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◆ 冀う女(2)


「勇者様の噂は、領内の各地で耳にしました。おひとりで何十体もの凶悪な魔物を退け、人々を救われているのだと――お願いです! どうか、祖父……いえ、あの怪物を」
 ただでさえ暗く耳障りだった声に、懇願するような響きが加わる。忍耐力の限界だった。
「……おい!」
「はいっ!?」
 イダヴェルは、びくっと身を竦ませた。
「勇者、勇者って言うな! グリフィンでいい!」
 不快だった。
 天使の 『勇者』 であることに異存はない。だが、この女が思い込んでいるような意味で、しかも赤の他人からそう呼ばれる筋合いはない。
 クレアたちは、オレを名前で呼ぶ。協力を求めるにしろ、オレを個人として扱い、対等な位置に立っている。シーヴァスに対してもそうだったが、他の連中が相手でも同じだろう。
「は、はい……グリフィン……様……」
 おどおどと言い直すと、イダヴェルは、また一方的に言い募った。
「お願いします、グリフィン様。どうかあの化け物を倒してください! このまま放置していては、また十四年前と同じように、罪も無い人々が殺されてしまいます。だから……!」
「ふざけるな。オレは、慈善事業やってんじゃねえんだ」
「あ、あの。報酬が必要でしたら、充分に支払わせていただきます――」
「いい加減にしろ」
 頭の中は怒りを通り越して、冷え切っていた。
「…………」
 語調に、なにを感じ取ったか、イダヴェルは顔と肩を強張らせた。
「いきなり押しかけてきて、なにを言い出すかと思えば……」

 ビュシークの血を引く、この女は。
 初対面の人間を、無責任に持ち上げて勇者呼ばわりし、自分の一族の不始末を押し付けようとしている。さすがはビュシークの血縁――たいした傲慢さだ。

「オレはな、あんたのジジイがトチ狂って、あんたの家の名誉を傷つけていようが興味はねえし、ましてやあんたに金を積まれて、ほいほい怪物退治に向かうほど暇人でもねえんだよ。自分の手を汚すのが嫌だってんなら、大金積んで流れの傭兵でも雇うんだな!」
 語調を荒げ、睨みつけると、イダヴェルは蒼白になった。
「…………」
 当たり前だ。ここにいるのは 『正義の味方の勇者様』 じゃない。憲兵どもが躍起になって追っている、盗賊団ベイオウルフの首領だ。今のオレは、世間知らずのご令嬢には縁のない、裏社会の人間の顔をしていることだろう。
「…………」
 報酬なんざいらねえ。リディアを、両親を返せ――そう叫びだしたくなる衝動を、ベランダの柵が軋むほど握りしめ、辛うじて押さえつける。
 ビュシークの孫とはいえ、女子供を殴るような真似はしたくない。
「……もう、帰ってくんねえか」
 再び顔を背け、オレは言った。時間の無駄だ。この女の頼みを聞くことはない。こっちから訊くべきこともない。
「祖父の所業の責任は、我が一族にあります……」
 しかしイダヴェルは、しつこかった。
「身勝手な願いだとは分かっています。だから、私は祖父を葬るためなら、どんなことでもします! 勇者様……」
 また呼び方が戻っている。だがもう、いちいち指摘するのも面倒だ。
「…………それでも……」
「だめだな」
 オレは即答した。勝手に人を 『勇者』 などと決めつけ、こんな依頼をしに来たのが、そもそもの間違いだ。
「……そう……ですか」
 硬い声音で、イダヴェルは言った。
「夜分に……お騒がせして、すみませんでした。失礼します……」
 耳に障る衣擦れの音が静かに遠のいていき、やがて、それも完全に聴こえなくなった。


「どうして断るの」


 天使は、場違いなほどに平静だった。
「どうして、だと? あの女は、オレの家族を殺した男の一族なんだぞ!」
「仇の孫娘だから、頼まれても働かないって?」
「当たり前だ!!」
 腸が煮えくり返るとは、こういう状態のことを指すのだろう。こいつ相手に怒鳴り散らすのは筋違いだと、頭で分かっていても押さえが利かない。
「じゃあ、ビュシークって奴は放っておくの? 今度またティアズが襲われたら、そう言って見捨てるんだ」
 しかしティセは、ほとんど動じもせずに切り返してきた。
「なっ――」
 沸騰していた意識が、氷水でも放り込まれたかのように、冷めた。炎天下の砂漠を突っ切った直後のようだった。頭の中がぐらぐらする。

 オレは、しばらく言葉に詰まった。
 急かす素振りもなく、ベランダに佇むティセの背後。夜空に浮かんだ月は、奇妙にねじくれた紅い色をしていた。

「べ……つに、そうは言ってねえだろうが……」
「まあ、言われたからって動くのは癪かもね。好きにしたら。あの合成獣、もう完全に魔族化していたから救いようがない。相手が魔族なら、無理にフィンたちに頼む必要もないし――この件は、こっちで片付けるよ」
 オレの返事を斟酌するでもなく、ティセは淡々と告げた。
「魔族化?」
 魔族。天使がそう呼ぶ相手とは、何度か戦ったことがある。気色の悪い化け物で、異世界から紛れ込んだ “外敵” だと。
「おまえ、ビュシークを見たのかよ!?」
 話の流れからして、そうとしか考えられない。それでも確認せずにはいられなかった。
「直接見たわけじゃないけどね。ティアズに、あのとき少し瘴気が残ってた」
 あっさりと肯定が返ってくる。
「人間を核に、魔族や魔物の細胞をごちゃ混ぜにした、歪んだ生命……無理矢理に生かされている、死体ってとこかな。あれじゃ、理性なんて持ち合わせてるはずがない」
 ティアズで。オークの群れを蹴散らした後で。
 こいつが急に森に飛び込んでいき、合成獣がどうこうと表情を曇らせていたことを、今更ながらに思い出す。
「炎に、焼かれてから――五年になるんだっけ? それでも、まだ完全には回復してないんだろうね。普段はどこか、時空の狭間に隠れてるんだと思う。瘴気が弱すぎて、あれからしばらく探したけど見つからなかった」
 あのとき、ビュシークが近くにいた。朝が来るまで村に戻るなと言ったのは、それでか。
「でも間違いなく、また現れるよ」
 天使は断言した。
「イダヴェルさんの懸念は正しい。合成獣は、他の生命体を取り込んで力を得て、時が経つにつれて凶暴化していく。食欲と破壊が本能だから、殺さないかぎり終わらない」
 そこで、なぜか自嘲めいた笑みを浮かべた。
「アンデッドは、 “死なない” んじゃない。誰かに殺してもらわなきゃ、死ねないんだよ」
 呟いて、さっきまでイダヴェルが突っ立っていた、部屋の中央に目をやる。
「十四年前ってことは、4歳か5歳か……ビュシークに真っ先に襲われたの、あの人だったのかもね」
「!?」
 面食らった。考えてもみないことだった。
「おまえ、なに寝ぼけたこと――」
 有り得ない。そう否定しようとして、なにか宙ぶらりんのまま、頭が回らなくなった。
 ……孫娘だから、例外だと? あの常軌を逸した老領主に、そんなまともな感情が、あのとき欠片でも残っていたんだろうか。
「狂ったお爺さんのことなんか忘れて、なにも知らないフリをしていれば、もっと楽に生きられるんだろうにね……」
 混乱して立ち尽くすオレに構わず、ティセは翼を広げた。
「私も帰るよ。なんか、のんびりくつろいでる気分じゃなくなったし、逃げたビュシークも探さないと」
「…………」
 引き止める言葉すら見つからずに、ただ天使を見上げたオレは、かなり情けない顔をしていたらしい。
「じゃあね、おやすみ。フィン」
 ティセは小さく苦笑すると、普段、別れ際にオレがこいつ相手にやるように、ひとの頭をくしゃくしゃと撫でた。
「…………」
 なんでか、子供扱いするなと文句を言う気すら起こらず、むしろ手の感触を心地よく感じた。魔法かなにか、かけていったのかもしれない。


 一度にあれこれ聞かされて、頭ン中はぐちゃぐちゃで。それでも、その夜――オレは、夢も見ずに深く眠れた。



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グリフィンの過去 (?) 第二弾。他の勇者に比べて、展開速いですよね、ゲームでも。やっぱ、接触イベントとの兼ね合いなのかな? あんまり後半まで持ち越すと、最終ターンまでに終わりませんもんね。