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◆ 其の心、知らず(1)


「お姉さま! シーヴァスは見つかりまして?」
「向こうにはいなかったわ、どこへ逃げたのかしら? まったく」
 ひっきりなしに階下から、姦しい声が聞こえてくる。
「オリガ様、アデリード様……もうシーヴァス様も20歳を過ぎていらっしゃるんですから。その……そういった可愛らしい衣装を着ていただくには、如何なものかと」
 懸命に諌めてくれている人物は、ジルベールと同年代であるレイヴの乳母だろうか。
「あらぁ? なに言ってるの、ばあや。いいじゃない似合うんだから」
「そうそう。最近じゃ滅多に遊びに来てくれないんだもの。こんなときくらい、ねぇ?」
 レイヴの姉二人は、やはり聞く耳を持ち合わせていない。

 学院卒業後、パーティー会場で幾度か顔を合わせた際には、ああいった素振りは欠片も見せず。彼女たちも、いい加減に落ち着いたんだろうと思っていたが――考えが甘かったようだ。

「それにレイヴったら、すっかり逞しくなっちゃってドレス似合わないんだもの」
「もう、愛くるしい少年レイヴは戻って来そうにないし、エディは可愛げがなくなっちゃったし……」
「そうよ、シーヴァスに着せないで誰に着せるの!」
 確かに、あいつらに似合うわけないが。きらびやかなドレスは、女性が纏った姿を眺めるぶんには良いものだが――この歳になって自分が着せ替え人形にさせられるなど、まっぴら御免だった。
「ですから、お二人が着られたらいいじゃないですか……」
「やだ。こんなピンクのふりふりふわふわ、私たちに似合うわけないじゃない、ねぇ?」
 長女オリガは、三女アデリードに同意を求め。

(ならば、買わなければいいだろう!)

 思わず叫びたくなる衝動をどうにか堪え、屋根に登ったシーヴァスは、煙突で陰になった死角へと身を潜める。
「絶対に、これ着せてあの金髪を三つ編みにするのよ!」
「それから縦ロールもね♪」
 脳裏に浮かんだ己の格好に、とうとう頭痛を覚えた。
 ヴォーラスに点在する友人宅を泊まり歩いて、六日目に、ヴィンセルラス家を訪れ――客間に通された数分後。押しかけてきたオリガたちから逃れ、ずっと邸内を駆け回っている。
 とっとと外へ避難したいが手荷物は未だ客間で、門番も味方とは限らない。
「英霊祭が終わったら、すぐにでもヨーストに帰るって言うんだから。草の根かきわけても探すわよ、アデリード!」
「はい、オリガお姉さま!」
「それから、ばあや。ウィンジィに、シーヴァスが来てるって報せてくれた?」
 話題に上った次女はすでに結婚していて、馬車で三十分ほど離れた市街に住んでいる。脅威の三人姉妹が一人欠けているだけでも、ずいぶんと気は楽だった。
「あ、はい。遣いは出しましたが……ウィンジィ様も、もう他家へ嫁がれているわけですし。よもやそれだけで里帰りなど」
 尤もな見解である――が、そのとき不吉な浮かれ声が会話に割って入った。


 空耳であれと天に祈ったが、現実とは無慈悲なものである。


「お姉さま! アデリード、お久しぶり〜♪」
「え……お嬢様?」
 呆気に取られた乳母と対照的に、三姉妹は底抜けに明るく盛り上がっている。
「ウィンジィお姉さま!」
「うふふふふ。やっぱり来たわね、ウィンジィ」
「当ったり前じゃない、シーヴァスが来てるんでしょ? 買い置きしていたドレスは着せてみた? あ〜ん、きっと殺人的に可愛いでしょうね!」
「それが、往生際悪く逃げ回っているのよ。すっかり素早くなっちゃって――」
「まあ、そうなの? 腕が鳴るわぁ……どこに隠れていようが見つけ出すわよ」
 不穏な語調で、ウィンジィは宣言した。
「頼もしいですわ。昔から、シーヴァス捕獲率はウィンジィお姉さまがダントツでしたものね!」
 アデリードが嫌な過去を蒸し返す。
「これで三人が揃ったわけね。さあ、お父様とお母様がお帰りになってしまえばタイムリミット――あまり時間はないわ、急ぐわよ!」
 オリガの言葉に、妹二人が同時に 「はいっ!」 と返事をして。

(…………勘弁してくれ)

 シーヴァスは頬をひきつらせた。
 そろそろ、ここも危険かもしれない。もっと安全な隠れ場所を探すべきだろう。
 両親が帰宅すれば彼女たちは大人しくなる。それまで、どうにか逃げおおせなければ――


×××××


 ……約四時間後。
 三姉妹の追跡は、どうにか振り切った。

 気配を殺しつつ移動する――天使の依頼で魔物退治に駆けずり回るうち、必要に迫られ磨いてきた技能が、こんな場面で役立つとは思わなかった。
 それはさておき、外出していたレイヴの母が夕方に帰宅。
 父親も晩餐前に仕事から戻り、やっと心穏やかな時間を過ごせると思いきや……まさか、こんな展開になろうとは。

「困ったもんじゃわい。年がら年じゅう、仕事にかまけてばかりで」
 正面に座ったレイヴの父が、深々と嘆息する。
「私たちは孫の誕生を心待ちにしているのに、親不孝な息子ですよ。名声なんてほどほどでいいから、もっと若者らしい生活を謳歌してくれれば良いものを、浮いた噂ひとつも無いなんて――」
 母親も、しみじみと呟いた。
「シーヴァスの爪の垢でも、煎じて飲ませてやりたいものですわ」
「まったくのう。頼むからあの朴念仁に、女性と付き合う歓びの何たるかを教えてやってくれんかね?」
 同席した娘たちは我関せずを決め込んで、黙々とフルコースの皿を片付けている。
 シーヴァスは、空笑いしか返せない。
 ジルベールが聞けば卒倒しそうな会話だが、この夫妻は、けして皮肉など言わない。名実ともに温和なおしどり夫婦で、まだ幼い頃、堅苦しい本家にほとほと嫌気がさしていたシーヴァスは、この屋敷に来て彼らと話をするたび安らいだものだった。
 つまるところ彼らは、本気で息子にシーヴァスを見習わせたがっている……らしい。加えて、三姉妹の態度を見るに、この語りというか嘆きぶりは今に始まったことではないようだ。
 好んで女性と付き合っていることは否定しない、が、手放しで褒められても返答に詰まる。

「このままオリガとアデリードが他家に嫁いで、あの馬鹿息子が騎士団に一生を捧げてしもうたら、ヴィンセルラス家も終わりじゃなあ――」
 レイヴの父は、虚ろな視線を宙に泳がせ。
「自然の成り行きなら、まだ諦めもつきますけれど、よりによって女嫌いだなんて……! 私、どこで育て方を間違ってしまったんでしょう」
 レイヴの母が、がっくり肩を落として訴える。
「これまで、いくつお話を破談にしてしまったことか――最近では、みなさま 『ウチの娘では、とてもレイヴ様のお眼鏡にかなわんでしょうから』 と仰って、縁談さえ持ち上がらないんですもの」
「おまえの所為ではない、嘆いても始まらんよ。あやつの目を覚ましてくれる、天使のごとき貴婦人が現れるよう祈るしかあるまいて」

(……本物の天使なら、とっくに傍にいるんだがな)

 そう思うと、彼らには悪いが、つい笑いがこみ上げてきた。
 なにしろ天使様は、レイヴよりも色恋沙汰に疎いときている。夫妻の願いは叶いそうにない。
「ワシらが生きている間に、恋人の一人くらい連れて来てくれるかのう――はあっ、息子と嫁さんと一緒に、孫の名付けに頭を悩ませるのが老後のささやかな夢じゃったのに」
 妻を慰めようとしていたレイヴの父は、すぐに相手につられて沈み始めた。
「私だって……! 可愛いお嫁さんと仲良く一緒に、編み物するのが夢でしたのよっ」
 どんよりと揃って俯いている。会食が始まってから、デザートと紅茶が出てくる段階に至るまで、終始こんな調子だ。
 武勇の誉れ高きヴォーラス騎士団長も、世間の賞賛とは無関係のところで親不孝者らしい――つくづく世の中とは、上手くいかないものである。
「いやいや、ですが旦那様? つい先日、坊ちゃんが銀髪の綺麗なお嬢さんと街を歩いていたそうで、城下ではちょっとした噂になっているらしいですよ」
 重くなりつつある雰囲気を見かねたか、給仕の男がそう言って夫妻を宥めた。

(銀髪……クレアのこと、か)

 まあ、たった半日とはいえ、あの組み合わせで出歩けば目立って当然だろう。誰が広めたか知らないが、ヴィンセルラス家にまで話は届いていたらしい。
「それが真実なら、どんなに良いか」
 しかし夫妻は弱々しく笑い、投げやりに応える。
「どうせまた観光客の娘さんに道を尋ねられていたとか……そんなところでしょうねぇ」
「ああ。今まで似たような噂に、何度ぬか喜びさせられたことか」
「はあぁ」
 フォロー出来るものならしてやりたいが。
 今のところ、まともにレイヴと付き合っている女性といえばクレアたちくらいだろう――相手が天使と妖精では、ぬか喜びすら出来まい。

(…………来年からは、おとなしく宿舎に泊まるか……)

 夫妻の愚痴はそれから夜更けまで延々と続き、シーヴァスは寝室に戻りたくとも戻れず。
 とりあえず次にレイヴと顔を合わせたら、あまり親に心配かけないよう説教してやらねば、と心底思った。



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レイヴの両親。軍人家系というイメージがしないので、ほのぼのした感じの夫婦に……なるはずだったのですが。話題が息子の女性関係となると、やっぱり嘆くでしょうね。女嫌いなんて……。