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◆ 酔っ払い


「クレアーっ! 出てきなさぁーい!!」
 呂律の回っていない大声に、ガラスが割れる音。廊下にまで伝わる、なにか重量級の物がひっくり返ったような地響き。
(な、なんなの!?)
 勇者が滞在している宿を訪れたところ、深夜だというのに、やけに騒々しく――1Fのロビーには、眠そうな目を擦りながら苦情を並べたてている宿泊客と、彼らに平謝りする従業員の姿があった。
 恐る恐る、人だかりの奥を覗いてみれば。
 嫌な予感は的中してしまい、騒音の原因はナーサディアだった。しかも自分を呼んでいる……?

「どうしたんですか、いったい!」

 アストラル体のままでは、話しづらい。
 柱の陰で実体化した、クレアは周りの人々に頭を下げつつラウンジへ駆け込んだ。
 ここだけ台風が通過したのかと思うほど、室内はぐちゃぐちゃに荒らされていた。調度品は粉々、テーブルクロスが床にずり落ち、椅子の足もへし折られている。
 加えて、染みだらけの絨毯に転がった大量の瓶と、割れたグラス。むせ返るようなお酒の匂い。
「…………」
 部屋の中央に、ぺたんと座り込んでいた勇者は、ぼんやりクレアを見つめた。
「はぁーい♪ 楽しくやってるぅ?」
 次の瞬間に向けられた、陽気な笑顔。赤く上気した頬に、とろんとした鳶色の瞳。
「…………ナーサディア。酔ってますね?」
 ドッと疲れた。事件現場を不眠不休で駆けずり回っていたときより、何倍も疲れた気がする。
「酔ぉってなんか、ないわよぉ! いいからぁ、こっちへ来てぇ――」
「ひゃ? ちょ、ちょっと、引っ張らないでください!」
 片腕をぐいっと掴まれ、バランスを崩したクレアは、そのまま絨毯に尻餅をついてしまった。
「ふぅーん」
 じろじろと無遠慮に、ナーサディアは人の顔を覗き込んでくる。
「な、なんですか?」
「前から思ってはいたけど……あなたって、いい女よねぇ」
「は? えーと、ありがとうございます」
 話の脈絡が分からないい。けれど 『いい』 と言うからには、とりあえず褒められたんだろうと解釈していたら、
「あなた、まさか……仕事そっちのけで男勇者と遊んだり、してないでしょうねえ?」
 ナーサディアは疑わしげな目で、じろりとこちらを一瞥した。
「し、してません。そんなこと!」
 顔を合わせるたび息抜きを勧めてくれていた彼女に、苦言を呈されるとは。このところ各地で事件が続発したことが伝わり、危ぶまれてしまったんだろうか?
 確かに、アーシェと買い物に行ったり、フィアナと教会に遊びに行ったりもしたが、それは執務にゆとりがあった時期のことで、ここ最近は本当に仕事三昧だったのだ。力不足と言われてしまえば、それまでだが――
「そう? じゃあ、ご褒美あげる♪」
 クレアが必死で否定すると、途端にナーサディアは相好を崩して、高らかに酒瓶を掲げた。
「ほぉら、いいお酒♪ あなたにも、あげるから一緒に飲みましょう! ねっ?」
 真面目に、先のことを憂えているのかと思えば……やはり、ただ酔っ払っているだけだ。これは。
「……ナーサディア」
「なぁに? クレア」
 にこにこと小首をかしげる彼女に、つい、勢いを削がれてしまいそうになる。いや、そんなことでは駄目だ。
「もう少し、しっかりしてください!」
「なにがよぉ……?」
 叱りつけると、ナーサディアは、むくれてそっぽを向いた。
「内輪の集まりで貸切の酒場ならまだしも、ここは宿屋で、しかも真夜中ですよ? お酒を飲んで、こんなふうに酔っ払って迷惑をかけて、おまけに宿の備品まで壊すなんて、大人がすることじゃありません!」
 この散らかしぶりでは、従業員も黙って帰してはくれないだろう。間違いなく厳重注意を受け、弁償させられる。
 踊り子であるナーサディアは、各地の――特に酒場や劇場では有名人なのだ。行く先々でこんな調子では、彼女自身のためにもならない。
「……なによ」
 しばらく俯いていたナーサディアは、
「なによ、なによ、なによぉ!! そんな言い方ってないじゃない、ひどいわよ! 私だって、好きで飲んでるわけじゃ――」
 突然キッと顔を上げ、喚き散らした。
 いつにない剣幕でまくし立てられて、クレアは二の句が継げない。
「ううん。お酒は好きで、飲みたいんだけど……でもぉ! あなただって、そういうときあるでしょう? 天使だってさぁ」
 好きで飲んでいるのだと、わざわざ訂正するあたりは彼女らしいが、やはり言っていることは支離滅裂だ。
「フンだ、帰りたければ、どうぞ帰りなさいよ!」
 癇癪を起こした子供のように、ぷいっと背を向けてしまう。
「だから、そうじゃなくてですね」
 この惨状を収拾しない限り、帰りたくても帰れない。とにかく酒瓶を手放させなければと、口を開きかけたところで、
「天使、か――」
 ナーサディアは、沈んだ口調で呟いた。
「そうやって、あなたも……私を一人にして……」
(あなた、も?)
 ティセナの前でも悪酔いして、咎められたんだろうか? そんな話は聞かされていないが――
「この、裏切り者ぉ!!」
 叫ぶなり、彼女は物凄い形相で掴みかかってきた。
「ちょ、ちょっと? 暴れたら危ないですよ!」
 なにしろ足元には、グラスやボトルが所狭しと散乱しているのだ。テーブルに置かれた食器を薙ぎ倒しかねない、両手首を押さえようと腕を伸ばしたが、
「うるさぁいっ! 私が、私がどんな思いで生きていると思ってんのよ!」
 髪を振り乱して暴れ狂う勇者の。元々ふらついていた足が、空瓶を踏みつけガクンと滑り、
「――きゃあっ!」
 支えようにも間に合わず、ナーサディアは、どたっと仰向けに転んでしまった。
「痛ったぁ……」
 思い切り床に打ちつけた腰を、顔をしかめ、さすっている。
(ああ、もう。言っている傍から――)
 クレアは、その横に膝を突いた。手早く、打ち身など無いかを確かめる。
「怪我は、しなかったですね?」
「だぁいじょうぶ、よう……私は、平気……」
 無傷で済んだのは、たまたまだ。これで大丈夫なら、世の中の大半のことは心配ない。守護天使も補佐妖精も、必要ないだろう。
「ほら、もう寝ましょう。お部屋に戻って、ベッドで眠りましょうね?」
 そう促すと、ナーサディアは、ふにゃふにゃと笑いながらしがみついてきた。
「えへへぇ……そぉんなぁ。女同士で……ダァメよぅ」
「さっきから、なに訳の分からないことを言ってるんですか。ほら、立って! 部屋は何階の何号室ですか?」
 立ち上がらせようとすると、今度は逆に、緩慢な動作でクレアの腕を押し退けた。
「一人で、行けますよぉーだ! 一人で――」
 主張しながらも、床に座り込んだまま動こうとしない。
「私は、ひとりで……大丈夫……」
 どうしてみんな、お酒が入るとこうなるんだろう? クレア自身は、飲んでも少しボーッとする程度なので理解し難い。
「…………ひとり……」
 ぶつぶつ呟いていたナーサディアの声音が、急に湿り気を帯びて。
「どう……して……? なぜ、なの……」
 くたんと俯いている、肩は小さく震えている。
(な、なにも泣かなくても〜!)
 正直、当惑した。飲み過ぎないよう釘を刺すのは、ほとんど毎回のことなのに。
 ああでも、言い方が悪かったかもしれない。彼女だって、悪気があっての酒乱ではないだろう――とにかく宥めなければ。
「……ナーサディア?」
 そうっと頬に手を伸ばして顔を上げさせると、彼女は、なにか “信じられない” とでもいうように目を瞠った。
「嬉しい……」
 潤んだ瞳。くしゃくしゃと表情が崩れて、泣いているような笑顔になって、
「やっと、会えた――」
 消え入りそうな声で囁いて、ふらりと倒れこんできた勇者を抱きとめ、両肩を揺すってみるが、
「あの、ナーサディア?」
「…………」
 なんら反応がない。瞼を閉じ、クレアに全体重を預けて、すうすうと穏やかな呼吸を繰り返している。
「……寝ちゃった」
 言葉と同時に、思わず溜息が零れる。
 眠る彼女の横顔は、幼子めいてあどけなく幸せそうで、もう叩き起こす気も失せてしまった。




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かなり好きな、このイベント。ナーサの悪酔いぶりが笑えます。男女天使どちらで見ても楽しくてしょうがない……。