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◆ 混乱の兆し(1)


「……なぁ。おまえら、シルフェとかいう妖精、知らねーか?」
 ある日、グリフィン様が唐突に訊いてきた。
 ちなみに、ここはニーセンにある彼の自宅 (借家) なので、人目を気にする必要はない。
「はい?」
 なんの話か、よく解らないまま考えて、
「シルフェ、ですか? う〜ん。私は知らないですけど」
 心当たりがないので、結局そう答えた。ティセナ様も首をかしげている。
「私も……ローザは?」
「そうですね。知り合いというほどではありませんが、ひとり――バーンズ捜索チームの名簿で、シルフェという名を見た覚えはあります」
 記憶が曖昧なのか、ローザは、ちょっと自信なさげに答えた。
「バーンズって……数年前に行方不明になったっていう、あの妖精界の守護獣?」
 そう。鹿と馬と山羊を足して三で割ったような、茶色い毛並みの巨獣だ。とにかく怪力で、親子代々、妖精界を魔族なんかの侵略から守ってきてくれたんだけど、
「確か……結局まだ、見つかってないのよね?」
「はい」
 ある日いきなり失踪しちゃって、未だに行方知れずのままなのだ。
「そのシルフェって子が、どうかしたの?」
「いや、オレは知らねーんだけどよ……」
 
 グリフィン様は、暴れオークを討伐したときに出会った、ティアという女の子について説明してくれた。

「……では、シルフェはこのインフォスに?」
「それじゃ、バーンズもこの世界にいるってこと?」
 私は、ローザと顔を見合わせた。
「そう判断して、探しているのか――しばらく探索したけど発見できずに、見切りをつけて別の世界に移動した、って可能性もあるね」
 ティセナ様が冷静に分析した。ローザが困惑もあらわに再確認を取る。
「ですが基本的に、妖精も無闇に人前に姿を現してはならないのですが……そのティアという少女が、彼女を友達と?」
「ああ、そう言ってたな。ガキの頃からずっと一緒にいて、姉貴みたいなもんなんだと。まあ、最近じゃどっちが妹なんだかって感じだったらしいが……妖精って年取らねえんだな」
「違いますよぉ。人間の成長スピードが速すぎるんです!」
 この場合どうでもいいことなんだけど、つい反論してしまった。
「じゃあ少なくとも、その妖精は十年近くインフォスに――守護獣捜索の任務があるのに?」
 ティセナ様の、綺麗なターコイズの瞳が、スッと鋭さを増した。
「なにか……理由、ありそうね」
「……ええ」
 同意して、ローザは言った。
「どんな事情であれ、捜索チームの一員なら、ティタニア様への定期報告は欠かしていないはずですから――フォータ離宮に戻ったときに、なにかご存知ないか訊いてみます」
「そっか。まあ、ついでで構わねえから、頼むな」

 それから 「昼メシ食ってくる」 というグリフィン様に、ティセナ様が同行して。私たちもついて行って、こっそり相伴に預かった。
 だけど、この後また厄介な事件が立て続いて、対応に追われるうち、この件は後回しになってしまうのだった。

×××××


 そうして五月、朝っぱら。

「――フィン! 起きてる!?」

 起き抜けに自室でだらだらしていると、微かに石鹸の沫が弾けるような音がして、唐突にティセが姿を現した。転移魔法とかいうらしい。急ぎの用があるとき、こいつはこんなふうに前触れもなく出てくる。最初のうちこそ驚かされたが、さすがにもう慣れた。
「どうした、血相変えて……事件か?」
「オークの大群が……ティアズって村で暴れてて……」
 よほど急いで来たのか、息も絶え絶えにティセは頷いた。
「ティアズ!?」
 ぎょっとして跳ね起きる。
(――前にクレアと森で見つけた、あのガキの村じゃねえか!)
 ピートと、その母親。
 かつて天使と訪れた村の、穏やかな情景が脳裏を過ぎった。
「インフォスの生物じゃ、私は……手を出せないし……他の協力者は遠すぎて間に合わないから……」
「分かった、行くぞ!」
 詳細は、移動しながら確認すれば済むことだ。
 部屋の隅にまとめておいたツヴァイハンダーと手荷物を抱え、窓から路上に飛び降りる。これが三階ともなると、ちとキツイが、二階程度の高さならオレにはどうということもない。

「のわっ!?」
 散歩でもしていたんだろうか。通りすがりの爺さんが、オレを見てギョッと目を剥き、
「こ、こりゃあ、若いの! 危ないぢゃろうがー!!」
 なにやら背後で説教を始めたが、今は相手をしている時間がない。
「…………」
 ティセも物言いたげにしていたが、とりあえず黙殺することにした。



「間に合わなかったってのかよ!? 畜生っ!」
 拳を叩きつけた瓦礫は、脆くも崩れ去った。
「…………」
 ティセも苦虫を噛み潰したような顔で、焼け跡に佇んでいる。

 ティアズに辿り着くと、空は、あのときと同じ茜色だった。
 だが、村は見る影もないほど無残に破壊し尽くされていた。あちこちで、黒い煙が燻っている。誰もいない――いや、
「……おまえら……村の連中はどうした」
 奥へと進んでいくと、広場らしき場所に出た。中央に井戸がある。四方の花壇を踏み躙り、座り込んだオークの群れが掻き集めた食料を貪り食っていた。
 散らばった骨、臓物。鶏のものらしき、白い羽――血の匂いがする。
「ナンダ、オマエハ」
 動きを止めて、こっちを見たオーク数匹が、がなり声を発した。
「村の連中はどうしたって、聞いてんだよ!」
「ウルサイ、ニンゲンダケイイオモイ、スルナ!!」
 オレを 『敵』 と判断したらしい。そいつらは一斉に、武器を片手に突進してきた。
(……いい思い、だと?)
 こんな辺鄙な土地で、身を寄せ合い。畑を耕し家畜を飼い、家族と暮らす平穏。それをこんなふうに、ぶち壊される理由なんざ――あってたまるか!
「おまえらの好きにはさせねえ!!」
 剣を構える。ティセが後ろで、援護魔法の発動体制に入るのが、横目に見えた。

「…………」

 あっさりと尻尾を巻き、這う這うの体で逃げていくオークの群れを、最早どうでもいいような気分で見送る。
 連中は習性から、いちど痛い目を見た場所には寄り付かない。だからもう、ここが狙われることはないだろう。それ以前に、奴らを追って殺したところで、破壊されたものは何ひとつ元に戻りゃしない。

 漂う血の匂いと、静寂。ギャグス……いや、ソルダムと同じだ。
(――胸クソ悪い)
 村の連中のことだけが、気がかりだった。妖精が発見した時点では、すでにオークが村を占領していて、住人の安否は確認できなかったという。敵から聞きだすことも出来なかった。無事に脱出しただろうか? それとも――

「……フィン! あそこ、誰かいる……」
 ずっと押し黙っていたティセが、唐突にオレの肩を揺すった。
「なに!?」
 驚いて周囲に目をやるが、路上に人影はない。どこだよ、と訊き返しかけたところで、
「あ、やっぱり! グリフィン兄ちゃん!!」
 前方の大樹から、小さな子供がよじ降りてきた。そのまま、こちらに走ってくる。
「おまえ――ピートか!」
 飛びついてきたのは、あのときの迷子だった。続いて、もう二人、見覚えのあるガキが駆け寄ってくる。
「怪我はなかったか? なんで子供だけで、こんなところにいるんだ。他の村の連中は!?」
 矢継ぎ早に問いかけると、
「へっちゃらだよ、お兄ちゃん! お父さんもお母さんも、みんな無事だよ」
 ピートは、上気した顔で、明るい声で答えた。
 ……ホッとした。村の破壊は免れなかったが、この様子だと、住人は無事らしい。
「昨日、怪物の群れが押し寄せてるって、狩りに出てたオジサンたちが知らせに戻ってきてね。みんなで、川向こうの水車小屋に避難してたの」
「そしたらさっき、物見櫓にいた見張り番が、オークがどんどん村から逃げ出してるって騒ぎだしてさ。どうしてなのか見に来たんだ」
 黒髪の幼女と、2.3年上に見える少年が、得意げに説明した。
「バカ、危ねえだろ! オークに見つかったら、どうするつもりだったんだ」
「大丈夫よ、お兄ちゃん。あいつら馬鹿力だけど、木登りも、船を作ったりも出来ないんだって、お父さん言ってた。自分で穀物を育てられないから、いつもおなかを空かせていて、こんなふうに人間の村を襲うんだって」
(それで木に登って見物してたってわけか……)
 子供の好奇心ってヤツは、短絡的で手に負えない。なにかの拍子に見つかって、幹ごと薙ぎ倒されたらお終いじゃねーか。
「そっか……怖かったろ?」
 とりあえず説教しておいた方がいい。そう思ったんだが、
「ううん、そんなことないよ。ねえ?」
「うん! グリフィン兄ちゃん、すっごくカッコ良かった」
「なあなあ、どうやったら兄ちゃんみたいに強くなれるんだ?」
 チビどもは、怯えた様子など微塵もなく、はしゃぎながら纏わりついてくる。
「いや、あのな……」
 なんというか――こんなふうに、素直に賞賛されるのは照れくさい。ピートたちを持て余していると、天使が、今にも笑いだしそうな表情でからかって寄こした。
「カッコ良かったってさ、フィン」
「……やかましい」
 オレは小声で、邪険に答えた。
 ティセはくすくす笑っていたが、不意にびくっと身を翻すと、血相を変えて後方の森に飛び込んでいった。
「? ……おい、おまえら。ちょっと、ここで待ってろ」
 ピートたちに言い置いて、後を追う。
「…………再生核の粒子……この瘴気は……合成獣?」
 滞空したティセは、鋭い目つきで大剣を手に、なにかを探しているようだった。
「磁場が荒れている――黒魔術の産物か。けど……なんで、人間が……」
「おい、どうした」
 声を掛けると、ようやくオレに気づいたらしい。
「フィン……?」
 わずかに動揺を見せたが、なんでもない、と左右に首を振り、
「……あの子たち、避難場所まで送ってやって。ここに戻るのは夜が明けてからにするよう、伝えて」
 おもむろに、そんなことを言いだした。
「あ、ああ――けど、なんでだ?」
「村を立て直すにも、もう暗くなるじゃない……それに、こういう破壊の跡地には、魔物が惹かれて来やすい。すぐには近づかない方が無難だから」
 こいつの 『なんでもない』 はアテにならない。なにか見つけたのか、それとも気づいたのか――分からないが、訊いたところで答えやしないだろう。
「わかった。後のことは、オレがやっとくよ」
 なんにせよ、この場には長居しない方がいいんだろう。オレは頷いた。
「けど、おまえ……帰ったら少し休めよな。顔色、悪りぃぞ」
「…………」
 ティセは、面食らったように目を瞬いた。次いで小さく苦笑すると、
「フィンもね」
「あ?」
 天使が伸ばした指先が、頬に触れた。丸一日の強行軍で疲労していた身体が、嘘のように癒えていく。
「じゃ、ね。今日はありがとう」
 くるりと踵を返したティセは、今朝方と同じように転移魔法で姿を消した。

「…………」

「ねえ。どうしたの、お兄ちゃん?」
「もしかして、まだオークがいたのか?」
 しばらく突っ立っていると、ピートたちが、森の入り口に固まり呼びかけてきた。
「いや、ガサって音がしたんだがな……鳥だったよ」
 そう答えると、ガキどもは安心したような、それでいて期待外れとでも言いたそうな反応をした。
「なぁんだ」
「鳥さんかぁ」
「さて、と。水車小屋とやらに戻るぞ。どーせ親に黙って出てきたんだろ? お説教が待ってるだろーからな。覚悟しとけよ」
 指摘すると、ピートたちはギョッと顔を見合わせた。
「わっ! そうだ、ママ――」
「……俺……今晩、ここで野宿しようかなー……」
「却下だ。ほら、行くぞ」
 尻込みするチビどもを促し、歩き出す。

(しかし……最近オレ、ガキの面倒ばっか見てねーか……?)

 こんなことにばっか首を突っ込んでるせいで、本職の方はすっかり休業状態だ。
 ……まあ、嫌なわけじゃないんだが。



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グリフィン。朝は起きるの遅そうですよね。ナーサに至っては、昼過ぎまで寝ていそうなイメージがあります。