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◆ カタルシス(1)


「ちょっとライラ、触ってみてよ。クレア様のお肌、すべすべ! すべすべ!」
「うっわ〜……ホントだ。白磁って、こういう感じを言うのかな?」
「――って、クレア様! 普段なんにも、お化粧してないんですか!?」
「だけど、これだけ綺麗なら、白粉なんか塗らない方が映えていいんじゃない? 口紅も要らないかもよ」
 きゃあきゃあと騒ぎながら、忙しなく行き交う総勢四名のメイドたちに、
「…………」
 さっきから髪や肌を弄繰り回され、クレアは、ほとほと辟易していた。


『観劇に行かないか?』
 シーヴァスが、そう提案してきたのは今朝のことだった。
『……感激、ですか?』
『ああ。市街の劇場で、最新作の公演が始まっていてな。有名な小説を舞台化したもので、評判は上々らしい』
 なんでも知人から、招待券が二枚贈られてきたのだという。
『??? なにか、綺麗なものがあるんですか?』
『ああ。演技力だけでなく、衣装や舞台装置の緻密さにも定評がある劇団だぞ』
 馴染みのない単語の羅列に、クレアが首をかしげているうちに、
『天界には、こういった文化はないのか?』
『はい。劇団や感激というのも、よく意味が分からないんですが……』
『そうか。だが、きっと君にも楽しめると思う。それほど堅苦しい場所ではないから、気分転換に出掛けてみないか?』
 勇者との会話は、いくばくかの勘違いを素通りしつつ、午後から出掛けるということでまとまったのだが、


「タチアナ、それ! そっちのコサージュ取って!」
「うわ、はい!」
「ネックレスはどっちにする?」
「このドレスになら、やっぱり、ローズクオーツのじゃない?」
「じゃあ、イヤリングは?」
「そりゃあ、お揃いでしょう。ブレスレットも」

 劇場には正装で行くものですから、おめかししないと、うんたらかんたらと力説するメイドたちに押されるようにして、客室の椅子に座らされ、着せ替え人形にされて、すでに小一時間が経とうとしていた。
(こんなふうに着飾らなきゃいけない時点で、じゅうぶん堅苦しいじゃない……)
 うんざりと思う。感激と服装になんの関係があるというのだろう? 衣服は、着心地がよく動きやすければ、それで良いだろうに――

(………………やめとけばよかった……)

 人間の風習とは不可解なものだ。クレアは、劇場に行く前から後悔し始めていた。

×××××


「シーヴァス……」
 クレアは、途方に暮れているように見えた。
「どこかおかしくないですか? こういう服は、あまり着慣れないので、落ち着かないんですけど――」
 観劇に出掛けることにしたものの、ジルベールが所用で外出していたため、ドレスの見立てはレジーナたちに任せることになったのだが、
「……」
 大張り切りのメイド四人に客室へと押し込まれ、ようやく解放されて出てきた天使は、レイヴの姉たちが狂喜乱舞して喜びそうな、豪華絢爛な衣装を身に纏い、ひどく居心地悪そうにしている。
「…………」
 なにも言わずに眉根を寄せているシーヴァスを見て、
「あの。おかしいみたいですから、やっぱり……」
「おかしい訳がないじゃないですか! こんなにキレイなのにッ」
「いえ、でも……シーヴァスも変な顔されてますし――」
「あら、照れていらっしゃるだけですよ」
「ほらほら、シーヴァス様、ご感想は?」
 客室に引き返そうとするクレアを押しとどめ、メイドたちが口々にせっついた。
「見蕩れてしまうのも無理はありませんけど、そんなふうに黙り込まれていたら、クレア様が不安に思われるじゃありませんか」
「あ、ああ。いや……」
 淡紅色の華美なドレスに呑まれるでもなく、着飾った天使の姿は愛くるしい。褒め言葉を口にして問題ないはずなのだが――それより先に湧いて出た、圧倒的な違和感をどう説明したものか。
 適切な表現を見つけられず、返答に詰まっていたところに、

「シーヴァス様。馬車の用意は整いましたが――」

 こんこん、と扉が鳴り、執事のグレンが顔を出した。有能かつ実直、普段はあまり感情の起伏を見せない実年の男であるが、
「おや、クレア様。支度が済まれたのですな。いやはや、なにを着られても、お美しい」
 クレアを見とめ、ゆっくりと相好を崩した。
「……そうですか? 普段、青系統の服ばかり着ているからか、なんだかしっくり来なくて……」
「はい。可愛らしくて良いと思いますよ」
 得心がいかない様子でいる彼女に、穏やかに肯いて返すと、
「しかし、桃色のフリルで、コサージュを散りばめたドレスに、金ピカのティアラとは……私のような年代の者には、いささか目がチカチカいたしますなぁ」
 まじまじとドレスを眺め、付け加えるように言う。
「なんですか〜? グレンさんったら、爺むさぁーい」
「流行の先端なんですよ、このスタイル!」
 グレンの台詞に、チェルシーとタチアナが口をとがらかせて突っかかった。
(ああ、そうか――)
 彼らのやり取りを聞いているうち、ぼんやりとだが違和の原因に思い至り、
「ちょっと、いいか?」
 シーヴァスは、所在なさげに立っている天使に、手を伸ばした。
「え?」
「わっ、なにするんですか、シーヴァス様! せっかく――」
 ライラの抗議を黙殺し、ごてごてと全身に飾りつけられていたコサージュを、髪や胸元など部分的には残しつつ、取り去っていく。
「……やはりな」
 数十秒後。違和が霧散して、満足感に切り替わったときには、右手に淡紅の造花の束が出来ていた。
 しぱしぱと目を瞬いている天使を、横目に見ながら、
「流行り物も悪くはないが、彼女には、このくらいが似合うんじゃないか?」
 グレンたちに意見を求める。

 淡紅の色彩。ふわりとしたシルエット。それ自体は、普段の彼女とはまた異なる、甘い魅力を引き出しており、新鮮で好ましく思える。ただ、過剰なまでに散りばめられたコサージュが、本来の役割を逸脱していた。薔薇の美しさを引き立てようとするあまり、大量のかすみ草で覆ってしまうようなものだ。
 欠点を抱えるものならば、装飾品で補完される部分もあるだろう。だが、元より洗練された美貌には――輝きを遮る無粋なものは、必要最低限に留めた方がいい。

「私も、そう思いますよ」
 ほうほうと肯いて、グレンは目を細めた。
「姪がここにおったら、喜んだでしょうなぁ。まるで絵本に出てくる、妖精の姫君のようですよ」
 反射的に、ローザとシェリーを脳裏に思い浮かべ、
(いやいや。姪御さんには悪いが、妖精の実物は、絵本とはかけ離れているぞ)
 シーヴァスは、周りに気取られぬよう顔を背け、くっくっと笑う。
「…………」
 約二時間にわたる奮闘の成果に、難癖つけられたメイドたちは、やや不満そうにしていたが、
「まあ……シーヴァス様とクレア様が、それで良いと仰るのなら……」
 まずレジーナが賛意を示し、他のメイドたちも不服半分、納得半分といった面持ちで頷いた。
「すまんな」
 シーヴァスは苦笑し、天使を促した。
「では、行こうか。今から出れば、開演時間にちょうどいい」




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執事のグレン氏。長身の、ロマンスグレーの紳士という設定でございます。邸の使用人さんも、あらかた出揃いましたかね……。