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◆ 密会(1)


 午前中に執務を終え、早めの昼食を済ませて。ほどよく暖房を効かせた書庫でくつろいでいると、
「おかしいって! 絶対ヘンよね、最近のシーヴァス様は」
「そうよねぇ。いきなり何ヶ月も邸をお空けになったと思ったら――今度は、夜遊びも一切しないで、人が変わったみたいに執務に励んでるんだもの」
 姦しい、メイドたちの会話が聞こえてきた。
 壁越しで多少聞き取りにくいが、ずいぶん盛り上がっているようだ。本人がすぐ傍にいるとは考えてもいないのだろう。

 まあ、シーヴァスの生活習慣が、使用人から噂のネタにされるのは今に始まったことではなく。
 もし彼女たちが、書庫に足を踏み入れうろたえたとしても、なにも聞こえなかったフリをしてやれば済む話だが。

「これはいよいよ、年貢の納め時ってことかしら。身辺整理中?」
 身辺整理もなにもない。クヴァール滞在中に山積みになってしまった書類をまとめて片付け、また長期任務が入っても支障ないよう、先の分まで進めているだけの話である。
「じゃあ、お相手はやっぱりフェリス様? タンブールの知人宅を訪ねていたっていう理由は建前で、お忍びで婚前旅行?」
 フェリス。すでに懐かしい気さえする名だ。
 昨春、何度か邸に連れてきただけの相手だが、ここ半年ほど “任務” に明け暮れ、また訂正するような機会もなかったため、メイドたちの認識は昔のままらしい。
「ううん。それがさ、彼女とはとっくの昔に破局してるらしいの」
「ええーっ!? なにそれ」
「そんなこと、どこで聞いたのよ。レジーナったら」
「エディーク様からよ。この間いらしたときにね、それは有り得ないって」
(…………この間?)
 ここしばらく、奴と顔を合わせた覚えはない。怪訝に思っていると、
「えっ? エディーク様?」
「いつのことよ。聞いてないわよ、そんな話」
 チェルシーとライラが、ちょうどシーヴァスの疑念を代弁してくれた。
「ああ、だいたい二ヶ月前――あなたたちが買い出しに行っていたときね。シーヴァス様を訪ねて来られたんだけど」
「うそーっ」
「あーん、残念。私もお話したかったぁ」
「ちょっと、話が逸れてるわよ! ……それで? どういうことなの、レジーナ」
「ああ、うん。あの二人は去年の五月に別れていて、しかもフェリス様にはとっくに新しい恋人がいるんだって!」
(まったく、人の留守中に屋敷に上がりこんで、なにをペラペラと――)

 あの中身常春、赤毛頭。近いうちに張り倒してやらねば。

「えーっ? じゃあ実は、クヴァール行きって傷心旅行だったのかしら」
「そうねえ。出発されたの七月末だっけ? タイミングとしてはそんな感じだけど――」
 曲解にもほどがある。それでは、まるで自分がフェリスに振られたようではないか?
(……いや、まあ……一応そうだったか)
「もう女遊びしないで仕事に生きます、ってこと?」
「う〜ん。あれで女癖の悪さが直って、真面目に政務に励まれるようになったら、もう文句の付けようもなく完璧よね。シーヴァス様って」
「ホント。そうしたら、ジルベール様の心痛も軽くなるでしょうに――」
 メイドたちが、しみじみと語り合っていたところへ、
「そうね……」
 どこからともなく吹き込んできた、凍てつく空気。
「そして、あなたたちがもう少しキリキリ働いてくれるなら、私は心置きなく隠居生活を楽しめるのだけれど――」
 ジルベールだ。
 姿こそ見えないが、ひたいに青筋をたて仁王立ちしている様が容易に想像がついた。
「正午の鐘が聴こえなかったの? こんなところで油を売っていないで、仕事に戻りなさい」
 怒鳴り声というほど激しくはない、けれどメイドたちは竦みあがり、
「もっ、申し訳ありません、ジルベール様!!」
 複数の足音が、脱兎のごとく四方へ散っていった。それをまた 「廊下は走らない!」 と、叱りつけるメイド頭。
 やがて、底抜けに深い溜息が聞こえ。

「それにしても、確かに……近頃の坊ちゃまの勤勉ぶりは、どういう風の吹き回しなのかしらねぇ?」

 揃いも揃って、失礼な使用人たちであった。

×××××


 定例の貴族議会が催され、滞りなく退屈に終了した四月中旬。
 ようやく堅苦しい連中から逃れた解放感のままに、シーヴァスはヘブロン市街を散策していた。

 議事堂では、ほとんどの出席者が欠伸をかき、果ては居眠りをしている有り様で、議長もそれを咎めることなく一方的に話を進めていた。形骸化の極み。時間と労力の無駄である――が、評議員として、フォルクガング家の出席が義務づけられている以上、出ないわけにもいかない。
 閉会後、同席者から相次いだ夜会への招待にも、まったく気乗りがせず、早々に議院を後にしたのだが、

(…………!?)

 背筋を蛇が這うような悪寒に、暫時、身を固くし――それでもどうにか平静を装い、そのまま歩き続けた。
 否が応でも目に映る。
 飲食店や娯楽施設が立ち並ぶ路地の、反対側から歩いてくる、異常な威圧感を放つ人影。
 女だ。つばの広い帽子を目深にかぶり、漆黒の長衣を身に纏っている。青白い肌に映える、唇の紅。裳裾にほどこされた刺繍、肩先に流れる巻き毛は、まさしく鴉の濡れ羽色だった。外見は、やたらと色彩が暗いことを除けば、別段おかしなところはない。行き交う人々も、彼女を気に留めている様子はない。しかし、

(あの気配……は……)

 覚えがあった。理性ではなく、本能が鳴らす警鐘。あれは危険だ、と告げる第六感の。
(――ガーゴイル)
 手繰り寄せた記憶が、眼前の情景に重なる。あの女が放つ邪気は、過去に剣を交えた魔族のそれを遥かに圧倒している。

(……魔族……なのか?)

 だが、ガーゴイル、コカトリス、ハルピュイア――幾度となく戦った異形の怪物たちとは、姿形がかけ離れている。異様な雰囲気を抜きにすれば、ただの若い女性にしか見えないではないか? それに、いつだったか 『魔族は、光差す場所には存在できない』 と、天使に聞かされた覚えがある。実際に今まで、こんな市街地で魔族と遭遇したことなどない。

 黒ずくめの女は、どうということなくシーヴァスの横を通り過ぎ、路地を右折して視界から消えた。すれ違いざまに垣間見えた、瞳は、黒曜石を思わせる漆黒だった。
「…………」
 クレアたちならば、なにか解るのかもしれないが。
 連絡手段たる “石” は、邸に置いてきてしまっていた。ぐずぐずしていては見失う――幸いというべきか、帯刀はしている。

「……気のせいだろうがな」

 逡巡するも、結局、シーヴァスは女の後をつけることにした。




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ここいらで敵サイドの顔見せなどを。まずは魔女シエラ。 『ディケイド』 では、ディアンの宿敵というより、クレアの天敵かもしれません。