NEXT  TOP

◆ 死淵の攻防(2)


 滞空していたケルピーが氷刃ごと炎に呑まれ、森を浸していた大量の汚水も一瞬で気化し、次いで壊れかけていた “壁” までが光の粒子となり霧散する。
「!?」
 呆然とするシーヴァスと、クレアの前に、馴染みの人影が降り立った。
「ティ、セ……」
「……ティセナ?」
 忽然と現れた天使は、わずかにアイスグリーンの瞳を瞠る。
「二人? やけに持続時間が短かったのは、それでか――」
 ここに来るまで何をしていたのか、少女は全身、浅い切り傷だらけだった。
「また……馬鹿なこと考えたんじゃないでしょうね?」
 つかつかと歩み寄り、クレアの疲弊した姿を見やり、怒気を含む押し殺した声で咎める。
「そうじゃない……けど……時間、なかったから……」
 切れ切れに答えながら、それでも語尾に安堵を滲ませて、クレアは微かに微笑んだ。
「……ごめんね。でも……来てくれて、あり……がと……」
 そう呟くなり、緊張の糸が切れたかのように、その場に崩れ落ちてしまう。泥水を含んで濡れそぼっていた翼が、わずかに白い光を放ち、消えた。
「クレア!?」
 慌てて抱き起こし、呼びかけるが、なんら反応がない。人間の女性となんら変わらぬ重みが、まともに腕にかかった。
「…………」
 ティセナは、無言で彼女の頬に触れた。ただでさえ強ばっていた顔が、あからさまな怒気に歪む。不安に駆られ、クレアの容態について訊ねようと口を開きかけたところへ、

「こんの、クソガキぃいいっ!!」

 ケルピーが、吠えた。焼け爛れた姿で、それでも深紅の虹彩を爛々とたぎらせている。
(まだ動けたのか!?)
 顔を上げたシーヴァスは、愕然となった。倒れたクレアに気を取られていた隙に、よりによって全方位、氷の刃に囲まれていた。それが女魔族の咆哮に応えるように、一斉に向かってくる。
「…………」
 しかしティセナは動揺の欠片もなく氷刃を眺め、まるで虫でも払うかのように緩慢に片手を動かした。
「なっ――!?」
 たったそれだけで、迫り来る刃はことごとく爆散して失せた。後には自分たちと、呆然と立ち尽くすケルピーだけが残された。
「な……なんで、こんな……下級天使に……」
 やはり、なにが起きたのか理解できないらしく、全身をわななかせている魔族。その間合いに、踵を返したティセナは一瞬で踏み込んでいた。
「ひっ!?」
 後退りするも聳え立つ大樹にぶつかり、喉元に白刃を突きつけられた女魔族は、さっきまでの余裕など微塵もなく、がたがたと縮み上がって震えている。
「……誰の配下だ、おまえ」
 ティセナは、無感情に訊いた。あうあうと恐怖に呻くばかりの敵に、業を煮やしたように、重ねて問う。
「なんのつもりで、この二人を狙った」
「な、なんの話よ!? あたしは、ただっ―― “道” が開いてたから、人間の男でも数匹狩ろうかと思ってっ!」
 ひっくり返ったような、うわずった声で喚き散らしていたケルピーが、ふと天使の胸元のバンクルに目を留めた。彼女がいつも身につけている、黄金の鳥を模したものだ。
「……スルト皇家の……紋章?」
 魔族は、呆然と呟いた。そうして深紅の虹彩に、また別種の驚愕を浮かべて震えだす。
「あ……あんた、いったい――」
「……そうか」
 ティセナは、急に相手に興味を失ったように、剣を降ろした。だがケルピーは、逃げる好機と気づくだけの平常心も欠いているようで、背後の木に縋りついて竦みあがっている。
「なにも知らないのか。だったら……」
 天使は無造作に、大剣を携えていない方の手を宙に掲げる。ごうと渦を巻いて大気が収縮し、そこに黄金の輝きを放つ長剣が具現した。
「今すぐ、この世界から消え失せろ」
 冷たく言い放ち、彼女は、手にした光剣を魔族の眉間に突き刺した。
「…………!?」
 恐怖に見開かれた紅い両眼が、がくりと焦点を失う。


『 ―― “エバーラスト” ―― 』


 抑揚のない声音。次いで視界を、迸る閃光が灼いた。
「うっ……!?」
 とっさに腕で顔を庇い、再び目を開けたとき――ケルピーの姿はどこにもなかった。

「…………」

 残滓のように漂う黒い粒子が、夜風になぶられて霧散していく様を、天使は無表情で見つめていた。


 あまりにも呆気ない幕切れだった。
 断言したのだ、クレアは。自分たちでは勝てない。殺されるだけだと。その相手を、まるで赤子の手をひねるように容易く――


(天界軍の、剣士……)
 そう聞かされてはいた。彼女は正式には、守護天使ではなく、魔族討伐を主要任務とする軍人なのだと。だが、これまでティセナが魔族と戦う姿を目にする機会がなかったこともあり、話半分に聞き流していた。クレアよりは場慣れしているようだが、まだ14歳の、しかも少女。軍属とはいえ、騎士団における従士のようなものだろうと。だが、
(……誇張では、なかったのか)
 女魔族は、跡形もなく消え失せていた。目の前には、多少、足元のぬかるんだ、それでも何の変哲もない森の情景が広がっているだけだ。確かに存在したはずの沼すら、どこにも見当たらない。

「……余計な手間を」

 茫漠と夜空を仰いでいたティセナが、大剣を収めた鞘鳴りに、
「…………!」
 シーヴァスは、ようやく我に返った。呆けている場合ではない。
「ティセナ、すまない。早くクレアの治療を――」
「もう、終わっていますが」
 狼狽する勇者に、少女は素っ気なく応じた。
「? だが……現に意識が」
 それどころか、ぴくりとも動かない。抱きとめている華奢な身体はひどく冷たく、息をしているのかいないのかも定かでない。
「……気を失っているだけです。聖気に加えて、体力と気力まで使い果たして」
 スタスタと近づいてきた彼女は、不機嫌そうに、
「要するに過労です。回復魔法でどうこう出来るものじゃない。このまま三日は目を覚まさないでしょう」
 ぐったりと気絶しているクレアを、多少乱雑な仕草で、シーヴァスの腕から奪い取った。
「こんな状態で 『扉』 を潜れば、どうやっても歪みにやられて死んでしまう……アストラル体への負荷を避けるために、無意識に実体化してしまっているし……とにかく、寝かせておける場所に連れて行かないと……」
 ぶつぶつ言いながら頭上を睨み、次いで、くるりと周辺を見渡した。
「ここ、どこなんですか。近くに街は?」
「あ、ああ……ヨースト郊外の森だ」
 ふらつく足を叱咤しながら、身を起こす。反応は芳しくないだろうと、容易に予想できたが、
「その……私の屋敷では駄目か? 彼女を休ませるのは……」
 それでも提案しないわけにはいかなかった。
「魔族に襲われたのは、私の責任で――療養してもらうには、適した環境だと思うんだが」

「…………」

 歯切れ悪く切り出したところ、案の定、ティセナは不快げに片眉を跳ね上げた。
「いちいち言ってる場合じゃないですが、よりにもよって……」
 今夜ばかりは、どう詰られようと返す言葉がない。非難も罵声も甘んじて受けるつもりでいたのだが、
「……仕方ありません。案内してください」
 束の間、クレアの顔を見つめていた少女は、それ以上渋りはせず、疲れたような口調で促した。




NEXT  TOP

文章で “魔法” を表現するって、難しいもんですねぇ〜。こういうのは、やっぱ漫画やTVのほうが迫力出ますよね。表現力を身につけねばな……。