◆ 冀う女(1)
「おい、フィン。おまえに客だぞ」
ドンドンと乱雑に扉が叩かれ、下の酒場でゲイルたちと飲んでいたはずのラスティが顔を覗かせた。
「あ、ティセちゃん。ジュースとお菓子、足りてるかな?」
カード片手に椅子に座っているティセに、へらっと笑いかける。天使は、はにかんだ笑みを返し、頷いた。
「あん? 誰だよ」
「さぁな。見かけない顔だ」
ラスティは、客を待たせているのだろう、階段の方に目をやり首を振った。ここはベイオウルフが溜まり場にしている、宿屋兼酒場のひとつだ。オレは二階の個室で、休暇中だとかでやってきたティセと、カードゲームに興じていたのである。
「やけに身なりのいい美人の姉ちゃんだったが、誰も連れずに一人で歩いてきてるのが、怪しいっちゃ怪しいんだよな。……どうする?」
身なりのいい美女と聞いて、真っ先に思い浮かぶのはクレアだが、あいつのことは団員たちも知っている。オレに構うことなく 『姐さんが来た!』 と歓待しているはずだ。
「へぇ……心当たりはねえな」
他に、ここに出入りする女がいないわけじゃないが、ラスティたちが見覚えのない相手となると、オレの知り合いでもないだろう。
「まあ、儲け話かもしれねーしな。会ってみるか」
「分かった」
ラスティが、どたどたと階段を駆け下りていく音が聞こえた。
「……帰った方がいい? 私」
手持ちのカードをテーブルに戻しながら、ティセは訊いてきた。見事に21で揃っている。あそこで中断していなければ、またオレの負けだったようだ。
「いや、そんな長くはかからねえだろ。ちょっと、その辺で浮いてろ」
「ん」
ティセは天使の姿に戻ると、ひょいと窓の外、ベランダの柵に掛けた。これでオレ以外の人間には見えない。話の途中で様子を見にきた連中が不審がるようなら、屋根の上にいるとでも言えばいい。
「……突然お邪魔して、すみません」
間もなく案内されてきた女は、オレの前まで来ると、馬鹿っ丁寧に頭を下げた。ラスティは、ティセが見当たらないことに気づいたようで首をひねったが、ベランダに続く引き戸が開いているのを見て納得したらしく、
「じゃあ、用があったら呼んでくれ」
客に椅子を勧めると、さっさと階下に戻っていった。
ざっと相手を観察してみる。18か、19歳くらいだろうか。折れそうなまでに線の細い、痩せぎすの女だ。まだ少女と呼べなくもない。光の加減で緑にも見える長い黒髪を、金色のリボンが飾り、エメラルドを思わせる光沢を放つドレスを着ている。世間一般では間違いなく美人に分類される顔立ちだが、ダークグリーンの目は翳り、外見の華やかさに、表情というか雰囲気が釣り合っていない。はっきり言って、暗い。
とてもじゃないが一般市民には見えないし、水商売の女でもなさそうだ。上流階級の人間だろうと予測をつけたところで、
「私は、この辺りの土地を治めている領主の娘、イダヴェルと申す者です。今日は勇者様に、折り入ってご相談したいことがあって、参りました……」
女は沈んだ声で名乗った。貴族の類だろうとは思っていたが、
「領主!?」
よりにもよって、世界で一番嫌いな人種だった。儲け話だろうと願い下げである。
「ふん……そのお嬢様が、オレになんの用だ?」
会わずに追い返していればよかったと内心で舌打ちしたが、部屋に通した以上、話ぐらい聞くのが筋だろう。とっとと終わらせたい。オレは先を促した。
「実は先日、領内のティアズがオークの群れに襲われたのですが、それを救ってくれたのがグリフィンという名の青年だと、村の子供たちから聞きまして――」
(……あいつら)
口止めしとくんだった、と今更後悔したところで手遅れである。しかしピートたちも、名前ぐらいしか知らないはずなんだが。
(どうやってオレの居場所を突き止めたんだ? この女……)
「勇者様のような方なら、私どもの抱えている問題を解決してくださるのではと、こうしてお願いに上がったのです……」
こっちの不審に気づいているのか、いないのか。イダヴェルは椅子に座ろうともせず、直立不動で話を始めた。
「私の祖父……ビュシークは不治の病に侵され、生に固執するあまり、悪魔と契約を交わしました。千人の子供の命を捧げる代わりに、不死の肉体を得るという、恐ろしい契約です。
祖父は、その契約を実行に移し……自分の部下に、領内の子供を手当たり次第に殺させました。お聞きになられたことはあるかもしれません。後に “子供狩り” と呼ばれた、一夜にして起きたあの惨劇は、祖父の狂気が引き起こしたものなのです」
悲痛ぶった表情。重苦しい声音。
俄かには信じ難い話だった。狭い室内で顔をつき合わせ、黙って聞いていることに耐え切れなくなり、オレはベランダに出た。
「…………」
ティセは、凪いだ目をしていた。雲間から見え隠れする月に照らされ、まだ幼い横顔は、いつになく天使らしく映る。
こいつにも、クレアにも、かつて話した手の届かない過去。
家族の仇の名。当時のオレには知る術もなかった “子供狩り” の真相が、こんなところで、こんな形で浮き彫りにされていく。
「父と、その重臣たちは、祖父の一派と戦い……保身のため非道を働いた者たちを処罰し、祖父を城の地下牢に幽閉しました。数多くの犠牲者を出し、それでも “子供狩り” は幕を閉じたかのように思われていました。
けれど、五年前……祖父は、地下牢に近づいてしまった子供――千人目の子供を……」
オレが背を向け、ベランダに出ても、身じろぎひとつせず喋り続けていたイダヴェルだが、さすがに息が切れたのか、そこでやや間をおいた。
「…………」
そうして、また話し始める。
「悪魔は、祖父の執念を現実のものとしました。けれど、その 『不死』 とは、怪物になるということだったのです。見境なく人を襲う、恐ろしい怪物に……。
魔物と化した祖父は、地下牢を破壊して城を襲い……兵士たちは懸命に戦ってくれたのですが、まるで歯が立たず……これ以上、祖父を野放しには出来ないと、父は、ひとり城内に残り、怪物を城ごと焼き払いました――」
「金持ちのやることは、派手だな」
投げやりに感想を言ってやると、イダヴェルは、面食らったように口をつぐんだ。
「…………」
ティセは、同意するでも非難を向けるでもなく、オレとイダヴェルを交互に眺めている。
「……けれど、悪魔が与えた不死の肉体は、その程度のことでは滅ばなかったのです。ティアズの住人たちが目撃したという、オークを扇動していた異形の怪物……特徴を聞けば聞くほど、我が祖父が変じた魔物としか考えられません」
オークの群れに混ざっていた、炎と腐臭を纏う奇怪な化け物。
その話は、ピートたちを水車小屋まで送っていったとき、村の連中から散々聞かされていた。そいつは巨体を以って家屋を造作なく踏み潰し、しかも口から火を吐き、弓でも斧でもまるで歯が立たなかったと。
考えてみれば、あのとき――ティアズは、どこもかしこも焼け焦げ、建物の壊され方もギャグスとは桁違いに酷かった。オークに襲われただけと考えると、説明がつかない。
てっきり新手の魔物と思っていた、それが……まさか。
実際、謎に思ったんですよね。天下の盗賊団のお頭が、貴族のお嬢さんにあっさり居場所を知られたのか?……って。たぶん金銭と人脈を駆使して、必死で探し回ったんでしょうね、イダヴェル嬢。