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◆ メランコリー(2)


(来るべきでは、なかったか)
 もう、何度目になるだろう。シーヴァスは盛大な溜息をつき、グラスの中身を呷った。
 ワインの質もいまいちだ。どこを見ても、誰と話していても苛々する。喧騒から切り離されたベランダで、夜景を見ながら風に吹かれていると、いくらか気が安らいだ。
「…………」
 しかしこれでは、なんのために夜会に来たのやら。自室で本でも読んでいたほうが、よほど有意義だったのではないか?

(勝手なものだな……)

 傍にいる相手なら。少なくとも、こちらから出向ける場所にいるなら、不平をぶつけに行くことも出来よう。しかし対象が天上に住まう者では、それすら叶わない。
 もう半年以上、天使の姿を見ていない。シエラとディアンの取引現場に遭遇した翌日、話をしたいと思い、石を介して呼んだのだが――代わりに訪れたローザに、
『各地で凶悪事件が立て続いておりまして、本当に猫の手も借りたい状態なのです。クレア様たちもお疲れですので、急ぎの用でないのならば、遠慮していただけませんか』
 事実上、取次ぎを拒まれた。その妖精も仕事に追われているようで、話が終わるなり帰ってしまい、以来、なんの音沙汰もない。
 それなら別の手をと、軍部を通してシエラたちに関する情報がないか探ろうとしたのだが、ヴォーラス騎士団は、隣国サルファで蜂起した反乱軍の制圧に出払っており、レイヴとも未だ連絡が取れない。

 ……確かに、目の前の事件を差し置いて優先すべき事柄ではないだろう。しかし、たかだか数分も顔を出せないほど、天使たちは多忙なのか? 依頼時には遠慮無しに振り回しておいて、用がなければ放ったらかしとは、随分な扱いである。
 暇と不満を持て余し、久々に夜会に出席したものの、会場に着くなり社交辞令の渦に煩わされる始末。気分転換どころか、鬱屈とした気分は増すばかりだった。

「どーした、色男。久しぶりに顔を見せたかと思えば、麗しき御婦人たちの相手もしないで、んなトコで独り黄昏て」
 ひたすら苛ついていると、不意に後ろから、軽い調子の声が掛かけれた。
「なんだ。おまえか……」
 装飾の施された支柱に寄りかかり、オーダーメイドの燕尾服を嫌味なまでに着こなした、長身痩躯の赤毛の男がワイングラス片手に立っていた。
 エディーク・アシュフォード。王立学院の同級生で、資産家の道楽息子だ、というと、『おまえにだけは言われたかねえよ』 と反論してくるのだろうが――腐れ縁の悪友である。夜遊びの類は、ほとんどこいつに教えられた。
「…………」
 屋敷のメイドに、余計なことを吹き込んでくれた件について、文句を言うつもりだったのを思い出す。だが最早、どうでもいいことのような気がした。
「なんだよ、テンション低いな。あの話は流言じゃなくて、事実だったわけか?」
「……なんのことだ」
「聞いてないのか? ここしばらく、おまえの噂で持ち切りだったんだぞ、社交界。なにせ半年以上、見かけねえもんだから」
 エディークは、指折り数えて説明した。
「夜会に出なくなったのは、フェリスに愛想尽かされたのが堪えたからだとか、どこぞの修道女に惚れて足しげく教会に通ってるんだとか、爺さんの命令で他国の姫君と婚約することが決まったらしいとか、そりゃもう憶測の数々が――」
「くだらん」
 人の不在をいいことに、好き勝手に噂していたようだが、見当外れもいいところである。
「単に、溜まった執務を片付けていて……終わったから、気晴らしに来ただけだ」
「へぇ……。それにしちゃ、憂鬱そうに見えたがな。疲れているからか」
「…………」
 図星を差された。が、それを根掘り葉掘り追求するほど、この男はお節介ではない。
「まあいい。今日は、ちょうどマキスたちも来ていてな。これから呑みに行こうって話になってるんだが、おまえも来るだろ?」
 エディークは、あっさり話題を変えた。
「……そうだな。行くとするか」
 シーヴァスは頷いた。このままここにいても、疲れるだけだ。連中と呑みにでも行けば、少しは気が紛れるだろう。

 それでなくても四六時中、鳥の羽音が聴こえるたび、反射的に空を見上げてしまう自分に嫌気が差していたところだ。天使と出会ってから、いつの間にか、彼女たちの依頼が日々の中心に来てしまっていたが、この辺りで本来の生活ペースを取り戻しておくべきだろう。

×××××


 そうしてエディークたちと呑み明かした、同日。

「あのっ! シーヴァス様ですね!?」
 突然の大声に、名指しで呼ばれ、二日酔い状態の頭がずきずきと疼いた。

 ここはヨースト中心部の繁華街。今は朝とも昼ともいえない半端な時間帯で、さほど人通りは多くない――故に、振り返れば、声の主は探さずとも知れた。だいたい17歳くらいだろうか。街の娘が好んで着るような、袖なしの青いジレーに、同色のスカート。おさげ髪の少女が、息を切らしながら立っていた。
「そうだが……君は?」
「あ、すみません。私、カーラと言います。以前、シーヴァス様に助けられた者です」
 ……と言われても、天使の勇者になってからというもの、国内外を問わず人助けに駆り出されていた。どの事件で出会った娘だったか、さすがに急には思い出せない。
「あのときのご恩が、忘れられなくて――ぜひもう一度会いたいと、あなた様を探していました!」
 少女は、濃い褐色の瞳をきらきらさせている。
 常ならば喜んで食事などに誘うところだが、今は、とにかく早く屋敷に帰って眠りたかった。
「それは、わざわざ。ありがとう……」
 それでも、調子の悪さをおくびにも出さず、微笑んで見せるくらいは容易い。これで用件は済んだと思ったのだが、
「あの、シーヴァス様。今夜、お時間をいただけませんか?」
「ん?」
 怪訝に思う暇もなく、
「昼間、人目のあるところでは、ちょっと……それに、こんなところでお会いできると思っていなかったから、なにも準備してなくて……」
 カーラと名乗った少女は、せわしなく両手を胸の前で組み合わせると、一方的にまくしたて、
「夜、またここで、お待ちしています。シーヴァス様!」
 そう言い置くなり、顔を耳まで真っ赤にして、踵を返して走りだした。
「ちょっ……君!? 待ちたまえ!」
 すぐに追いかけたものの、少女はかなり足が速く――こちらが多少ふらついていたせいもあるだろうが――見失ってしまった。すれ違う人々が、何事かというように視線を向けてくる。

(お待ちしています、と言われても……)

 呆気に取られたまま、シーヴァスはその場で立ち尽くした。

「随分、唐突な女の子だな――」
 まるで嵐が過ぎ去ったようだ。酔いも、かなり醒めた。
 夜と一口に言っても長い。いったい何時に来ればいいのだ? そもそも、再会を了承した覚えはないのだが、知っているのが名前だけでは連絡の取りようがない。しかし、あの勢いだと、本当に一晩中でも待っていそうである。

「……相変わらずのようですね」

 おもむろに、背後から、先程の少女とは打って変わって投げやりな声が聞こえた。
「また女の人に、ちょっかい出してるんですか」
「ティセナ?」
 いつから、そこにいたのか。すぐ傍の、アンティーク・ショップの壁に寄りかかるようにして、彼女は立っていた。ソルダムの一件以来になるから、こうして話すのは、ほとんど一年ぶりだ。
「失礼な……ちょっかいなど出してはいない。彼女の方からアプローチして来たんだ。今夜、二人きりで会いたいと言ってな」
「さっきの人が、ですか?」
 あからさまに不審げに、天使はカーラが走り去っていった方角を見つめた。どうやら、一部始終を見ていたわけではないらしい。
「ああ。唐突に用件だけ伝えて、こちらの返答も聞かずに行ってしまった。きっと恥ずかしかったんだろう」
「――で。会うつもりなんですか」
「当然だ」
 今すぐと言われれば気乗りしないが、夜に改めてというなら、なんら問題ない。屋敷に戻り、一眠りしてから、日が暮れる前にここへ来ればいい。
「…………また、いい加減な。適当にしか付き合えないなら断るべきでしょう」
「ふっ。ご高説は承りたいところだが、断ろうにも、生憎、彼女は行ってしまっていてね」
 事実、断る隙もなかったのだから仕方がない。
「なら今夜、また会ったときに、丁寧に断ったらどうです」
 天使は、なおも突っかかってきた。
「断る? なぜ私が、そんな彼女を悲しませるような真似をしなければならない」
「結果的には、余計悲しむんじゃないですか? 夢から覚めた後で」
(やけに、悟ったようなことを言う……)
 14歳の少女の台詞だと思うと、違和感が拭えない。ここに居合わせたのがクレアであれば、
『律儀な方ですね。きっと、お礼の品を用意しに帰られたんですね』
 などと、善意というか、なんというかなコメントをしていることだろう。年齢と台詞の釣り合いを考えれば、普通、逆ではないか? しかし、
「私はそうは思わんな。どんな短い恋でも、思い出が残る」
「…………」
「それにお互い、対等な立場で楽しむんだ。第三者の君に、とやかく言われる筋合いはない」
「…………」
 ティセナは黙り込んだ。冷え冷えとした空気が、周辺を漂う。
「……なにを言おうが無駄みたいですね」
「ああ。分かったのなら、余計な口は挟まないでくれ」
 久しぶりに顔を合わせたというのに、やはり会話は険悪な流れにしかならない。彼女こそ、相変わらずのようだ。
「そもそも君は、こんなところで何をしていたんだ? 事件続きで忙しいと聞いていたが。羽休めか?」
 大剣を携え、天使の姿のままだ。まさか、のんびり買い物にかまけていた訳でもあるまい。
「ええ。クレア様が、このところ訪問もままならないけど元気でいるだろうかと、あなたのことを気にしていたので、休息ついでに様子を見に来たんですが――」
(……なに?)
 予想外の返答だった。石は昨晩から、屋敷に置いたままだ。つまり、わざわざ探しに来たということになる。クレアが理由とはいえ、これまで自分の元を訪れても、開口一番、事件解決の依頼しかしなかった彼女が?
「シーヴァス様は、まったく変わりなく、日々楽しく過ごされているから、心配するだけ損だと伝えておきます」
 氷点下の声音で、天使は冷たく言い放つ。
「いや、待て。ティセナ――」
 思い出すのが遅れたが、シーヴァスとしても用はあったのだ。シエラたちのことを話そうと、急ぎ口を開きかけたが手遅れで、
「お邪魔しました。どうぞ、ごゆっくり!」
 撥ねつけるように怒鳴り、少女はその場から消えてしまった。


「坊ちゃま!?」
 邸に戻るなり、走り出てきたジルベールが金切り声を上げた。
 ……頭が痛い。

「いったい、どこに行かれてらしたんですか! 連絡もなしに――」
「夜会に出ると、伝えておいただろう」
 玄関で靴を脱ぎつつ、背を向けたまま答える。
「外泊されるとは聞いていませんよ……しかもまた、お酒と安化粧の匂いばかりさせて!」
 ジルベールは、怒髪天を突く勢いで、シーヴァスの上着をひったくった。
「ここ最近、少しは真面目になられたかと思えば――どうやら、私の思い過ごしだったようですね!」
 そういえば、彼女に説教されるのも久しぶりだ。
 ……何故だろう。この程度の外泊、日常茶飯事で、いちいち小言など出なかったはずなのだが。
「あの、シーヴァス様。昼食は――」
 遠巻きに、こちらを窺っていたメイドたちが、おずおずと声をかけてくる。
「要らん」
 食欲などない。酔いがぶり返してきたらしく、胸焼けさえする。
「夕方から、また出掛ける。それまで部屋で休むから、来客があっても断っておいてくれ」
 口を利くのも億劫だった。
「は、はい……」
 メイドの返事を待たず、シーヴァスは足早に自室へ向かった。

「…………まったく」
 
 背後から、ジルベールの嘆息が追いかけてきたが、黙殺することにした。




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悪友達こと、エディーク。またもオリジナルの登場人物。通常会話シーンで、「それは誰かに教わったのですか?」と聞いたときの返答から、連想したキャラクターです。