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◆ メランコリー(1)


「こんばんわ、アーシェ」
 宿屋の裏手。小高い丘に、彼女はいた。
「……あ。クレア……」
 膝を抱えてうずくまっていたアーシェが、驚いたように顔を上げる。
「そっか、ローザが呼んでくれたのよね。忙しいって聞いてたんだけど……ごめんね」
 弱々しい笑顔。ひどく元気がなく、憔悴している。
 この間の戦闘で、ゴブリンから子供扱いされたことを、まだ気にしているのだろうか? けれど、あれはもう三ヶ月ほど前のことになる。さすがに、それはないだろう。だいたい、あのときも落ち込むというより激昂していたのだから。
「いえ。ようやく各地の事件が治まったので――私こそ、遅くなってすみませんでした」
 勇者の隣に並んで腰を下ろすと、かさりと草の感触がした。
「でも、どうしたんですか? 夜遅くに、こんな場所で」
 夜というより、もう明け方に近い。東の空は白み始めている。普段なら、こんな時間帯に訪問しようものなら『バカ天使!』 と枕が飛んでくるところだ。だが今日は、真夜中でもいつでも構わないからと伝言があり、サルファの反乱に関する事後処理が終わって飛んできてみると、こうして彼女は起きていた。
「うん。ちょっとね……」
 アーシェは言葉を濁した。そのまま困ったように視線を泳がせ、しばらくまごまごして、
「…………」
 おもむろに取り出した白い封筒を、クレアに押し付けると、そのまま自分の膝の上に突っ伏してしまった。
「手紙……アーシェのお父様からですね」
 綺麗な模様入りの、便箋が数枚。封筒の裏面には、ブレイダリク王の名前と印がある。
「私が読んで、いいんですか?」
「…………」
 アーシェは無言で頷いた。首をかしげながら、クレアはそれに目を通す。

「これって……」

 手紙の内容を要約すると、
『ミリアス王子との婚約は取り消すから、帰って来い』
 ……とあった。

「つくづく勝手よね――婚約するのも止めるのも、全部お父様が決めるんだもの」
 アーシェは、やるせなく嘆息した。
「王女だからって、勉強ばかり厳しくて、意見を言えば口答えするな、って。怒ってばかりでさ……」
 喋るうちに、だんだん腹が立ってきたのだろうか、
「知らないところで話が進んで、いきなり婚約者だなんて言われて、だぁれが納得するかってのよ!」
 沈んでいた口調が、そこで爆発したように激する。
「あんなお父様のところ、当分帰るつもりないんだから!!」
 彼女は、ぜいぜいと息を切らせながら、涙目で怒鳴った。もしかしたら、クレアが来るまでの間にも、泣いていたのかもしれない。
「そうですね。アーシェの言うとおりだと思います」
 婚約者とはどういう存在なのか、結婚とはどういうことなのか。天使であるクレアには、いまいちピンと来ないが、とにかく人間界の風習で、ずっと一緒にいると約束する相手らしい。顔も知らない、どんな性格かも分からない人間と、友達になれと命令されるようなものだろう。そうして、これまた、あっさり取り消された。そんな関係に、どんな意味があるだろうか? 彼女が憤慨するのも無理はない。
「アーシェのお父様は、ちょっと強引な方のようですし――しばらく、距離を置いた方がいいのかもしれませんね」
 そのミリアス王子が善い人で、ブレイダリク王が、娘のために良かれと思って決めたことだとしても、最終的な決定権はアーシェにあるべきだろう。他者との関わりは、強いられて形成するものではないはずだ。

「……そうよね? そう思うわよね!?」

 アーシェは、ぱっと顔を輝かせた。
「よかったぁ。あなたにまで 『帰れ!』 って説教されたら、どうしようかと思っちゃった!」
 心底、安心したように表情を緩める。
「そんなこと、しないですよ。私はアーシェに味方しますから」
「さすが私を選んだ天使ね、話が分かるわっ!」
 すっかりいつもの、いたずらっぽい調子に戻った彼女は、封筒と便箋を適当に重ねると、
「そうと決まれば、こんな手紙はぁー……」
「え? あ」
 びりびりびり、と勢いよく破り、宙に放り投げた。紙吹雪と化した手紙が、早暁の風に流され散っていく。
「あー、すっきりした♪ これでようやく眠れそう!」
 アーシェは、ううん、と背伸びをして丘に寝転がった。心底せいせいした、という感じである。どうやら早起きしたのではなく、徹夜状態らしい。考え込んでいて寝付けなかったのだろう。
「……でも」
 あることに気づいて、クレアは言い添えた。
「お父様たちも、心配されているでしょうから。返事くらいは、理由を書いて出してくださいね」
「心配? してないと思うわよぉ、そんなの」
 怪訝そうに首をひねる勇者に、
「しますよ。長い間、会えなかったら。家族なら、元気でいるかどうか心配ですよ」
 昔のことを思い返しながら、語調を強める。
 兄がインフォス守護の任務に就いていた間――急に会えなくなり、ずっとそのままで、クレアは寂しかった。アーシェの事情とは異なるが、家族と離れていたことに変わりはない。
 それに手紙が届いたということは、ブレイダリク王は娘の居場所を把握している。問答無用で連れ戻すことも出来るはずだ。それをしないということは、彼女の意志を、すべて蔑ろにしているわけでもない……からと言って、見知らぬ婚約者を押し付けられても、アーシェとしては迷惑極まりないのだろうが。
「あー、まあねぇ。お父様が、またお酒の呑みすぎで血圧上がってないかとか、お兄様の下手なダンスが少しは上達したかは、気になるかなー……」
(……ふふっ)
 なんだかんだ言いながら、しっかり気にしているようだ。
「分かったわよ、手紙の返事は出すわ。それでいいわよね?」
 アーシェは、機嫌よく応じた。
「ええ。そうしてください」
 微笑ましいような気分で、クレアは頷く。少しだけ――手紙を出す家族がいる彼女を、羨ましく思いながら。




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誰かの肯定が欲しいときって、ありますよねぇ。やっぱり。親身になって聞いてもらって、間違ってないよと言ってもらえるだけで安心する。この場合、説教はいらないんですよね。