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◆ 暗闇を照らすもの


「……ティセナ」
 郊外の、しんと静まり返った舗道を歩きながら、呼びかける。
 虚空を仰ぎ、しばらく待ってみたが――案の定というべきか、応答はない。だが、近くにいることは確かだ。そうでなければ、未だ吐き気と倦怠感の残る身体で、これだけ歩き回って疲れを感じないはずがない。なにより、天使が傍にいる時だけに感じる、特有の気配がある。
 クレアの雰囲気を “春” と例えるなら、ティセナのそれは “冬” だった。真冬の、雪が降り積もった朝のような、侵しがたく凛と冴えた空気。
「いるんだろう?」
 話しかけたところで無視される可能性も考えていたが、
「……なにか用ですか」
 不愉快そうに顔をしかめながらも、天使は姿を現し、音もなく路上に降り立った。
「すまない」
「言う相手が、違うんじゃないですか」
 謝罪は、あえなく一蹴された。まあ、なにを言おうと機嫌を損ねるような気はしていたのだが、
「私は、言えなかったからな……カーラにも、彼女の両親にも。本当のことを」
 それでも今回のことは、全面的にシーヴァスに非がある。
「今日は、すまなかった」
 再び頭を下げると、面食らったように目を瞬いた天使は、次いで軽く小首をかしげた。
「べつに、いいんじゃないですか? さっきのは、あれで」
 予想外の反応だった。
 てっきり詰られるものとばかり思い込んでいたため、返す言葉が見つからず、つい、まじまじと相手の顔色を窺うように凝視してしまう。
「責められれば、あなたは気が済んだのかもしれませんけどね――事実を知れば、あの親子は、ずっと化け物の存在に怯え続けなきゃならなくなる。魔族に襲われたところで、対抗する術すら持たないままで」
 相変わらず素っ気のない、表情と声音。
「夢を見せたなら、覚めないようにするのが、あなたの責任でしょう」
 だが、そこに当然あると思われた、怒りや蔑みなどの否定的な要素は、見つからなかった。
「……彼女に冷たくするようなら、殴ってやろうかとは思いましたけどね」

「そう、か……」

 そのことに安堵と不安を同時に覚え、ひどく居心地の悪い気分に陥る。
 責められなかった理由が、本当に彼女が怒っていないからか、それとも話すだけの価値もないと思われているのか――よく分からない。
 わからないことだらけだった。あのときの、女魔族とのやり取りも。
 
「ティセナ」
 この少女と、二人きりで話をする機会など、この先いつあるか分からない。そう思うと、訊くべきことは自然と口を突いて出た。
「君は――なにを、どこまで知っているんだ?」
「なにがですか」 
「この世界で起きている異変の原因と、天界上層部の真意を、だ」
「なんですか今更。それは、とっくの昔にクレア様が説明したはずでしょう」
「ああ。事態の調査及び解決のために、君たちがこの世界に遣わされた、ということはな。だが……」
 内容が内容だけに、言葉は、慎重に選んだ。
「なにか他に、隠されていることもあるんじゃないか」
「……クレア様が嘘をついているとでも?」
 それでも天使は剣呑な目つきで、ぎろり、とこちらを睨んだ。まったく――自分が彼女について断言できるのは、クレアを慕っているということくらいのものだ。

「そうじゃない」

 以前、酒場でレイヴと交わした議論を思い返しつつ、シーヴァスは、心の奥底で行き場もなく燻っていた疑念をぶつけた。
 整合性に欠けて映る現状。クレアたちも知らされていない、天界の意図が存在するのではないか、と。

「……なるほど。穿った見方をすれば、そうなるかもしれませんが」
 だがティセナは、別段、顔色も変えず平然としたままだった。
「天界が人材不足なのは、事実ですよ。上層部のお偉方は、命令だけして働きゃしませんからね。思考回路も、こっちの世界の為政者と大差ないんじゃないですか? 考えるだけ時間の無駄です」
 半ば面白がるような口振りで言う、その態度には “上層部” に対する敬意など欠片もなかった。
「だいたい、クレア様が知らないことを、守護天使でもない私が知るわけないでしょう」
「そうだな。私も以前は、そう思っていた」
 クレアよりも、なお荒事の場に似つかわしくない、年端もいかぬ少女。
 初対面の頃は特に、こんな子供に危険を伴う任務を命じた、大天使ガブリエルとやらの良識を疑ったものだったが、
「だが、本当は――核心に近い場所にいるのはクレアではなく、君じゃないのか」
 この幼さで指名されただけの、明確な理由があるのではないか。
「……ははっ」
 ティセナは、嘲るような笑い方をした。
「おかしなことを言うんですね。どこからそういう話になるんです?」
 逆に訊き返してくる。そう改めて問われてしまうと、
「わからない……」
 と、いうより、なんとなく感じただけのことだ。根拠や証拠を並べろと言われると、どうしようもない。

 初めて目の当たりにした、彼女の戦闘能力。ひどく意味ありげに聞こえた、女魔族との会話。耳慣れぬ単語。たまにクレアが見せる、表情の翳り。
 なにより――滅多に物事に動じないティセナが、時折、事件現場でひどく怯えたような瞳をしていたこと。

 どう説明したものか、しばらく返答に窮していると、
「憶測ご苦労様、と言いたいところですが……私は、最下級の天使ですから。核心どころか、蚊帳の外にいますよ」
 うんざりとした口調で告げられた。その物言いに、また引っ掛かるものを感じる。しかし理由を 『勘だ』 などと答えれば、ただ呆れられて終わりだろう。
「まあ、なにか知っていたとしても、あなたに話しはしないでしょうけどね」
「…………」
 これは本心に違いないだろう。
 この二年半、彼女とまともに話をしてこなかったことを、さすがに少し後悔した。
 とはいえ、強引に問い質しても無駄だろう。元より口数の少ない少女だ。諦めて、別の機会を待つしかないのだろうが、
「もうひとつだけ、訊いていいか?」
 そう切り出すと、まだなにかあるのかと言わんばかりに迷惑そうな顔をされた。しかし訊くだけはタダだ。明確な答えは得られなくとも、反応でなにか分かるかもしれない。

「クレアは……君の、なんなんだ?」

 最初は、興味本位で抱いた疑問だった。ただの仕事仲間とは呼べない、友人や姉妹とも違う、天使たちの間に流れる密接な空気。果たしてあれは、どういった種類のものなのかと。
 だが、あるいはこれこそが、核心の一部を構成する事柄なのかもしれない。思い返してみれば、ティセナは――この世界や与えられた任務のためというより、クレア個人の意向を汲んで行動している感がある。

「…………」

 重苦しい沈黙が落ちた。
 気まずさに居た堪れなくなり、変なことを訊いて悪かった、と口を開きかけたところで、
「…………星空、かな」
 天使は暗い夜空を仰ぎ、ぽつりと答えた。
(星空?)
 つられるように見上げた空は、黒い雨雲に覆われていて、星どころか月の光も差していない。比喩なのだろうが、外見の色彩だけを指しての言葉とも思えない――どういう意味だ?

「…………」

 だが、意味を訊ねていいものかと考えあぐねている間に、ティセナは気配ごとその場から消えていた。




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ふー。ようやく 『罠』 終了。
フェバシリーズの事件イベントは、あまり詳細が描かれていないので、想像が膨らみまくりです。