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◆ 一夏の恋(1)


「シーヴァス!」
「なんだ?」
「すごいです。カキ氷がジュースになってます!」
 十数分前、イチゴ味の氷菓子を購入していた天使が、容器を片手に、嬉々として報告してきた。

 ごく自然に財布を取り出して支払いを済ませるクレアに、ポケットに突っ込んだ手の行き場をなくしたシーヴァスが、その通貨はどういう経緯で手に入れたのかと訊ねると、
『ティセが、賭け事で入手してくれました』
 それは戒律とやらに反しないのかと、疑問に思わされる説明が返ってきた。
 ここは私が出す、男と二人でいる時に、女性は身銭など使わないものだと諭しても、
『また、からかおうとしてますね? そうそう何度も騙されませんよ――グリフィンは、一緒に食事をしたとき “割り勘” って言いますもの。自分が食べる物を誰かに払ってもらうなんて、私も嫌です』
 頑なに首を振る天使には、貴族の令嬢たち相手の常識は通用せず、シーヴァスは、とりあえず某勇者を心の中で存分に扱き下ろしておいた。

「いや、それは溶けてしまっただけだと思うぞ……」
 こちらの指摘に、
「そうなんですか? 画期的なお菓子ですねっ。溶けても美味しく食べられるアイスクリーム!」
 クレアは、とてつもなく前向きで、なおかつ見当外れの反応を示す。
(別に、溶けても食べられるようにという意図で開発されたものではないと思うが……)

 ひやかし程度に、眺めるだけで通り過ぎる予定でいた広場だが、楽しそうな彼女につられて留まり、すでに小一時間ほどが経過していた。
 『あまり、俗なものには興味なかろう』 との考えは、シーヴァスの思い違いだったらしい。天使は、物珍しげに露天を覗き込み、ちょっと目を離した隙にナンパされかけ、
『拾った貝殻が、勝手に動き回るんです!』
 ――と、息せき切って駆けてきたクレアに訴えられて見ると、それはヤドカリだったからで、
『あの子が持っている風船は、手を離したらどの辺りまで飛んでいくんでしょう?』
『カニはどうして横にしか歩かないんですか?』
 等々、次から次へと興味の対象が尽きない。これまで、任務の道中で浮ついた様子を見せなかったのは、無関心の産物ではなく、精神的なゆとりがなかったからであるようだ。はぐれないよう、事故がないようにと気を配りながら、シーヴァスは、すでに天使の保護者のような気分であった。
「まったく……つくづく退屈しないな、君といると」
 苦笑しつつ呟いた言葉を、以前、どこかで――聞き覚えがあるもののように、感じて。


『ホント、退屈しないよ。君といると』


 もどかしく手繰り寄せた記憶が、数秒の間をおいて、ひどく鮮明に甦る。
 そうだ。もう、ずっと昔……女性といて、なんの含みもなく、そう思ったことがあった。

 当時のシーヴァスは、まだ少年で、相手も少女という頃だったが――追憶すれば、思い出は褪せることなく、そこにあった。
 だから、我に返り――その場で目にした者も、記憶が映した幻に過ぎないと思った。
 雑踏の中。逆方向から、談笑しながら歩いてくる一組の男女。その、小柄で華奢な、ハシバミ色の瞳の、女性。

(マリ……ア……?)

 約五年の月日を経て、少女から女性へと変貌しているものの、優しげな面差しは変わらずそこに在った。

「――あ」

 呆然と、視線を逸らせずにいると、相手もこちらに気づいた。目を瞠り、立ちすくんでいる。連れの男が訝しげに「どうかしたのか?」 と訊いた。


「……クレア」


 シーヴァスは、周囲に不自然に思われぬよう、
「向こうの浜には、ヒルガオが群生しているんだが――見に行かないか?」
 きわめて自然な動作を装い、なにやら 『星の砂』 を販売している露天に、熱心に見入っていた天使を呼んだ。
「え? ヒルガオって、なんですか?」
「アサガオは、屋敷で見ただろう? あれと似た、昼間に咲く花だ」
 彼女は、あさ、ひる……と呟き、
「それじゃ、もしかしてユウガオもあるんですか?」
「ああ。この辺りには咲いていないが」
「ヨルガオもあります?」
 考えてみれば、ありそうなことを訊いた。しかし平静を装いながら、その実、シーヴァスには、天使と会話を続けるだけの余裕も残されていなかった。
「それは聞いたことがないな。まあ、探せばあるかもしれん――行こう」
 返事も待たず、クレアの手を取り歩きだす。不自然ではない態度を繕う、その一点のみに全神経を注いで。
「え? あ、ちょっと……」
 呆気に取られたように目をぱちくりとさせ、 『星の砂』 が気になるのか後ろを振り返ったまま、かといって抵抗するでもなく引っ張られていた天使は、

「あの。ま、待ってください。シーヴァス」

 しばらく歩いたところで、おずおずと声をかけてきた。
 マリアたちから、一定距離は遠ざかったという認識に、いくぶん冷静さを取り戻したシーヴァスは、
「なんだ、ヒルガオには興味がないか?」
 動揺が表に出ぬよう細心の注意を払い、クレアを窺う。
 天使が共にいて良かった、と思った。もし、あの場に一人でいたなら――最低限の平常心さえ保てたかどうか、心許ない。
「星の砂は逃げはしないが、花は夕方になれば萎れてしまうぞ」
「いえ、ヒルガオは見たいんですけど、あの人……知り合いじゃないんですか?」
 ぎくりとした。声がうわずらぬよう、一拍の間を置いてから問い返す。
「誰がだ?」
「ええと、さっきあそこで」
 後ろを振り返り、せわしなく左右に視線を巡らせて、困ったように呟く。
「あああ、もういなくなっちゃってる……」
 そちらに目を向け、シーヴァスは心底ホッとさせられた。
 マリアと、おそらく恋人であろう男の姿は、見えなくなっていた。やはり、足早にあの場を去ったのだろう――お互い、顔を合わせたくはないはずだ。
「シーヴァスを見て、話しかけたそうにしている人がいたんです。女の人で……」
 天使の目聡さが、このときばかりは欠点に思えた。
 露天に熱中していた彼女が、シーヴァスの一瞬の表情の変化を目撃したとは考えにくい。おそらくマリアの方が、立ち竦んだままこちらを凝視していたのだろう。

「そうか? だが、知り合いなら声をかけてくるだろう」

 シーヴァスは、素っ気なく断じた。
「それに私は、この街では顔が知れているからな。見知らぬ人間に因縁をつけられることも少なくない。わざわざ引き返して、面倒に巻き込まれるのは御免だな」
「そういう感じじゃ、なかったですけど……」
 天使は、自信なさげに首をかしげる。
「ならば、なおのことだ。まともな知人で、用があるなら、屋敷の方に訪ねてくるさ。この混雑の中で、人探しをするのは骨が折れる作業だからな」
 同じヘブロン国内に住んではいるのだろうが、この五年間、顔を合わせることはなかった。よほど運が悪くない限り、とうぶん “彼女” を見かけることはないだろう――そう思い直すと、
「頼むから、迷子になってくれるなよ、クレア」
 いくらか気分が落ち着き、シーヴァスは、笑いながら天使の頭をぽんと叩いた。
「なっ……そんな子供みたいなこと、しません! これでも任務が始まったばかりの頃に比べたら、街でも迷わなくなってきたんですからっ」
 クレアはまたぞろ、ムキになって反駁する。
 いま、ここで――独りでなくてよかった、と。シーヴァスは、痛切に、そんな想いを噛みしめていた。




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管理人は、アイスクリームよりもカキ氷派。理由は、やっぱり溶けてもジュースとして飲めるからです。アサ、ヒル、ユウとあるのに、なんでヨルガオはないの? というのも、昔から疑問に思っていたことだったりします。