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◆ 密会(2)


 薄暗く寂れた裏路地を、黒ずくめの女は、真っ直ぐに奥へと進んでいく。
 どう考えても、まともな若い娘が出入りする場所ではない。いったい、なんの用で、どこへ向かっているのか。
(それとも、気づかれているのか――)
 相手が本当に魔族だとすれば。すれ違ったこと自体罠で、敵の領域へと誘い込まれている可能性もある。尾行は諦め、天使の判断を仰ぐべきか?
(……冗談じゃない)
 これが 『事件』 の類なら、どのみち自分たちに回ってくる仕事だ。さっさと片付けておくに限る。
 クレアたちの不在は、たいした問題ではない。サポート抜きで戦った経験など、いくらでもあるというのに――拭いきれない重圧は、どこから来るのか。

「…………」

 元は酒場だったんだろう。出入り口に転がっていた、錆びた看板を踏み越え、女は朽ち欠けた建物へ入っていった。
「例のものは出来ている? ディアン」
「出来ていますよ、シエラ。この瓶に入れています」
 月明かりが辛うじて照らす、廃屋の内部。例の女の他に、もうひと長身の影があった。
(ディアン……!?)
 暗い灰色の双眸。いちど見ただけの相手だが、間違いない――かつてソルダムで遭遇した、銀髪の男だ。
「そう。では、それをこちらに。早くいただきたいの」
 シエラと呼ばれた女が、やけに愉しげに手を伸ばす。外見、表情、仕草。すべて人間の女性と寸分違わぬものでありながら、やはり言葉にならない違和感があった。
「……渡す前に、もう一度確認しておきます。本当にこの薬は、罪深き人間たちを殺すためだけに使われるのですね?」
 ディアンは、小さなガラス瓶を手にしていた。確か 『アンプル』 と言ったか――天使の回復薬も、あれと似た形状の容器に入っているのだ。どうやら、中身は薬らしい。
「そうよ。法皇の委任状も見せたでしょう?」
 暗がりで交わされる会話は、単なる男女の逢引現場と結論付けるには、物騒すぎた。
「エスパルダの教典では、血を流して人を殺すことが禁じられているから、どうしても貴方の強力な毒薬が欲しいの。奴らに死罪を下してやるために」
(毒薬!?)
「貴方だって、我慢がならないでしょう? 救いようのない罪人たちが、のうのうと生き延びているなんて」
「そうですね」
 極端な理屈に、ディアンは迷いもなく同意した。
「これは正義だと思うでしょう? 更生できない悪党どもをを、生かしておいていいはずがないのだから」
「ええ、思います」
 思い返せばソルダムでも、あの男は似たようなことを言っていたが、

「ほう、聞き捨てならん話だな……!」
 
 彼らが何者であれ、このまま見逃すわけにはいかない。すぐさま剣を抜ける体勢をとり、シーヴァスは廃屋に踏み込んだ。
「おまえは!?」
 シエラが弾かれたように振り向いた。どうやら尾行には気づいていなかったらしい。逆にディアンは、わずかに片眉を跳ね上げただけで、たいした驚きも見せなかった。
「毒物の取り引き自体、このヘブロンにおいては犯罪だ。国外の人間だろうと例外ではないぞ――」
 続けて、牽制のために名乗る。
「私は騎士、シーヴァス・フォルクガング。悪いが、中央司令部まで同行願おうか」
 最低限の常識を持ち合わせた人間ならば、ヘブロンの騎士が、犯罪者の逮捕権を有することは知っているはずだ。片や、大規模な盗賊団の半数を一夜で惨殺した男。そして得体の知れない黒ずくめの女。出来ることなら、この場での戦闘は避けたい。
「ちっ、邪魔が入ったわね……!」
 シエラは憎々しげに顔を歪めた。しかしすぐさま、
「……また会いましょう、ディアン。あなたは、こちら側の人間よ……」
 ディアンに向き直り、それが甘い睦言であるかのように囁いて、ふわりと踵を返すと窓から外へ身を躍らせた。
「待て!」
 すぐさま後を追い、路地に飛び出す。しかし――シエラの姿は、どこにも無かった。


「…………いない……?」


 状況が理解できず、シーヴァスは呆然と立ち尽くした。
 シエラに続いて外に出るまで、せいぜい2、3秒だったはず。周辺は、四方八方石造りの壁で、逃げ隠れできるような空間はない。だいいち、逃走したにしろ足音ぐらい響いているはずだ。しかし路地は、しんと静まり返り、物音ひとつ聴こえない。
 消えた。そうとしか考えられなかった。

(やはり――あの女、魔族か?)

 人外の存在であるなら。ティセナが使う、転移魔法。あれと似た原理で姿を消したというならば、説明がつく。
「あなたは……確か以前、ソルダムでお会いしましたね」
「…………!」
 冷めた口調。カツン、と。すぐ真後ろに聴こえた靴音に、反射的に飛び退く。
「貴様は――ディアンとか言ったな」
 逃げ隠れする素振りも、なんの動揺すらなく、男はそこに立っていた。どうやら向こうも、こちらのことを覚えていたようだが、そんなことはどうでもいい。
「あの女は、何者だ」
「シエラですか……彼女については、エスパルダ法皇の使者としか聞いていません。罪人を安らかに処刑するための薬を作って欲しい、という依頼でしたが」
 平然と、とんでもないことを言う。
「そんな恐ろしいことを、貴様は引き受けたのか!?」
 依頼されたからと毒薬を作る? 正気の沙汰とは思えない。しかしディアンは、悪びれもせず肯定した。
「ええ。罪を犯した人間に、本当の裁きを下すことは、悪くないと思いましたから」
「本当の裁き、だと……?」
 呟いた自分の声が、わずかに掠れていることに気づく。喉の奥が、やたらと乾いていた。尾行を悟られぬよう神経を尖らせていたため、考える余裕もなかったが――この裏路地に入り込んで、どれぐらい経ったのだろう?
「生きる価値のない人間は、殺した方が世の中のためなのです」
 道理を弁えていないのは、そちらだと言わんばかりの不快げな表情。聞き覚えがある――そうだ。あのときと同じ台詞だ。
(彼女は……なんと言っていた?)

 ソルダムで、奴と相対したのはクレアだった。天使は、この男にどう返したのだったか――

「まあ、いずれあなたにも、あのときの女性にも、理解できる日が来るでしょう」
「貴様と一緒にするな!」
 いちいち、癇に障る物言いをする男だ。慇懃無礼とは、こういう人間のことを指すのだろう。
「とにかく――薬物取引の現行犯だ。中央司令部まで来てもらおう。あのシエラという女についても、知っていることを洗いざらい吐いてもらう」
「…………」
 普通ならば言い繕うなり、取引相手のシエラに責任転嫁なりするところだろう。だがディアンは、無言で薄い笑みを浮かべただけだった。
「……なにがおかしい」
「いえ、失礼」
 上辺だけは丁寧な、他人を小馬鹿にした態度。堪りかねて睨み据えると、ディアンは大仰に肩をすくめた。
「ですが、洗いざらいと言われても、シエラについては今お話したこと以外、なにも知りませんよ」
「ふざけるな! 素性も定かでない相手と、毒薬の取引だと!?」
 右手を 『ファルシオン』 の柄にかけ――苛つく心を、理性で抑えつける。挑発に乗ってしまえば、こちらが不利だ。
「まあ、毒薬と言えなくもありませんが……」
 ディアンは、薬瓶を月光に翳した。中身の液体は、どろどろに濁った濃紫だった。
「これは、使い方次第で毒にも薬にもなる、医者なら誰でも所持している薬品です。たいした証拠にはならないと思いますよ」
 事も無げに言う。
「…………なんだと?」
「私とて、シエラの話を鵜呑みにしたわけではない。委任状の信憑性くらいは調べています」
 薄笑いを浮かべたまま、ディアンは続けた。
「委任状の印は、確かにエスパルダ法皇のものでした。彼女が実際に法皇の指示で動いているのか、文書を偽造できる立場の者に従っているのかは判りませんが――これで裁判沙汰になったところで、ただの町医者に過ぎない私の証言など、政府は握りつぶすでしょうね」
 認めたくはないが……言い逃れのため虚勢を張っているようには、見えなかった。
「下手をすれば、法皇を侮辱したということで、外交問題にも発展しかねない。フォルクガングといえば、ヘブロンでも有数の大貴族だったように思いますが――確たる証拠もなしに、そのリスクを負いますか?」
「…………っ!」
 とっさに反論できずにいるシーヴァスを見やり、ディアンは、また嘲るように口の端を吊り上げた。
「まあ、私はどちらでも構いませんが……せっかく作った薬が無駄になるのは、残念です。これは、あなたにお渡ししておきましょう」
「な――!?」
 無造作に薬瓶を押し付けられ、シーヴァスは危うくそれを取り落とすところだった。
「それはもう、患者さんたちに使うわけにはいかない代物ですからね。裁判の材料にするなり捨てるなり、どうぞご自由に」
(……どういう意味だ?)
 これは物的証拠にはなり得ないと? それとも、やはり挑発されているのか? 裁判沙汰にして恥をかく覚悟があるなら、やってみろと?
「それでは、私はこれで。もうお会いせずに済むことを祈っておきますよ」
「…………」
 ディアンは去っていく。こちらの動きなど、気に留めてもいないようだった。

(追うだけ無駄、か……)

 腹立たしいが、エスパルダ政府が絡んでいる可能性がある以上、確かに軽はずみには動けない。それにディアンひとりを捕縛したところで、真相には届くまい。事態の核心にいるであろう、あの女――シエラを探し出さない限りは。


(やはり……石を置いてくるべきでは、なかったな……)


 クレアであれば。天使が、この場にいたなら。
 シエラを、むざむざ取り逃がすことも。あんな男にやり込められることも、なかっただろうに――



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シーヴァスVSディアン。今回の軍配はディアンに。こういう分野の会話では、たぶんディアンの方が上手でしょうね。