◆ 其の心、知らず(2)
(う〜っ、どうしよう?)
とある庭園の木陰にて。クレアは、ほとほと困っていた。
「本当に、私のことを大切に思ってますの……?」
「君のことは、もちろん大切に思っているさ。フェリス」
視界前方のテラスには、礼服姿のシーヴァスと、華やかなドレス姿の令嬢が佇んでいる。
ティセナが見繕ってくれた装備品を、三日がかりで各地の勇者へ配って回り。
残るはシーヴァスと、館のどこかにいるだろうレイヴのぶんだけだから、早く用件を済ませて帰りたいのに――ようやく発見した勇者は、さっきからずっと連れの女性と話し込んでおり、声を掛けようにもタイミングを掴めない。
「……誰よりも?」
「私は騎士として、すべての女性を大切に思っているよ」
シーヴァスは曖昧な笑みを浮かべ、どうとでも取れる答えを返した。
「私は誰よりも、あなたに大切に思われたいの」
「やれやれ、君はワガママだな」
「シーヴァス様のほうがワガママよ。私を愛していると言ったのに、他の女性と会ったりして――」
令嬢の、咎めるような口調に。
「この間のあれは、偶然会っただけさ。君への愛に偽りはない」
「本当に?」
「本当さ。ほら……この目に嘘が見えるかい?」
きっぱり断言してみせると、相手の肩に腕を回して。
静かに見つめ合っていた二人の顔が、どちらからともなく近づいていき――不意に、その唇が重なる。
(あれで、どうやって息してるんだろう。窒息しないのかしら?)
人間の行動を、不可解に思いながらも、
「ねぇティセ。やっぱり、また今度にしない? 鎧、持って帰るのは重いけど、今日必ず届けなきゃってモノじゃないし……シーヴァスと彼女の話、終わりそうにないもの」
私生活のジャマをすべきではないという認識から、クレアは、仏頂面をしている隣の少女へ耳打ちした。
一昨日、フィアナを訪問したとき。
女性に声をかける行為と礼儀の、関連性を問うてみた。
すると、それは俗に “恋愛” と呼ばれるものだと、かいつまんだ説明を受けた。
天界には存在しない風習に興味を抱き、書庫の文献で調べてみたところ “キス” とは恋人同士がするものらしく――とある地上界においては魚の名称でもあった――それを今しているあの二人は、恋人同士だという推論が成り立つ。加えて、
「それに、ちょっと……覗き見してるみたいで気が引けるわ」
恋人同士の姿を観察することはひどく悪趣味な行動とされ、人間は “デバガメ” と呼んで怒るらしい。
「そうですね、長居しないほうが良さそうですから」
ティセナは頷いて返すけれど、眼前の情景にもまるで動じた様子がなかった。
「クレア様は、レイヴ様のぶんを渡して来てください。一時間後、シャリオバルト城の時計塔で合流しましょう――もう少し待って埒があかなければ、シーヴァス様には、明日にでも私が届けておきます」
「う……そう? じゃあ悪いけど、お願いね」
「はい」
目のやり場に困っていたクレアは、奇妙な気まずさとレイヴ用の装備品を抱え、小走りにその場を離れた。
(あー、居心地悪かった。ティセ、よく平気だなぁ……)
地上界の珍しい話は、兄からあれこれ聞かされていたけれど。
( “恋愛” は知らなかったなぁ。昔のことだし、私が忘れているだけかもしれないけど――)
そう考えたとき、ずっと埋もれていた遠い記憶がひとつ、掘り起こされた。
十年前。
インフォス守護の任務を終え、ようやく天界に戻ってきた直後。失踪する前日に。
クレアの部屋を訪れたラスエルは、真剣な面持ちで話をしてくれた。難しいところはさっぱり分からず、よく覚えてもいない……ただ、
『愛する人がいるんだ。破滅させるわけにはいかない世界がある。だから僕はインフォスに残る――天界には、もう二度と戻らない』
別れを告げた兄の表情だけは、今も鮮明に思い出せる。
その顔は、ひどく申し訳なさそうで。
もちろん妹は大切だ、それでも譲れないものがあると言外に語っていて、泣こうが喚こうが兄は去ってしまうと、子供心にも悟ったけれど。納得したくなくて、物分りよくは出来なくて……ラスエルに背を向けて頭から毛布をかぶり、ふてくされているうちに眠ってしまった。
いとおしむように、そっと頭を撫でてくれた手のひらの感触が、最後の記憶。
翌朝、クレアが目を覚ましたとき、兄は何処にもいなかった。
直属上司たる大天使ガブリエルにすら、なにも説明して行かなかったらしい。有能な天使だったラスエルを探すため、軍の精鋭部隊が捜索に出されたという噂も耳にしたが、結局、発見されなかったそうだ。
当時、行方に心当たりはないかと訊かれて――兄がいないのは嫌で、己が利益のためだけに彼を連れ戻そうとしている “養父” たちにも納得がいかず、頑なに 『知らない』 と答えた――とはいえ、クレアが話そうが話すまいが、なんらかの理由でインフォスに戻ったのではという可能性は、上層部も真っ先に調べていた。
しかし元勇者のところにも、インフォスの何処にもラスエルはいなかったらしい。
『きっと兄様は、魔族に荒らされて疲弊した大地に、癒しの力すべてを注いで溶けてしまったんだ』
ラスエルが残した言葉と、捜索部隊の報告から、クレアは勝手にそう思っていた。
(でも、あのとき……)
確かに、兄は 『愛する人がいる』 と言っていた。
『愛する人たち』 ではなく。
“恋愛” は、異性に対して抱く特別な感情で、ラスエルが “誰か一人” を愛していたというなら――もしかして、
(失踪した、理由は?)
浮かんだ仮説はやけに筋道だっている気がして、クレアは当惑に立ち止まる。
けれどすぐ、そもそも前提条件が間違っていることに思い至った。
(そうよ、そんなわけないじゃない。人間に固有の “恋愛” 感情は、天使にはないんだもの)
飛躍しすぎな、自分の思考回路に苦笑してしまう。
他種族についての文献は勉強になるが、共通点と相違点をはっきり把握するのは本当に難しい。
(それもこれも兄様が、あんな急にいなくなっちゃうからだよ……)
ラスエルが、なにを考えて天界を去ったかなんて――たぶん誰にも分からない。
一応は聞かされた自分にも解らず、もう本人に訊くことも叶わず思い出の中、棚上げになったままなんだろう。
(恋愛、か……今度、アーシェたちにも訊いてみようかな? みんなにも恋人がいるなら、デバガメにならないように気をつけなくちゃいけないし)
装備品入りの袋を引きずるように歩きながら、クレアは、そんなことを考えていた。
×××××
「でね、その堅物な騎士様と、プレイボーイの騎士様が幼なじみで友達だったのよ!」
一面の花畑。
切り株をテーブル代わりに、私はティータイムを満喫していた。
「はぁ……想像できないわね。どういう会話するのかしら、そんな組み合わせで」
紅茶のカップを傾けながら、首をひねったリリィは。
ローザに負けず劣らず才媛だけど、タイプは違っていて、バランス感覚に優れたオールマイティ型。仕事に関しても手を抜けるところは抜くし、私生活に至ってはかなりズボラである。
「きっと拳で語るんですよ〜」
ケーキをつついてたフロリンダが、いきなりフォークを振り上げ楽しそうに叫んだ。
「漢の友情は、夕陽の河原に寝転がって語り合うんですぅ!」
動物の着ぐるみと一心同体な彼女は、妖精界でも突出した変わり者だ。今は『カクトウマンガ』という地上界の書物にハマってるんだそうで、元からの熱血ぶりに拍車がかかってる。
私は現在、妖精界でのんびり過ごしてる。
任務開始から一年が過ぎて (まあ、こっちじゃ一ヶ月も経ってないんだけど)、ちょっと疲れたかな〜と思い始めていたある日、クレア様が一週間の休暇をくれたのだ。
それだけ休めば、時流の違うインフォスじゃ二ヶ月以上が経過してしまっているはずで。
任期中に遊んでいいのかなと気後れしたけど、体調管理も仕事のうちだからと送り出されて。
里帰りする、直前に――勇者同士の意外な関係が発覚したので、こうして友達相手に土産話を披露しているのだった。
「でもまあ、ヒトは、自分に無いものに惹かれがちよね。案外、似たもの同士のほうが噛み合わなかったりするもの……本質的な価値観は同じ、ってことなんじゃない?」
「だけど、シーヴァス様は派手好き饒舌な女誑しで、レイヴ様は質実剛健。おまけに無口で女嫌いでしょ? どー考えても話が合うとは思えないんだけどなぁ」
とはいえ、リリィの分析にも一理あると思う。
アーシェ様とは、最初、仲良くなれそうだと思った――いや実際、話題には事欠かないんだけど。
おしゃべりな彼女と私じゃ、お互いが自分の話に持っていこうとしてしまって会話にならないのだ。我慢して聞き役に徹するなんて、性格的に無理があるから。
レイヴ様に同行するほうが、まだ気楽かもしんない。全然しゃべらない人を相手にしゃべり続ける一方通行感も、結構キツかったりするけれど。
「それにしても……それだけ個性的な勇者様たちと、ローザは上手くやれてるの?」
「うん、それは大丈夫みたい」
「ふぅん、ちょっと意外ね」
リリィは、淡紫の瞳を瞠った。けど事実なのだ。
ローザは勇者様全員と仲が良いように見える。生真面目だから、盗賊団のお頭やプレイボーイな貴族様とはギクシャクするんじゃないかという予想は、外れだったらしい。
「シェリーもローザもとっても良くやってる〜って、この間、ティタニア様が言ってましたよぉ!」
「え、ホントっ?」
思いがけない賛辞に、浮かれて訊き返してしまう私。
フロリンダの台詞を素直に喜べるのは、実際に任務が上手くいってるからだった。
新米補佐妖精の私が、それに貢献できているかどうかは置いといて。
インフォスの “混乱度” ――要するに星の荒れ具合を示す、天界基準の数値は、この一年間ずっと一桁台。そこいらの地上界よりよっぽど平和な状態を維持できているのだ。依頼を受けた勇者様たちが、発生した事件を迅速に解決していった成果だろう。
淀みの原因に関する手掛かりは、まだなにも掴めていないけど。あの人たちが守護するなら近いうちに解決するだろうと、楽観的に思えてしまう。
クレア様は、すっかり勇者様たちと打ち解けていて、昔から知り合いらしいティセナ様との意思疎通も完璧だ。
グリフィン様だけは、ときどき彼女に反発していることもあるけど、あれは反抗期の息子と母親みたいなものだろう。言うまでもなく、クレア様がオトナでグリフィン様がコドモなのである。
それにティセナ様も、すごく優しい。
クレア様に比べたら判りにくいけど、慣れない仕事に失敗した私がしょげてたら、いつも苦笑しながら手伝ってくれるし……事件が解決して誰かが助かったりすると、本当に嬉しそうに目を細めて笑うんだ。
彼女は、特にグリフィン様と気が合ってる感じだった。
レイヴ様とは無口さん同士黙りこくって行動してるけど、それはそれで居心地がいいみたいで。
女勇者様三人に対しても友好的――なんだけど。シーヴァス様とだけは破滅的に仲が悪かったりする。
原因は不明。単に相性の問題かもしれないけど、シーヴァス様に同行してる彼女は、とにかく機嫌が悪くて、イライラしてる雰囲気がこっちにまで伝わってくるのだ。
どうにか仲良くしようと頑張ってたシーヴァス様の努力も、すでに放棄されてしまったようで。今じゃ、お互い用がなければ話しかけようともしない。
このままじゃマズイよなぁ〜と、以前、思い切ってティセナ様に理由を訊いてみたら。
『あのヒトを見てると、頭痛くなるから』
そんな、にべもない返事で。
クレア様に相談してみても 『今のところは、どうしようもないわね……』 と、困り顔で首を振られるだけだった。
なにか事情がありそうな気もするけど。私が余計なお節介したら、ますますこじれちゃいかねないし。
だけど、シーヴァス様は損してるなぁ、と思う。
本人は無自覚みたいだけど、ティセナ様が笑った顔は、とびっきり可愛いんだから――
光から生まれる天使に、親はいない設定。育てた 『養子』 が優れた実績を収めれば、大出世に繋がるので、子供を所有物扱いする 『養父母』 が大半。クレアたちの 『養父』は、その典型例です。