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◆ もう一人の被害者(1)


「ティセナ様ぁ〜っ!」
「こちらにいらしたんですか。あの、先ほどの……」
 必死でティセナ様の気配を追いかけて、辿り着いたのはヨースト邸。シーヴァス様の自宅だった。
「きゃあああっ!?」
「け、け、け、怪我ーっ!!!」
 室内に飛び込んだところで、二人して叫んでしまった。私が、酸欠金魚のごとく口をぱくぱくさせていると、
「ど、どうなさったんですか、これは!?」
「……静かに」
 詰め寄るローザに向かって、ティセナ様が、そおっと人差し指を唇に当てた。
「……」
「はふ」
 慌てて両手で口を押さえると、ちょっと間抜けな返事になってしまった。そのまま、なんとなくローザと顔を見合わせる。
「ごめんね、ちゃんと説明していかなくて。時間なかったから……」
 困り顔で言う彼女は、全身切り傷だらけだった。まるで頭からガラスに突っ込みでもしたみたいに。
「いえ……ですが、これはいったい――」
「いや……」
 普段の堅苦しい礼服じゃない、着心地よさそうな綿のシャツ姿で、籐の椅子に掛けていたシーヴァス様が、
「ケルピーとかいう魔族に、やられてな……彼女たちに助けられた」
 決まり悪そうに言葉を濁して、答えた。
「ケ、ケルピーっ!?」
 私はもう、驚きで開いた口が塞がらなかった。
「男性の生気を好んで喰らうという妖魔ですか? よく、ご無事で……」
 ローザも、信じられない、というように目を見開いている。
「ですが、なぜ……そんな化け物が今のインフォスに?」
「狂い月だったからね、今夜は。この時間なら、もう道は閉じただろうけど」
「あっ!」
 つい、また大声を上げてしまった。そうだ――時空連結の例外ってヤツだ。
「え、ええと、かかか、回復魔法〜」
「……人の話は最後まで聞く」
 とにかく怪我を治さなきゃ。もたもたと近づいた私を、ティセナ様は無造作に押しとどめた。
「これは、無理な転移をした反動。ただの掠り傷だから、放っておけば治る」
 そうして淡々と言う。
「シーヴァス様も、かなり生気を吸われているけど、何日か安静にしていれば回復するよ……クレア様もそうだけど、こういう症状に魔法は効かないから」
「それでは、クレア様は……?」
 おずおずとローザが訊ねると、ティセナ様は小さく溜息をついた。
「命に別状はない」
 このところ、お疲れ気味ではあったけど――それでも夕方まで、普段と変わりなく執務をこなしていたクレア様は、部屋の中央にあるベッドに横たわり、ぐったりと昏睡している。
(……いつものローブは、どうしちゃったんだろう?)
 どうやら地上の物らしい。淡い象牙色をした、絹のネグリジェ。いつもは結い上げられている銀色の髪が、今はほどかれて、ふわふわとシーツに流れている。呼吸が浅くて、顔色も青白い――なんとなく、子供の頃に読んだ童話を思い出した。
 魔女の呪いで、茨の塔に閉じ込められて、眠り続けるお姫様の物語。あれって確か、最後はハッピーエンドだった気がするんだけど。
(なにがどうなって、お姫様は幸せになるんだったっけ?)
「ただ、完全に聖気を使い果たしてるから……三日は目を覚まさないだろうし、衰弱が激しすぎてベテル宮に連れて帰ることも出来ない。意識が戻っても、しばらくは地上界で静養させなきゃならない」
 私にも、それは充分感じ取れた。だから、クレアの長期休養そのものに異存はないんだけど、
「え? では……このお屋敷に……」
「……って、シーヴァス様に預けて帰るんですか?」
 ローザと質問がかぶさって、どことなく気まずい空気が漂う。

「……私は嫌よ、もちろん」

 それでも、私たちが何を不審がっているのかは伝わったらしく、ティセナ様は歯に衣着せずに言った。
「けど……しょうがないじゃない。こんな状態のクレア様を抱えて、他国まで移動するのは合理的じゃないし、仕事を放り出して付き添ってるわけにもいかないし――少なくとも、そこら辺の宿に、ひとりで寝かせておくよりは安全でしょ」
「…………」
 恒例の毒舌合戦が始まるかと思いきや、シーヴァス様は、やけに居心地悪そうに黙ったままだ。
「そ、そうですね……」
 調子が狂って、愛想笑いを浮かべていると、
「そういう訳だから、二人とも……悪いけど、クレア様が復帰するまで休暇はあげられないと思う。くれぐれも、無理はしないでね」
 ティセナ様は表情を改めて、仕事をするときの顔になって、言った。
「は、はいっ!」
「お任せください!」
 私たちは、慌てて背筋を伸ばして、敬礼をした。

×××××


「それでは、申し訳ありませんが、クレア様をお願いします。定期的に、回復経過を見に伺うようにしますので――」
 ティセナは、折り目正しく頭を下げた。
「ええ、もちろん。責任持って、ここで静養していただきます」
 見送りに出てきたジルベールが、
「それはいいんだけど、あなた……今晩ぐらい泊まっていったらどうなの? 怪我もしているのに、こんな時間に、女の子ひとりで出歩くなんて……」
 案じ顔で、少女を引き止めようと、しきりに言葉を重ねる。

『彼女たちはシスターエレンの知人で、世界各地を旅しながら、慈善活動を行っている教会関係者だ。
 市街地で偶然に顔を合わせ、滞在先まで送っていく途中で魔物に襲われた。なんとか敵は倒せたが、私とクレアは足を滑らせて沼に落ち、ティセナも軽傷を負った――』
 天界云々を伏せたうえで辻褄を合わせるため、シーヴァスがひねり出した “経緯” は、屋敷の使用人たちをすんなり納得させたようだった。

「お気遣いありがとうございます」
 ティセナは、微苦笑を浮かべた。時刻は、すでに午前零時を回っている。押しかけてきた妖精たちは、一時間ほど前に、天使の指示を受けてベテル宮に戻っていた。この少女だけは、クレアが目を覚ますまで付き添うものとばかり思っていたのだが、
「――ですが早急に、上の者に、状況を報告しなければなりません。彼女の容態も安定したようなので、今日は、これで失礼させていただきます」
 やんわりと、しかし頑なに断り、背を向けてしまう。
「……そこまで送ってくる」
 心配そうなジルベールに言い置いて、シーヴァスは、足早に去っていく天使を追った。



「……なんでついて来るんですか。とっとと戻って寝てください」
 角を曲がったところで、実体化を解くつもりだったらしい。立ち止まり、ついと辺りを見渡した天使は、シーヴァスに気づくなり細い眉を吊り上げた。
「致死量は免れたとはいえ、そんな状態で動き回ったら――確実に寿命、縮みますよ」
 クレアにも言われたことだが、ティセナからは、更に手厳しく指摘されていた。あと少しでも生気を奪われていたら、廃人になるところだったと。
「これでも一応、感謝しているんだ。礼くらいさせてくれ」
 上司への報告するため、というのは建前だろう。それだけなら、妖精に任せておけばいいはずだ。敬遠されている自覚はあったが、たった一晩、屋敷に泊まることすら嫌なのか――と考えると、かなり気が塞いだ。
「要りません。反省しているというなら、これからは、もう少し自重してください」
 少女には、取り付く島もない。
「そもそも、どうして魔族の領域に踏み込んだりしたんです? あれだけ派手な瘴気に、気づかないわけないでしょう」
「いや、奴が本性を現すまで、判らなかったんだが――」
「……判らなかった?」
 ぼそぼそと弁解する勇者を眺めやり、ティセナは訝しげに眉根を寄せた。
「どこか具合、悪かったんですか? 今朝お会いしたときは、普段と変わらないように見えましたけど」
「別に、そんなことは……まあ、二日酔いではあったかもしれんが……」
「…………ほとんど初対面の、未成年の女の子を連れて、よりにもよって酒場に行ってたんですか」
 呆れて物も言えない、といわんばかりに、ティセナはこめかみを押さえた。しかし、
「みせい――誰のことだ?」
「昼間の、彼女に決まってるでしょう。それとも、あの後またナンパでもしていたんですか?」
 どうも、双方の認識は噛み合っていないように思える。
「なにを言っているんだ? あの少女が、ケルピーだったんだぞ」
「は?」
 天使の不審と当惑は、ますます強まったようだった。
「……あなたこそ、なにを言っているんですか。あの子は人間だったじゃないですか」
「だから、あれは魔族が化けた姿だったんだ。夜になって、再会して――話をするという名目で、森まで誘い込まれた」
 簡略に説明したところで、少しばかり不満が湧いた。
「文句を言うのは、筋違いだろうが……君とて、あの時点では気づかなかったんだろう? 天使の君に判らないようなものを、ただの人間に過ぎない私に気づけと言われてもな……」
 見殺しにするつもりだったのでなければ (さすがに、そこまで嫌われてはいない、と思いたい)、彼女も、カーラの正体に気づいていなかった、ということになる。こればかりは不可抗力だろう。まあ、それでも身から出た錆に変わりはないのだが。
「…………」
 ティセナは怪訝そうな顔をして、その場に突っ立っていたが、

「!?」

 唐突に、その瞳が慄然と見開かれた。次いで、踵を返し走りだす。
「お、おい……?」
 尋常でない空気を感じ、追って走りながら、
「どうしたんだ、ティセナ。天界に帰るんじゃなかったのか?」
「どうもこうも、ありません!」
 問い掛けたシーヴァスに、天使は振り返ろうともせず、苛ついた調子で怒鳴り返した。
「昼間のあの子は、確かに人間だった。魔族が、あの少女の姿で待ち合わせ場所に現れたなら――彼女を襲ってすり替わったに決まっているでしょう!」




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インフォスでの私服って、どんなものなんでしょう。要するに中世ヨーロッパの、貴族の普段着……想像つかないんで、やっぱシャツ姿が無難かな?