそうだったんですか?」
べつだん深い意味も無くクレアが発した問いに、彼は一瞬、言葉を詰まらせ。
「…………そうだな。だが、昔の話だ……」
そのまま黙り込んでしまう。こういう表情をしたあと、レイヴは、なにを訊いてもほとんど答えてくれないのだ。
気まずい感じでいたところに、紫紺の鎧を纏う青年が駆けてきて。
「あ、団長! こちらにいらしたんですか。ラーハルト様が、確認したい案件があるので会議室にお戻りくださいと」
「分かった。すぐに行く」
レイヴが返事をすると、また 「お願いします!」 と勢いよく頭を下げ、走り去っていった。
「まだ仕事がある。俺は戻るが――」
「あ、はい。お時間とらせてしまって、すみませんでした」
頷いたところで、もうひとつ用を思い出した。クレアはポーチから薬のアンプルを取り出す。
「それから、レイヴ。これ、受け取っていただけませんか」
「……なんだ?」
「ポーション、体力回復薬です。このところ、ずっとお忙しそうでしたから……良かったら使ってください」
装備品の見立てはティセナに一任しているが、回復アイテムはクレアが用意している――というか、作っている。医師としては半人前だが、薬師の認定なら受けているのだ。
定番水薬ポーションの欠点は、良薬は口に苦しという諺に忠実であること。
シーヴァスたちはともかく女性陣、特にアーシェからは不評であるため、ドロップ風に加工したものを渡している。
そうすると、彼女たちは菓子代わりに食べてしまって……負傷時や疲れたときに摂取してほしい薬師としては、多少複雑だったりする。
「そうか。ありがたい」
受け取ってもらえたので、クレアは翼を広げてバルコニーを離れた。
「今日は、これで失礼します。また、近いうちに新しい装備品を届けに伺いますね」
「……ああ。それではな」
頷いたレイヴは踵を返して、仕事に戻っていった。
維持レベルとマテリアル。またも私的設定。天使の姿が常人に見えないなら、天界の武具はどーなるのさ? と思ったので。透明ってことはないよなぁ……戦闘シーンを第三者が見たら、怪奇現象ですよ。