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◆ 一夏の恋(2)


 ……別に、どうということはない話だ。
 まだ色恋沙汰や世の辛酸に、あまり免疫を持たなかった少年が、同年代の少女に恋心を抱き、同じ気持ちでいることを相手から明かされ、
『自分の想いが通じた』
 と、浮かれていた、ある日。彼女は財産狙いで近づいてきただけだと判明して、マガイモノだった関係は、切れた。
 そんな、どこにでもあるような、ありふれた話――


 ヒルガオの群生地まで移動してから、シーヴァスは、岩場の陰に寝そべり目を閉じていた。
 天使は、薄紅色の花々に夢中になっている。海は凪いでいるし、他に人間の姿はないから、少しくらい目を離していても問題はないだろう。

 大自然は、すべてのものに対して平等だ。
 こちらが、どんな気分で、どのような状態でいようと、なんら変わらずそこに在り続ける。なぐさめと感じられる、そのことが、時には――ひどく残酷にも思えることもある。
 そこに生きるものの歓喜も、悲哀も、世界はなにひとつ斟酌することはない――

(……ん?)

 軽やかな足音が近づいてきて、ふと目を開けると、
「ふぅ……」
 空色のリボンに縁取られた帽子をぬぎながら、クレアが隣に腰を下ろすところだった。
「――疲れたのか?」
「あ、ごめんなさい。起こしてしまいました?」
「いや」
 シーヴァスは、身を起こして岩壁にもたれた。元より眠れるような状態でもなかったのだ。
「気分は、悪くはないか? だいぶ陽が高くなってきたな」
「ええ、だいじょうぶです。ちょっと暑いですけど……」
 ひたいを拭いながら、クレアは肯いた。屋敷を出たのが午前十時頃だったから、そろそろ昼食時だろう。
「ここは、涼しいんですね」
「……ああ」
 地形のせいか、ひっきりなしに風が吹き込んでくる。空気の流れに合わせて、天使のスカートの裾がふわふわと揺れていた。

「……天界には……海も砂漠もないと言ったな」
 果てなく遠い、神の眷属が住まう場所。
 死せば誰しも受け入れられると、なんの根拠もなく語り継がれてきた、理想郷。
「どんなところなんだ? ……君たちの故郷は」
 唐突な質問に、クレアは戸惑ったように見返してきた。
「……え?」
「天使が住む世界だからな。さぞかし美しくて清浄で、地上に来てから目にしたような醜い争いとは無縁なんだろう」
 訊き方が、あまりに漠然としすぎていたことに気づき、シーヴァスは重ねて訊いた。
「どう……って……」
 天使は、ややあって苦笑しながら答えた。
「想像されているような楽園とは、違うと思いますよ。私たちはアストラル体で、いくばくかの魔法が使える。穢れが極端に忌まれて、神への忠誠と、万物に対する博愛が求められる――そのくらいです」
「そうか? 君が、あまりに簡単に、与太話に引っかかってばかりいるから、天界には、よほど正直者ばかりが住んでいるのだろうと思っていたんだが」
 混ぜっ返すと、クレアは真っ赤になり、横目でこちらを睨んだ。
「あ、あれは、あなたが、しれっと真顔で言うから、まぎらわしいんです! そんな、いつもいつも騙されたりしてませんっ」
 くっくっと笑いながら、シーヴァスは、彼女が育った土壌を想像してみた。
 静寂に包まれた、安息の地――その世間一般的なイメージが、どこから来たものかは釈然としないが――ティセナやラヴィエルたちも暮らす場所と考えると、どちらかというと騒がしそうな気がする。
「…………」
 天使は、ふてくされたように海を眺めていたが、

「その……からかうっていうのとは、違いますけど……理不尽なこととかは、ありますよ。やっぱり……」

 やがて考え込むような表情になり、いつになく歯切れの悪い口調で、ぽつりと呟いた。
「天界の……軍に、ですね。キースっていう人がいたんです」
 キース。
 確か――昏睡状態から覚めたばかりの天使が、うわ言のように呼んだ名だ。
「性格や、戦士としての実力も飛びぬけていましたけど、なんていうか……影響力が強くて。困っていたり、泣いている人たちに、だいじょうぶだから、僕がなんとかするから、だから諦めないでって、励まして……周り、慕う人でいっぱいで……」
 その語調から、クレア自身も、かなりの信頼を寄せていた相手であることが読み取れた。
(人望のない勇者で、悪かったな)
 見知らぬ男を手放しに褒めちぎられ、未だ精神的な余裕が戻りきっていないシーヴァスは、つい卑屈な思いを抱く。
「でも……」
 続いて発せられた台詞に、
「魔族との戦いで……死んでしまって。手当ても、なにも間に合わなかった――即死でした」
 喉元まで出かかっていた憎まれ口を、あわてて飲み込んだ。
「彼だけが心の支えだっていう人たち、たくさんいて……いきなり、頼る相手がいなくなって、みんな……裏切られた。だまされた。信じるんじゃなかった、って……」
 語る表情は悲しげだが、あくまで淡々とした話し方だ。
 思い出になりつつある辛い記憶。キースという男が死んだのは、少なくとも一年――いや、二年以上は前のことだろう。
「ティセ……そのとき、言ってました。いつか消えてしまう希望なんて、ない方がマシだ。守れない約束なら、最初からしなけりゃいいのに、って」
 彼女らしい台詞だ、と思った。
 実際、似たようなことを言われた覚えがある。
「その人ですね、なんとなく……背格好とか、シーヴァスと似ていたんです」
「……私に?」
 妙なところで自分の名前を出され、少々面食らった。
「ええ。だから、ティセ……シーヴァスといると、彼を思い出して、ちょっとイライラするみたいで……」

 表面的には筋が通るようでいて、どこか妙な話だ。
 クレアの話し振りからするに、キースというのは、誠実で義侠心に溢れる男だったのだろう。慕う者たちを残して死んだ、その男と、女癖の悪い勇者をだぶらせて憤慨する――理知的な、あの少女の心情としては不自然ではないだろうか?
 大人びているように見えても、まだ子供で、不誠実な言動そのものが嫌いと考えれば、おかしくもなんともないのだが。

「キースは……確かに死んじゃったら、約束を守るもなにも、ありませんから。残された人たちには、裏切られたことになるのかもしれないですけど……でも、言葉を口にしたときの気持ちに、嘘はなかったはずだから」
 クレアは、蒼天を仰いだ。
「偽りの想いが、他人の心を動かすことなんて、ないと思いますから……結果的に、だましたことになってしまっても……楽しかった思い出とか、なにもかも全部を否定されるのは、あんまりだと思います」
 過去に思いを馳せるように、
「約束は、きっと……守れなかった方も、辛いものですから」
「…………」
 空を見つめる天使の傍らで、シーヴァスは、黙して彼女の話に聞き入っていた。
 胸の内に去来するものは、天界の、天使たちのことであり――己のごく個人的な過去でもあった。

「……あれ? すみません、なにか、話……逸れてます、ね?」

 宙に彷徨っていたクレアの視線が、ふと戻り、
「ごめんなさい、変な話して! えっと、でも、あの――だから、ティセの態度がああなのは、シーヴァスの所為じゃありませんから、気を悪くされるかもしれませんけど、あんまり怒らないであげてください。あの子も、わざとやっているわけではないと思うので――」
 あわあわと焦りながら、彼女はシーヴァスに向き直った。
「いえ、わざとと言えば、わざとってことになっちゃうのかもしれませんけど、でも」
「私は――別に、彼女を嫌ってはいないさ。心配するな」
 シーヴァスは苦笑した。この天使たち、よほど互いのことが好きらしい。裏切るだの何だのという単語は、彼女たちの間に限ってはあり得ないだろう。
「せっかく顔立ちが可愛らしいのだから、笑顔のひとつも見せてくれればいいのに、とは思うがな」
「あ、はい! かわいいんですよ、とっても――」
 クレアは、ぱっと顔を輝かせた。
「あの子が笑うの見てると、私、嬉しいですっ」
 本人がここで笑っているわけでもないのに、心底、幸せそうに言う。
「……そうか」
 相槌を打ち、シーヴァスは、真夏の空を仰いだ。さっきまで、天使がそうしていたように。


(偽りの想いが、他人の心を動かすことはない、か……)


 偶然に耳にした、真相について。
 マリアを問い詰めた、あの日――彼女は、身を硬くしながらも、言い訳ひとつせずに認めた。

『あなたが、フォルクガング家の跡取りだってことは……知っていたわ』
『わたしの両親もそれを知って、そのうち娘が玉の輿に乗れるって、浮かれていた――』

 出会いもまた、偶然だった。
 偶然に知り合い、なんの先入観もなく好意を抱き、ただ共にいることが幸福で。それがいつまでも続くのだと、疑いもせずに信じていた。

 言葉を口にしたときの気持ちに、嘘がなかったというなら。すべてが偽りではなかったのだとしたら。どこまでが真実だったのだろう――あの日々は。
 事実がどうであれ、もう元に戻ることはあり得ないのだが。

(だが、もし……いつか……)

 いつか、また偶然に彼女と出会うことがあれば、今度は――打ち解けてとまではいかずとも、挨拶くらいは交わせるかもしれない。




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シーヴァスの過去、捏造 (笑) いやでも、あったんじゃないかと思うんですよ。そういうことが。純愛を貫いた両親を見て育った子供が、他人に心を開けないプレイボーイになっちゃうって、自然な流れには思えませんから。